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最終話 チェックメイト

 

 第20話 チェックメイト


 西の島の一際強烈なコースター「ナラク」はクロエとフィルとアコニットを乗せて頂点へ向かっていた。朝と同じ黒コートに身を包むアコニットはフィルの足首を掴んでコースターの外に吊るし、クロエに揺らして示している。

「なにを言ったかよく聞こえなかったわ」

「ネクサスにいる人も、フィーも、死なせないって言ったのよ」

「は! まるで救世主気取りね」

「アコニット! あんたも今更よ、悪党を気取って何がしたいのよ。全然あんたのイメージにあってない!」

 心底面白そうにアコニットは笑い、空いている左手で腰に吊っている拳銃を抜き、クロエに狙いを定めた。真っ黒な銃口はクロエの紺色のヘルメットに向いている。

 強化外骨格の頭部に銃弾は通用するのか? よく分からないが油断だけはしてはならない、とクロエは警戒した。撃たれて痛くない、なんてことがあるはずがない。

「前のめりな気持ちでいると死ぬわよ。怖いでしょ、影で震えて縮こまっている方が全くいい」

「そんなことしている時間はない! 私の気持ちは変わらない。フィーも助けて、ネクサスの人たちも守る!」

「わかった。取引は不成立。クロエ・ブルームの回収に失敗し、フィル・メーベルの殺害とネクサスへの攻撃を開始――それで構わないわね?」

「できるものならやってみなさい!」

 銃を向けられてもクロエは臆することなく力強く言い放った。宙吊りになりながらもフィルはその姿に勇気づけられと敬意の念を覚える。

 彼女は大昔の救世主ではない。しかし自分の意志で困難に立ち向かおうとしている。自分の立てた計画がどれだけ愚かで卑しくて後ろ向きだったのか、嫌というほど思い知った。

 だがフィルは自省とともにある疑問を抱いていた。クロエなら頑張れば人をひとり助けることが、つまり自分をどうにか助け出せるのかもしれない。しかし彼女ひとりではバリアドームの代役は務まらない。

 いったいどうやって成し遂げようというんだ。すぐにでも答えを知りたいが状況が状況だ。フィルはクロエを信用する。クロエとの関係は偽りの親友になろうという呼びかけから始まった。それを踏みにじってなお、クロエは自分を大切に思ってくれているらしい。ならば出来ることは親友を信じ切ることしかない。


「あと10秒で頂点ね」

 アコニットの言う通り、ナラクは落下する一歩手前の状況だった。

 5秒、4、3――アコニットが秒読みし、0になったと同時にナラクは落下を始め、アコニットがフィルを手放し、クロエはコースターから飛び降りていた。

「うわああああッ!!」

「フィー! そのままでいて!」

 クロエの鋼鉄の身体、その両足から炎が吹き出て落下速度が高まる。そして彼女は自由落下よりも早く落ち、フィルの身体を思い切り抱える。

 その時クロエとフィルを暗闇が包んだ。空に雪も月も星もない。あるのはネクサスの照明と、地面に向けて伸びるクロエの逆噴射の光だけだ。

 少し先も見えぬほどの暗闇の中、クロエは逆噴射の向きを変えて横転。落下の衝撃を和らげながらフィルを抱えて雪に覆われた歩道を何度も転がっていく。

「うわっ、ハアッ、はーっ、助かった、のかな?」

「私が助けたの」

「クロ……ありがとう。来てくれたんだね。でもゆっくりしてられない、急いでバリアドームの再構築を――」

「その必要はない。少なくとも死ぬほど急いで動く必要はないのよ」

 ひゅー、と暗い空から音が聞こえた。砲弾が降り注ぐのかとフィルは身構えたが、数秒立たずに彼は唖然とした。空が赤に青に緑に彩られている。

 否、それは空ではなかった。色とりどりの打ち上げ花火に照らされたネクサスは、巨大な土のドームの中にあったことをクロエとフィルはひと目見て理解した。

「土のバリアドーム?」

「ナラクであがっている間にノームからメールが来たの。バリアドームが壊れても自分がどうにかするってね。テキストメールだったから音を立てずに読めた。だからアコニットや空の戦艦を出し抜けたってわけ」

「そうだったのか。よし、アコニットを捕まえよう。RONの手先なら捕まえて情報を聞き出せるかもしれない」

「待って! フィーは安全な場所に逃げていて」

「それじゃダメだ、アコニットは――」

「フィーの腕が折れてるの、自分で分からないの?」

「――え?」

 言葉を途切れさせてフィルは両腕に目を落とした。彼の右腕は力が入っていないようにだらんとたれている。無事な左手で持ち上げたり揉んだりして、しかし右腕に力が戻ることはなかった。

「折れてるねこれは……たぶん折れたてで痛覚が間に合ってないんだ、それか興奮し過ぎで痛いって分かってない」

「どちらにしてもそんな身体じゃ一緒に戦ってもらうなんてできない。フィーははやく地下基地に逃げていて」

「分かった、クロの言うとおりにしよう。地下基地から君をサポートするよ。それにノームがどこでなにをやっているのかも気になる。地下からなら把握できるは――あぐっううッ」

 右肘の辺りを抑えてフィルが苦痛に顔を歪ませた。叫びださないのは消えたアコニットに状況も情報も知らせないためだとクロエは踏む。

「ああっ、ああぐッ」

「フィー、ひとりで行ける?」

「いま迎えを呼んだ。この、コンタクトレンズを使ってね……クロ、アコニットはナラクから飛び出してくるはずだ。そこが地面から飛び出すポイントなんだ」

 左手で指差すフィル。地面から現れたナラクが勢いのまま3連続ループをして乗客を恐怖と絶叫の渦に叩き落とす場所だ。赤い花火が照らしていたそこは岩が積まれていて、地獄に続くような陰影を浮かび上がらせていた。

「あそこで出迎えればいいわけね」

「……アコニットがRONとつながりがあるのなら、話を聞ければとても価値がある。助けに来てもらって悪いけど、もうひとつ頼まれてくれるかい」

「分かった。私もアコニットには言いたいことや聞きたいことがたくさんある」

「空中戦艦のことはノームに任せて大丈夫のはずだ」

「そうね、あんなに分厚そうな土の塊なら……フィー、行ってくる」

 頼んだよ。弱々しい調子でフィルは残し、頷き返したクロエは駆け出した。




 ナラクが飛び出してくるのは音を聞けば分かった。洞窟めいた地下から聞こえる駆動音は、いつか見た映画の怪物の鳴き声みたいだ――身体が凍りつくホラー映画を思い出したクロエは、紺色のヘルメットの中で真剣な表情を浮かべる。

「アコニットオオォッ!!」

 飛び出すナラクに向けて吼えたクロエは両手両足から炎を噴いて追いかけ、最先端に座るアコニットに迫る。

「驚いた。まさかクロエの言うとおりになるなんて」

「ここであんたを倒して、RONのことを吐いてもらうわよ!」

「土のドームはノームの仕業ね。はあ……でも、これに乗ってるときにボスと話したの。クロエ、あなたを連れて行くわ」

 3連続ループに差し掛かるが、速度も重力もなんの障害にも思わないようにアコニットは立ち上がる。思わぬ行動にクロエは目を開き、次の瞬間には頭を掴まれていた。

「なっ!」

「歯を食いしばれッ!!」

 言うなりアコニットはクロエを投げた。投げた先はナラクのループの支柱。パワードスーツを着込んでいるとはいえ直撃は危険だ――考える前にクロエは両足の噴進炎を使って軌道をそらし支柱への激突を免れた。だが地面へ激突し、雪と地面をえぐりながら何度も転がって勢いがなかなか衰えない。

「がっぐふっごっごごあッ!! ああッ!!」

 声にならない悲鳴を上げてようやく止まったクロエ。彼女の前に転がってきたのはアコニットだった。3連続ループの途中で飛び降りたアコニットはクロエよりも華麗に着地を成功させて受けたダメージも抑えていた。

「だいぶ体にきているようね」

「まだ、まだだ!」

 よろりと起き上がったクロエは再び吹き飛び顔を雪に埋めた。アコニットが手近なベンチを両手でぶん回して攻撃したからだ。

「グワーッ!」

「降参すればこれ以上痛めつけることもないわ」

 今度は三点着地を決めたクロエはすぐに電柱をもぎ取って軽々と構える。

 ヒーロー映画やバトル漫画を読んだ経験と想像を、パワードスーツが現実に可能にしてくれている。それをクロエは理解したし、同時にアコニットに疑問を抱いた。


 ナラクに乗っていた時からアコニットはおかしかった。ナラクを降りた時からもっとおかしくなった。

 これがアクション映画ならまだ納得はできる。だがこれは現実だ。現実にフィクションじみた動きをするなら相当な強運か、あるいは相応の装備を用意する必要があるはずだ。

 アコニットはなにかを仕込んでいる――それは間違いないはずだ。であれば、それをどうにかできれば、人間を通り越して化け物じみてしまったアコニットをどうにかできるのではないか?

 バチバチと音を立てる電柱を構えるクロエは、しかしそれが難しいことを悟った。自分の手におえないかもしれない敵を相手にそんな戦い方はできるほど、クロエは自分が強くないことを理解していた。

「あくまで抵抗するってことでいいのよね」

「あんたを黙らせて、捕まえるんだから」

「そう。ならやってみせなさい!」

 言うが早いかアコニットはベンチを投げつけた。クロエは電柱を振るって撃ち落とし、いびつな音に目を細めながらアコニットが走って迫るのを見る。

 返すように電柱を横に振るうとアコニットが飛んで避ける。狙い通りだった。クロエが背面から炎を吐いて飛び上がり飛び蹴りを喰らわせる。

「だああああッッ!!」

「ッ、なかなかやる――」

 何事もないように着地を決めるアコニットに電柱を振り下ろすクロエ。その衝撃は勢いよく巻き上げられた大量の雪が物語っていた。

「――でも、私には勝てない」

 紙一重で避けていたアコニットは手近なアトラクションに駆け出す。西の島では数少ない刺激の控えめなライド、その一つのメリーゴーラウンドだ。

 陶器の白馬たちがひしめく狭い場所で電柱なんて振り回せるわけがない。敵が地の利を得たことを悟ったクロエは、電柱を振るうのは飛んできた陶器の白馬を撃ち落とすので最後にすることにした。

〈嬢ちゃん、聞こえるか! いまからそっちに武器を投げる、うまく使ってくれ〉

 突然頭の中に声がした。イグからの通信だと理解するころには横からなにか投げ渡された。目立たない灰色のコートに身を包んだシーがクロエに物を投げていたのだった。

「シー!?」

「あとでまた来る! そのバケモンは私たちの手には負えない、クロちゃんに頼るしかないの!」

「これはッ! 分かった、任せて!」

 シーが投げよこしたのは黒塗りのサブマシンガンだった。すでに発砲出来る状態らしく、予備弾倉はない。すぐにHUDが、強化外骨格をまとう今ならストックを使うことなく反動なしで30発撃てることや射撃アシスト機能が使えることを通知した。

 背面から炎を出して猛然と迫るクロエ。残る陶器の白馬を慣性の効いたスライディングでかわしつつ引き金を引く。ばばばら、と小気味良い音が花火の音に混じり、しかしクロエは苦い顔をした。

 デタラメな構えだったが射撃アシストのおかげで狙いは正確だった。なんの訓練もなしに素人が玄人並みの射撃精度で初めて扱う銃をぶっ放せていた。だがアコニットには通用しなかった。再びベンチをもぎ取った彼女は盾代わりにそれを振り回したのだ。

「くそッ!」

「とんでもないパワードスーツね、そこまでフィルたちの技術が優れていた? それともあなたが『それ』を成長させているのかしら」

 残弾数20。シーは次の武器を用意しているはずだが、すぐに使い切るわけにもいかない。

 ベンチを片手に縦横無尽にステップするアコニットに狙いをつけつつ、クロエは前に駆け出した。スキを見せたらただちに銃弾をうちこむ。

 致命傷にならない部分を狙うのは射撃アシストの力を借りればどうにでもなる。だがアコニットが簡単にスキを見せるとは思えない。

 見せないのなら作り出せばいい。クロエは手近なゴミ箱を手にとって思い切り投げつけ右に踏み込む。背部から炎を吹き出して移動距離を大幅に増やして。

 投げつけたゴミ箱は、普通の人間が受ければ大怪我を負うのは間違いなかった。それだけの威力をつける投擲をした自覚がクロエにはあったし、アコニットがベンチを振り上げてゴミ箱を払い除けたことも狙い通りだった。

 クロエがサブマシンガンを撃ったのはアコニットがベンチを振り上げたのと同時で、狙いは両脚に向けていた。射撃アシストが10発の弾丸を予測コース通りに飛翔させる。だがその先にアコニットはいなかった。

「強引に横を取るのは悪くない。でもまだ届かないわね」

 アコニットは前にステップしていた。そのままベンチをクロエに向けて投げつけて懐から拳銃を取り出す。

 炎の勢いをまとった左の裏拳でクロエは迎撃し、飛んでくるベンチを粉砕し、そして大きくのけぞった。頭に岩がぶつかったような衝撃がクロエの意識を飛ばしていた。しかしどうにか気絶を踏みとどまったクロエは意味不明の叫びを上げて横転し、意識を掴み戻すようになんども雄叫びを上げる。

 そうしながらクロエは理解した。アコニットが持つ銃が自分の頭を撃ったのだと。死ぬほどの威力ではないが連続して受ければ気絶することは間違いない。そもそも頭に銃弾を受けて死なないのはパワードスーツの防御力があってのことだ。

「この弾を受けてまだ動けるの」

「倒れるわけにはいかないッ!」

 クロエが苦しんでいた間に別のベンチを手に入れたアコニットが発砲。クロエも同時に引き金をひきしぼる。HUDがアコニットの射撃を落とせると通知、残りの銃弾を叩き込みながら背部からの炎で推進力を得てスライディング。

 アコニットの銃弾を銃撃で潰し、高速スライディングの勢いのままクロエは激突する。アコニットの左足を狙ったクロエの攻撃は外れた。

「スライディングキックのつもり?」

「その通りよ!」

 上体を起こして軌道を変更。クロエはアコニットの足元で垂直に飛び上がりながら竜巻じみた回転蹴りを繰り出した。足裏から吹き出す噴射炎がもたらす強烈な威力の蹴りがアコニットが持つベンチを砕き、しかし2撃目をアコニットの両手が抑えた。

「そこだ!」

 身体のどこかを押さえれば銃撃を避けることなど出来るはずがない。クロエは頭を狙わないように残りの弾をばら撒き、弾切れになったサブマシンガンを遠くに投げ捨てた。

 3発命中。HUDに表示されたのを横目にクロエは殴る。銃弾を腹に受けたアコニットは抵抗しようとするがクロエのなすがままにされていく。

「イヤーッ、でりゃあッ、オラァッ!!」

 素人同然の大振りな打撃。ふだんのアコニットであれば簡単にいなせる攻撃のはずだとクロエは分かっている。だが銃弾が命中して抵抗が出来ないということは大きなアドバンテージを握っていることに他ならない。

 勝った。何度も殴りつけて、上に乗って、また殴って、クロエは確信した。勝った。アコニットはどんどん抵抗する力を弱めている。

「降参、しろッ!」

 顔面を狙うタメにタメた右ストレート。しかしそれは雪を抉って地面を砕くに終わった。雷が落ちるかのような速さで頭を横に振って避け、クロエはアコニットとの距離が遠く離れていくのを認めた。

「えっ? ――うぐああッ!」

 大砲でも打ち込まれたかのような衝撃。アコニットの両足の蹴りは一つ遅れてから重い痛みを腹部から全身に伝えていた。

 激痛に叫びを上げながらクロエはコースターの支柱に手を伸ばした。両手両足から推進炎を吹き出し、支柱を掴んで1回転。勢いをつけたままアコニットに突撃する。

 上空から噴進する紺色のパワードスーツが繰り出す打撃は間違いなく人間を殺せる。その自覚はクロエにあったし、そうでもしないと妙な細工をしているアコニットを止めることが出来ないと考えていた。

 だがクロエは頭が割れるような激痛に絶叫。強い衝撃で軌道がそれてアコニットの隣に激突して派手に転がっていく。激突する前、アコニットが両手で拳銃を構えているのをクロエは見た。それが何度も火を吹き、白い煙が上がっているのも。

「ぐはっ、ぐあああッ!!」

「安直な攻め方だった。あと少しでやれると思ったんだろうけど、そこがもう間違ってる」

 ようやく転がり終わって力なく仰向けになったクロエを踏みつけたアコニット。彼女は笑い、黒スーツをつまんでピンと張ってみせた。

「これにも、靴にも、身体の中にも、結構な数の細工をしている」

「なんの、話……」

「クロエみたいに『自分は強化外骨格を着ています。強いです』と悟られないように自分を強くする方法がいろいろあってね。身体に埋め込んだり、スーツが特別仕様だったり」

「くそっ、要点はなんなのよ」

「大げさなパワードスーツを着て勝ち目があったと思ったんだろうけど、こっちは同等以上の性能を持ってるって言いたいだけ。このハンドガンも特別仕様でね。人間じゃないものを撃てるようにしただけ。やられたフリに気づかないなんてまだまだ甘いわ」

「でもそれなら、第二のゲームで、右肩を撃たれた時、どってことないように振る舞えたはず」

「あれは普通の黒スーツだったから。痛いなんてものじゃなかったけど、あの狼のアニマノイドの射撃センスは一級品ね。サラマンダーのお眼鏡にかなうかも」

 ふざけろ――クロエは最後まで言えなかった。アコニットに抱えられてそのまま連れられたからだ。

「どこに連れてく、つもりなの」

「空中戦艦に。あの土のドームを壊さないとダメね」

「……そんなに好きなの、弱肉強食の世界が? ムダな争いのない世界は嫌いなの?」

「嫌いじゃない。でも自分の力を試せる場所のほうが好きってだけの話よ」

「私を、RONに連れていくって、前々から決まっていたの?」

「そうよ。サラマンダーは800年前の魔法を解きたい。そのためにはシロ・ピースフィールが必要なのよ。精神がクロエでも構わない。魔法を使った肉体があればいい」

「それならいくらでもチャンスはあったわね」

 アコニットの足が止まった。激痛に苦しみながらもクロエは続ける。

「今日、いくらでも私をさらうチャンスはあったわ。フィーの自作自演の誘拐事件はあなたも分かっていなかった。でも私が目的ならこんなことする必要なんてない」

「……」

「RONに尻尾を振りたいならフィーなんて放っといて私に手を出せばよかった。弱肉強食を良しとしている組織なんだから『力及ばず誘拐されてしまった男の子』なんて必要ないのよね? 思い入れを持つこともないはずよね? 間違ったことを言っているかしら」

「ずけずけと気にしていることを言ってくれるじゃない」

「ねえ、弱肉強食の世界が好きだなんて、ホントは思ってないんじゃない。そんなのが好きなら甘い動きなんて見せるはずがない」

「……確かに私は甘かった。フィルがどうなろうと無視して、最初にやってきたあの公園であなたを誘拐してもよかった。それが出来なかったのはメーベルへの恩義や葛藤があったからってのは否定しない。でも、もう、私は甘さを捨てたのよ」

 どこか物悲しげに聞こえた。クロエはしかし悲しみに呑まれず、アコニットへの敵意を燃やし続け、視線はベンチの裏の暗がりに向ける。そこには大きなライフルを手にして伏せる、白コートに身を包んだロンの姿があった。

 狼のアニマノイド、その鋭い目はスコープと標的のふたつを同時に見澄ましている。そしてクロエは理解した。ロンの狙いはアコニットが怪我をしている右肩だ。こんなことが出来るくらいには傷が治ったのだろうが、半日も経たずに完治するわけがない。


 アコニットと戦いを繰り広げている時に、地下基地のメンバーが目立たぬところで準備をしていたのは間違いない。シーが武器をよこしたのも、ロンがライフルを構えているのも、全てはアコニットをとらえてRONの情報を引き出すためだ。

「悪いわね、クロエ」

「なにをどの口で――」

「全部あなたの思い通りになんてならないのよ」

 言うが早いかアコニットはクロエを手放し、同時に振り返りつつ拳銃を3発撃った。ロンが隠れているベンチに向けてだ。

 遅れてずがんとライフルの射撃音が響くが、アコニットの身体から鮮血が噴き出ることはない。クロエが見たのは粉々に壊れたベンチと、その下敷きになって動けないロンの姿だった。

「――そんな!」

「今日は五感が冴えてるみたいね。しかしどうやって土のドームを突破すれば……穴が空いたってことは空中戦艦がうまくやってくれたってことね」

 絶え間なく打ち上がる花火と照明弾が西の島に近い天井に空いた穴を照らしていた。そこからは空中戦艦が黒煙を上げているのが見えた。ノームの努力によるものだとクロエは直感したが、肝心のノームがどこにいるのかさっぱり分からない。

「それにしてもあの小人の魔法は凄まじいわ。戦艦の砲撃をこれまでの時間ずっと耐えてきたってやはり脅威ね。早く仕事を終わらせないと」

「褒められるなんて照れくさいね。でもクロエちゃんは渡さないよ」

 どこから声がしたのかクロエもアコニットも分からない。だがクロエは声に聞き覚えがあった。ノームが助けに来てくれるらしい。

 ひとつ遅れてアコニットが横に吹き飛んだ。地中から現れたノームが振るった杖が痛そうな鈍い音を響かせている。

「くっ!」

「遅れてごめんね。クロエちゃん、立てる?」

「ダメ……結構もらっちゃったみたい」

 上から降ってくる土塊の一部が浮いてノームの頭上に漂うのをクロエは見た。彼女が右手に握る笛のような白い杖が左右に揺れるのにあわせて土塊も左右に動いていく。どう見ても魔法だ。科学技術の立ち入る領分がどこにもない。

「それじゃあそこで休んでて。あいつは私がどうにかする」

「戦艦はどうなったの」

「なんとかしているわ。しばらく大丈夫」

 土色のローブとくしゃくしゃの三角帽子に身を包んだ小人が強く杖を振り、浮かんでいた土塊がアコニットに向かって飛ぶ。弾倉を交換したアコニットの射撃でひとつひとつが弾け飛んで崩れるが、次第にノームが押していた。

 瞬間、ノームが雪を蹴ってアコニットの足元に飛ぶように近づき、土塊を飛ばしながら杖を振るっての接近戦を挑む。魔法使いと戦うだなんて今日この時が初めてだろう。アコニットがやりづらそうに応戦しているのをクロエは見ながら、HUDが新しいウィンドウを表示しているのを見た。




 自己進化プログラムより通知。

 強化外骨格「ピースフィール」の強化を完了。

 前バージョンと比較して全能力が向上。

 装着者の痛覚抑制を実行可能。




 頭のてっぺんからつま先まで爽やかな感覚が走ったのを覚えたクロエは目を見開いた。

 アコニットにやられた身体のダメージがすうっと引いていく。痛みはあるのにそれが重いとかつらいと感じない。

 立ち上がる。指の先もなめらかに動かせる。頭だってスッキリ冴えている。

 遠くではノームが杖を支えにアクロバティックな動きでアコニットの格闘と銃撃をかわし土塊を飛ばしていた。一歩前に踏み出す。背中からごうっと炎が噴き出す。もう一歩を前に。足裏から炎が噴き出る。

「しゃがんでノーム!」

 直後、クロエはアコニットの右肩にラリアットめいた右腕の打撃を叩き込んだ。アコニットが苦悶の表情を隠しもしないのを見たのは初めてだった。

 本気で痛がっている。特別な黒スーツやらを使って強くなったとはいえ、今日できた傷を全力で殴られて平気な顔をしている人間なんているわけがない。

「んがあああッ!!」

 クロエは攻撃の手を緩めない。右腕を振り抜いた後で両足で急制動、その勢いのまま回転して左の手のひらから一段と大きな炎を噴き出して裏拳を繰り出す。狙いはアコニットの右肩だ。

「チェック――」

「あがああああッ!!!」

 紺色のパワードスーツ、分厚い装甲を通じて、アコニットの右肩が砕けたことをクロエは知った。いや、砕けたというよりは爆発したような手応えだった。

 紺色のヘルメット越しに顔をしかめたクロエは、それでも躊躇することなく左の裏拳を振り抜いた。

「――メイトだあああっ!!」

「あがッ、がああああッ!!」

「はあ、はあっ、勝負ついたわね」

「どうして、さっきまでとは違う! あがっ、そうか、シロの能力は――」

 なにかに気づいたアコニットは、しかし痛みに絶叫してのたうち回り立ち上がることすら出来ていない。

「――あああああああッ!! 道具を発達させる! こんなに凄まじいものだったの、があああッ!!」

 アコニットの驚愕はクロエもよく分かっている。先程まではどうしてもアコニットに有利を握らせてしまっていた。自分が優位に立てることはなかった。それがどうだ。一気に立場が変わっている。

 人間のアニマノイド、シロ・ピースフィールが持つ固有の能力、あるいは魔法の持つポテンシャルにクロエは戦慄した。これが自分の魔法なのか。「人間のアニマノイド」の力なのか。

 強化される前のパワードスーツで同じ攻撃をしてもこうはならなかっただろう。それどころか攻撃が当たることもなかったに違いない。

「やったわね、クロエちゃん」

「ノームの……みんなのおかげよ。空中戦艦はどうなったの?」

「砲撃は止んでいる。でも……もう一度見てくるわ。ここはクロエちゃんに任せて大丈夫かしら?」

「ええ。他の仲間達も来てくれている。行ってきてもらえる?」

 分かった。ゆっくり頷き返したノームは地面から土塊を生やして天に向けて伸ばし、それに乗って去っていく。


 遠くに見えた人影はシーとロンのものだった。ロンは大きな怪我はしていないが、派手に壊れたベンチに巻き込まれた怪我が白コートの赤いしみになって傷を物語っていた。

「なんとかやったみたいだな。お手柄だぜ!」

「みんなのおかげよ、ありがとう」

 痛みに顔をしかめながらも狼のアニマノイドは大笑いしていた。隣のシーはどこか複雑そうに、それでもクロエの健闘を心から褒めるように微笑んでいる。

「さ、お嬢ちゃんはそこらで休んでいてくれ。シー、お嬢ちゃんを頼む」

「分かったわ。さあクロちゃん、そこで休まない?」

 西の島の一部を目茶苦茶に荒らしてしまったが、それでも無事な場所のほうが多い。雪を薄くいただいているベンチを指さしたシーはクロエの支えになって歩きだした。

「大丈夫よ。ロンが手錠を持ってるから」

「私……仕方がないとはいえ、そうしなきゃならなかったのは分かってるけど、とても怖い。なんていうか、うまく言えないけど、たぶん怖がってる」

「人を傷つけたのは初めて?」

「ここまで痛めつけたのも、苦しめられたのも、どっちもね」

 ベンチに座ったクロエはアコニットが激痛でのたうち回っているのをじっと見つめた。そこにロンが近づき手錠をかけようとして、失敗した。

「ぐわあッ!?」

「捕まらない、私は、私はッ!!」

 極限状況の中でもアコニットは自分の成すべきことを忘れていないし、成そうとすらしていた。手錠をかけようとするロンを組み伏せ絶叫しながら拳銃を構えたのだ。

 飛び起きるようにベンチから離れたクロエはシーをかばうために前に出て顔の前に両腕を突き出す。


 目のさめるような銃声。

 クロエを狙ったアコニットは膝から崩れ落ちた。組み伏せる力が緩み、ロンは自力で拘束を解いてアコニットに手錠をかけようとしてまたも出来なかった。アコニットが振るう左の裏拳を頭に受けて気絶してしまったのだ。

 そしてクロエは自分の身に起きたことを信じきれていなかった。

 パワードスーツが予測を立てた弾丸飛翔コース。そこに右手の親指と人差指をかざし「弾丸を挟んで」みせたのである。弾丸の高温で指の装甲がじゅわあと音をたてるのをクロエは聞き逃さなかった。

「クロちゃん、もしかして……」

「弾、つかんじゃった」

「なんてこった。クロちゃん行くとこまで行っちゃったね。守ってくれてありがとう」

 これ以上は無理だと判断したのか、アコニットは銃口をクロエから外す。後ろでシーが喜んでいるのを横目に、クロエはびだりと動きを止めた。


 アコニットが拳銃をこめかみに当てている。誰がどう見ても自殺する姿勢であることは明白だ。

 なぜそんなことをするのだ? 疑問に思ったのは駆け出してからで、その動きもアコニットが「来るな」と地獄の住人のような低い声を効かせ、きゅっと止まってしまっている。

「その銃をおろして」

「出来ないな、無理な相談よ」

「どうしてそんなこと――」

「クロエ・ブルームを生きたまま捕らえ、連れ帰る。これができれば私は晴れてRONの正式なメンバーになる。出来なければ自決しろ。サラマンダーからの命令はこうだった」

「――だからって言われたとおりに死ぬなんて!」

「弱いものは要らない。サラマンダーはそう言ってた。私もそう思う。こんな平和に浸かりきって惰弱になった人類なんて……必要なのは強者だけでいい。そして私は惰弱な人間よ。サラマンダーが説いていた世界はとても美しい。たまたま戦いの才能があった私がどこまで通用するんだろう。前にも言ったけど、試したかったのよ。自分を」

「アコニット、あんた、相当バカみたいなこと言ってるわよ」

「あなたの言うバカにしか分からない境地があるの。でも結局、最初の一歩でつまづいて、そこで終わり。そしてサラマンダーは、私が憧れた世界のリーダーは、そこでコケた奴なんて必要ないと言い切るわ」

「少なくとも私とフィーは必要としている。分かるでしょ!」

「惰弱な人間は必要ない――そう考えてる側にいるのよ。必要ないと考えている人間に求められたところで、でも、クロエに求められているのなら悪くないかもしれない」

 愉快そうに笑ったアコニットは、しかし吐血して体勢を崩す。仰向けになった彼女にクロエは近づけなかった。気迫が凄まじい。この世界の住人ではないような、おぞましく恐ろしく、それでいてはかなげなアコニットの表情を前に動けないでいた。

「おしゃべりはこのあたりでおしまいね」

「RONはあなたを助けにはこないの?」

「弱者は不要。それがサラマンダーの考えだと言ったでしょう? こんなことになった私が任務を遂行できると思う? 彼らはそれほどバカじゃない」

 クロエのHUDにノームからのテキストメールが届く。〈奴らが撤退した。私たちが勝ったんだ〉の一文だけが表示されていた。

 仲間になることを望んだ者を、任務に失敗したからといって切り捨てる。弱肉強食という自然の掟に従う。それがルール・オブ・ネイチャーズという組織なのだ。クロエはその事実に打ちひしがれていた。

「アコニット……考え直さない? RONに入る道が閉ざされたのなら、私たちと一緒にRONと戦おうよ」

「それは出来ない相談ね。見て、私の体を」

 右肩を中心に激しく出血している以外に変哲のないアコニットの体が予告なく燃える。膝から発火が始まり、静かにゆらめく炎は全身にゆっくり舐めるように広がっていた。

「そんな!」

「RONに志願した時、サラマンダーに魔法をかけられた。そういう契約、決まりごとだった。任務に失敗すれば焼き殺されるってね」

「水、水を……シー! そこらの雪をかき集めて!」

「ムダよ。もう手遅れ。内臓だってだいぶやられてる。厄介なことに、この炎は痛みもないし生きてる間は焼き尽くすまで広がっていく。正直、そんな死に方は嫌なのよ」

 息をついてアコニットはこめかみに拳銃を強く押し当てた。彼女を焼く炎は下半身を完全に覆い焼き、腹のあたりを少しずつ焼き広げている。

「クロエに手を汚させるのは嫌だからね。だから甘いのかも」

「アコニット……いやだ! そんなの認めない!」

「わがまま言わないで、フィルに伝えておいて。メーベル家で仕えていたあの日々、あの日常も悪くはなかったって。ただ、それ以上に輝いて見えたのが、RONという組織とそこで過ごす日々の想像だったの。それじゃあね、クロエ」

 腹を焼き尽くされたアコニットの右手に力が入る。

 こめかみに当たっている拳銃が、くぐもった銃声を一度だけ響かせた。


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