第五話 第一のゲーム「パレード観覧」攻略開始(後)
妙に草の香りのする声だった。
振り返ればそこには樹があった。いや、樹ではない。人の形をした樹がそこに立っている。唖然としたクロエはしかししばらくして気を取り戻し、常識はずれの存在を見上げてみせた。
「もしかして私のこと?」
「他に誰がいるんだ、クロエ・ブルーム」
「えっ、どうして私の名前を?」
「知っているに決まっているだろ。俺は君の親友をさらった一味なんだぜ、そのくらい知ってて当然じゃないか?」
分厚そうな樹木の肌をした人間――さしずめ樹のアニマノイドといったところかとクロエは直感した――が悪びれる様子もなくそんなことを言うので、クロエは思わず思い切り席を立ってしまった。
がたん、と大きな音を立てて椅子が動き、それが周りの客の注目を集めてしまっていた。今にも殴りかかりたい気持ちを抑えながらクロエは詫びるようにお辞儀をし、ゆっくり椅子に座っていく。
「話が早くて助かるよ。ここで暴れられたらゲームの続きが出来なくなる。それで困るのは君だけなんだ」
「クソッタレの悪人が――」
「悪い口を利くのもなしだ。ここでは場にあった言葉を使うべきだ、違うか?」
「――ええい、ちくしょう」
頭に血が上っている。自分のことだから自分でよく分かる。こういうときに効くのがホットココアだ。夜行電車のルームサービスでフィルに心配されるくらい飲んでいたが、あれなら何杯でもいける。
クロエは近くの店員に声をかけてホットココアを頼み、樹のアニマノイドはもう少し考えさせてくれと伝えた。店員が遠く去ったのを認めてからクロエは低くささやくように口を開いた。
「ゲームマスターは」
「ん?」
「あいつはここでパレードを見るように指示してた」
「そういうゲームだからさ」
「誘拐犯の一味とお茶しながらパレードを見るなんて聞いてない。悪趣味にも程があるわ」
「俺達は悪党さ。悪趣味? いいね、いい感じの褒め言葉だ」
「それで……あなたは私の機嫌を悪くさせるためだけにここに来たの?」
「はいと言ったら?」
「フィルを返したあとでゲームマスターを何発でも殴ってやる」
「残念だが、その問いはいいえと返させてもらおう。ちょっと話がしたくてな。ゲームマスターの都合でもあるし、個人的に聞きたいこともある」
舌打ちしたいのを我慢しながらクロエは小さく頷き、そしてあることに気づく。眼前の誘拐犯はこちらに暴力を振るうつもりはないらしい。三人組を組ませるとか、三つの場所に別れさせてパレードを見させるとかは、何かの建前や口実ではないようだ。
だから、認めたくはないが、ゲームマスターは「ゲームの進行」に関しては誠実であるようだ。クロエはこれを改めながら樹のアニマノイドが口を開くのを待った。
大柄な人間の肌が樹木のようなごつごつしたものになっていて、所々に大きな枝や葉が生えている。頭には大きな角のような枝が一本と、大量の緑の葉がショートカットの髪型のように茂っている――世界にはこんな生物が常識なのだろうか? 本当にそうなのか? ある種の恐れを覚えながらホットココアを持ってきた店員の様子をクロエは伺う。
先ほどと同じ店員は、やはり樹のアニマノイドに対して笑顔を向けていた。一瞬でも戸惑ったり萎縮したり、とにかく恐れを抱いているようには見えなかった。この場を離れるまでクロエはずっと観察していたが、結局なにも変わらない。
「温かいうちに飲んでおけ」
「言われなくたって」
「それでいくつか質問だが……君はここに来るまで危ない目に遭わなかったか? 何か変なものを見たりとかは?」
「どういうこと? そっちの立場でこんなことを聞くのはおかしいわよ」
フィルをさらった誘拐犯どもが自分の心配をしているような発言をする。なんだか滑稽で、しかし今のクロエには笑い飛ばせるようなことではなかった。
「なにもないって言うなら良い。最近は物騒な事件も起きているからな。通り魔だとか、不審者だとか、誘拐とか――」
「鏡見たほうがいいんじゃない?」
「――なに、プレイヤーが怪我しましたとかなってゲームが続行できなくなるのはこっちの望んでいることじゃないんでね。もちろん、君の望んでいることでもないはずだ」
「なるほど、そういうこと。余計なお世話よ」
気を遣っているんだぜなんて樹のアニマノイドは悪びれもせずに言う。腹が立つのを抑えながらホットココアに口をつけ、幾ばくかの落ち着きを取り戻したクロエは、まだ何かいいたそうにしている悪人を睨みつけて言葉を待った。
「それでだ。俺たちはフィル・メーベルというビッグネームを誘拐するにあたって念入りに下調べをしたんだ。いや、政治家の子供とかと比べればそこまで難しい相手じゃない。だがメーベル家にはいろいろ厄介なものがあるんだ。ガーデンとかいう護衛組織とか――」
「私に話して良いことなのかしら?」
「――もちろんだ。君のことも調べている。クロエ・ブルーム……孤児院からメーベル家に拾われた女の子、つまり君だな。どうしてメーベル姓でないのかはわからなかったが、これだけは突き止めた」
「なにを?」
「君がこの世界についての知識なんかをそんなに持っていないってこと。16歳の孤児が世間知らずってことは考えにくいが、記憶喪失だってなら納得がいく。そうだろう、君は一年前より昔のことをなにも覚えていないんだ」
どうしてそれを知っている。問い詰めようとしたクロエはそれが無駄なことだと悟った。
ゲームマスターとその仲間たちである誘拐犯どもはなんらかの手段を使ってメーベル家を調べ尽くしている。
水面下でメーベル家の護衛にあたっているガーデンがついていない今日を選んで犯行を実行できたのは、その下調べのおかげだろう。そのついでに自分の記憶喪失のことも突きとめたのかもしれない。
だがクロエは困惑を隠しきれなかった。記憶喪失であることを知っているのはメーベル家の人間だけのはずなのだ。ということは、誰かスパイのような人間がメーベル家に潜伏していたのだろうか?
「記憶喪失の君は孤児院で過ごした日々もあいまいだ。だから君が自身を持って自分の記憶だと言えるのは、メーベルの屋敷で過ごしたここ一年のことくらいだな。違うか?」
「……その通りよ」
「違わない、と。記憶喪失のせいでこの世界の知識の殆どを君は失っていた。いやなに、日常生活を送るのに差し障りはないようだな。食事もできればトイレに駆け込むことだって知ってる。知らないのはアニマノイドの存在や世界が9つの大陸に分かれていること――そういう『常識』だな。第九大陸に住んでいるのなら、アニマノイドを見たのは今の記憶なら初めてなんじゃないか?」
「だったらなに?」
「下調べは成功したってことが確認できる」
「ああ、そういうこと」
「なんだか嬉しくなってきたよ。全部こちらの思い通りに動いている。さて、そろそろパレードが始まる頃合いだな。おーい、香木の炙り焼きを一つ頼む!」
クロエはもうどれだけホットココアを飲んでも苛立ちが収まることはなかったが、樹のアニマノイドが意味のわからないものを注文したことに吹き出しそうになった。
樹が人の姿をとったような存在が食するものは植物なのだろうか? しかしそんなものがおいているはずがな――
「かしこまりました。当店ですと伽羅と白檀の二種類がございますが、どちらになさいますか?」
「そいじゃあ白檀だな」
あるのかいっ! 思わずズッコケそうになったクロエはそれを悟られないように振る舞い、平静を装って樹のアニマノイドを見つめる。
遠くに陽気な音楽が聞こえてきた。クロエの後ろから少しずつ音が近づいてきている。大きなスピーカーによるものだろうか、とてつもない音圧を伴って陽気にさせるメロディが止まらない。
「お待たせしました。白檀の炙りです」
店員が運んできた皿には煙を上げた樹の皮がいくつも並べられている。樹のアニマノイドは大切そうに匂いをかぎ、気持ちよさそうに表情を緩めていた。確かに爽やかな印象のある甘い香りは怒りを少し沈めてくれたような気がする。クロエはそんなことを思いながら樹の皮を「かじる」様を眺めていた。
「それ、おいしいの?」
「俺はな。普通の人間にはおすすめできない」
「そうよね、人間が食べるものじゃあないわ」
「まあなあ……で、ひとつ忠告させてほしいことがある」
「なんですって?」
「君はこれから様々なゲームをこなしていくだろう。君の親友を救うために。もちろんゲームが全部終われば無事に返す。これは約束する。……もしかすると君にとってつらいことが起こるかもしれない」
「他人に危険が及ぶことはさせないと聞いたわ」
「もちろんそれは大丈夫だ。誰かを殺せとか、君に命をかけて危ないことをしてもらうとか、そういうことはない。だが。君にとって重要ななにかが待ち受けているかもしれない」
「かもしれない? ずいぶん不安な物言いに聞こえるんだけど」
「俺も全部を知っているわけじゃないってことさ。ほら、お目当てのパレードの到着だ」
樹のアニマノイドが指さした先を見るクロエ。さっきよりもずっと音が大きく迫っている中、彼女が見たのは巨大なパレード用の車両だった。
赤と黄色を印象づけるような配色をしている車は、ひな壇のような広いダンスステージを前面に配置し、人間もアニマノイドも――シーのような猫や兎、犬、象、鳥らしきアニマノイドたちだ――が大らかでキレのあるダンスを披露している。誰も彼もが汗だくだが笑顔を忘れている者は一人もいない。
ひな壇の一番上には男女のペアが歌っていた。男は猫のアニマノイドで、女は人間のようだ。
どちらも見事な歌唱力だとクロエは直感する。ネクサスの歌なのか、希望や夢や愛をテーマにした聞いていて恥ずかしくなるようなポップなオペラ調の歌を見事に歌い上げている。
そんな車が通る横を挟むように多くの来園客がひしめいていた。
彼らはダンスを楽しんだり、一緒に歌ったり、誰もが思い思いに楽しんでいる。ダンサーの個人名らしき単語もちらほら聞こえてきていて、クロエは心から楽しそうだと思った。
本来ならきっと素直に楽しいと思えるはずだった。だがそのはずは誘拐犯のせいで潰えた。
静かに怒りがふつふつと湧き上がってくるのを覚えながら、クロエはゆっくり樹のアニマノイドに視線を戻し、ゆっくりとにらみつける。
「……絶対にフィーは取り戻すから。その後のことは覚悟しておいて」
「分かっているさ。……ずいぶんいい顔をするようになった。パレードを見せたのは正解だったみたいだな」
それじゃあ帰る。樹のアニマノイドどこか満足するように立ち上がり、そのまま歩き去ろうとしている。ちょっと待ちなさいよ、とクロエは思わず早口で呼び止めた。
「どこに行くつもり」
「帰るんだよ、自分の持ち場に」
「ちょっと待ってよ」
「もう俺の役割は終わったんだ。君は第一のゲームを無事に成し遂げた。俺はそれを見届けた。だから帰って報告する。大丈夫だ、ここの代金なら払う。でもついてくるなよ。せっかく成功したのに全部台無しになっちまう。だろ?」
なにかあればすぐにフィルの命を持ち出して脅せば解決すると思っている――そのことにクロエは怒鳴りそうになったが、ココアや白檀の香りが食い止めてくれた。
不思議なやりとりだった。遠くなりつつあるパレードの音と歓声に耳を立てながらクロエは深呼吸する。
残り半分もないホットココアを飲み干そうとしたその時、携帯電話が震えた。フィルからの着信だが、ゲームマスターからの呼び出しだろうと冷ややかに応答ボタンを押す。
「やあ。君のもとに向かわせたアニマノイドから報告を受け取っている。第一のゲームは無事に成功したようだな。おめでとう」
「パレードを見るだけでしょ、なんてことないわ」
「いやあ、君は逃げ出さずにここまで来た。勇気は折り紙付きだ。そして君は忍耐強いことも証明してくれた。これ以上言うことがなにかあると思うか?」
芝居がかった、妙に上から目線の言葉に眉をひそめたが、もう慣れてきた。クロエは冷ややかに「いいえ」と答えると「そうだろうそうだろう」と満足そうに返ってきた。
「それだけ?」
「いいや。ちょっとした褒美もある。あとであのアニマノイドが座っていた席を調べたまえ。それと次のゲームについて――」
ちょっと待って! クロエが制止を呼びかけたのには理由があった。誰かがドカドカと大きな音を立てながら店に入ってきたからだ。
あれ? クロエはそこである予感と既視感を覚えた。この状況はついさっき見たばかりのような気がするし、なにか厄介なことが起こりそうな気がする。この焦りはなんだ?
「クロエェ! クロエ・ブルーム! いるんでしょう、出てきなさい!」
聞き覚えのある声だった。アニー。駅の喫茶店で会って以来だが、彼女は自分がここにいることを知っているらしい。一体どういうことだろうと不思議に思いつつ、クロエはアニーに手を振って呼びかけた。
「そこね! 今行くから待ちなさい」
「どこにも行かないけど……でも何の用事? これでもこっちは忙しいんだけど」
「あんたいま『ゲームマスター』と話をしてるんでしょう」
アニーの口からその言葉を聞くとは思っていなかった。クロエは思わず目を開いて、自分が焦りの表情を浮かべているのを自覚しながら指を口の前にもっていってアニーに示した。黙ってろ。お願いだから黙っていてくれ。
「ゲームマスター、聞こえる?」
「どうしたのかね?」
「なんでアニーが、部外者があんたを知っているのよ」
「次のゲームの進行にどうしても必要だったからだ。3人目に知られたからといってフィルくんを傷つけることはない。安心したまえ」
「そんなことを言っているんじゃない! とにかく次のゲームの説明を受けるわ。でもその前に場所を変えさせて」
クロエは立ち上がり、樹のアニマノイドが使っていた椅子を探りながら言葉を続ける。
そこには小さな縦長の箱があった。紙でできたそれの中には眼鏡が収められている。
「ああ、それが君への褒美だ」
「この眼鏡が?」
「あとでつけてみるといい。きっとゲームの進行の役に立つ」
よく分からないことを言っていると思ったが、とりあえずはテキトーに流してしまおう。気のない返事をしながらクロエはアニーとともにレストランを去ることにした。