黒い珈琲
雨が降っている。風はなく、僕の家路である裏道はしんとして、僕に優しく当たる雨音しかしない。この誰も通らない裏道の中にひっそりとカフェがある。カフェといっても洒落たものじゃない。見た目はただの民家である。表札を置くであろう場所に店の看板を掛けてればいいものの、このお店には看板などどこにもない。田舎町によくあるような民家を少し改装したような小さな珈琲屋さんとでも言うのか。それでもマスターがカフェというのだからカフェなのだろう。この人通りが少ない通りに店を構える気になった勇気と、見かけとは裏腹にカフェと名乗る大胆さに免じて僕はこの店をカフェと呼び続けている。
そもそも僕がこのカフェを見つけたのは半年ほど前、夏の、特に暑い日だった。小さいころから通学路としてこの道を使っていた僕でもこんなお店があるなんてことは知らなかった。
このお店を見つけてからというものの、僕は毎日このお店に通い続けている。そして今日も。
からんと乾いた鐘の音が鳴る。これがこのカフェの客が来た合図なのだろう。この音を聞くといつもマスターはグラスを磨くのを止めて、笑顔を振りまいてくれる。そして優しく“いらっしゃい”と言うのだ。
「いらっしゃい。今日も来たのね。」
マスターの言葉に笑顔で軽く返事をすると僕はいつもの席に座る。カウンター席の左から三番目。
「今日は生憎の雨ね。折角の卒業式だったのに」
「いいんだ。雨のほうがすっきりする。」
マスターはいつもの手つきでグラスに珈琲を注いでいる。みるみるとグラスに真っ黒い液体が満たされると、それは僕の目の前に置かれた。