第三話 パーティメンバーの準備が完了しました
制服から着替え終えたシーと、彼女の後ろについて歩くクロエ。ふたりはノースポイント駅の地下駐車場へ足を踏み入れていた。
シーの私服はとても気軽な印象のあるものだった。
制帽に隠れていたオレンジ色のショートカットは利発なイメージを放ち、空色の長袖に灰色のロングスカート。濃い黒のタイツも履いているが、スカートには尻尾を通すための穴が空いていることにクロエは目を開く。
これがアニマノイドの服装――その一部なのだ。今日になって初めてアニマノイドを目にしたクロエにとって新鮮で強烈な光景だった。
赤い小さな自動車。それがシーの車だった。リモコン式の鍵でドアを解錠してクロエを助手席に座るよう促したシーは、ひとつ伸びをしてから運転席に乗り込んだ。
少しかたい座席だが特に問題はない。いま電話をかけてみるよと伝えたクロエは、エンジンを始動させながらこちらを見つめるシーの視線にハッとした。何かを疑っているような、考えているような、そんな印象があった。
「クロちゃんさ」
「え、なに?」
「この車はそんなに好きじゃない? なんだかなー、みたいな顔してた気がしてさ」
なんという洞察力だろう。あるいは観察力。察しをつける能力。大抵の人間はシーを前にして嘘をつけないのではないか。クロエは観念して頷いた。
「もしかしてクロちゃんはお金持ちだったり?」
「半分あたってる。私はそうじゃないけど、フィーがそうだね」
「そりゃメーベルさんとこならお金持ち、いやそんなんじゃ言い表せないか」
「ああそうか、まだ言ってなかったか」
「なにを?」
「私がメーベル家の養女だって話。だいたい1年前に養女になったの」
聞いてないよそんなの! 心底驚いたように大声を出したシーは、その後で大笑いしながら車を発進させる。壁にかかった標識を見たクロエは、シーが一直線にネクサスを目指していることを理解した。
「それマジ? てかマジな話だよね!」
「マジな話だよ。こんなことで嘘つく意味がないよ」
「てことはだ。フィルくんはクロちゃんの義理のお兄さん? それとも弟さん? あれでも親友がってクロちゃん言ってたもんな……」
「お義兄さん。でもそういう感じじゃないんだ」
「とても仲がいいんだね。ネクサスに着くまでクロちゃんのことをいろいろ聞かせてよ」
「んー、うん、分かった。でもその前に電話だけさせて。もうひとりのアテをあたってみる」
クロエは携帯電話を操作して電話帳を表示させる。
登録件数はあまり多くなく、目当ての人物はすぐに見つかった。「彼女」の電話番号へ呼び出しをかけるクロエ。1コール、2コール。3コール目の途中で「彼女」が応答した。
「もしもし? どうしたの?」
「アコニットさん!」
「クロ? どうしたのそんなに慌てて、坊っちゃんとなにかあった?」
「その、緊急事態なの。急ぎで仕事の準備をお願いしたいの。出来る?」
「……フィル様になにかあったのですか、クロエ様」
人の良さそうな口調ががらりと変わった。人に仕える者のように接する態度に安心しつつクロエは口を開く。
「周りに話を聞いている人は? 誰かに今話すことを聞かれたらフィーが死んじゃう」
「いません。本当に非常事態のようですね。何がありましたか?」
「フィーが誘拐された。それで、私は奪還をかけた『ゲーム』を誘拐犯のリーダーから参加させられたの。やるかどうかなんて聞かれなかった、強制参加だったのよ」
「詳しい話を聞く必要がありますね。いまどこにいますか?」
「ネクサスに向かってる。そこでゲームが始まるから、アコニットさんも急ぎでネクサスに向かって。どのくらい時間がかかりそう?」
「1時間もあれば到着できます。ネクサスは混雑しているようですが、入口からやや東側にずれたところに公園があるようです。そこで待ち合わせましょう」
「分かった。じゃあ待ってる」
失礼します。そう残してアコニットと呼ばれた女が電話を切った。電話を仕舞うクロエに、シーは興味深そうに「ふーん」と言ってみせる。運転に集中しながらも会話の端々を聞いていたのだった。
「クロちゃん、さっきの人は?」
「アコニットさん。メーベル家の護衛をしている人よ」
「ボディガードってこと?」
「そう。メーベル家は護衛を雇って『ガーデン』という護衛組織をつくってる。ガーデン所属の人はガーデナーといって、アコニットさんもそう。おまけにガーデナーのリーダーなんだ」
「護衛グループのリーダーね。めちゃくちゃ強そう」
「すごいよ。訓練しているところを見たことあるんだけど、ケンカも銃も完璧に使いこなしていた。大男が大勢でかかってもアコニットさんなら余裕で倒せるんじゃないかな」
「まるでアクション映画の主人公じゃん! もし荒事があっても安心できそうだね」
そうだよ。そうクロエは返した。
アコニットの実力と忠誠心は本物だ。それに人もいい。メーベル家の養女として過ごしてきた時間でクロエはそう確信している。
1年前、メーベル家に引き取られた頃、戸惑っていたクロエを暖かく迎えたのはフィルと彼の父親のウィンストン、そしてアコニットだった。
ガーデナーとしての仕事をしていない時、アコニットはクロエとよく話していた。自分がどんな仕事をしていて、どんな気持ちでいるか。護身になるような手ほどきもしてくれた。
そうした交流の中でクロエが見たのは仕事をしている時のアコニットの豹変ぶりだった。普段はあだ名で呼んでくるアコニットが様をつけて呼ぶようになる。自分と部下に対する厳しい態度や手際の良すぎる仕事のこなし方――そこがアコニットの魅力であり、恐ろしいところだ。そんなことをシーに話した。
「てことはオフの日はお友達って感じなのね」
「そう。気さくな良いお姉さん。困ったらフィーかアコさんに相談したりして」
「楽しそうだね。にしてもクロちゃんすごいじゃん! 大富豪の養子でお友達もなんかすごいのがいてさ」
「すごいのは私じゃないよ。ところでシー? シーは家族がネクサスで働いているの?」
「お姉さんがネクサスで働いているよ。両親は別のところに住んでいるけど、私がお姉ちゃんと一緒に住んでいるんだ」
ここにくるまでの夜行列車で手にしたネクサスのやや厚めなパンフレット。クロエは全部読んだわけではないが、その中に「従業員のアニマノイドが住んでいる区画がある」という情報があったのを覚えていた。
ネクサスまであと5キロ――道路標識がそう告げているのを見送ったクロエは、到着するまでの時間に自分から話題を振ることにした。フィルが誘拐されて穏やかな心中ではないが、協力してくれるシーとの交流を出来る限り深めていったほうが良いと判断したのだった。
「お姉さんとは仲がいいの?」
「時々ケンカはするけどそれなりに良いと思うよ」
「ケンカって?」
「冷蔵庫のプリンを食べたでしょとか、お菓子のことで時々かなあ。でもそんなもんだよ。クロちゃんはフィルくんと喧嘩したりってある?」
「たまーにフィーが私のものを食べちゃったり、私が逆にとかはあるけど、フィーは笑って許してくれるから。私も怒ったりはしないんだ」
「じゃあいままでケンカしたことがない?」
「ない、かな。うん。ないよ」
「めずらしいねえ」
「フィーを見たら分かると思うよ。言い争うとかそんなの想像つかないような、そういう見た目や態度をしているんだ」
良い人なんだね。感心するようにシーが言って運転に集中する。
ネクサスに着くまであと少し。それまではちょっと休憩でもしていよう。ラジオをつけて鼻歌を始めたシーを横目にクロエはゆっくり目をつむった。
シーの車はネクサス従業員用の地下駐車場に停まり、ふたりは地上に出た。地下からはネクサスの中や入口に出られるが、しかしふたりはそこからは遠いところに足を運んだ。
午前11時。アコニットと打ち合わせをした公園にたどり着いたクロエはほっと息をつく。まだ時間に余裕はある。携帯電話で時刻を確認したクロエはベンチに落ち着く。
ネクサス入口から東にある小さな公園。整備はされているが遊具は少ない。小さなジャングルジムがひとつ。ブランコが二台。
だが敷地はとても広い。大勢の人がジョギングしたところで問題はないし、ちょっとしたライブ会場に使えるかもしれないとクロエは思った。
だが今は所々が雪に覆われている。これからの季節から考えて、土が露出している部分は日に日に少なくなっていくはずだった。現に小ぶりではあるが雪が降っている。強い風が吹いていないぶんまだ寒くはないなとクロエは感じた。
「アコニットさんはここで待ち合わせだって言ったの?」
「うん。もうそろそろ着く頃だと思うけど――」
言いかけてクロエは空を見上げる。遠くでプロペラの音が聞こえた気がしたからだ。
はたしてそれは正しかった。東の空にヘリコプターのような影が近づき、途中で引き返していく。代わりにひとつの人影が公園へ向かっていた。
腕を上に伸ばして何かを掴んでいる人影の姿はだんだんはっきり見えてくる。
滑空機構を備えた直方体の機械を掴んだ影は黒いコートと黒いスーツに身を包んでいた。間違いなくあれはアコニットだとクロエは確信し、東の空に手を振った。
「ん? なんか来たよクロちゃん」
「アコニットさんだと思う。きっとそう」
「グライダーってやつ? あれを掴んで空を飛んでるの? すごい人だね……」
感心するように言ったシーは、しかしすぐに驚きに目を開いた。縦に割れた瞳は急速でこちらに向かってくるグライダーを掴んだ人影を捉えて離さない。
陸上選手が全力で走るよりも速く滑空し高度も決して緩やかに落としているわけではない。どちらかといえばかなり危険な行動をしていたグライダーの人影はついに着地した。グライダーを折りたたんで懐にしまい、公園の雪の上を何度も転がり、相当に痛そうな光景に関わらずすぐに立ち上がった。
「クロエ様! お待たせいたしました」
黒スーツに黒コート。暗い赤髪は腰のあたりまで伸びていて、近づいてくる顔はとても冷徹な印象を放っている。つり目がちな双眸に整った鼻立ち。遠くから見ても美人の部類に入るのだろうとクロエは思うし、
「あれがアコニットさんなんだね?」
「うん、そうだよ」
「すごい美人さん! それにカッコいいね」
多くの人を惹きつける魅力があるとも思う。現にシーはある種の一目惚れをしているようだった。
「私達も少し前に来たところ。さ、早く入口に向かおう」
「承知しました。ですがことの詳細をまだ把握していません。あたりに人気はないですし、お話ください。あなたのこともお聞きしておきたい」
三人で歩きながらアコニットがシーに視線を投げる。どこか警戒しているようにも見える視線にシーは一瞬どきりと身を震わせた。空からやってきたアコニットが言うのだから本当に人はいないのだろう。そう考えたクロエは詳しく話すことにした。
「えっと……まず、フィーが誘拐された。夜行列車の終着点、ノースポイント駅前でね」
「ええ」
「それから誘拐犯がフィーの携帯を使って連絡をとってきた。内容は……フィーを人質にゲームがしたいって」
「ゲーム? まさか映画とかの模倣犯――」
「いや、危ないことはしないって言っていた。他の来園客が危なくなることはさせないって」
「――わざわざ危険を承知でフィル様を誘拐しているのだから、おそらくその言葉に嘘はないでしょう。しかし本当にふざけた野郎ですね」
表情はわずかに怒りに歪んだくらいだった。だがアコニットの両手は彼女の黒革の手袋が音を立てて強烈に握り歪められている。
「私も思うよ。それで、誘拐犯のリーダーがゲームマスターを名乗ってる。そいつが言うには、私を含めた三人パーティを組んでゲームをやってもらうって。それに私がどこにいてもゲームマスターは私達を監視し続けているみたい。パーティメンバー以外にフィーが誘拐されたことを知られたり通報したらゲームオーバー」
「つまりフィル様が殺される、と」
「そこはぼかしていたけどきっとそうなんだと思う」
「なるほど。パーティメンバーはクロエ様と私と、あとは……猫のアニマノイド。あなたですね?」
アコニットから話を振られたシーは、やや慌てながら頷き返した。手袋が音を立てて歪むさまを目の前で見たのだからビビっても仕方のないことかもしれない、とクロエは行方を見守る。
「うん、はい、そうですッ」
「私はアコニット。メーベル家が抱える護衛組織『ガーデン』のリーダーです。今日はフィル様から護衛は要らないとのことで別業務を遂行していました。こんな事になってしまって残念です。申し訳なくも思いますが……ご協力、感謝いたします」
「いや、そんな、大丈夫です。私、困っている人がいたら放っておけなくて……それに誘拐事件というならちょっとした因縁があるんです。あッごめんなさい、名乗っていなかった。シー・タビー・ケーといいます。シーと呼んでください」
「では、シー。これからよろしく」
爽やかな笑顔だった。アコニットのこういう仕草が人の心を掴むのだとクロエは知っている。自分もそうして彼女といい友人になっているのだし、シーがそうなるのも近いうちの出来事だと予感した。
きっとうまくいくに違いない――期待を抱き始めたクロエは、そこで自分の携帯電話が震えたのに気づいた。見ればフィルからの着信だった。ゲームマスターを名乗る誘拐犯からの連絡である。
「もしもし?」
「やあ。どうやら三人パーティを組むことはできたみたいだね。まずはおめでとう、と言っておこうか」
「……次のゲームとやらは? なに?」
「簡単なものだよ。正午に始まるネクサスのパレードを見るだけでいい」
なにを言っているのかわからなかった。人質をとっておいてまでやらせたかったことがそんなものか? 一体どういう意味があるんだ?
「入園手続きが完了したのを見たら詳細を伝える。きっと君は困惑していることだろうが、ちゃんとした意味ならあるのだよ」
「どうだか……」
「ともあれフィルくんの命は少しは繋がれたのだ。そこはお互いに喜ぶべきことだろう。それでは、また」
それだけ言ってゲームマスターの側から電話が切れた。ふざけてる。クロエは忌々しそうに呟いて携帯電話をしまう。彼女の表情は怒りと困惑で眉がひそまっていたが、シーが心配そうにこちらを見ているのに気づき、笑顔に切り替えようと努力した。
「クロちゃん。今の電話は誘拐犯から?」
「そう。……次はパレードを見ろって言っていた」
「パレード? それって正午からのやつかな」
「うん、そうそれ」
「人質をとっておいてそんなことさせるの? いやでも、来園客をボコれとかじゃないぶん全然マシか」
前向きな考え方だった。シーはそういうものの考え方をするのだ。クロエはそこに感心して、自分が得意ではない考え方だとも思う。
「とにかく入園手続きだね。とりあえず並ぼうか。12時までなら全然間に合うよ。さあ行こう!」