七枚目・ツインタワー攻略戦
ツインタワー・東塔の中は異様な程に静かだ。
休日でも、祝日でも、記念日でもない営業時間である筈の仕事場には人の気配は無く、時を刻む針の音だけが響いている。
そんな場所に二人の若き青年が訪問した。
正面入り口を勢いつけて開け放つ堂々とした二人の入店に合わせて微かな風も入店し、ロビーに飾られた観葉植物を揺らす。
受付カウンターの上には用紙が二十枚ほど積まれた状態のままで、窓際にある来客専用の憩いの場には、生温かいコーヒーが淹れられた二つのマグカップが放置されたままの状態となっている。
これらは明らかに人が居た形跡であり、まるでこのツインタワーが『戦場になる』と計画されたような対応だった。
「ここは静かだな」
「そうだな。きっと上からが騒々しいぞ」
一階には何も無いことを確認して二階へと足を運ぶ二人の青年は、真顔のまま剣と銃の二つの武器を手の中に出現させた。
そして二人が睨んだ二階では、荒々しい雰囲気が満ち溢れている。
重火器を運ぶ者であったり、長い廊下に罠を設置する者であったり、地下から小型の大砲を持ってくる者であったりと、非常に大きな騒ぎである。
勿論のことだがツインタワーはビジネスをする場所であり、喧嘩をする場所でも、ましてや戦争をする場所でもないのは当たり前だ。
いつもならばスーツ姿の者達が大切な書類を片手に廊下やロビーを行き交うのが日常の光景となっている。
しかし、今日だけは違った。
そのスーツを着こなした者達による大騒ぎの準備が始まっている。
「雷神爪の設置を急げ!」
「設置完了」
床には雷神爪と呼ばれる地雷に良く似た対人用の兵器を設置している。
この上を通過した対象物に電気を流し、気絶させたところを捕獲するという道具。あり得ない程の下準備は軍がドン引きするレベルのもので、一個小隊を相手にする様な感覚である。
だが実際のところは違い、大量の重火器や罠は『これから訪れるだろう』と予想した二人の人間の為に用意した物だ。
「敵は二人だ。揃って前方の扉から入って来る。その瞬間に殺ってしまえ」
リーダー格らしき男が前方の扉を指差す。その扉は一階から上がってくる為の唯一の通路として使われているもので、二階以上には行くことのできない通路。避難通路は別にあり、今現在だけは頑丈なバリケードによって封鎖されている状態で、立ち入る事は不可能となっている。よって一階から二階に上がるにはそこを通る以外の方法は無いのだ。
スーツ姿の集団はライフルや散弾銃を始めとした殺傷能力が高い武装をして前方の扉に向けて身構える。指を一本動かすだけで標的を簡単に殺せる状態を保ちつつ、来るべきであろうその時を静かに待つ。
「心配は要らん。たった二人のガキを始末するだけだからな」
足音が聞こえた。武装する集団は誰一人として動いていないことから、足音は侵入者とする二人の青年の物と推測された。
「構え!」
リーダー格の男の一言により緊張感は一層に高まる。足音と兵器を握りしめる握力の音しか聞こえない空間に、自身の鼓動という音が参加する。
そして、次の瞬間には足音だけが止んだ。
防弾製ではない自動扉が左右に開くのを見て標的を見定める。
足音が止み、扉が左右に開くまでの間の時はスローモーションだった。
「ハロー」
扉は開かれたが、そこには一人ので笑顔を浮かべる青年の姿しか確認できなかった。そんな予想外の光景に一瞬の躊躇はあった。
しかしその躊躇は、決して『相手が子供』という罪悪感によるものではなく、『二人ではないのか?』という誰にでも無い架空への問いかけによるものだった。それに加え『何故あんなにも微笑む余裕があるのだろう?』という疑問もあった。
「それで誰を殺すつもりだ?」
その一言はスーツ姿の集団の背後から聞こえた。若い男の声だ。
後ろを確認するのが先か、前方の男を始末するのが先か、スーツ姿の者達は脳をフルに働かせて考え悩んだ。その結果、全員が振り返る為の時間差を考えて前方の男を始末することを選んだ。
「先ずは一人だ!」
そう叫んだのはリーダー格の男だったが、その後に続く筈の銃声が聞こえなかった。指は動いているのに、ロックは掛けていないのに、絶対に役目を果たさない兵器達。
「何故だ?」
その原因を確認する為に全員が目線を手元に向ける。
そして原因は意図しない形で直ぐに発見できた。
「銃口が………、無い?」
スーツ姿の集団の内の一人がそう呟いた通り、武装していた銃の先は無かった。もう少しだけ正確に言うとすれば、銃全体の上半分が鋭利な刃物で綺麗に切られていた。それらは最早、銃と呼ぶに相応しくない形をしている。
「何だ……、これ………」
全くの予想外の展開に混乱するのは当然のこと、これが帝国軍のプロであったとしても同じ混乱に陥っていただろう。
これは決して『仕方の無い』で片づけられる物事でも、少し考えただけで解決できる問題でもないのだ。
「お探し物はこれか?」
背後に立つアルベルドが黒い鉄の塊を片手に近寄る。
最初はその黒い鉄の塊が何なのか誰にもわからなかったのだが、スーツ姿の集団の内の一人が震えた声で言い放ったことで『何か』がわかった。
「俺達の銃が………」
一瞬で場は凍りついた。言われてみてわかったのだ。
剣を持つ青年の手に握られているのは『先程まで自らが武装していた武器の一部なのだ』ということを、アルベルドの足下には斬られたと同じ数の銃の部品が落ちている。全員が疑うことを知らなかった。
「でもどうやって、いつの間に後ろに回ったんだよ………」
そして、ここからの人間は二手に分かれる。
「無理だ。勝てるわけが無ぇよ」
圧倒的な道の力を前に心が折れて戦意を喪失する世渡り上手と、
「銃が駄目なら剣だ!」
最期を知るまでは止まることを知らない馬鹿の二つに………。
そんな一匹の馬鹿がアルベルドに向かって突撃を開始した。
「おりゃゃゃゃ!」
その一匹の馬鹿というのがリーダー格の男だ。
大きな奇声を挙げるのは恐怖心を抑え込む為のものだということを、剣を片手に持つアルベルドは知っている。大半の奇声は負けに繋がる連鎖だということを知っているのだ。
「お前はここで沈んでろ」
体勢を低くして男の一撃を流しつつ、下から顎の位置を確認する。
そのまま勢いをつけて柄の部分を使い顎へと強い一撃を浴びせた。
「がはっ!」
一本の前歯が折れて唾液を飛ばす。アルベルドにとって流れ作業でしかない動き。唾液の次に血を吐き出した。どうやら舌を噛んだらしい。
「まだやるか?やるならさっさと来い。逃げるなら追わねぇから」
恐怖が伝わった。『この男に逆らうな』と、自身の抑止力が告げる。
スーツ姿の集団がどれほどの場数を踏んできたのかは、知らないし知りたくもない。ただ一つ確かな事がある。窮地に立たされた人間程に簡単な動物は居ないという事だ。
アルベルドが睨み、そして剣を空振りした途端にスーツ姿の集団は解散となった。
「無様な背中だな」
「お前が強いのよ」
威張るアルベルドに漫才師的なツッコミを胸に入れるロイ、そんな二人はゆっくりと上を見る。
「やっぱり最上階まで行かないと駄目な感じ?」
「体力は同じでも精神的に若いアルベルドさんだったら朝飯前でしょ?」
「お前の髪の毛を引っこ抜いてやろうか」
ズシン―――。
ゴロゴロゴロ―――。
突然の揺れが異音と共に二人を襲う。
「何だ?」
揺れは地震ではなく、異音はイベント会場からの爆発音ではない。
明らかにその二つは上からの怪奇音だった。
「アルベルドさん、何か来ますよ」
「あぁ、高確率でデブキャラだな」
近づく脅威は音と共に少しずつ大きくなっていく。
そして、
バキバキバキ―――。
アルベルド達が入ってきた扉とは正反対にある避難通路から乱暴な音が発生。それは頑丈なバリケードを無理矢理にでも突破した音だった。
最初はズシンと聞こえていた足音らしき音も、近づけばゴスンという音になっている。
「お出ましですな」
目の前に立つのは健康的な色をした肉の壁だった。天井までの高さは三メートルぐらいあるのに対し、目の前の肉の壁は天井に到達する手前までの高さがある。目視で二メートル超え、肉の壁の身長が推測される。
そして忘れてはいけない。肉の壁は生きた人間だという事だ。
一体どれだけの高カロリー料理を摂取する日々を送ればこんな肉体が手に入るのだろうと、深く考えさせられる程の肉でコーティングされたボディは圧巻の一言に尽きる。スーツ姿ではなく緑色の防刃ジョッキを装着した肉の壁は、一言も言葉を発すること無く上からゴロゴロと鎖に繋いで引きずってきた直径四十センチ程の黒い鉄球を肩に担ぐ。
「ロイさん、こいつは中ボスみたいな感じですか?」
「漫画に二回ぐらい出てくる奴だな」
「じゃあ、そんな奴って言えば―――」
鉄球が投げ飛ばされる。鎖がピンと張るまでには至らない力で飛ばされた鉄球は、二人を潰すには丁度の距離であり、風を押し退けるようにして向かってくる。
「恐れることはない雑魚キャラだ」
二つの声が合わさると同時に二人がカウンター攻撃を仕掛ける。
ロイの銃はライフルとなり太い鎖を撃ち抜いて砕いた。
「流石の『銃のメダル』だわ」
アルベルドの剣は足の腱を切る。
苦痛の表情を浮かべる肉の壁は跪く体勢で脆くも崩れた。
「お前さん、本気で見かけ倒しだな」
優しく微笑むアルベルドが吐き捨てる様に言う。
経済の発展場となる予定のツインタワーの地下には、ちょっとした広さを誇る通路があるのだが、その存在を知る者はごく僅かしか居ない。
寒く、薄暗く、聞き慣れない動物の鳴き声が響く狭い通路。
そんな通路を左手に持ったライターの灯だけを頼りに突き進む一人の男が居た。男の右腕は肩から下が全く動かせない状態となっている。
歩く度に激痛が走り、振り子の様に小さく振れる腕を気にもせず、喉を通る息は荒く、脂汗が額を濡らす。そして一心に前へと突き進む。
かなりの広さを誇るこの通路は開かずの扉とされているようなくらいの、太い鎖が何重にも巻きつけられた異様な扉から侵入したダンジョンである。
窓も無く、光も無く、風も無い暗闇のダンジョン。太陽とは関係の無いそのダンジョンは高確率で裏仕事に使用するものだということがわかる。
「派手にやり過ぎたか?」
男はここに侵入する際に、手榴弾を三つ使用している。
一つ目は威嚇と錯乱の為、二つ目は外壁の破壊の為、三つ目は追っ手から逃れる為、ただし三つ目の時に考えも無く投げたので、爆風によって自らも吹き飛ばされた挙句に右肩を負傷してしまった。今では後悔は無い、ただ幼い妹を助ける為の仕業だ。
捕らわれた妹の名はレイア・ウェルテスタ、そして無様にも助けに向かうのが右肩を壊した兄であるバートン・ウェルテスタである。
「レイア、待っていろ」
この二人の間には全く接点など無かった。
兄のバートンはレイアがまだ物覚えの無い頃に家を出ている。
レイアは両親と姉のエメリアから兄の存在を口答で聞かされただけのもの、兄という存在自体に対しての抵抗は『超』が付く程にあった。
突然に現れた『兄』という存在にレイアの心が大きく揺れ動いているのに対して、バートンの心はこれ以上無いくらいの喜びに満ち溢れていた。
それは心の底から『また出会えた』という喜びだった。
バートンは全てに決着をつける前に、レイアとゆっくり話をしようと思っていた。汚いと罵られようと構わない、自らが犯した闇の部分も全て晒した上で、レイアに『自分という存在』を知ってもらう為に………。
だが、その矢先の出来事となった。
「お前は、俺が必ず助ける!」
捕らわれている大凡の場所の把握はできていた。
一応と思い地図を描きながら進む、一度だけ地下通路を市長の人体実験に付き合わされることで通っていたので、そのことが幸いした。
物覚えの優れたバートンは市長や建設業者よりも馬鹿広い地下を理解している。後は十個の牢屋の中からレイアが入っている牢屋を見つけ出すだけである。
「レイア!どこに居る!」
「お兄ちゃん?」
近くからの声だ。
「レイア、そこか?」
「お兄ちゃん!」
二つ目の牢屋にてレイアを発見できた。
「お兄ちゃん。どうしてここに?」
「そんなことはどうでもいい、今すぐにここを出るぞ」
牢屋の鍵は一つ目の手榴弾を使った際に、警戒中の警備員から入手済み。
「違う………、これも違う!」
お目当ての鍵の他にも二十個もの不要な鍵が一緒に付いており、慌て震える左手で一つずつ乱暴に鍵穴へ刺していく。
「お兄ちゃん後ろ!」
レイアの叫びが地下中に響いたその時だった。
ゴッ―――。
鍵に集中していたバートンの背中に衝撃と同時に激痛が走った。
「うっ、あっ………」
意識が遠退くのがわかる。だがバートンは気力で踏ん張った。
歯を食いしばりながら勢いつけて振り向き、小さな鍵の束を武器として使用する。振り回した鍵束が背後に立っていた二メートル近い大男の胸に軽く触れた。大男の上半身は裸で、片手には直径十センチ、長さ一メートルの木製の棒が握られている。
「倒れないとは、君はかなりのタフだね」
大男の後方から聞き覚えのある声がした。ゆっくりと、更にゆっくりと、大男を押し退ける形で聞き覚えのある声の持ち主が近づいてくる。
「ヘンリー・レトワール!」
バートンが口にしたその名は誰もが知っている名だった。
炭鉱都市・ゴリムクラムディの権力者でありながら、反組織であるキャンセラーと裏で繋がる大悪人。
そしてツインタワーに市長として居座る初老男。
「そうだ。私がヘンリー・レトワールだが?」
声高らかに胸を張る市長の顔は満面の笑みが支配していた。
その笑みは普段のものとはかけ離れたもの、絶対なる悪が宿った笑みである。市民の上に立つ市長という立場の人間が見せてはいけない顔が鋭く向けられた。
「おや?たった一人で救出とは、御苦労な事だな」
「黙れ、このクソッたれ!」
「うん。いけないな」
ヘンリーが片手を使い大男に合図を掛けると、大男は持っていた棒でバートンの腹部を重く突いた。
「ぐっ、おえっ」
バートンの口から粘着力の強い唾液が滴り落ちる。
乱暴な力の前に蹲る兄の姿は、牢屋の中から見ているレイアにとってかなりの衝撃となる。何も言えぬレイアの心中はきっと、恐怖と同様の二つで支配されてしまっているのだろう。
「ギルドの片割れが来ると思っていたが、まさか君が来るとはね。以外だったよ」
「………っ!」
苦痛に歪めた顔は地面ギリギリまでに達し、古臭い土埃が容赦なく鼻を刺激する。
「あまりの激痛に声も出ないのか。しかし、あのギルドの者達の方が倍以上の激痛を味わっておるかもしれんぞ?何しろ相手が悪いからな」
バートンは蹲ったまま抵抗を見せない。しかし震える背中を確認したところ気を失っているわけではなさそうだ。そんなバートンの姿を確認したヘンリーが大男に次の合図を掛ける。
「妹と一緒に展望室へ連れて行け、面白いものを見せてやる」
長い階段を駆け上がるのはギルドの二人。エレベーターという有名かつ便利な機械を無視しながら反組織の雑魚共を蹴散らす無双モードに突入している。人間本来の『楽がしたい』という我を抑止して進む二人を誰も止めることはできない。
「なぁロイ先生。これって『俺達が疲れるのを待つ作戦!』とかじゃない?」
「そんな気がしていたよ。でもエレベーターに乗って電源止められたら即終了だし」
「それは絶対にあり得るな」
二階から駆け上がること三十分が経過している。現在の階数など覚えている筈もなく、逆に確認する気にもなれない。出てくるのは雑魚ばかり、目標は市長ただ一人だけ、一室ずつ丁寧に調べているが市長の姿は見当たらない。それどころか鍵の掛かった部屋が大半のハズレばかりである。
この調子で進めば日が暮れる上に披露で倒れることは間違のない事だ。
「おいテメェ、市長はどこだ?」
踏み倒した雑魚敵の中の一人を半殺しの上で捕獲。
「知るか、知っていても教えるかよ」
アルベルドがブチッとなって拳にて渾身の止めを刺す。
時折このパターンが見られるばかりで居場所は全くわからない。
「ロイ、俺思ったんだけどさ、幹部クラスを叩けば何か掴めるかも」
「その幹部クラスの敵さんはどこよ?」
「だからさ、如何にも幹部っぽい奴を探そうぜ?」
答えの見つからないキャッチボールなどやるだけ無駄というもの。
ロイは呆れアルベルドは何故か笑顔になる。エメリアのアルベルドに対する『子供扱い』の真意がわかった気がした。
「………ガキだな」
「ん?何だ?」
「いや、何も」
ツインタワーの階数は八十八。これは市長が『八』が好きという想いがあり、それに合わせて建設されたものだ。耐震性もあり頑丈な要塞としても活躍を期待させるツインタワーには欠点というものが一つも見当たらない。
「この階の部屋はあそこが最後だな」
ただ一つだけ無理矢理にでも欠点として評価できるものがあるとすれば、それは二つの塔を繋ぐ為に造られた不自然な『たった一本の連絡通路』である。それもこの通路は八十八もある階数の内の、三十という低い階数に造られている。これだけの階数を誇る塔であれば高い階数にもう一本造られても良い筈なのだが、何故か造られていないのが不自然な欠点と言える。
「誰か居るか?」
扉を開けて中を窺うが、そこには誰一人としての姿は無い。
これまでの経験からすれば、鍵が掛かっていたり、雑魚が堂々と待ち構えていた上での戦闘であったり、雑魚が隠れていた上での急襲の戦闘であったり、ごく稀に仕事熱心な一般人が居たりと様々だった。
しかしこの部屋は違った。今までの経験には当てはまらない新ジャンルだった。その上、畳仕様の道場みたいな部屋である。
そんな部屋のど真ん中に設置された座布団だけが、これまた変わった不自然さを生み出していたのだが………、
「ここも違うみたいだな。よし、次行くぞ」
その事にロイは気づいていなかった。
「なぁロイ、何か居るぞ」
気がついていたのはアルベルドだけだ。
「何だって?どこに?」
不自然な部屋に不自然に置かれた一枚の座布団。そして不自然に潰れたその座布団。まるでこの座布団の上に『見えない何者かが静座しているような潰れ方』をしている。
「ロイ、危ねぇ!」
危機を感じたアルベルドがロイを蹴り飛ばす。
その勢いに押されたロイは手で咄嗟にドアノブを掴み廊下に放り出される。ロイによって扉が閉まり内側から自動ロックが掛かる。
その直後に内側から鋭利な何かが突き刺さる異常音がした。
「急に何だよ!」
「いいから先に行ってろ。どうやらこいつが―――」
座布団から立ちあがった何者かが、何も無い空間から漆黒のスーツを纏った上に仮面を付けた姿を見せる。
「俺に用があるらしい」
座布団から立ちあがった人物。その正体はアルベルドの前に幾度も立ち塞がった謎の暗殺者だった。しかしその謎もツインタワーで対峙したことによって明らかとなった。
「やっぱり市長の手先だったか、まぁ予想していた結果だったけどな。会いたかったぜ、プロの殺し屋さん」
「奇遇だな。俺も会いたかった。この手で始末する為に」
ドン―――。
鳴り響く一発の銃声は廊下からのもの。どうやらロイの前にも敵が出現したみたいだ。
「そっちの数は?」
『わからんな。連絡通路を渡って大量発生中だ』
自然と会話は終了する。互いに集中しなければ乗り越えられぬ敵と対峙する。アルベルドは動けない。鋭利な小型ナイフによって服が扉に縫い付けられた標本状態となっているからだ。先程の異常音は剣が突き刺さった音によるものだ。
アルベルドは研究室で晒し物とされた虫の気持ちを実感しつつ、一本のナイフを丁寧に抜いて暗殺者へと返還する。
「何故に返す?」
「正々堂々って事だ」
「良い心掛けだ。しかし逃がさん」
「別にいいよ、俺が勝つから」
「そうだといいな」
先ずは畳を蹴る音がした。その次に剣を強く握る音が続いた。
近づいたのは暗殺者の方からだ。本気の殺意を抱いた瞳は確実にアルベルドの喉を狙い、必要な力だけでナイフを振るう。後ろとの距離感を掴んでいなかったアルベルドは一歩退いたところで後頭部を壁に接触させたが何とか回避できた。
しかし一撃目を避けたところで暗殺者の殺意の思考は止まることを知らない。二撃目、三撃目、四撃目と鋭いナイフが振るわれた。
「ガキでもギルドだな、数々の死線を乗り越えてきたと見える」
「そりゃどうも」
攻撃を受けてばかりのアルベルドではない、タイミングを見計らって剣を振ったりもしている。だが当たることはなく、ただ風を切るばかりだ。
「剣の扱い方が雑だな。まるで本物のガキの太刀筋だ」
「そりゃ最悪だ」
暗殺者は二本目のナイフを持ち、スタイルを二刀流に変える。
戦闘はここから更なる激化を見せる。研ぎ澄まされた二本のナイフが不規則なリズムに乗ってアルベルドを襲い、誰がどう見ても暗殺者からの一方的な攻めが続く。六十四枚もの畳が敷き詰められた大広間での攻防も、そんな戦闘では数秒後に壁と背中が出会ってしまうピンチを招く。
暗殺者はアルベルドの動きだけに気をつけるのに対して、アルベルドは常に迫る壁との距離感と敵の攻撃に気をつけている。
「どうした?守るだけでは進まんぞ」
「そんなもんくらいわかってんだよ!」
勢いに任せて下から上に振り上げた剣がナイフを弾く。
「一本になっちまったな」
一瞬だけ天井に突き刺さった自身のナイフを見上げた暗殺者は、直ぐに三本目のナイフを懐から手中に加えた。
「増やせばいいだけのこと」
「あぁ、そうですか!」
後少しで壁に背中を預けることになりそうだったが、そのピンチは無くなった。アルベルドの猛反撃が始まったからである。
「俺に一撃でも入れたら見逃してやるぞ?」
「馬鹿言うなよ。百くらい入れてやるから覚悟しとけ」
蝶の様に舞い、蜂の様に刺す。その言葉通りにはいかないが、何とか蜂の様に刺そうとしている動きはできている。
アルベルドの剣は『本物のガキの太刀筋』と評価されてはいたが、突く攻撃の際には苦い顔をして避ける暗殺者の姿がある。
それだけは高評価されていると見える。
「オラオラ、さっきまでの威勢はどうした?」
「………」
守りに入って無言となった暗殺者。しかし先程までのアルベルドとは違って、壁との距離感の確認はしていない。まるで『いつでも攻めに転じることができる』といった雰囲気だ。
相手の背後に迫る壁を見たアルベルドは一気に攻め立てる。
「これで終わりだ!」
その言葉通り、暗殺者を追い詰めた気分に酔い痴れた。
しかしその時、ザクッとした音が聞こえた。
「えっ?」
直後に襲う激痛が一つ、右脇腹を切られたものだった。
一瞬の時が止まる感覚に釣られて体の動きも止まる。
「やはり一本では楽しめんな」
完全に攻めていたアルベルドは気がつかなかった。
暗殺者の履いた靴の尖端から鋭利なナイフが飛び出していたことに………。
「仕込みだ。当たり前の武装だ」
左足のナイフが右脇腹に突き刺さったのだ。剣を握る力が揺らぎを見せる。それにしても何と柔らかい体なのだろうか、それは足が相手の脇腹に届く事ではなく、その届いた足自体があり得ない角度で曲がっている。
通常の動きであれば膝は後ろへ曲げる事しかできないが、暗殺者の足は確実に違った。通常の曲げられる一方向とは真逆の方向に曲げられている。
「いつまで刺してるつもりだ!」
キン―――。
剣で暗殺者の足を薙ぎ払うと高い金属音が響いた。
「何だ?」
流れる血を一瞬の内に確認し、暗殺者の足を凝視する。
「不思議だろう?あり得ない方向に曲がる体を目の当たりにするのは」
ナイフを使いビリビリとスーツの一部分を破いていき、金属音の正体を露わにしていく。
「金属製の義足。俺だけに与えられた特注品だ」
銀色に光り輝いた足、油によって少々の汚れを纏った足、数十個のネジと鉄板が組み込まれた足、その他の言葉は不要だ。これであり得ない方向に曲がった足の正体がわかった。
続いて暗殺者は上着を脱いだ。すると重量感が溢れ出る機械の体が露わになった。頭部以外が機械の体という凄まじいくらいの狂気を感じる。
「足だけではない。この腕も、この胴体も、首から下は全てが機械だ」
それは『サイボーグ』と呼称することが望ましい体だった。
「市長に与えられた体か?」
アルベルドの声が震える。それは怒りによるものだった。
「違うな、俺がこれまでに任務を遂行した報酬で造った体だ」
心臓部だと思われる胸部には一枚のメダルが埋め込まれている。メダリストの証拠だ。
「テメェ、それで満足なのか?」
声の震えが更に激しくなる。
「いや、満足とは到底言えぬ。何故なら―――」
暗殺者は畳を蹴る。そしてナイフを突き立てながらアルベルドの喉を目指す。機械の体は重い筈だ。だが暗殺者の動きに重量感などは微塵も感じられなかった。それは幾つもの戦闘によって扱い慣れた証拠といえる。
「貴様を抹殺していないからだ!」
もう隠すことは必要としない。何故ならば全ての力をアルベルド抹殺に向けて捧げているからだ。ドスッという足踏みの音も、ガシャンという関節部の音も、全て気にすることはない。
全身全霊を込めて『アルベルド』という肉塊を作り上げるだけだ。
「俺が『目的を達成した』と思う瞬間はいつだかわかるか?」
ナイフを間一髪のところで回避。落ち着いた表情で剣を振るい、突き立てられたナイフを弾き飛ばした。暗殺者は怯みなど見せず、直ぐに胴体の中に収納されていた新しいナイフを取り出して構える。
「雇い主に褒められた時………、違う」
両手にナイフを持ちながら暗殺者の姿は透明になって消える。
そして声だけが部屋中に響く。
「報酬を受け取った時………、違う」
次に足音が追加される。畳には不規則な動きで足跡が付けられていき『ある程度』でしか暗殺者の立ち位置の把握はできない。
「この手で目標の命を絶った時だ!」
暗殺者の高らかな声がした直後のこと、アルベルドの目の前に一本のナイフが空間の中から現れた。これで勝負が決まったのだと、暗殺者は透明になりながら勝利の笑みを浮かべる。
けれども、勝負は決まらなかった。
「っこの馬鹿野郎がぁぁぁぁ!」
アルベルドの重い拳が、渾身の一撃が、暗殺者の顔面を抉る様にして殴りつける。
と、同時に仮面は縦に亀裂が入り二つに割れ、やっと素顔が拝めるようになった。暗殺者にとっては何が何だかわからぬ緊急事態に陥る。
先程まで勝利を確信していた筈の自分が何故に殴られたのか………。
それだけではない、その他にも色々とわからないことはあった。
ブッ飛ばされた暗殺者は割れた仮面を確認すると、空いた片手で素顔を覆い隠した。
(何故だ!俺の位置が把握できたとしても、それ以前に何故ナイフを避ける事ができた?)
暗殺者が扱うメダルは『透明のメダル』といわれる一枚。
自身の体と、自身が装備する任意の物であれば共に姿を消せる暗殺に適した能力。しかし任意の物でも自身から離れた物は半径三メートルまでであれば消えたままの状態とされ、その距離を超えれば実態が浮き出てしまう。
そんな便利な暗殺能力が、何故に剣一本だけの子供に避けられるのかが謎だった。透明の力だと知らぬ上に予測不可能の攻撃は、反射神経が良いだけでは回避不能の完璧な攻撃だった筈だ。それなのにも関わらず、アルベルドの動きはカウンター付きの完璧と言わざるを得ないものだった。
「俺の能力は全てにおいて完璧の筈だ。逆にお前の能力は単に斬りつけるだけの一本の剣じゃないか!何で避けることができた!」
怒りに任せた暗殺者の発言は風に問いかけるのと同じで、アルベルドには届かなかった。
アルベルドは聞く耳持たずの状態だったのだ。
「テメェがどんな人生を送ろうと他人の俺には所詮は関係の無いことだ。勝手に生きて勝手に死ねばいい、だけどな―――」
剣を握る力が声の高ぶりと共鳴する様に強くなる。
「『最低な趣味の為に体を改造した』ってことだけは許せねぇ!」
轟く声が、見えぬ覇気が、暗殺者の素顔を覆い隠す手を下ろす。
怒るアルベルドと虚ろな暗殺者。アルベルドの前に現れた一つの素顔は、化け物と呼ぶには相応しい顔だった。
「その顔は………」
髪は鬘、瞼は無く眼球は白一色、鼻と呼ばれる山の位置には二つの歪んだ穴、二枚の唇は削がれて茶色い歯茎と偽物の歯だけが見えている。
更には眼球から微量の涙が流れ、二つの穴と口からは異様な呼吸音がしていた。その呼吸音は町中で戦った暗殺者からの呼吸音と、ツインタワーにてお見送りしてくれた執事の呼吸音と完全に一致していた。
そしてアルベルドはツインタワーでこの呼吸音を聞いた時から『こいつは町中での暗殺者と同一人物』と感づいていた。
ツインタワーを出る時にアルベルドが言った『絶対に出会えるさ』とはこの事、それは小さいながらも一つの確証だった。
そして暗殺者は誘っていた。アルベルドという一つの標的に、久しぶりに本気を出せる標的を逃さぬように、ワザとアピールして誘っていたのだ。
「己でやったものだ。後悔はしていない」
「何で………、何でそんな―――」
「人殺しの為だ。他は何も無い」
全ては『殺し』の為に、誰に捧げるわけでもない自身の『趣味』の為だけ。一つの顔を作って敵を騙し、また顔を作って敵を殺し、そうやってこれまで生きてきた。
たった一人の暗殺者は『仕事』と、全てを片付けて説明する。
そんな暗殺者をアルベルドは睨む。
「不機嫌な顔だ。でもそれが普通だろうな、今までこの顔と対峙、若しくは向き合ってきた奴は皆が同じ顔をしていた。何も思わんよ」
「後戻りはできねぇんだぞ」
「そうだな、できないな」
何も苦痛ではない。いや、『心の苦痛』を知らぬ顔を暗殺者は浮かべている。音楽好きな者が楽器を買って演奏する様に、漫画好きな者が一本のペンを握って絵を描く様に、暗殺好きな者が凶器を使って人を殺す様に、自らのやりたい事の為に己を磨き、日々精進していく、失敗は『嫌』なだけで『苦痛』ではなかった。
「親から貰った大事な体だろうが!」
「フン、ガキのくせに知ったような口を………。そんなに俺が自身の体を傷つけた事が不満なのか?さっきも言った筈だぞ、『後悔はしていない』とな」
そう言いながら改造された機械の体から次々とナイフを取り出しては指と指の間に挟んでいく。挟んだ本数は両手合わせて八本、どれも鋭利に磨かれた綺麗なナイフだ。
「それに貴様は言った筈だぞ?『テメェがどんな人生を送ろうと他人の俺には所詮は関係の無いこと』だとな。矛盾しているじゃないか」
不敵に笑いながらの嫌味口調で言う。言われた事は正論として筋が通ったもので、アルベルドは何も反論はしなかった。
研ぎ澄まされた八本のナイフを前へ突き出し、身を低くしてアルベルドへと突撃する。
「他人の趣味だ。貴様の様なガキにガタガタ言われる筋合いは無い」
片手の四本を上から下へ、もう片方の四本を左から右へ、まるでダンスを披露するかの様な立ち振る舞いでアルベルドを壁際に追い詰めていく。
「テメェの言う事には一理ある。でも………、それでも俺は認めねぇ!」
「何が気に入らない?お前、もしかして神にでもなったつもりで説教か?」
先程とは違う剣の使い方をして暗殺者のナイフを綺麗に受け流していく。
それは落ち着いた太刀筋だった。一発殴る前と後での剣の扱いは根本的に違っていた。それはアルベルド自身が『真』の本気を出した戦い。腕前は見事なものだった。
「違う!俺はそんなんじゃない!」
「フハハ、実に下らん。他人の事は無関係、だが俺に説教とは笑える。糞ガキ、俺は『この世で何をしても自由』と思っている。好きなことをすればいいし、嫌いなことはしなくていい」
暗殺者は振り回す手を止めることなく、
「つまりだ………、人を殺したければ殺せばいいと思っている」
「それは間違いだ!」
「何が間違いなのか?皆が『間違い』と言う、だが私はそうは思わない」
アルベルドの変化した太刀筋を確認した暗殺者は、透明になりつつバックステップを踏んで距離を置いた。距離は五メートル、そこから四本のナイフを投げる。投げられたナイフは三メートル離れたところで姿を表し壁に突き刺さる。間一髪のところでアルベルドは左に避けた。
(また避けた?偶然ではないようだな)
透明になりながら脳をフル回転させ次の作戦を考える。
「人を殺してはいけない理由は何だ?命は尊いからか?誰かが悲しむからか?法に縛られているからか?フン、馬鹿馬鹿しいな。真実など誰にもわからんもの、本当は人を殺す事が正しいかもしれないじゃないか、法が間違っているかもしれないじゃないか、完璧な人間など絶対に居ない。そんな完璧ではない人間が決めた法など、腐っているとは思わんか?」
「あぁそうだ完璧じゃない、それもテメェが一理ある。だけどな―――」
アルベルドは声の発生場所から予想した位置へ走る。
その結果、乱暴に振り回した剣は見えない硬質な何かと衝突した。
興奮状態の暗殺者は声での位置の特定を考えていなかった。大誤算である。
「テメェのそんなやり方じゃ喜ぶ奴が居ないんだよ!」
もう片方の手に二本目の剣を出現させる。アルベルドは二刀流だった。
振り上げられる二本目の剣を前にして、暗殺者は危機感からか目に力が入る。
「自慢の武器ごと斬る!」
振り下ろされた二本目の剣は暗殺者の身構える右手の四本のナイフを粉々に砕き、その勢いのまま左肩を斬った。
「ぐ、おのれ………」
手の中に得物は無い。残されたのは両足の二本だけとなった。
暗殺者は最期の足掻きとして左足のナイフでアルベルドの右半身を狙う。
左足の動きはとても早く、完璧に避けきれなかったアルベルドは衣服ごと右肩を傷つけられた。
「ぐあっ!」
微量の血が体を伝い畳へと滴り落ちる。
ヒラヒラと舞う右半分の上着は、畳に滲みこんだ血を覆い隠すようにして落下。ナイフの傷跡は浅く、血も微量、大事ではなかった。
「おのれ、よくも腕を………」
体勢を整えた暗殺者は靴の中に仕込ませていたナイフを力任せにもぎ取ると、残された手でそれを握った。どうやらナイフのストックが切れたらしく、残っていたのは靴に仕込まれた二本だけだったようだ。
「これで終わらせる。俺の仕事は絶対なのだ」
右肩から流れる血を手で止血していたアルベルドは、止まらぬ殺意を抱く暗殺者を見据えながら二本の剣を構える。
「終わりたけりゃ終わらせてやるよ」
「フフ、遺言はそれだけ………」
新たに対峙しようとしたその時だった。暗殺者が何かを発見して大きな動揺を見せ始めた。
「………か?」
暗殺者の驚愕の視線の先にあるもの、それは『4』の数字だった。
それもただの『4』ではない。アルベルドの右肩に刻印された『4』である。刺青の様なその数字は禍々しいオーラを放っているようで、見ているだけで何かの呪いが降りかかりそうな悪寒を感じる。
「その数字は、まさか………」
人の間で語り継がれているとある一つの都市伝説がある。
様々な仕事を遂行してきた暗殺者も、その都市伝説くらい数回は聞いた。
神が定めた絶対原則があり、その原則を破りし者の体には数字があるのだという………。