第四話 第一のゲーム「パレード観覧」攻略開始(前)
僕と親友になってほしいんだ、クロエ。
広い、陽の光が多く入る部屋で、フィル・メーベルはそう言った。彼の前には緊張して伸びやかに身動きの取れない少女がいた。
フィルは草色のスラックスにシャツに身を包み、アンティーク調の木の椅子に腰掛けて微笑んでいる。たれ目がちで、顔立ちは中性的を通り越してどこか女性然としたものだ。少年にしてはやけに長い栗色の髪も女性と間違われる手助けをしている。
一方でクロエと呼びかけられた少女はうつむいてしまっている。首のあたりまでの黒髪をつまみ、離し、つまんで耐えるように椅子に座っていた。
やっと勇気が出たのか、それとも慣れてきたのか、顔を上げたクロエの顔は中性的なものだった。男性と言われても女性と言われても不思議ではないが、華奢ながらも灰色のセーターに包まれた女性らしさのある身体の線がクロエの性別を物語っていた。
「親友、ですか」
フィルのものと同じ椅子に座るクロエはたどたどしく口を開く。そんな彼女をフィルは絶やさず微笑みを浮かべて見つめた。
「うん。こう……上手く言えないけど、心を開ける人がほしいなって思っていた。友達はそれなりにいるんだ、でも、僕の悩みとかを打ち明けられるような人は少なくてね」
「は、はあ」
「いや違うな、愚痴を聞いてくれってことじゃないんだ。そうじゃなくて……君がこの家の養子になったことに運命を感じて……ほら、養子になったんだから言うこと聞けとか言うんじゃないよ! あー、いや、やっぱり上手く言えないな、ごめんね」
もしかすると。クロエは直感した。フィルも緊張しているから言いたいことがなかなか言えないのではないか? 少し恥ずかしそうな顔をしているフィルを見て、クロエはクスリと笑ってしまった。
「ごめん! いまのは笑ったわけじゃなくて――」
「うんうん、気にしてないよ、大丈夫。それに笑った顔が可愛くて、君のことをもっと知れてよかったなって」
「――ありがと」
さっき恥ずかしがっているよりももっと恥ずかしいセリフじゃないか! 驚きながらもクロエは顔を赤くして、やや目を開いてうつむいた。
「とにかくね。僕は君と仲良くしたいなって思ってる。養子になってアレコレ慣れてないことがたくさんあると思うんだけど……僕はお義兄さんとかそういうガラじゃないから、そうだね、親友に……いや、お友達から君と付き合いたいと思ってね」
「私も! ……私も、不安だから。それにフィルさんは悪い人じゃないって分かったから。だから、なります。お友達にも、親友にも」
緊張して声がヒュッと変な調子になってしまったがきちんとフィルに届いたようだった。クロエの言葉を聞いた彼はパアッと顔を輝かせて笑顔になり、次の瞬間には立ち上がっていた。
「やったあ!」
子供のように喜びをあらわにしたのを見てクロエはもう緊張しなくなっていた。心の底から、きっといい付き合いができるに違いないと思えたのだった。
それからもう一年が経とうとしている。
あの時も、今も、冬の季節だった。一年前のあの日、フィルから「親友になってほしい」と切り出されたあの日、自分が緊張を解いてのぞいた窓の外にサラサラした雪が降っていたのをクロエは覚えている。
今もそうだった。ネクサスの空は柔らかい雪が穏やかに降りつつあった。ゲームマスターを名乗る誘拐犯に指定された場所――ネクサスにあるレストランに行くように言われ、そこへ向かっている。
隣にシーとアコニットはいない。ふたりはそれぞれゲームマスターに指定された場所に移動してしまっていた。「三人がそれぞれ指定された場所でパレードを見る」ことが最初のゲームの内容なのだ。
ネクサスの入口を抜けるとすぐに「セントラル」と呼ばれる区画に出る。海沿いの半島を利用した巨大な区画で、大きな古めかしい城の形をしたホテル「キャッスル」がよく目立つ。
このホテルにはいろんな施設が集合している。映画館、ゲームセンター、レストラン、エステ、ショッピングモール――ありとあらゆるモノと娯楽が凝縮されたキャッスル。そのひとつひとつを紹介しているパンフレットを軽く握りながらクロエは指定されたレストランへと近づいていた。
ネクサスのレストラン「ブルースター」という店に行きたまえ。その席でパレードを待ち、観察するのだ――入園手続きを終え入口を抜けたクロエに出された指示はそんなものだった。
入口でパンフレットを手に入れたクロエはすぐにその店の場所を突き止めた。目的地はキャッスルの5階にある。緩く降っていた雪を払いながらキャッスルの中に入ったクロエは、迷わずエスカレーターを使い、あたりを見回した。
とても清掃の行き届いた、景観に気を遣ったつくりをしている。クロエの第一印象はそんなものだった。豪勢な城を再現した勢いのある内装、磨き上げられて鏡のように反射する大理石の床、まるでメーベル家の豪邸のような印象もあった。
そこを行き交うのは大勢の人々だ。だがスーツや小洒落た格好をした人間はそれほどいない。入園手続きを待つ行列でも同じような感じだったとクロエは思い出しつつ、指定されたレストラン「ブルースター」の入口へ近づく。
イメージカラーは乳白色なのだろうとクロエは直感した。いたるところに乳白色の石を使った置物――象やキリンをモチーフとした――が配置されていて、天井の照明を映えさせている。
「いらっしゃいませ。二名様でご予約のクロエ・ブルーム様ですね?」
「へ?」
黒スーツのような制服に乳白色のサンドウィッチマンめいた布をかぶった人間の店員が出てきて、しかし彼の発言は唐突なものだった。
ブルースターの予約をとった覚えはない。事前にフィルが自分の名前を借りて予約の電話を入れたとも思えない。だから、ブルースターで予約をとっているはずがない。
なのにどうして予約が入っている? それに二名様とはどういう意味だ? 自分の他に誰かが来るのか? そいつは一体誰だ?
混乱しはじめたクロエは、しかし顔に出さないように表情筋に力を入れる。微妙な作り笑いだなと自覚しながら「そうです」と答えられたのは、これが非常事態だからだろうとクロエは思った。
「ご予約ありがとうございます。お席はこちらでございます」
うやうやしくお辞儀をした店員の案内に従うクロエはバルコニー席に通された。バルコニーの下にはとても幅の広い石畳の道がある。車が七台横に並んで走ってもまだ幅に余りがあるようだった。
ネクサスに来園する前にあちらこちらで見かけた雪は、この幅広の道路には一欠片もなかった。きっと道の下に雪を解かす仕組みが組み込まれているのだとクロエは一人で納得した。
ご注文が決まりましたらお知らせください。そう言って店員が立ち去っていく。
周りを見れば満席一歩手前であるようだった。誰が予約を入れたのかは結局わからないが、これがなければゲームクリア――指定地点でパレードを見ること――は叶わなかっただろう。それに混乱して下手な返事をすれば入店すら出来なかったかもしれない。
「あの、すみません」
「クロエ様?」
「えっと……いや、やっぱりなんでもないです」
誰が予約をとったのか。わからないのは気味が悪いが、ここで無理に明かそうとしてもいフィルの身が危なくなるだけだ。追求したい気持ちを抑えてクロエはメニュー表を手に取り、同時にネクサスのパンフレットにも目を通した。
ネクサスの入口を通ると必ずセントラルという大きな区画に出る。ここは東の島、西の島、北の島という区画と接続していて、それぞれ穏やかなアトラクション、激しいアトラクション、従業員居住エリアがある場所だ。
ネクサスのパレードはどの区画でも行われるが、一番規模が大きいのはセントラルでのパレードだ。セントラル中心部にある「キャッスル」を囲う円形の道を使って巨大なパレードカーでパフォーマンスをする――パンフレットの記述を黙読したクロエは、もうじきパレードが始まることを、壁掛け時計を見て確かめた。
「お嬢さん、相席いいかな」
妙に草の香りのする声だった。
振り返ればそこには樹があった。いや、樹ではない。人の形をした樹がそこに立っている。
唖然としたクロエは、しかししばらくして気を取り戻し、常識はずれの存在を見上げてみせた。