第六話 第一のゲーム、攻略完了。第二のゲームまで休憩時間。
メーベル家の養女となって三ヶ月が過ぎた頃。雪が溶け外も暖かくなる季節。
そんなある日にクロエはフィルから呼び出しの電話を受けた。その日は天気予報にない大雨が降り、学校から帰ろうとするフィルの障害になっていた。
呼び出しの内容は傘を持ってきてほしいとのことで、フィルが通う学校まではアコニットが運転する車で向かうことになっていた。その予定は滞りなく進行し、何事もなくクロエは校門前で下車したのだった。
黒い傘をさしたクロエは、フィルのベージュ色の傘を開いた左手に抱えて歩き出す。
そこでクロエはある人物が目についた。長い金髪が目を引く白いコートの少女。ここの学生であろうことはクロエもひと目でわかった。
やや吊目がちの、しかしきれいな顔をした白コートの少女にクロエはフィルの居場所を尋ねることにした。
「あの、すみません」
「なにか?」
「フィル・メーベルを探しています。迎えに来たのですが……どこにいるかわかりますか?」
失礼のないようにクロエは振る舞ったつもりだが、白コートの少女はかなり不服そうに険しい表情を浮かべる。まるで変なものを食べてしまったかのような苦々しい様子にクロエはうろたえた。自分の着ている黒コートとか、容姿や声がダメだったのだろうか?
「あんた、あんたがクロエ?」
「え、ええ。そうですが――」
「汚らわしい、近寄らないでッ!」
いきなりこいつはなにを言い出すのだ。今度こそクロエは一歩下がった。
意味がわからなかった。出かける前に顔は洗ったし身だしなみだって整えている。それで汚らわしいなどと罵られるいわれはどこにもないはずだ。
「あの、落ちついて――」
「フィル様と同じ屋根の下で暮らしているのでしょう、孤児の分際で! なにをちらつかせてフィル様やメーベルにとりいったのか知らないけど、あんたは汚らわしいやり口でメーベルの養女になったんでしょう、いやらしい」
言いがかりというのはきっとこれを言うのだ。怒りで頭に血がのぼるのを覚えながらクロエは深呼吸した。それでも怒りは収まらない。
こいつは初対面の人間を相手にどうしてバカにした態度を平然ととれるのだろう。ぶん殴りたくなる気持ちをフィルのために抑えつけながらクロエはどうにか普通に口を利く。
「そうですか。で、フィーはどこ?」
「フィーですって? この汚らわしい口が親しいように呼ぶんじゃないッ!」
「聞こえない? フィーはどこにいるの? 学校の教室? 知っているとか知らないとかも答えられない? とんだバカお嬢様ね」
「チイッ、言わせておけば――正面玄関よ。玄関で誰かを待っているみたいだった。待ち人はあんたってわけか」
「最初からそれだけ言えばいいのよ」
不愉快な気持ちを隠すこともなくクロエは吐き捨てるように言い、正面玄関へと向かおうとする。歩いて1分もかからない距離だ。だが制止を呼び止めるかのように無礼な少女がクロエの背に苦々しい声をかけた。
「私の名前は」
「え?」
「アニー。アニー・ルンデン。私を敵に回したことを後悔することになるわ」
「そう。さよなら」
心底どうでもよかった。ため息をつきながらクロエは正面玄関にたどりつき、すぐにフィルを見つけ出した。
タレ目がちでどこか頼りない印象のあるフィルは、しかししっかりした姿勢の正しさで友人らとなにかを語り合っていたようだった。
クロエの姿を見て友人らに軽く手を振り、薄いベージュのコートを羽織ったフィルは、人当たりのよい笑顔でクロエのあだ名を呼んだ。
「クロ! 来てくれてありがとう。どう? 学校に来るのは初めてだよね」
「きれいなところね。皆で掃除しているんでしょ、でもきれいな人間ばかりじゃないみたい。そこだけ残念かな」
「え? なんかあったの?」
傘を受け取りつつフィルは心配するようにクロエを見つめる。その視線を感じながらクロエは話を続けた。
「なんて名前だったかなアイツ……そう、ルンデン。アニー・ルンデン。なんかいきなり汚らわしいとか言われて、知らない間にとても嫌われているみたい」
「ああ、あの子まだ帰ってなかったのか。ごめん、嫌な思いをさせたね」
「フィーが謝ることじゃないよ」
「でも僕がもっと学校のことをお話ししていればこんなことはなかったはずなんだ。……アニーはルンデンっていう第九大陸の大企業の社長令嬢なんだよ」
「ふうん」
「だからかなあ、ちょっと傲慢なところがあるんだけど、基本いい子だと思うんだよね。でも前に君の話……養子をとったんだっていう話を友人としていたんだけど、横から聞いていたんだね。必死な顔をして問い詰めてきて、それでちょっと話をしたんだ」
「だから私の名前を知っていたのね。それにフィーのことが大好きみたい」
「慕ってくれるのは嬉しいんだけどね、クロにそんな態度をとるっていうのは本当に残念だ。残念すぎて言葉にならない。クロ、本当にごめん」
怒りよりは落ち込んだようなものの言い方だった。クロエはそんな言い方になるだろうなと思っていたし、とてもフィルらしいとも思えていた。
そんなことがあったな、とクロエは歩きながら思い出を振り返った。
彼女は後ろにアニーを連れてキャッスルの中を動いている。さっきまでいたレストランから少し離れたところにベンチが並んでいるところがあり、そこで話をすることにした。
フィルの命をかけた「ゲーム」はアニーの知るところではなかったはずだった。しかし彼女はこの「ゲーム」のことを知っている。ゲームマスターのことを知っているのなら、フィルがいま危険な状態であることも理解しているはずだ。
クロエはコートのポケットに仕舞っておいた縦長の箱を取り出し、中身を確認する。
箱の中には赤いフレームの眼鏡が入っていた。ここまではゲームマスターの言っていたとおりだ。見た目は特に変なところはないが、念のためにフレームを撫でるようにしてクロエは調べていく。
「あんた、なにやってんの?」
「眼鏡を調べてる」
「そりゃ見れば分かるわよ」
「第一のゲームの特典なの。あのレストランでパレードを見ていた」
「なにその……なに?」
「最初から説明してもいいけど、その前にアニーの話を聞かせて。下手を打ってフィーをこれ以上危険な目にあわせたくないから」
そういうことなら、とアニーは深くため息をついた。どんな話が始まるのかとクロエはあたりを見回しながら注意する。
ここの人気は他の場所に比べて少ないが、まったく人がいないわけでもない。第三者に聞かれるわけにはいかない。喋り方や声の大きさに気を払う必要があった。
「財布を盗られたの」
「は? 財布? それが――」
「盗られたすぐあとで携帯電話に着信があったの。フィル様の番号だったからすぐに出たら、喋ってくるのはゲームマスターって名乗った機械音声の奴だった」
「――その後は?」
「あんたが……クロエがフィル様を助け出すための『ゲーム』に挑んでいること、協力している人が2人いること、次にやる第二のゲーム限定で私が協力しないといけないこと、そんなことを話してた」
「断ったらどうなるとかは?」
「フィル様を……たぶん、殺すのでしょうね。だからあんたのところへ急いだの。ゲームマスターがいうにはあのレストランにまだ居るってことだったから」
アニーの事情を知ったクロエは頷き、周りの目を気にしながら携帯電話を取り出す。
そのままフィルの番号を入力、発信。そうしながら眼鏡をかけて、やはり何の特徴もない伊達眼鏡であることに心の中で冷ややかな笑いを向けた。
「やあクロエ。さっきはどうしていきなり切ったんだい」
「そのくらい察しをつけられるでしょ、あなた方がそうなるように仕組んだんだから」
「アニー・ルンデンが君のところに合流したか」
「こっちから聞きたいことがいくつかあるわ。まず、どうして関係のないアニーを巻き込んだの? それに褒美だとか言って伊達眼鏡を渡されても困るんだけど」
愉快そうに機械で歪められた声が笑った。心底楽しそうで、それがクロエの神経を逆なでさせる。苛立たせるという意味ならアニーも、樹のアニマノイドも、そしてゲームマスターも変わりはないようなものだった。
「なにがそんなにおかしいの?」
「いや、君がそれを見抜けなかったかと思ってね」
「この眼鏡になにかある――」
耳にかける部分を触るとカチリとなにか押したような音がした。すると眼鏡が薄く淡い緑の光を発し、クロエは一つの「ウィンドウ」を目にした。
どうやらこのウィンドウは眼鏡が投影しているものらしい。ウィンドウは「初期設定を始めるにはこのウィンドウに触れてください」と表示している。
クロエは感心しながらあたりを見回し、ウィンドウが視界に追従するのを確かめた。
「――眼鏡に投影されているならあたりまえか」
「それはAR機能を搭載した最新鋭の装備だ。拡張現実という言葉を聞いたことはあるかね」
「なんかのニュースで見たわね」
「例えば地下鉄の時刻表を投影したり、インターネットで検索を始めたり、物の大きさや重さを知ることが出来るわけだ。あとで初期設定だけでも済ませておくといい」
「……このAR眼鏡が褒美ってことか。なかなか気前がいいのね」
「もう一つの問いに答えよう。そちらも伝えておきたいものだからね。アニー・ルンデンをこのゲームに巻き込んだのはきちんと理由がある。彼女は財布を失くしたそうだが、聞いたかね?」
「盗まれたそうよ?」
「そう、盗まれたのだったね。次のゲームは盗まれてしまった財布を取り返す、だ。面白そうだとは思わないか?」
全く思わない。クロエははっきり否定したが、電話の向こうの声は全く意に介さないように続けた。
「だから第二のゲームはアニー・ルンデンの盗まれた財布を取り返すこととしよう。今の時刻は12時15分、だから15時15分までを制限時間としよう」
「ちょっと待って、そんな勝手に――」
「出来なければフィルくんが危険な目に遭うだけだ」
「――なにかあればフィーの命を持ち出せばいいと思いやがって! 盗んだやつがどこにいるのかだって分からないのに3時間で見つけ出して取り返せって? そんなの素人が出来ることじゃないわ、ネクサスの警備なり警察に通報するべき案件よ。これはゲームに出来ない」
「つまり難易度が高すぎると?」
「そうね、そう言い換えてもいい。素人がどうこうできることじゃないと思うわ」
「全くヒントや手助けがないゲームをさせようというつもりはないのだよ。それにもう一度だけ言おう。クロエ・ブルーム。このゲームのプレイヤーたる君に、選択の余地は、どこにもないのだ」
どこか残念そうにゲームマスターは言う。笑ったり悲しんだりしてこいつの精神状態は大丈夫なのか? 今後のゲーム進行に不安を覚えたクロエは、しかしすぐに理解した。
こいつは犯罪者だ。狂人だ。まともな感性であるはずがないのだ。だから自分に理解できなくて何の問題もないしそれが道理なのだ。
「さあ、制限時間は3時間だ。早くしなければ間に合わなくなるぞ」
「くそっ……絶対にフィーに手出しはさせないから!」
「いい返事を聞けて嬉しいよ。それではまた、プレイヤー1」
電話は向こうの方から切れた。
無理だ。クロエはどんな角度から考えてもこのゲームが成功しないであろうと思ってしまう。どうやって人がたくさんいる――かなり少なく見積もっても3万人はいるであろう――ネクサスの中からどうやって泥棒だけを見つけ出せるというのだ。
それに泥棒を見つけ出したとして財布を取り戻せるのか? 荒事に慣れているアコニットがいれば大抵は問題なさそうだが、周りへの影響を考えると表立った動きが出来そうにない。
「なに最初から諦め顔してるのよ」
「アニー?」
「まずは行動を起こす。でしょう? フィル様を見殺しにするつもり?」
こうなった原因のひとつがあんただとは思わないわけ? そう言い返したかったがぐっとこらえた。相手が一方的にこちらを恨み憎しみをぶつけてくる奴だとしても、手を組まされた以上はいたずらに亀裂を広げるわけにはいかない。
「言われなくても……まずはシーとアコニットさんと合流する」
「ガーデンの人と、シーって誰?」
「今日知り合った私の仲間よ。猫のアニマノイドのお姉さん」
「アニマノイド? 信用できるの?」
「いい人よ、初対面でもあんなに安心できる人ってそんなにいないじゃない?」
「とんでもないお人好しね、あんた……」
どこか呆れるようにアニーが言うが、それを無視してクロエは携帯電話でシーとアコニットを呼び出していく。
自分がどこにいるか、隣にアニーがいること、次のゲームの概要――簡単にそれらを伝えたクロエは待つことにした。今の彼女は待つことしか出来ないが、アニーの言う通り諦めるわけにはいかない。それを苦手な相手から言われるのは癪ではあったが。