12話
草花の笑い声。雪上を踏みしめる音。
アリスはハンプティに手を引かれ、森の中をただ宛もなく走り続け、ジャックは羽をバタつかせながらその後を必死に追いかける。
ハンプティの未来視の力により、兵士たちの突撃を免れた三人は、行く宛てもなく、森の中をただ走り回る。
「うぅ……」
「ジャック?」
ぐったりとした様子で雪の上に倒れこむジャック。
アリスは駆け寄りジャックの体を抱えるが、触れた肌は少しだけ冷たく感じた。
「寒いよぉ……」
「ここまでくれば、そう簡単には追ってこないだろう。ここから先は歩いて進もう」
「はい」
ジャックを抱き抱えたまま、アリスは歩き出す。ハンプティも同時に歩き出すと、アリスの手をスッと取った。
「……思ったより、早かったですね」
「そうだな」
「見つかると、思ってたの?」
「いつかわね。自国にいなければ他国。でも私が亡命するとは思わないだろうし、いつかは桜蘭には来ると思ってた」
だが、アリスは目を逸らしながら奥歯を噛みしめる。
たとえ来たとしても、大人しく戻るつもりなかった。向かってくるなら撃退する。だけど、今回はそれができなかった。
「まさか二国同時とはな……流石に相手が多すぎる」
ハンプティの未来視を使いながら、森の中を右に行ったり左に行ったりする。
どこまで歩くかはわからない。けど、アリスはいつも戦場を駆けまわっていた。体力にはそれなりに自信はある。
「ジャック、寒くない?」
「うん、アリスの中、あったかい……」
「…………」
「なんて顔してるんですか」
羨ましそうにジャックを見てい他のをアリスに気づかれてしまい、ハンプティは軽く怒られてしまった。彼は拗ねた様子は浮かべず、苦笑してそのままアリスを抱きしめる。
「ハンプティさん?」
「お前だけは、絶対に逃がしてやるからな」
「……バカ言わないでください。三人で逃げ切るんです」
軽く彼の胸を押して、アリスは再び彼の手を握る。
彼女にとって彼は、ただの共犯者。特別な感情はない。けれど、彼とお互いに約束をした。
「貴方には私の願いを叶えてもらう約束をしてます。私も、貴方の願いを叶える約束をしてます。置いて逃げるなんことは絶対しませんから」
「……ホント、お前は最高だよ」
「褒めてるんですか?」
「褒めてる褒めてる」
幸せそうに、どこか楽しそうな表情を浮かべながら、彼はアリスの手を引いて行く。
もうどれだけ歩いたのだろう。冬になってるため、動物の姿がほとんどなく、草花も寒さに縮こまって全く話そうとはしない。
「とりあえず、ことが落ち着くまではジャックの元いた巣に行くか」
「僕の家?」
「そうですね。あそこなら、好んで近づく者も居ないでしょうし」
赤と白の国境。桜蘭から南にある大きな洞窟。人々に《竜の洞窟》と呼ばれている場所。とりあえず、三人はそこを目指すことにした。
「兵がここにいるってことは、陛下は当然、私がここにいることを知っているんですよね……」
「お前だけじゃない。俺の方もだ。まぁ問題は誰の命令か、だけどな」
わずかに震えるアリス。脳裏に浮かぶのは過去の映像。戦場での自分の姿、初めて人を殺したときの感触、人を殺めたときの感覚。初めて女王を見た時の感情。
「どうして……私たちだけ」
「そんなもの、俺たちが特別だからだよ。互いの女王にとって」
アリスはゆっくりとハンプティを見上げる。
彼は一体どこまで知っているのだろうと、そう思った。
アリス自身はハンプティのことをほとんど知らない。敵国の指揮官で、未来が見える。家事が壊滅的にできなくて朝が弱い。ベタベタとひっついてきて、いつもからかってくる。でもたまに、子供のように不安になったり怯えたりする。
アリスが知ってるハンプティは、一緒にいる間のことだけ、過去のことは、何も知らない。
「ハンプティさん」
「ん?」
「貴方は、どこまで私のことを知ってるんですか?」
ハンプティは答えなかった。ただアリスの手を引いて前を進むだけ。
アリスもそれ以上追求しなかった。どうでもよかった。彼が自分の過去を知っていようと、何も変わらない。彼が見えるのは未来だけ、過去のことを知ってるからといって、今のアリスを変えることはできない。
「アリス」
「ん?何、ジャック」
「何があっても、必ずアリスを見つけて、側に行くから」
突然言われたその言葉に、アリスは驚く。だけど、彼女はわずかに微笑み、抱きかかえる手でそっと彼の頭を撫でてあげた。
「ありがとう」
「んっ」
満足げにアリスに甘えるジャック。そんな二人の様子を幸せそうにハンプティは見つめる。
が、彼は不意にその足を止めた。




