五枚目・家族の絆
二日目の騒がしい夜がやってきた。地響きを起こす爆音は人の耳だけでなく、野良生活を満喫している犬や猫の耳も襲う災厄となっている。
イベントの始まりを察知した賢い野良達は一斉に町を離れて山籠りを開始する。その結果、町中から動物の姿が消えると同時に、フン等の排泄物や、農作被害の爪痕といった環境平和という連鎖を引き起こす。
大切に育てた野菜が食い散らかされる農家にとって、このイベントは喜ぶべきものなのか、悲しむべきものなのか、微妙だったりもする。
「なんかさ………」
「あぁ、わかっている。わかっているからな」
イベント会場に近いレストランにて、有名ギルドに所属する二人の青年は疲労感たっぷりの表情でダウンしていた。
考えられる原因は少し前まで遂行中だった三時間かけての買い出しという奴隷行為である。だが、ただの買い出しならば『朝飯前だぜ!』と、疲労など若い元気で吹き飛ばせるのだが、今の期間が逆に披露を増幅させた。
「人が多いぞ」
「そうだな、多過ぎるだろ」
原因は『人の波に揉まれて』の買い出しだった。
初日のイベントだけの観光客も居れば、三日間のとことんコースの者まで居る。買い出しの最中には、観光客を狙った犯罪に直面したりもした。
スリを始め、引っ手繰りや悪徳勧誘の犯罪集団との間での一悶着、三時間の間に軍人と五回も再会した。歩き回った距離は有名所の遊園地を一日の間に回ったそれと同じである。
「疲れた………」
今日はこの一言で尽きて終わる。今すぐにでも温かいお風呂で汚れを落とし、温かいベッドで眠りたい気持ちだ。疲れは直ぐそこまで睡魔を引き連れてやってきている。
その証拠に瞼を閉じれば直ぐにでも眠れそうな勢いだ。
時刻は午後八時、目の前には自身の顔よりも大きな器に盛られた食事が並ぶ。生ハムを混ぜたサラダ、栄養たっぷりの野菜ジュース、それと厚い骨付き肉を丁寧に炭火で焼き上げた物が用意されている。
昨晩の夕食といい、この都市の料理は絶望的な脅威を胃袋に与えてくるものなのかと頭を悩まされるほどだ。
無償で与えてもらっている者の分際で『俺達の体に見合った料理を持って来い』と、クレームを言えるわけもなく、ただ黙々と口に運ぶしかなかった。
「はい、どうぞ。召し上がれ」
力強いアーマンの声と共に姿を現したのは苺パフェのデザート。
「これは報酬とは別だから、私達家族の気持ちだよ」
頼んだわけでもなく、強制的に運ばれてきた物が急襲する。
断れば夢に出る程の恐怖を味わうことになるのは予知できるものだった。
(早く帰りたい………)
情報集めが終わり帰宅すれば、買い出し地獄が待っていた。
それが終わって一休みをしようとすれば、ウェルテスタ家の宿は団体様の貸し切り状態となっている始末だ。こうなればと、ベリウムの用意してくれたホテルへ戻ろうと足を一歩踏み出せば、『夕食くらい用意してやるから』という死の宣告、そしてアーマンの手で違う酒場に連行されて現在に至る。 せめてこの酒場がアーマンの店の姉妹店でなければよかったものを、よりにもよってそうなのだから困っている。面倒見の良いアーマンによる一方的な縛りプレイによって、椅子の上でしか行動できない状態となっている。
まさか赤ランクの依頼を遂行する前に疲労感に襲われるとは思ってもいなかった。
「とりあえず、今現在わかっている事を整理しようぜ」
二人は時折忘れそうになる。自分達は観光客ではなくギルドの人間であるという事を。どうもウェルテスタ家の人間と絡むと『あれ?』と、考えさせられる事があるのだ。遊びは遊び、仕事は仕事、そうやって区切りをつけなければ見失いそうで困惑する。
ということで、ロイよりも早く区切りをつけたアルベルドが、現時点での情報をメモと一緒にテーブルの上に提示する。
「先ずは依頼書の文章からだ。所々に書かれている『神様』って言葉だが、これは消えた祖父が『大切な孫娘であるレイアが深く関わらないように警告した言葉』で間違いないと思う。レイアは子供だ。神様っていう象徴的な生き物が、どれだけ巨大なのかは妄想の中で知っているだろうからな。子供にとっての神様って奴は全知全能で、到底敵わない存在だろう。祖父も市長という敵わない存在に当て嵌めて例えたんだと思うんだが、それはわからん」
「やっぱり市長が怪しいのか?」
ロイの質問に対し、アルベルドは少しだけ「うーん」とうな垂れて、
「多分な。ツインタワーの問題があって市長と市民団体の衝突があったわけだし、何より一番の問題点は市民団体の長をウェルテスタ家の当主………、つまりレイアの祖父が務めていたからな。かなりの人望があったみたいだし、市長と言え完全に無視はできない筈だ。だから一番の邪魔者だったレイアの祖父を………」
アーマンが近くに居る手前なのだ。最後の方は静かに引き下がる。
これはあくまでも予想であって『絶対』という確信は無い。
仮の確信なのだが一応の辻褄が合ってしまうのは怖いものがある。
何故ならば、その確信の通りだった場合にウェルテスタ家にとって高確率でのバッドエンドとなってしまうからだ。願うのであれば、そうであってほしくない。
誰一人として望まない結末に近づいてしまった瞬間だった。
「まぁ、近々わかると思う。危険な罠を仕掛けたからな」
アルベルドの言う危険な罠とは、市長に『ワザと間違えて見せた』レイアの名前が書いてある依頼書のこと、今回の依頼内容を知っているのはアルベルドとロイとウェルテスタ家、それに市長を含めた四組となっている。
市長が黒であるならば、ウェルテスタ家に何かを仕掛けてくるのは間違いない。レイアの名を市長に確認させたのはその為で、アクションが起こるのはウェルテスタ家を巻き込む形となる筈なのだ。
「じゃあ、依頼書の裏に書かれていた怪文はどうだ?『神様は死者を生き返らせる力を持っています。気をつけてください』ってのは、アルベルドさん的にはどう考える?」
「そのことだが、レイアに聞いたら『お爺ちゃんが言ってた』らしいからな。レイア自身が実際にゾンビやら何やらを見たわけでもないし、これも祖父によるレイアへの脅し文句だと考える」
二人は話を一時中断して目の前の野菜ジュースを一口含むと、ほぼ同時に変な表情を浮かべる。よほどの青臭さの味というのが見ただけで伝わる表情だった。吐き出しそうなくらいに顔を難しくする二人を見たアーマンが『残すのは駄目よ』と、目で殺しにかかってくる。この親にあの姉妹あり、再度の納得ができた。
「でもな………」
口に含んだ不味い飲み物を腹へと無理矢理に収めたアルベルドが呟いた。
「折角なら『禁断のメダル』であってほしいよな」
「そうだな。それだと思ってこの依頼に決めたものだしな」
二人の言う『禁断のメダル』とは、その名の通り使用することを禁じられたメダルのことである。一回でも使えばこの世の理を覆す程の強力な力を秘めたメダル。その可能性を持ってこの依頼に決めたようなものだった。
メダルという物質は神の創りし未知の玩具とされており、謎が多い奇妙な代物だ。心臓の上に埋め込むことで個々の力を発揮し、憧れる者も居れば怯える者も居る。メダルの数は三枚の『禁断のメダル』を入れて、現在のところ全部で百個くらい確認されている。元々は軍に永久保管されていた代物なのだが、過去に起きた軍内部の反乱によって各地へ分散してしまった為、今現在は軍による回収が急がれている。
アルベルドとロイもメダリストの一員である。メダルの力が便利ということもあり、使用する代わりに軍のメダル収拾作戦に協力している身でもある。
「いつかメダルの謎も解き明かしてやるぜ。そしてこの世の真実を解き明かすんだ。父さんと母さんの想いを遂げてみせる」
アルベルドの両親は研究熱心な変わり者として有名で様々な研究をしていた。天才的な自由の発想の持ち主で慕う者も多かった。
だがある時『踏み込んではいけない』と、畏怖される神が定めた原則に触れてしまいこの世を去ることとなった。
アルベルドは両親の遺志を継いで、『この世の真実を解き明かす』と誓ったのだ。
「そんなことばっかり言ってると、親が恋しくなるぞ」
「うるせぇ、俺は大人だ。恋しくなんかねぇよ」
「はいはい」
「この野郎、馬鹿にすんなよ!」
「おっ、やるか?」
いつもの小競り合いが始まる。それを見ていた周りの客が酒臭さを漂わせながら「やっちまえ!」の煽り声援を浴びせる。アーマンは溜め息混じりだが表情は豊かで、口元には少々の緩みがある。
そしてアーマン自身も止めるどころか、テーブルを隅に片付け始めるのだった。さて、二人の青年が向き合いながら両手を前に構えた姿勢を大衆に披露した時、
「この、クソ坊主が!」
外から祭りの爆発音に負けないくらいの大きな怒号が飛んできた。
驚愕した客は互いに顔を見合わせながら「何だ、何だ」の大騒ぎを始める。しかし、向き合う二人の青年とアーマンには聞き覚えのある声だったので、慌てた動きで外へと出てみる。
「もう一回言ってみろ!」
外には数人の野次馬が集まっていたが、それらは全てアーマンの夫であるダリアンの職場仲間の者達だ。野次馬の数は少なく、誰と誰の喧嘩なのかが人と人の隙間から窺える。
一方は夫であるダリアンの声で聞き間違いは無い。
だとすると相手は一体誰なのであろうか………。三人が少しずつ近寄ってみると、これまた見覚えのある顔があった。
「バートン!」
母親であるアーマンが尻餅をついた息子へと駆け寄る。
バートンの頬は『殴られた』とわかるくらいに赤くなっている。
ダリアンの顔には憎しみが浮かんでおり、それを囲む野次馬の全員も同じような顔をしていた。この状況から現場はかなりの危険区域だとロイが考えた。何が原因かは知らないが、第二ラウンドが起きそうな予感だった。
「何があったの?どうしてこんな事をしているの?」
良く見るとバートンの唇は切れていた。赤い血がタラリと顎を伝う。
「もういいよ。親父とは話さないから」
その血を手の甲で強く拭き取ったバートンが立ち上がる。
何も把握できず納得できないアーマンは引き留めようと袖を掴もうとするが、バートンの鋭い睨みで軽く一蹴されてしまい、伸ばした手を悲しくも引っ込めた。
「おい、母さんに向かってその態度は何だ!」
まるで反抗期の息子を叱りつける様がそこにはあった。
バートンがダリアンの声だけで立ち止まる筈もなく、姿は夜の闇に紛れて消えた。
「何があったの?ねぇ、バートンと何があったの?」
「………」
ダリアンは黙ったまま動かない。自分の息子を殴った右手を握っては開いて、握っては開いての繰り返しをしている。そして一部始終を知っている筈の者も、誰一人として動かず語ろうとはしない。
それは途中から見ていたアルベルドとロイも同じだった。
先程までは楽しい時間だったのに、突然シリアスな場面に直面する事になろうとは、思ってもいなかった。それも心臓が破裂しそうな程に重い親子喧嘩の現場に………。
「家に帰ったら話す。その前に一杯飲ませてくれ」
いつもの声よりも一段低い声でやっと口を開く、この一言の合図に野次馬の群れは即解散となり酒場の中へと入っていく。
今日は賑やかで寒い夜になりそうな予感がした。
時刻は深夜二時、ウェルテスタ家ではダリアンとアーマン、それにアルベルドとロイの四人が居た。これは家族での問題でギルドは関係無いのだが、ダリアンが二人にも聞いてほしいとのことだったので立ち会うことになった。暗い応接室を使用する。市長の応接室と比べれば飾り気が無いごく普通の部屋。そもそも比べること事態が間違いだというのだが、お子様仕様のアルベルドは気になって仕方がない。室内に設置された木製の棚が二つ、その中には何かの大会で優勝した時のトロフィーが少しの隙間も無く飾られてある。
「世界規模で行われた栄冠の証だ」
誰が尋ねたわけでもなく、トロフィーを珍しそうに見つめるアルベルドに対してダリアンが呟いた。その言葉通りに、個々のトロフィーには『第二十二回大会優勝記念』と、深い刻印があった。二十二回だけでなく、十五回から順番に並べられており、その他の小さな大会の記念トロフィーもある。
「そこに飾ってあるのは俺が勝ち取った証だ。俺の親父のレイル・ウェルテスタはゴリムクラムディで一番の採掘師であると共に爆破解体のプロでもあった。今は俺が跡を継いで二代目として座っているが、正直に言って親父は敵わない男だった。語ることのできない技術は本物で、見てみなけりゃ感動できない一級品の腕前だ。親父の部屋に行けば第一回大会から第十四回大会のトロフィーが飾ってある。勿論だが、その他の賞も山の様に飾ってある。引退してからは大会には出てねぇが、出場していたら間違いなく全ての栄冠は親父にあった」
ダリアンは棚を開いて中から適当に一個のトロフィーを取り出すと、徐にアルベルドの手に握らせた。
「今となってはそいつが親父代わりだ。俺が勝ち取った栄冠だが俺のじゃない………、親父の栄冠だ。それには俺の魂は入っちゃいねぇ」
握らされたトロフィーからは熱いものが伝わってくる。
その熱いものを真に受け止め終えてロイに手渡す。
「この炭鉱都市は他の誰でもない、レイル・ウェルテスタが創った場所だ。それを、あんな市長の屑が好きにしていい筈がねぇんだ。クソ野郎が、何が『ツインタワーで国の経済を高成長させる』だ。笑わせてくれるよな。帝都の上層部と市長の二人三脚だろ馬鹿野郎が」
ベリウムも『国は国の事しか見ておらず、人々の『今』を見てはいない』と、そう言っていた。今一度その時の言葉が胸に響く。
都市の中心に聳える二つの建造物が人々にとっては邪魔なのだ。
「俺は最期まで戦うつもりでいる。親父の戦いを継ぎ、最期まで戦う。たとえそれが卑劣なやり方でも俺はやり遂げる。そうしてでも若い奴らを護ってやるよ」
ダリアンはそう言い終えてから一息吐いて、
「バートンの奴は『逃げる』って言いやがった。最初は耳を疑ったな、まさか自分の息子に理解されてねぇとは………。確かに数年間を挟んでの再開に『理解されてないのは仕方ない』と言い切れる。だがな、親子として想いは同じだと自分で勝手に、心の隅に抱いていた。離れていても繋がっていると思っていた。悲しいな………」
それはダリアンの『親子を盾にした上での』勝手な思い込みであり、独りの男の妄想に過ぎなかった。
「でも、現実を理解しているのはバートンだよね」
今まで口を開かなかったアーマンが、ダリアンに寄り添う様にして進言する。妻の一言に対してダリアンは一時的に驚愕の眼差しで睨んだが、アーマンの弱々しい目力に視線を逸らす。
「そりゃ知っているさ。最初からな」
そう、ダリアンは知っているのだ。現実を知っている。
情だけでは何もできないし、何も護ることはできない。
それでも抗う自分が居て、息子に現実を突きつけられた。だから手が出てしまった。一番わかっていることを、家族に言われたからこそ殴ってしまった。自分は父親として最低な人間だ………。今一度、心に受け止めた。
「バートンの奴に言われたさ、『勝てる相手じゃない。みんなで遠くに移住しよう』ってな」
ダリアンが窓を開けて煙草に火を点ける。ロイは煙草の吸う仕草がバートンと似ていて驚いた。やはり親子なのだと痛感させられた。
「だらしねぇよな。本当の事を言われているのに苛立っちまう。俺は駄目な親父だ。遺志っていう綺麗な言葉を並べてはいるが、その裏には意地がある。最低だ………」
目の前にあるのは大きいけれど小さな背中。そんな惨めに丸まった背中を見ていたアルベルドが唇を噛み締めて部屋の外に出ていく。
眉を歪めて異様な空気を肌で感じたダリアンとアーマンの二人にロイは一礼をし、直ぐに跡を追った。部屋を出て大広間へ向かう。
夜遅くにも関わらず、カウンターには数人の客が酒を飲んでいた。ロイは迷惑の掛からないよう静かに、半開きになった玄関の扉へと向かう。
左右の扉の隙間からは体育座りをしたアルベルドの背中が見えた。
「どうかしたか?」
ロイが優しく話しかける。
「いや、何だか息苦しくて」
「家族か?」
ロイの優しい声にアルベルドは首を頷いた。
「俺に家族なんて居ないから、ダリアンさんの想いとか、バートンの想いとか、わからない時がある。でもさ、家族っていうのは『居るだけで温かくなれるもの』なんだなって、そう思う」
家族の存在、優しさ、ありがたみ、早くに家族を亡くし、短い間でしか実感したことのないアルベルドには何が良いものかわからなかった。
しかし、ウェルテスタ家の人間を見ていてわかる。ダリアンだって、アーマンだって、エメリアだって、レイアだって、バートンだって、家族のことになると真剣な顔で悩み、笑い、怒り、悲しみ、そうやって思いやることができるのだということを、アルベルドにとってはその思いやりの瞬間がとても息苦しく感じるのだ。
「馬鹿なこと言うな。お前にも居るだろ、ギルドっていう家族が、それに俺も」
「………。ありがとう」
爆音が鳴り響く最中、本当の兄弟の様に二人は夜空を見上げる。