第四十一話 平定
後醍醐天皇は船上山から京都に移動したところだった。
赤松則村の一族は彼らを迎え入れ禁門の警固に任じられる栄誉を受けた。
それとまもなくして新田義貞が鎌倉を平定した情報が使者から伝わった。
また楠木正成も後醍醐天皇を奉迎して忠誠を称えられた。
ということで俺たちは元の群馬に戻ることになった。
ちなみに戻った祖国はいつもと変わらず穏やかな姿だった。
更なる発展を目指し俺たちは養蚕の効率化を図ることにした。
すでに猪の家畜化には成功していたし、こんにゃく大福もなかなかの売り上げだ。
あとは現金収入を得るため無難だが養蚕にてを出すことに。
でもそれで農業が疎かになってはいけないから農民たちの無理のない範囲で推し進めることにした。
まずは農家がそれぞれ家で行っている養蚕を俺たちが作った工場で働いてもらうことにする。
今まで桑の葉を集めて、蚕の繭を茹でていたのもより効率的にできるようにしたのだ。
そして品質もきちんとチェックして、状態にばらつきがでないように管理できるシステムを構築した。
これにより信頼を得て価格はやや高めで売ることができるようになった。
そうこうしている間にも九州では筑紫合戦により北条英時が破れ、鎮西探題は滅亡した。
最初は鎌倉幕府よりだった菊地、少弐、大友だったが、菊池氏が負けると情勢が悪化し、朝廷側へと翻意したのだった。
幕府は滅亡し新しい時代が始まる。
そう予感させる事件が次々と起こる。
越前、越中の北条氏は味方の離反にあい、非業の最後を遂げた。
家臣と自害するものや、愛する妻子を船にのせ自身は城で切腹するものまで。
中でも一番印象的だったのは幕府軍の全面降伏だ。
彼らは僧形で降伏し、直接戦うこともなく争いは終わった。
こうして争いが終わると次は大量の処刑が行われた。
北条氏に与したものも大勢いたが赦免されたものもいた。だが彼らも最後まで疑われて処刑された。
反乱分子の処理が終わり、建武の新政がスタートする。
だがこの政治も貨幣の頻繁な発行、武士などに対する過酷な課役により民衆からは顰蹙を買った。
京都では不穏な空気が漂っていた。
例えば足利尊氏と大塔宮との対立の深刻化。
大塔宮は武運に優れ幕府との戦いで活躍した人物だが、彼は尊氏に対する遺恨から諸国で武士を募っていた。
そして大塔宮は対立解消のため征夷大将軍に任じられたが二勢力間の対立は避けようがなかった。
大変な時代に来てしまったものだ。
俺は桑畑でえっさらほいさと働きながら一人ごちるのであった。
ここからIF展開です。




