さようならイルとルイ
言葉ルイと言葉イル。
二人は一卵性双生児の姉弟である。
ルイが姉でイルが弟。二人共まだ中学二年生。
日本人特有の綺麗な黒髪と、日本人離れした紫がかった双眸が印象的な美少女と美少年。
ある日、そんな二人の前に火星人が現れた。
火星人は言った。
機密実験により今から君達姉弟の肉体と精神を入れ替えると。
そしてこうも言った。
今から丁度一年後のこの時間に姉弟の前に再び現れ、身体を元通りにするとも。こうしてルイとイルは肉体と精神が入れ替わり、ルイはイルに。イルはルイになった。
身体が入れ替わり茫然とする二人に火星人は、もし……二人が元の身体に戻るつもりがないのならその意志を尊重する、但し君達のどちらか一方でも元通りになりたいと主張するなら、ワタシは元に戻りたいと思う意志を優先する、と言い残し去って行った。
かくして互いに入れ替わった身体での日常生活が始まった。
当然といえば当然だが弟のイルは困惑していた。いくら姉とはいえ生まれて初めて味わう女の身体。着替える度に姉の身体を見てはあたふたとし、用を足すに至っては下着や洋服を汚してしまう始末。学校でも体育の時間で周りの女生徒と着替える時はヤキモキとし、女子トイレには入れず泣きながらお漏らしをしてしまう有り様。
何をするにも不便でしょうがなかった。
一方姉のルイはといえば、弟のイルとは対照的に男の身体を卒なく使いこなし、僅か一日足らずで完全に自分の手足としていた。
それもその筈、ルイは元々男というのに強い憧れを抱いていた。
但し、それは異性に対する興味とかそういうのではなかった。
言葉家の食卓。
「イル。今日も全教科満点だったな。それでこそ我が言葉家の長男だ。偉いぞ」
「本当にそうですよねお父さん。ついこないだまでイルったら赤点の常習犯だったのに」
今までテストで赤点ばかりだった息子が、一転して満点を取った事により大喜びする両親。
「私が凄いというよりテストが簡単過ぎるのよ。最低限の予習復習をしてればあんなのエテ公だって満点を取れるわ」
「ハハハッ。凄い自信家だな」
「まぁどっかの誰かさんはそのエテ公にも劣る大層なオツムをお持ちのようですけどもね」
イルの身体をしたルイが自分の身体をしたイルを侮蔑の眼で見る。
「それはそうと前々から気になっていたんだが、なんだ最近のその女みたいな言葉使いは。止めんか気持ち悪い」
「ゴッ、ゴメン。女の子とばかり話してるからつい口癖が移っちゃったみたいなんだよ」
「そういえば最近ルイもなんか『僕』とか男みたいな言葉使いしちゃって。二人共どうしちゃったの?」
「えっ、その……」
ルイの身体をしたイルがばつの悪い顔をする。
「それにあのテストの点はどうしたんですルイ? いつもテストでは九〇点より下の点数を取った事がなかったのに」
「そ、その、あの……」
「まぁいいじゃないかテストの点なんてどうだって。女はせいぜい小学低学年ぐらいの知能があればそれでいいんだ。義務教育でなければ誰がルイに中学なぞ通わすものかよ」
「そうですよねお父さん。女の子は家事と育児さえできればそれでいいんですから」
「それに加えて顔さえよければ尚のこと良い。その点ルイは十二分に合格じゃないか。なぁ、母さん」
「そうですねお父さん。ルイならきっと立派なお婿さん見つけて丈夫な子を産みますよ」
「子供ってルイはまだ一三だよ。気が早いよ母さん」
「そうでした。ホホホホホホッ」
「ハハハハハハッ」
「黙れこのミジンコのフン共ッ!!」
突然ルイが大声を張り上げた。
「誰が結婚なんてするもんか! ごちそうさま!」
ルイはそのまま部屋へ戻って行った。
「イルの奴はなぁ~に怒っとるんだ?」
ルイの父親がキョトンとした顔をする。
「年頃なんですよきっと」
「……お姉ちゃん」
イルはルイのいなくなった席をただただ見つめるだけだった。
「イル、パス!」
「OK。スラムダァ――――ンクッ!」
体育のバスケの時間でスラムダンクを決めるルイ。
審判のホイッスルが鳴る。
「七〇対三五。勝者、イルチーム」
審判がイル側のチームに勝利宣言をする。
「キャ――――――ッ」
女生徒の黄色い喝采が飛ぶ。
「最近イル君って凄いわよね。急に成績も上がって今じゃ学年ナンバー一だし」
「そして極度の運動音痴だったのがあの変わり様」
「なによりさ」
「顔が良いわよねぇ」
「いえてるぅ~~~~」
ますます盛り上がる女生徒のかしましい会話。
そして国語の時間。
「ここで独身女性の威信をかけて横浜の赤レンガ倉庫で紫式部がアントニオ猪木に十文字チョップを噛ますわけですが」
「違います先生!」
急に席を立ちあがるルイ。
「どうしましたイル君?」
そんなルイに目をキョトンとさせる国語教師。
「そこなんですが、紫式部が噛ましたのは十文字チョップではなく恐怖雨女の紫殺法です。十文字チョップは馬場さんの必殺技ですよ」
「ムムムッ。確かに。お見事! いやぁ~、最近イル君は本当に凄いね。他の教師達も話す事といったらイル君の話ばかりだよ」
「恐縮です」
静かに席に座るルイ。
「流石クラス一の秀才!」
「素敵ぃ!」
「コレコレ静かになさい女生徒諸君。男子もあからさまに嫌な顔をしないようにね」
体育の時間同様に再び女生徒達の黄色い声があがる。
昼休み。
「ガッハッハッ! 今日からこのクラスは番長であるこの俺様ジャイアントキングゴリライモブタゴ――ブゲラッ」
「死ねッ!!」
ルイが突然現れた番長をたった一発のパンチでKOしてしまう。
「この大腸菌のゴミ野郎がッ! いっつもいっつも人が力で抵抗できない事をいい事に汚い黴菌だらけの手で散々言い寄りやがって! 顔が悪ければ頭も悪い底辺のそのまた底辺のゴミ虫の分際で生意気なのよこのアンポンタン死ね死ね死ねアンタなんか死んじまえぇ――――ッ!!」
そして倒れた番長の股間を何度も踏みつけ電気アンマをし、女の身体の時に受けた仕打ちをこれでもかというぐらいに晴らすルイ。
「イル君ったら顔が良くて勉強ができるだけでなく運動もできてその上喧嘩も強いなんて……女言葉だけど」
「欠点一つない正に完璧人間ね……性格以外は」
「それでも不細工は悪! 美少年は正義! だから皆でイル君の胴上げをしましょ」
「そぉ~れ」
「ワッショイ! ワッショイ! イル君ワッショイ! ハンサムワッショイ!」
「ハハハッ。止めてよ皆。大体美少年だのハンサムだのそういう本当の事は他の男共がいないとこで言うものよ。だってお気を悪くしちゃうじゃないのオ――ッホホホホホホホッ」
他の邪魔な男子共を蹴散らした女生徒達に胴上げをされるルイ。
ルイは心の底から嬉しかった。
それはルイが純粋に能力を評価されるからだ。
元々ルイは弟のイルと違い運動神経もよくて頭も抜群に良かった。
しかし女だというただそれだけの理由でルイは周りから評価されなかった。
家族やクラス、誰からも……。
それどころか、今まで男から女なんだから出しゃばるなと言われた事も数知れず。
だからルイにとってこうして周りから真っ当に評価されるのは何よりも至福であった。
ルイは元々男というのに強い憧れを抱いていた。
それは男という生き物が女に比べ、世間から実力を評価されるのを知っていたからだ。
むしろ劣等感といっても差し支えなかった。
ルイとイルが身体を入れ替えてから一ヶ月は経ったある日の真夜中。
「お、お姉ちゃ――ん! お姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃん!!」
イルが突然ルイの部屋に入って来た。
「人が勉学に勤しんでるってのに何よ騒々しい。宿題なら自分でやりなさいよね」
「そ、そうじゃなくて……あの、その、それがね――アウッ」
ルイがイルの頬を数回引っぱたいた。
「落ち着いた? 深呼吸してゆっくり話なさい。いいわね!」
「ウ、ウン」
「それでどうしたのよ」
「ま、股から……」
「ん?」
「股から血が出てるんだよ。そ、それになんか頭痛もするし吐き気もするんだ。こ、これって病気かな?」
「……アンタ保健の授業で何学んでたの? それは生理現象よ」
「生理現象?」
「初潮を迎えた女なら誰もが否応なしに経験する宿命――いえ、呪いみたいなものよ」
話ながらもルイは酷く苦い顔をする。
「今日び小学生だって知ってるってのに、アンタが押入れに隠してたお下品な本は一体何を教えてくれたのかしらね」
「ね、姉ちゃん。ぼ、僕の本を見たの?」
「見たわよ表紙だけね。でも邪魔だったからクラスメイトのアホな男子共に配ってやったら大層喜んでたわよ。ホホホッ。あんな本でも底辺の蛆虫を観察をするぐらいには役に立つものね」
ルイがあからさまに人を見下した態度をとる。
「酷いやお姉ちゃん! 僕の物を勝手に!」
「僕の物? 寝言をほざかないでよ。アレはエロ本を買う度胸のないアンタがわざわざ道端で拾ってきた余所様の物でしょ? 一銭も払ってない癖に自分の物だなんて図々しいにも程があるんじゃないかしら? ……アラ、適当に言ってみただけなのにその顔は何? 図星だったみたいねフフフッ」
「う、うるさいな! それよりこの症状をどうしたらいいんだよ!」
「今度は逆切れ? 本当に底が知れた奴ね。でもそうねぇ……まず私の、いや、今はアンタの部屋だけども机の引き出しの四番目にタンポンがあるからソレ入れなさい」
「どうやって入れるの?」
「どうやっても何もアンタねぇ……そんなの私の口から言わす気?」
ルイがギロッとイルの顔を睨む。
「そ、そんなの入れた事ないから分からないよぉ。エグッ」
半泣きになるイル。
「ハァ。分かった。一緒に部屋に行きましょ。私が入れてあげるからちゃんとやり方覚えるのよ。もうオナニーの時みたいに何度もレクチャーしないからね。いいわね!」
「ウ、ウン」
二人は隣のイルの部屋へと向かった。
そこでイルは下着を下ろしスカートの裾を上げ、ルイは自分の机の引き出しからタンポンを取り出しそれを手にする。
そしてルイはイルの恥部を凝視する。
それはイルと身体を入れ替えてから初めて見る女性のモノだった。
「お、お姉ちゃん。は、恥ずかしいよ……」
「………………」
「お姉ちゃん?」
イルはルイの様子がおかしい事に気付いた。
「ねぇ、イル?」
「な、何お姉ちゃん?」
「今日からお父さん達数日はいないしさ……しちゃおっか?」
「しちゃうって?」
「セックス」
「何言ってるんだよお姉ちゃん! 正気じゃないよっ! 僕達姉弟だよ! おかしいよ!」
「おかしいのは百も承知よ。でもね、私は元の女の身体になる前にこれだけは経験しときたいのよ。だってそうでしょ? お互いこの性別でいられるのは後数ヶ月だけなのよ。もう二度と体験できないのよ! 私は知りたい! 男でするセックスを! どうしようもなくやりたいのよ! アンタだって女の身体でするのに興味がないわけじゃないでしょ! 人の身体で散々オナニーしといて!」
「そっ、それは……み、見てたなんてズルイよ。でもやっぱりさ、こういうのって――」
「あー本当に煮え切らない奴ねアンタって。もう興醒め。やっぱりこの話はなかった事にしましょ」
「えっ、あの……そ……」
「じゃあお休み」
部屋を出て行こうとしたルイだったが、何かグイッと後ろを引っ張られるような感覚に陥った。
いや、感覚ではなかった。
振り向けばイルがルイの洋服の裾を掴んでいたのだ。
「妊娠しない?」
イルが俯き加減でルイに尋ねる。
「大丈夫。今日は生理初日で危険日じゃないし、この避妊薬を全部飲んどけば多分平気よ」
「た、多分なんだ……絶対じゃないんだね」
そう言ってルイがイルに手渡したのは、二一錠はあるピルパックであった。
「しょうがないじゃない。私だって使った事ないんだから。ともかくね! お姉ちゃんが上手くリードしてあげるから、アンタはタダ私に身を委ねればいいの」
「ウン……」
手渡されたピルを一粒一粒呑み込みながら頷くイル。
「でもね、初めてで最初の内は少し痛いと思うけど我慢してね」
「……我慢するよお姉ちゃん」
「いい子ねアンタは……そういうとこ好きよ」
ルイはイルの額に優しくキスをする。
その夜、二人は互いに身体を重ねた。
それから一ヶ月後の平日の朝。
「イル! 学校の時間よ! いつまでこうしてるの!」
「ひぐっ……ひぐっ……ううううう」
ルイがイルの布団の前までやって来た。
イルはあれ以来自分の布団から出て来ようとしなかった。
「ま、股が痛いよぉ」
「いつの話よ! 本音を言いなさい本音を!」
「…………しちゃったんだね。僕、お姉ちゃんと……姉弟なのに……」
今更ながらイルは姉弟でしたという罪悪感に苛んでいた。
「だから何? 私は気持ち良かったわよ」
弟のイルに反して姉のルイはあっけらかんとしたものだった
「しかもお尻にまでするなんて……酷いよお姉ちゃん」
ルイは布団の中でお尻を抑える。
「あのね、誤解しないでほしいんだけど、傷ついたのはアンタの身体じゃなくて私の身体なの。お分かり?」
「でも今は僕の身体だよ……」
「つくづく女々しいわねアンタって! やってしまったものはしょうがないでしょ! それで今日も学校休むつもりなの?」
「ウン……休む」
「あっそ、勝手にすれば。付き合い切れないわよ」
「イル。ルイはどうしたんです?」
「今日も学校行きたくないってさ。全くしょうのない奴だよ」
食卓で母親にイルの様子を聞かれ、ヤレヤレと答えるルイ。
「そうなんですか。でも行きたくないものを無理して行く必要はありませんよ」
「……どうしてそういう事言うの?」
母親が何気なく言った一言に過敏に反応するルイ。
「自分で勉強できない人間が塾にも通わず家庭教師も雇わずに学校行かないでどうすんの! ああいう一人じゃ何もできない落ちこぼれを救済するのが、義務教育のそもそもの役割でしょ? それを放棄して一体全体何になるってのよッ!!」
ルイが力強く机をドンと叩く。
「その前提が間違ってるんですよイル。ルイは男のアナタと違って、女の子なんですから勉強なんてできなくたっていいんですよ。そりゃあお父さんみたいに小学低学年レベルというのも問題ですけどもね」
「それは勉強ができない落ちこぼれの屁理屈よ! 男だろうが女だろうが勉強ができるに越した事はないじゃない! お金と一緒よ!」
「いいえ、それは違うわイル。女は男を立ててなんぼのものです。お金はともかく、必要以上の知識や実力は相手の殿方を不快にさせるだけ。女は家庭に入り家事育児にのみ専念する。それが女の生き方です」
「確かにそういう生き方もあるにはあるし否定はしないわよ。でもね、それが女の全てってわけじゃないでしょ?」
「いいえ、それが女の全てです。男のアナタには理解できないでしょうけど、女は夫に尽くし子に尽くす事が何よりの至福なんですよ」
「だぁ~からぁ~~それはお母さんの至福であって私――ルイの至福じゃないでしょ? 自分の幸せとルイの幸せを一緒くたにしないでよ!」
「イルは青いですね」
母親が落ち着いた様子でお茶をすする。
「なんですって!!」
その余裕が無性に腹立たしいルイ。
「お母さんの周りにも今のアナタと同じような考え方をしてた子がいましたよ。女性でも男性に頼らず結婚しなくても自分の実力だけでやっていけるとか、仮に結婚したにしても専業主婦以外にも色々な道があるとかね。でも、結局は回り回ってやっぱりお母さんの言う事が正しかったと最後の最後になって気付くもんなんですよ。そう、例えるならそれは思春期という名の若さが見せる甘い幻想。そしてそれに気付いた時には後の祭り、ある者は婚期を逃して行き遅れとなり、またある者は旦那に愛想を尽かされ捨てられたりとね。道を踏み外した女の末路なんてそんなものです。とどのつまり昔も今もそして未来永劫、古今東西南北東男は仕事女は家庭。世の中そういう風にできてるんです。理不尽と感じようがそれが社会の仕組みです、それが男と女です、強いては宇宙の真理なんです!」
「…………は、はははははっ」
母親の全てを悟りきった態度に唖然とするルイ。
そして……。
「話にならない! 論外! 問題外! 大気圏外! 母さんみたいのがいるから必要以上に女が見下されるのよ! えーえー、そりゃあ見下されもしますわよね! 私が男でもそりゃあもう見下してますとも! 人間見下すのが大好きですからね!」
席を乱暴に立ち上がり部屋を出るルイ。
「イル! 御飯がまだ残ってますよ!」
「それ以上話かけたら御飯の代わりにアンタを焼いて煮て食うからッ! このマサイ原人!!」
玄関からルイの怒声が聞こえる。
「若いっていいわねぇ……」
母親は何処か懐かしむような眼をして、のほほんとお茶漬けを啜るのであった。
「あっ、イル君おはよう」
「お、おはよう恋」
ルイが家を飛び出て数分。登校途中で幼馴染の恋と出会った。
「あのさー、最近イル君凄いね」
「周りの程度が知れてると一層そう感じるかもね。って、皆それしか言わないね」
「だってイル君本当に凄いんだもん。こないだの全国テストなんて第五位だよ。日本全国の中学二年生のベストファイブだよ! ちょっとした戦隊ヒーローだよ」
「そりゃあそうよ。だって、私本当は国立の中学に行きたかったのに……いや、実力でいえば絶対行けたのに」
これは仮初のイルではなくルイ自身の本音だった。
「凄い理想だけど、今のイル君ならともかく昔のイル君じゃ逆立ちしたって無理だったよ。それよりさ、昨日のテレビでね――」
ルイは恋と他愛のない話をしながらも、頭の中にあるのは常に母親との口論の事ばかりであった。
「ねぇ、恋」
「なぁにイル君」
「女ってさ……結婚が全てなのかな?」
「えっ?」
「女の人だってさ、結婚以外にももっとこう仕事とか色々夢があるんじゃないかな? 家庭だけがさ、女の全てじゃないと思うんだよ」
「いきなりどうしたのイル君?」
「恋には何かそういうのないの? なりたい職業とか夢みたいの!」
「ん~~、玉の輿かな」
「……どうして?」
「だって楽して暮らしたいじゃん」
アッサリと答える恋。
「でもさ……それってタダ男に養ってもらってるだけじゃないの。タダ男にとって都合のいい夜の道具なだけじゃない!」
「別にいいじゃん。仕事するのは面倒だし養ってくれるなら道具でもなんでもいいじゃん。男はお金を差し出し私は身体を差し出す。ギブアンドテイクじゃん」
「それってタダの援助交際じゃない!」
「夫婦でするんだから援助交際じゃないよ。なんか最近のイル君ってルイさんみたいだね」
「えっ……」
ピタッと立ち止まるルイ。
「最近はあまり口にしなくなったけど、少し前のルイさんもいっつもそんな話ばかりしてたよ。でもルイさんって少し世間知らずなとこあるよね」
「世間知らず?」
「ウン。だってさ、男の人には男の人の生き方があってさ、女の人には女の人の生き方があるわけじゃん。それなのにどうしてルイさんってば、わざわざ男の土俵に上がりたがるんだろうね。もっと楽な道を選べばいいのに」
「それはね、アンタには一生理解できないよ」
「そんなもんかな」
恋が眠たそうに欠伸をする。
「……元はアンタと同じ穴の貉かと思うと、つくづく自分が悲しくなるよ」
そんな呑気に欠伸する恋を見てついボソッと呟くルイ。
「ん? 何か言った?」
「いいや、なんでも…………」
「変なイル君。でもイル君ってばお姉さんの事をそこまで気にかけるなんて、姉思いで優しいのね」
「そうでもないさ。普通だよ。いの一番に自分の事だけを考え、自分の利益に繋がる事のみ忠実に行動する……なんてことはない。至って普通の人間さ」
何処となくだが、ルイの瞳には暗い影のようなものがあった。
「またまたぁ~~謙遜しちゃってもう」
「ハハッ。バレたか。ここで謙遜しないと嫌味な人間になるだろ?」
「もう充分嫌味だってのキャハッ♪」
恋に胸をこづかれて一変して明るくなるルイ。
「それはそうとさ、今度期末テストがあるから、今夜僕の家で泊まりがけで勉強しない? よく分からないとことか見てあげるよ。君の両親には僕から説明しとくからさ」
「本当に!」
「ああ……ジックリと見てあげるよ。ジックリとね」
「ん……ん~~うるさいなぁ。こんな真夜中になんだよもう」
イルは何処からか聞こえてくる物音により目を覚ました。
既に時刻は草木も眠る丑三つ時。
「今日は母さんも父さんも用事でいない筈なのに……まさか泥棒!」
イルがよく耳をすませば隣――姉のルイの部屋から物音は聞こえてきていた。
いや、物音というよりそれは人の声であった。
「お姉ちゃん……?」
いつもは物静かに勉強だけをしている姉にしては珍しい、そう思ったイルは気怠い身体を起こし、ルイの部屋をコッソリと覗き見る。
「ね、姉ちゃん! そ、そんな……」
そこでイルは見た!
幼馴染の恋と自分の姿をした姉のルイが交わっている姿を!
「ハァハァハァ。イル君ってウブに見えて意外に経験豊富なんだね。女の子が感じるツボをよく知り尽くしてるや。一体今まで何人の女の子を引っ掛けたの?」
「……恋。無駄なお喋りをしてる暇があったら集中してくれ。私の心はまだ満たされない」
「イル君ってこんな時まで冷静沈着で……なんか女の子に余り興味ないみたいね」
「………………」
「お姉ちゃん……恋まで…………」
二人のしている行為を見て歯軋りをするイル。
「姉ちゃぁあああああんっ!!」
とうとう我慢できなくなったイルが、物凄い形相で部屋に入り込むなりルイの肩をガッシリと掴む。
「ル、ルイさん!」
突然のイルの登場に一糸纏わぬ姿で仰天する恋。
「お姉ちゃん! 姉ちゃん姉ちゃん姉ちゃんどういう事なんだよ一体全体! 訳分かんないよ! なんでお姉ちゃんと恋がこんな事に!」
姉を追及するイル。
元は自分の肉体だというのにこの男の身体がどうしようもなく憎らしかった。
「ど、どうしてルイさんがここに? ねぇ、イル君。ルイさんは精神的な病で病院にお泊まりしてたんじゃないの?」
「どうやら余りにイッちゃってるみたいで病院からも追い出されたみたい……そんな事より、恋。君の付き合ってる体育教師と僕、どっちが上手だったかな?」
「イ、イル君? な、何を言ってるの?」
「やっぱりそうだったんだ。君と岡崎教師の様子からして何かあるなとは薄々思ってたけど、さっき君を抱いてみて確信に変わったよ。実によく仕込まれてるじゃないか恋」
「う、嘘でしょ恋……」
まさかの衝撃的な事実にショックを受けるイル。
「イ、イル君! 私帰るから! バイバイ」
脱ぎ散らかしたままの自分の衣類を拾い集めるやいなや、そそくさとその場から立ち去る恋。
「フフフッ。大方平凡な体育教師と付き合うよりは、将来有望で頭の切れる私と付き合う方が利があると思ったんでしょうね。いかにも腰を振るしか能のない尻軽女が考えそうな浅知恵だわね」
ルイが勝ち誇ったような顔で恋の立ち去った後を見る。
「そ、そんな恋……」
イルは幼馴染の恋に恋をしていたわけではないが、小さい頃から一緒で、まるで妹のように思っていた恋の裏の顔を覗き見てしまい……なんともやりきれない気分であった。
「でも安心してクラス委員長の橘さん。彼女は未経験だったわよ」
「橘さんが?」
「ええ」
「そうか。橘さんはそうなんだ。良かった」
ホッと息をつくイル。
クラス委員長の橘は校内でもルイに次ぐNO二の美少女と称され、云わばマドンナ的存在。
そしてイルの想い人でもある……が。
「まっ、待って。未経験だったって……どうしてそんな事お姉ちゃんに分かるのさ?」
よくよく考えればルイの言ってる事におかしな点がある事に気付いた。
「分かるわよ。だって今日私が美味しくいただいたからね」
「えっ!!」
「放課後の誰もいない体育倉庫で。チョットと歯の浮くような台詞を二、三回吐いたら笑っちゃうぐらいコロッと堕ちちゃったわよ。フフフッ。純真無垢ではあったけども底の浅い女という点においては恋と同罪ね。まっ、所詮私と釣り合う女じゃないわ」
「!!」
足場がガラガラと崩れ落ちる錯覚に陥るイル。
「うわぁあああああああああああああああああああああああっ」
イルは大声をあげるとそのまま部屋を飛び出て、自室の布団に潜り込んでしまう。
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だぁあああああああああああああああああああああっ! 橘さんまでそんな!」
「この弱者め!」
「ゲホッ!」
ルイはイルのお腹を蹴り飛ばし、仰向けになったところで男の腕力に物を言わせ彼女を組伏せる。
「これは全部アンタが招いたことなのよ! アンタがトロトロトロトロしてたからいけないのよ!」
「お姉ちゃんの言ってる意味がサッパリ分からないよ!! おかしいよ! おかしいよお姉ちゃん! どうしてこんな事するんだよ! お姉ちゃんは僕をイジめて楽しいのかよ!」
「いいよくお聞き! 世の中はね所詮競争社会の椅子取りゲームよ。強者が先に椅子に座り幸福を噛み締め、アンタみたいなグズな弱者は椅子に座れず地べたに這いつくばる。それは恋愛に限らず勉強も仕事もなんだってそうよ! それがこれから先アンタの生きようとする弱肉強食の男の世界よ!! 私はね、いずれ遠からず男に戻るアンタにその事を教えてあげたかったのよ! グジュグジュの甘ったれな世間知らずなアンタにね! アンタにはその優しい姉心が分からないの!」
「分からない! そんな世界いらない! 僕は……ただ」
自然とイルの瞳から涙が溢れてくる。
「ねぇ、だったらイル」
「な、なんだよお姉ちゃん」
突然態度が一変してルイがイルに優しく囁きかける。
「今日から私がイルになるからアンタはルイになりなさい」
「ど、どういう事お姉ちゃん?」
「言葉通りの意味よ。私は男として生きるからアンタは女として生きなさいって事」
「え? お姉ちゃん。何だよソレ?」
「忘れたの! あの火星人が去り際に言ってたでしょ。私達の意志次第で身体を元に戻さないままでも、このままでもいいって」
「そ、それは覚えてるけど……でも」
「でもじゃない! 私はアンタと違ってあの食うか食われるかの男の競争社会が大好き! でもアンタは人と競い合うのが嫌いだし、これといった才能もなければそれを補う努力もしてないから実力もない。ないないづくしの典型的な駄目人間。できる事といったら日々自分に対しての見苦しい言い訳だけ。でも私の女の身体なら勉強なんかしなくても、実力がなくてもこの綺麗な顔だけで一生不自由なく生きていけるわよ」
「…………」
「……本当言うとね、もうウンザリなのよ。ただ女という器だけで実力を評価されず男共に見下される日々が! 私は母さんみたいに、愛だのなんだのという弱い人間共が都合のいいように作り上げたまやかしで縛られる人生は送りたくないの! 母さんみたくなりたくないのよウウウっ」
途端に泣き出すルイ。ルイの涙がイルの額にポロポロと滴り落ちる。
「私はね、自分が何処まで行けるかもっと可能性を挑戦してみたいの! こんな小さな世界でなくもっと大きな世界で、色んな人達に出逢って自分を切磋琢磨していきたいの! 私は男に、男になりたかったのよ!!」
「お姉ちゃん……分かったよ。僕今日からルイお姉ちゃんになるよ」
「本当に! 本当にいいのルイ?」
「ウン。元々男の身体にそんなに未練はなかったしさ。お姉ちゃんがそんなに嬉しいなら僕も満足だよ」
「ありがとうイル!」
「ぼ、僕もうルイだってばぁ……」
ルイがイルの華奢な肢体をギュッと抱擁する。
「その代わりさ……もう一回…………ねっ、お願い」
「アンタもしょうがない子ねぇ。まっ、いいわ。私も物足りなかったし、でもこれが最後よ。いいっ!」
「ウン」
ルイはイルに二一パック入りピルと、ゴムのような物を渡す。
「もしかしてコレって?」
「そっ、御明察。コンドームよ。無知なアンタでも流石にこれぐらいは知ってたみたいね」
ルイがクスリと妖艶な笑みを浮かべる。
「あの時は初めてで生でしたかったから使わなかったけど、今回はちゃんと使ってもらうわよ」
正にあの時の初夜は運否天賦によるところが大きかった。
それだけにルイはしばらくの間内心ドキドキしていたのだ。
「ウ、ウン……孕んだら大変だもんね」
「そっ。面倒だけどお互いの為よ」
こうして二人は互いに交わりそして、その日からルイはイルに。イルはルイとなる決心を固めた。
それからのルイはといえば、何をするにしても順風満帆。
学園生活では持ち前のルックスと話術をダシに、クラスの女生徒達と手当り次第に次々と付き合いだすというプレイボーイ振りをいかんなく発揮し、部活では陸上で全国大会に出場し堂々と大会の記録を塗り替え、勉学もより一層精進したルイには、学校側からイギリスの高校留学の話まで持ちかけられた。勿論特待生枠である。
恋も勉強もスポーツも、誰もかれもがルイを崇め、何もかもが恐いぐらいに順調過ぎていた。
「ルイさ~ん。一緒にお昼ご飯食べましょ」
「ウ、ウン……」
昼休みになって、幼馴染兼クラスメイトの恋がイルの机までやって来た。
「うわぁ~。ルイさんのお弁当なんか梅干しがやたら多いね」
「ウン。最近はなんか酸っぱいものが食べたい気分なんだ」
そう言ってお腹を抑えるイル。
「ダイエットしてるの? 確かにルイさん前に比べると少しふっくらした気もするけど、それは前が痩せ過ぎてただけで全然痩せる必要ないよ! むしろもっと太った方が健康でいいって!」
「ウン……」
イルが元気なく応える。
「でもさ、フフン♪ ルイさんも弟君がああだとお姉さんとして鼻が高いでしょ」
「えっ、ええ……」
イルが苦笑いでそれに答える。
「イル君来年にはイギリスに行くんでしょ?」
「そっ、そうなってるわね」
「すっごいよね~。イギリスだよイギリス。もうイル君とは完全に住む世界がまるで違うって感じ。ついこないだまではイル君クラスの落ちこぼれキングだったのにね」
「そうかな? 昔のイルってば、そ、そんなに落ちこぼれだったかしら?」
「何言ってるのよルイさん。姉弟贔屓もいい加減にしてよ。落ちこぼれも落ちこぼれ、完全にクラスのお荷物だったじゃない。取り柄といえば顔が良いぐらいだけど、顔が良いからこそ落ちこぼれだと余計幻滅しちゃうよね。不細工だったら別に頭悪くてもスポーツ出来なくても不細工だから万事解決の納得! って感じなんだけどさ。私イル君によく妹みたいに扱われてたけど、正直あんな赤点常習犯に妹扱いなんかされたくね――みたいな感じだったし。でも顔が良いから我慢したけどね、っていうかイル君ってさ、女の子だったらきっと幸せだっただろうなぁ……なんて思ったぐらいだもん。きっとルイさん似の美少女になってたと思うよ。あっ、でもあれだけ顔が良いなら今のままでも女装なりモロッコとか行ってアソコチョッキンしちゃってニューヨークでオカマデビューなん――」
「さっきからウルサイなぁもう! アッチ行ってよこの馬鹿!」
ズケズケ言いたい放題言う恋に、つい怒鳴り散らしてしまうイル。
「ど、どうしたのルイさん? 生理なの? タンポン貸そっか?」
「いらない……だって私ナプキン派だから」
「じゃあ紙ナプキンあるから貸してあげるね。私の重いからどっちも使ってるんだよねぇ」
「僕布派なんだ……紙はどうもオムツみたいで恥ずかしいよ」
「変なルイさん。でも最近体育も休んでばっかだし、本当に大丈夫?」
「ウ、ウン。心配してくれてありがとう。それとさっきは怒鳴ってゴメンね」
それから数日後、イルは学校に顔を出さなくなった。
姉のルイは自分の事が手一杯で、イルの事を気にかける余裕なんてなかったし、それ以前にもうイルが学校に行こうが行かまいがどうでもよかった。
両親もルイの目覚ましい活躍に夢中で、学校を休んでいるイルの事なんてどうでもよかった。
イルは孤独だった……。
時は瞬く間に流れ、とうとう火星人との約束の時まで後数時間……。
「最近お姉ちゃん女言葉使わなくなったね……」
ルイの部屋でなんとなしにイルが話かける。
「当たり前だろ。僕はもう男なんだから女言葉なんか使うものかよ。そっちこそ女の癖にいい加減その男みたいな言葉使いや、お姉ちゃんって言うのは卒業したらどうだ。今日で僕達は本当の意味で入れ替わるんだ」
「……それなんだけどさ、やっぱりお互い元の身体に戻ろうよお姉ちゃん」
「!!」
それは余りに唐突に告げられた宣告。
そしてその宣告はルイにとって死刑宣告に等しいものがあった。
「そのさ……こういうのってよくないんじゃないかな。やっぱり男は男、女は女、人間あるべきままの自然体が一番なんじゃないかって、最近僕思うんだよね」
「でもルイには男の生活は無理だよ。ハッキシ言って君は男でいるには脆過ぎるよ。今は義務教育や未成年という壁に守られてるけど、成人して社会へ出たら君は確実に搾取される側の人間だよ」
「そんな事ないよ。確かに僕は脆いさ。でも、お姉ちゃんが愚直なまでに夢に向かって頑張る姿を見て僕思ったんだ。頑張るって事がいかに素晴らしくて楽しいかが」
「ハァ――――――ッハハハハハハハハハハハハハッ」
突然高笑いしだすルイ。
「何を言いだすかと思ったら、いかにも努力をする気のない怠惰な人間が言いそうな台詞だな。頑張る姿が素晴らしい? だったら何故今の今まで頑張らなかったんだ! 女の姿だって頑張る事はできただろうにさ! 結局お前は男に戻れれば全てが変われると思ってる大甘ちゃんなのさ。よく覚えておけ。人間、ドラマや映画と違ってそう簡単に変われるもんじゃない。男に戻ったところでお前を待ってるのは虚しい劣等感と、自己に対しての見苦しい言い訳だけだ」
「…………」
徹底的に突き放すルイ。
「無駄な幻想を抱くより、大人しくどっか適当なボンボンでも捕まえて養ってもらいな。お前にはそれが分相応だよ」
「やってみなきゃ分からないよ」
「いい加減にしろよッ!!」
ルイがイルの胸倉を乱暴に掴む。
「お前がどう心変わりしようが勝手だがな、今更約束事を反故にしてもらっても困るんだよ! 僕はもう男で生きるって決めたんだからお前もしのごの言わず女として暮らしていけばいいんだよ!」
「殴りたければ殴れば? どんな風にされても僕の心は変わらないから。それにね、火星人は言ってたでしょ。元に戻りたいと思う意志を尊重するって。お姉ちゃんが幾らこのままでいたくても、僕が戻りたいと思えばそれまでなんだよ!」
「…………好きにしろ」
「えっ?」
ルイはイルの胸倉を放すとその場に座り込む。
「だからお前は落ちこぼれなんだ。Aが駄目ならそこでお終いだと思ってる。そうじゃない。Aが駄目ならBで行く。Bが駄目ならCで行く。優秀な人間というのは常に色々なパターンを想定しているものだ」
「ね、姉さんは男の身体が欲しかったんじゃないの!??」
「欲しいさ。喉から手が出る程欲しかったさ。なんたってこの社会は女より男が有利なようにできてるからな。だが、不利には違いないが女の身体でやっていけない事もない。女の中には極々僅かだが社会の勝利者になった奴もいる。僕もその一部になればいいだけの話だ。今の数倍、いや数十倍、血反吐の吐く思いをしてでも僕は登りつめてやる!」
ルイの中で新たな決心が芽生え始める――が、
「無理だよ。だってお姉ちゃんはもう直お母さんになるんだから」
「なっ、なんだと!!」
その決心をつき崩されるような事実が弟の口から出た。
「お姉ちゃん……よっぽど僕の事見てなかったんだね。もう十ヶ月にもなるのにね」
「あ……ああ…………う、嘘だ」
イルの言う通り、確かにイルのお腹は大きく膨らんでいた。もういつ産まれてもおかしくないくらいには。
そんなイルのお腹を見てただただ驚愕するルイ。
「そ、そんな…………いつだ。いつの事だ。そっ、そうか。お前って奴は僕以外の男に抱かれたんだろ! そうなんだろ!」
再びイルの胸倉を乱暴に掴むルイ。
「フフフッ。僕、シスコンだからさ、お姉ちゃん以外の人に興味ないんだよね。お姉ちゃんまだ分からないの? 僕が根付いたのはお姉ちゃんと二度目にした時だよ」
「嘘つけ! ちゃんと避妊はした筈だ! ピルだってコンドームだって……」
「クスッ。しっかりしてるように見えて意外に抜けてるよねお姉ちゃんって。あんな錠剤呑み込まずに直に吐き出したし、コンドームなんて穴を空けてしまえばなんてことはないよ」
「う、嘘だ……」
イルの胸倉から手を放し、その場で放心したように崩れ落ちるルイ。
「あ~、安心していいよ。僕が妊娠してる事はお母さんもお父さんも知ってるから。二人共、お姉ちゃんが一生独身でいるんじゃないかと思ってたのか、子供ができて大喜びだったよ。馬鹿だよね大人ってさ。相手が誰かも知らずにね……」
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ」
その場で頭を抱えて叫び狂うルイ。
「ヒィーッヒヒヒヒフフフヒヒッ。そっ、その顔! 僕はその顔が見たかったんだ! その顔だけで十回はイッちゃうよ! 僕はねぇお姉ちゃん、いつだってお姉ちゃんに見下されてきた。それこそ物心ついた頃からね。きっと女のお姉ちゃんからしてみれば、男の癖に怠惰な日々を送ってきた僕が憎らしかったんだろうね。でもね、そんな僕を見下すお姉ちゃんが自分の性別で悩み苦しんでる様は最高のオカズだったよ。僕はそんな哀れで惨めなお姉ちゃんが誰よりも好きだったんだ! そう、誰よりも! そしてそんな現実に苦悩するお姉ちゃんをこれからも僕は見ていきたい! いや、今以上に苦しみもがく姿を僕は見たい! 近親相姦で子供を産んだ事が周囲に知られ世間から迫害され人間失格のレッテルを貼られた母親を演じるお姉ちゃん! それを僕は誰よりも近くで見たい! そう! これは僕にのみ許された特権なんだ! お姉ちゃんは一生僕だけのものだ! 永遠に放さない! 手放さない! お姉ちゃん! 僕の為に一生絶望に打ち拉がれてくれ! 苦しみぬく様こそ貴女は美し――ぃいいいお……お姉ちゃん?」
笑い狂うイルの胸元に! 自分の胸元に! ルイが深々と包丁を突き刺した!
「冥府魔導に堕ちゆく哀れな弟よ。せめてもの手向けだ。この姉の身体を棺に旅立つがいい」
それだけ言うとルイはイルの胸元から包丁を引き抜く。
ルイの両手にはイルの――いや、自分の真っ赤な血がこびりついていた。
「う、ううう……あ、あああ…………」
包丁を刺されたイルは前のめりに倒れ込み、首を上げ姉のルイを見上げると、
「お、お姉ちゃん…………こ、これで……一生おね…………はぼ、ぼく………………の――」
事切れてしまった。
弟の紫の美しい瞳は最後まで姉を見ていた。
姉の紫の美しい瞳は最後まで弟を見ていた。
何処となくだが、物言わぬ死体は幸せそうな顔をしていた。
「まさか君がこうして来てくれるなんてね、ルイ君」
「地球より宇宙の方が住み易そうだと思ったまでですよ」
「子供は連れて来なくてよかったのかい?」
「…………」
現在僕が乗船しているのは火星人の宇宙船で、つい先程船は地球の大気圏を抜けたばかりだ。
僕は火星人に二つのお願いをした。
一つ目は今こうしてここにいるように、自分を火星人のいる星まで連れて行く事。
二つ目は僕が殺したイルのお腹にいた赤ん坊、その子の救助だ。
火星人は実験に協力した僕には恩義があったので、その願いを二言返事で聞き入れた。
僕がイルを殺した事に関しては、火星人は何も言わなかった。
恐らく異星人による必要以上の干渉を避ける為であろう。
「男だったんですよねあの子?」
「ああ。可愛らしい男の子だったよ」
「じゃあ、平気ですよ。地球は女より男の方が住み易くできてますから……」
「そうか……」
火星人はそれ以上何も言ってこなかった。
「それより、最後にもう一つお願いがあるんですが」
「言ってみたまえ」
「僕をルイって呼ぶのは止めて下さい。ルイはイルと一緒に死んだんです。今の僕はイルでもルイでも、そのどちらでもないんです……」
その時の僕は一体どんな顔をしていただろう?
「それじゃあどう呼んだらいいかな?」
「とりあえず言葉とだけ呼んでくだされば」
「分かったよ言葉」
僕は火星人のその返事だけを聞くと、宇宙船の窓から見える惑星――地球を眺める。
徐々に小さくなっていく地球を見ながら、僕は深い眠りに落ちていった。
さようならイル……さようなら…………ルイ
終わり
短編集を書くのはこれが初めてです。
拙い文章ではありますが、是非、読んで下さると嬉しいです。