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剣のメダリスト  作者: Qan
禁断の光
5/22

四枚目・確信の刃

 トントントントン―――。

 一定のリズムでの演奏は一階のキッチンから聞こえてくるもの。

 音から推測すると、包丁とまな板が激しくぶつかり合う音だ。

 午前七時、アルベルド・ヴァッケンハートは太陽の日差しを吸収した温かなベッドの上で横になっていた。現在の居場所はベリウムが用意してくれたホテルではなく、正式な依頼主となったウェルテスタ家のとある一室である。昨晩の事もあり用心棒代わりとして、アルベルドとロイの二人はお邪魔することにしたのだ。

「この町はうるさいな」

 一晩中鳴り響いていた爆発音は、鳴り止むことを知らない。

 化け物並の轟音との一夜はダリアンが特別に用意してくれた専用耳栓が無ければ凌ぐことはできなかっただろう。

 小さな耳栓を無くさぬようにと、持参していた小さな小袋へ入れてヒモで固く結ぶ。それをズボンのポケットに入れて上から優しく二回叩いた。

(昨日の奴、何者だったんだ?)

 気になるのは昨晩の暗殺者のこと。かなりの腕前なのは確かで、一戦交えただけで殺気を凄まじく感じた。

(また襲ってくる可能性はあるな)

いろいろ気になることはあるが、一先ずは日課となっている筋トレをすることにした。上半身の衣服を脱ぎ捨て、鍛え抜かれた肉体を誰も居ない部屋中に披露する。左胸の皮膚に埋め込まれた銀色のメダルが太陽の日差しを反射して部屋の隅を照らす。人差し指でメダルに触れながら昨晩の一戦をいろいろと思い返してみる。

(誰を狙っていた?おそらく一家の中の誰かを狙っていたと思うが………)

 昨晩、兄と呼ばれる人物が帰宅した直後の出来事だったことから、狙われた者の予想はついてくる。

(それにしても………)

 誘電地雷爆弾という兵器が存在する。

 大きさは直径七センチ程の球体で、叩きつけられる衝撃がスイッチとなり起動する兵器。起動すれば半径五メートル以内の物に十万ボルトの電撃を喰らわせることができ、戦争においての優れ物として重宝されている。

 電子機器の破壊は勿論、人体への影響は計り知れない。

 そんな物騒な物を投げようとしていたのだ。ウェルテスタ家の全員が狙われていたことも十分に考えられる。

「何にせよ、調べる事が増えたな」

 気になることは後回しにして、今はトレーニングに集中する。

 毎朝は腕立て伏せ、腹筋、などのトレーニングを始めなければ一日が始まった気がしないのがアルベルドの性格。

「ちょっと、ご飯だか―――」

 気配も無く開けられた部屋のドア、朝食のお誘いに来たのはエメリアだった。上半身だけとは言え男の裸体を生で目撃してしまった純粋な年頃の女の子は、顔を真っ赤にする。困惑しながらアルベルドの裸体をジッと見つめ、数秒経過してから全てを理解して視線を逸らした。

「な、何しているのよ」

「筋トレだ。駄目だったか?」

 顔から火が出るくらいの思春期娘の発言は鈍感男の余裕の返しに掻き消された。

「何で裸なのかって聞いているのよ。馬鹿じゃないの!」

 バタンと力強く閉ざされるドアとエメリアの気迫に腕立て伏せのバランスが崩れ、アルベルドは変な体勢で気圧されてしまった。

「何を怒ってんだよ」




 腹を空かせ一階へ降りると、先に朝食を貰っているロイとレイアの姿があった。テーブルの上には豪勢な料理の数々がズラリと並んでおり、アーマン特製の愛情料理である肉料理が盛りだくさん。

 アーマン曰く『よく食べて、よく食べる』と、言うことが若い者の一番の宿命なのだとか。それにしても宿命はともかく、朝からこれほどの重たい料理を食べるのには抵抗が芽生えてくるもの、何よりもロイが許せない朝食の筈だった。

 何故に本人が大人しいのか気になりもした。

「昨日は列車の中で騒いでたくせに、よくも平常心だな」

「重たい物はレイアが食べてくれるからな。俺は野菜スープを三杯飲んだ」

 そう言われると、ロイの横に大人しく座るレイアがアーマンに見つからないように二人分の肉料理を軽々と食べている。

「子供はよく食べないと大きくなれないからな」

 これに対してレイアは『黙れ』の意味を込めて睨んだのだが、アルベルドは全く気付いていない。言われても仕方の無い事実だが、アルベルドだけには言われたくなかった。

「君達がギルドの人?」

 鉄製のコップに入った野菜スープを片手に背後から近寄る人物。

 昨晩にエメリアと共に帰ってきた『兄』と呼ばれる男だった。

 もう片方の手に新聞を持ち、三人の前へと自然に座ったのだが、膝を折って片足を上げた状態での座り方は、初対面の者に対しての大人のマナーとしては行儀が良いとは言えぬもの。

 男は肘を付きながらテーブルに並べられたサラダから野菜を素手で摘み取り、口内へと捨てるように投げ入れた。

「俺の妹達を助けてくれたようで、すまないね」

 口に含んだ食物を見せながら話しかけてくる。

「いや、女性が襲われていれば助けるのが紳士の務めだからな」

 偽物の大人と本物の大人の会話。嫌悪してもロイは絶対に冷静だ。

「おっと、これは失礼、自己紹介が遅れた。俺はバートン、バートン・ウェルテスタだ。名前からわかると思うが、この家の長男だ。よろしく」

 綺麗とは言えないズボンの裾で手を拭いてからバートンが手を差し出す。

 お互いの握手を交わす姿に敵意など微塵も感じることはないが、アルベルドとレイアは敵意剥き出しの眼差しでバートンを見る。

 おそらく二人が唯一共感できる事だ。

「君達のことは母さんから聞いているよ。レイアの依頼を引き受けてくれたとか」

「あぁ、困っていたからな。それに今は旅の途中だし」

「ふーん。そうなのか、若いのに大変だな。そういえば、昨日のあいつは何だったの?いきなりだからビックリしたよ」

 アルベルドが取り逃がした暗殺者の事。バートンの表情からは『自分が狙われている』と、そういった自覚などは感じられない。この点からして『バートンが知らぬ間に危ない橋を渡っている』という項目が追加された。

「夜盗か何かだろ、こいつが始末したから気にすることはない」

 そう言いながらアルベルドの肩に手をポンと置く。

 肩を叩かれた本人は黙々と食事の続きをしていたのだが、場の空気に嫌気が差したらしく手を合わせて颯爽と玄関の方へ歩いて行ってしまった。

 その跡を追う様にして、レイアも駆け足で玄関へ向かう。

「俺って嫌われてるのかな?」

 バートンは煙草を咥えながら溜め息を吐く。

「どうしてだ?」

「いや、昔からな。父親からも、母親からも、妹からも嫌われちまってる」

 落ち込んだ表情のバートンにロイが優しくマッチの火を差し出す。

 ロイの体が勝手に動いたプレゼント、この瞬間のバートンからすれば慰めの火となる。二、三回だけ口を動かせば煙草から白い煙が出てくる。

 ロイに気を使ったのか、それとも毎度の癖なのかは定かではないが、バートンは顔を上に向けて煙を吐き出した。

「俺さ、自分でどうしてもやりたい事があって数年前に家を飛び出したんだ。反抗期ってやつかな?当時の自分には立派な家出だったよ。勝手にやるだけやって、勝手に生きて、そして今は勝手に帰ってきている。家族のことなんか何一つ考えていなかった。だから嫌われるのが当たり前なんだけどな。その上、久々に帰ってきてみれば昨晩の夜盗だろ?俺は完全に疫病神ってわけよ」

 ロイは戦闘が苦手なタイプだ。だけどその分、情報収集などといった他人との会話に長けているタイプである。人生相談をされることも多々ある。

「まぁ、俺が他人の事情に口出しできる者じゃないから何も言いたくはないけど、末永く頑張れよ」

 とりあえず今はこれくらいしか言葉が見当たらなかった。

 残り一本となったマッチの箱をバートンに手渡して自身も外へ向かう。

 外へ出ると二人が地面に尻をつけた状態で座っていた。

 小柄な少女と細身の青年の二人の空間が拡がっている。

 間には違和感のある距離があり、生き行く人々を呆然と観察している。

「そう言えばさ、お前に一つだけ聞きたいことがあるんだけど………」

「何よ」

「あの依頼書の裏面に書かれた一文はどういう意味?」

 その一文とは、裏面に書かれていた、

『神様は死者を生き返らせる力を持っています。気をつけてください』

 という気になる一文のこと。

「って言うか神様って誰だよ?」

「私も知らないわ。お爺ちゃんが居なくなる前の日に『神様に会いに言ってくるから遅くなるよ』って言っていたの、それに『良い子だから待っていなさい、でないと神様が生き返らせた亡霊達が来て幽霊の世界に連れて行かれるぞ』ってね。だから言うこと聞いて、私は待っている代わりにギルドに頼むことにしたのよ」

 やはりレイアは子供だ。説明が下手という事もあるが、何よりも全てを鵜呑みにしてしまうところがある。

「そうか、レイアにも良くわからないんだな。まぁ、何て言うかサンキュー」

「私のこと馬鹿にしたでしょ?」

「別に、何でもないけど?」

 アルベルドが自分よりも大人だと理解していても、レイアにとっては見下した存在という設定らしい。二人はいつでも犬猿の仲になれる関係なのだ。

「お前、もっと食べないと大きくなれないぜ」

「何それ、今の話と全然関係ないじゃない」

 二つの理由の内の一つである『レイア弄り』も飽きてきたので、話題を逸らしてこの場から離れることにする。

「それに女の子は小さい方がモテモテになるから」

「それは一部のロリコンだけだろう

 もう一つの理由、それは仕事を始める時間が到来したということ。

「あんたみたいな子供に何がわかるのよ?」

「お前だって子供だろうが」

「私は子供だから子供なの、でもあなたは大人な子供でしょう?」

「はいはい」

 口喧嘩の強いレイアがアルベルドを一蹴し、適当なアルベルドがレイアを軽く流す。

「お前さ、あいつ嫌いなのか?」

 アルベルドは負け逃げを理由に土埃を両手で掃いながら立ち上がる。

 そして懐に入れてあったスケジュール帳を取り出して、今後の日程を確認しながらのスタイルでレイアの会話の相手をする。

「あいつって?お兄ちゃんの事?」

「他に誰が居るんだよ」

「………」

 問い詰められたレイアは静かに首を項垂れた。見つめる視線の先にあるのは大きな誰かの足跡とタイヤの跡の二つだけ。

 二つの跡はグチャグチャに混ざり合いながらも一つの芸術の様な雰囲気を出している。

 項垂れた状態のレイアの顔を覗き込もうとしてアルベルドが体勢を低くしたその時、今にも消えそうな声が耳に届く。

「嫌い………、なのかな?わからない」

「は?」

「わからないの。だって今日の朝、初めて顔を見たから」

「お前、会ったこと無かったのか?」

 知らなかった顔を初めて見て、知らなかった声を初めて聞いて、アルベルドの言葉に小さく頷く。姉と二人だけの姉妹の中に兄という存在が当て嵌まるのは、幼いレイアにとってどれほどの混乱が生じたことか、周りの人間は知らない。

「お兄ちゃんはね、私が産まれる少し前に家を出ていっちゃったみたいで、全く知らなかったの。お母さんから話は聞かされていたけど、会ってみたらどんな顔して何を話せばいいかわからなくて………」

 大人の都合だけでは止まらない困惑の想いを胸に抱き、幼い少女は幼いなりに道に迷う。

「そんなのは、軽く笑って甘えればいいだろ」

「それができればやってるわよ!」

 真剣な悩みを打ち明けた相手が悪かった。適当に返ってきた答えにレイアは激昂する。

「………できないから困っているのよ」

 激昂した直後の少女は一変して、今にも泣きそうな表情になる。

 目に涙を浮かべ、下唇を噛みしめ、小さい両肩は小刻みに震え、真っ直ぐな瞳をアルベルドに向ける。昨晩の襲撃騒動の後にバートンとアーマンの会話は見受けられたのだが、父親であるダリアンとの会話は一切見受けられなかった。いくら幼いレイアとて、父親とバートンの仲くらいは理解できている。二人に仲好くなってほしい気持ち、初めて見る兄の存在、モヤモヤした大人の都合がレイアを苦しめていた。

 そしてアルベルドはレイアの苦しみを見抜いていた。

 だからこそ、少女の頭に片手を乗せて優しく撫でた。

「いくら仲が悪くても親子の関係は切れねぇよ。それと、今の内に甘えとかないと後悔するかもしれねぇぞ?」

 悩むレイアに、苦しむレイアに、経験豊富な雰囲気のアルベルドが語る。

「時が経つと甘えは効かないし、何よりも甘えは子供の特権だしな」

「何それ、生意気ね。子供のクセに」

 辛口の一言を発する少女。しかしその表情には笑みがあり、アルベルドに向けた最高の褒め言葉のつもりだった。アルベルドはその真意に気づいているのかどうか定かではないが、笑顔とピースで応える。

「俺はレイアが凄く羨ましいよ」

 そんなセリフを吐き捨てながら勢いよく立ちあがる。そして背後に立っている筈であろうロイに向けて、振り返ることもなく手で呼びつける。

 それは『仕事に行くから早く来い』という二人だけが通じ合う合図。

 長年の付き合いであるロイは「待っていましたよ」と駆け寄る。

 これぞ『阿吽の呼吸』というものだ。

「で?どこから攻めるわけ?」

「聞き込み調査をしながら、昨日の現場へ向かう」

「かなり遠いの?」

「そうだな。足の速い奴を更に足の速い俺が追ったから、ここからずっと遠い」

「そうだろうと思ったよ。でもまさか、天下のアルベルド君が敵に逃げられるなんてね」

 ロイの一言が胸に突き刺さる。気にしていない様でありながら、実は『超』が付く後悔を抱えていたのだった。ほぼ間違いなく何かを知っている筈の、昨晩の襲撃者を取り逃がした失態は多大なもの。

 これ以上開いてほしくないロイの口に、持参していた薄くて小さなガムを三枚ほど無理矢理に押し込む。

「静かにしてくれ」

 口内に広がる強烈なミントの味がロイの目を覚醒させる。

 吐き出す選択が脳内に浮かんだが、紳士的なロイさんは公然の前という理由で我慢した。そんな二人の後方から近づいてくる車が一台、屋根の上に小さな帝国軍旗を掲げたその車は徐行速度でゆっくり近づき、二人の目前にて静かに停止した。

「やぁ!お二人さん、昨日はどうもでした」

 後方より近づいてきた車に乗っていた人物は二人にとって誤認逮捕で有名なベリウム三等帝だった。口には葉巻、左手にはワインボトル、リッチ気分でノリノリなベリウムの姿に恥ずかしさが溢れたアルベルドは別の理由もあり足早と立ち去って行く。

「あれ?何で無視なの?ちょっと、アルベルドさん?待ってくださいよ」

 アルベルドは冷や汗、ロイはニヤニヤだった。




 揺れる車内のせいで気分の優れないアルベルドと、その隣で何重にも重ねた紙袋を用意するロイ、それに二人に会えてワクワクした表情のベリウムとの緊急の三者面談が始まった。

 自身が不幸になることを予期していたアルベルドによる必死の拒否も空しく、仕返しを兼ねたロイが無理矢理に連れ込んだのだった。

「いや、助かりましたよ。今回の依頼の調査で、とある場所まで行かなければならないところでしたので」

「いえ、依頼遂行中のギルドに協力するのは軍の役目でもありますし、それに誤認の件もありますから」

「まだ気にしていたのか?その件はもう許すよ」

 ロイはそう言いながらアルベルドの背中を『ドン』と、重く叩きながら目線だけで同意を求めた。その直後に「うえっ」という悶絶が聞こえたがロイの咳払いが掻き消す。

「どうです?良い所でしょう?」

「あぁ、本当に良い所だ。夜中の爆発音が嫌だけどな」

「そうですね。でも『たった三日間』の祭りですし、そこはお許しを」

「今晩を凌いでも明日もあるのか、普通の夜とは何なのかがわからなくなってくるな」

 今回の思い出は一生消えぬトラウマとなるのは間違いないこと、全てが終わったら先ずは記憶を抹消する方法を探す旅に出ようと考える。

「そういえば、先程からベリウムさんに対して気になりつつも触れぬようにしようと思っていたことがあるのですが」

「はい?何でしょうか?」

 ベリウムは左手に持ったワインボトルを掲げながら『質問ならば何でも来い』と、強気な態度で構える。ロイの目線は今まさに掲げられたワインボトルに向けられているのだが、ベリウムは隠すことなく堂々としているので眉間に皺を寄せながら『俺が間違っているのか?』などと少々躊躇いがちである。

「飲酒ですよね?」

 誰がどこからどう見ても、今現在のベリウムは仕事の最中である筈。

 その証拠に服装は清き軍服なのだ。それなのにも関わらず飲酒してもいいのであろうか、問いはそれだ。

「あぁ、これですか?これはお酒ですね。未成年は―――」

「いや、知っていますよ。仕事中にお酒っていいの?」

「あぁ、これですか。私ね、休日を過ごしている最中なのですよ。理由あって本日は臨時の憩いでして、帰宅途中にお二人を発見したのです。私ってお酒が大好きでしてね、これは標高千メートルから―――」

 アルコールをかなり摂取しているのだろう、口を開けば閉じないモードになっている。

 幸いにも窓が開いている為、臭いは全く気にならない程度となっていた。

 車が曲がる度に下で転がるのは空になった数本のワインボトル、全て高級な物ばかりだ。

「理由って?」

 ロイは理解できそうにないワインの話を遮る為、こちらからの踏み込みが得策と考えた。

「はい、実はですね。私、二日後に移動となりました。それも移動先が帝都に近い大都市でしてね、一等帝に昇進も決まりました。二階級ですよ?二階級ですよ?これで念願の大帝が見えてきましたよ!」

 大好きなワインボトルを横に置き、鼻息を荒くして、瞳を輝かせながら、夢見る男は熱く語る。ベリウムにとっては余程の大事件なのだろう。

 夢を抱く子供のような瞳にワクワク感いっぱいのオーラを漂わせ、大の大人がロイに詰め寄る。

「これもたくさんのあなた達に出会えた幸せ者ですね。はい、その通りでした」

 意味のわからぬ言葉を吐き出し、トロトロになった目は上を向く。

 ここまできたら『おい、こいつで本当に大丈夫か?』などと、軍の上層部に意見を申し上げたくなるが、そこは寛大な心を持ちながら悲しい視線を捧げようと思う。

「おい………、まだか?」

 二人の話が長々と続く中で、死にかけの口調で語りかけてくるアルベルド。枯れた声に青ざめた顔色のコラボ。

 トータルで見た感想は『辛そう』だ。

 と言ってもロイとベリウムにとってはかなりの他人事となるわけで、アルベルドの辛さなど知らぬ顔で窓の外を窺う。

「あぁ、たぶんこの辺りじゃね?」

「ロイさんが言うならその通りですよ」

 ベリウムが運転手に対して指パッチンの合図を鳴らすと同時に、走行していた鉄の塊は静かに停車した。結局のところ最後の最後までアルベルドには他人事で、気遣いもクソも無い散々なドライブだった。

「あぁ、マジでこの辺だわ」

 地面に足を降ろして現場を確認する。車から一歩離れただけで表情はすっかり元通りとなっていた。元気よく軽快な足取りで周囲の検証を始める。

「まるで別人格だな」

「そうですね」

 先程までのアルベルドとは何だったのか、その真相は闇に包まれることとなった。

「では、私はこれにて失礼します。新発売のお酒の飲み比べをしなければなりませんので」

「おう、色々とありがとう。移動直前まで頼るとするよ」

「はい、お待ちしております」

 酒の臭いを纏ったベリウムと別れたロイの目は仕事モードに切り替わる。

 前方に見える小さくなったアルベルドの姿を確認して急ぎ足で駆け寄る。

 場所は汚い路地裏。汚いといっても外見だけでなく、細かく言えば危険物の売買や、裏金が飛び交っていそうな場所という意味もある。

 そんな場所での調査は絶対に気持ちの良いことがないのだが、数々の任務を遂行している二人にとっては慣れた場所だった。

「どうしたアルベルドさん。お探し物は見つかりましたか?」

 何か重要な手掛かりを見つけたのだろうか、アルベルドが屈んで地面を見ている。そんな相棒の背後からフラフラとした足取りでロイが近づいて覗き見る。

「ロイさん見つけましたよ。怖い物をね」

 二人の見つめる先には変色した地面がある。

 何によって変色したのか定かではないが、これまでの経験からすると、血であることが脳内で一致する。

 アルベルドがロイに対して回れ右の合図を出す。合図に従ったロイの目線は地面に向いたままである。その理由は変色した地面が、歩いてきた方向から現地点に向かって点々と続いていたからだ。

「これは奇妙だな。どこに続いているのやら」

「さぁて、どこでしょうかね。一応聞くけどさ、どこだと思う?」

「そりゃ、やっぱり………」

 二人は顔を見合わせる。そして………、

「ツインタワー」

 二つの口から同時に答えは出た。二つの脳が導き出した予想に証拠は無いが『絶対』と、言えるぐらいの確証があった。そして二つの人影は血を辿るように動く。

「昨晩の敵さんは強かったのか?」

「強い………、と言うよりも慣れた感じだった。人を殺すことに慣れた感じだ」

「今回の敵は思ったよりも巨大みたいだな、まぁいつものことだけど」

「そうだな」

 昨晩の敵はかなりの強敵だった。アルベルドがこれまで戦ってきた相手の中では上位に食い込む強さを誇っていた。

 未知の力を持ったアルベルドと向かい会った瞬間から『倒す』という気迫ではなく『殺す』という覚悟を持って挑んできた相手だった。

 半端な気持ちで立ち向かえば、逆に『殺られる』相手だったのだ。

 さて、アルベルドが先程『怖い』と表現した血なのだが、その真意がしっかりとロイに伝わっているのだろうか、それは誰にもわからない。

「あれだけの手慣れが『こんな初歩的な証拠』を残していいのか?」

 ロイに聞こえぬ声でアルベルドは呟く。粘々とした何かに絡まれ、そして嵌っていく様な感覚に襲われる。自身の考えが的中しなければ良いと願った。




 とある公衆電話にて、若い男が凄まじい形相でどこかへと電話を掛けている。外の気温は高くない。どちらかと言えば涼しい風が吹いている。

 それなのにも関わらず若い男の額には油汗が滲み出ており、手に持った受話器にはギトギトになった液体が付着していた。

 何かに焦りながら必死の想いで受話器を握る。

「クソ、何で繋がらない!」

 公衆電話の周りには順番待ちをしている主婦の姿や、無邪気に遊ぶ子供もたくさん居る。

 この若い男、公衆電話を使用してから何十分と独占状態のままで順番待ちの者に全く譲ろうとはしない。時折として後方を確認するが何か変わるわけでもなく、ただ『見てみただけ』とした怒りを掻き立てる暴挙に出ている。

 背後に並ぶ主婦集団の内の一人が痺れを切らして若い男の袖を掴む。

 そのまま引っ張るという武力行使をしながら声にならぬ声で叫ぶ。

「邪魔だ」

 怒りが頂点に達した若い男は逆ギレの一喝をしながら主婦の掴む手を払い除ける。

「何よ!あなた、さっきからどれだけの時間を―――」

「黙れクソ、交替してやるから五月蠅い口を閉じな」

 コードを限界まで引っ張りながら受話器を主婦の胸元に押し付ける。

ムスッとした表情で公衆電話を離れると、後方から「何よ、馬鹿野郎!」などと言う主婦の声が聞こえてきたが全く気にしない。

 それよりも気にしている事が他にあるようで、若い男は遠くの方を見つめる。

(こっちから拝みに行くか)

 ポケットから長財布を取り出して中身を確認する。

 そして皺が一つも無い数枚の新札を丁寧に数え終えると、三枚だけ抜き取り近くを走っていた車の前に飛び出して強引かつ大胆に停める。

 運転手は驚きながら急ブレーキを掛けて車を急停車させると同時に、凄まじい鬼の形相を浮かべて窓を開ける。

「てめ―――」

「父が勤務先で倒れたんだ。ツインタワーまで頼めるか?」

 三枚の新札を運転手の胸元に押し付け強制的に黙らせた。

 運転手の口から飛び出そうとしていた罵声も自然に止まり、喉の中を濃厚な唾が通る。特別な用事が無かった運転手はドライブ中だったらしく、三枚の新札を見ると掌を反した様に笑顔を見せた。

 ここからツインタワーまでは十五分くらいの距離なので、燃料の事を考えても良いバイトになると思ったのだ。

「それは大変だ。じゃあ急ぎますので掴まっていてくださいね」

 言葉すらも丁寧な敬語と化していた。

 この真逆の態度に若い男は呆れ顔で外の景色を楽しむ。

「そういえば、誰かに似た顔だ。俺の呑み友達の息子にそっくりだ。うろ覚えだからその息子の顔は定かじゃないけどな。そいつはバートンっていう名だが、あんたもしか―――」

「人違いですよ。僕はハイネって名前ですから」

「そ、そうか。まぁ、似たような奴は世界中に何万と居るからな」

「そうですよ。人違いですよ」

 若い男は明るい笑みを見せつけ、その次に怪しい笑みを浮かべた。




 時刻は正午、太陽はジリジリとした熱気を放ち真上に君臨する。

 場所はツインタワー・東塔の正面。若者から年配までのスーツに身を包んだ人間が、たった一つのビジネス鞄を抱えながら行き交っている。

 下は大理石が敷き詰められた高級感溢れる仕様となっていて、傷一つとして見当たらないことから完成して間もないことが窺える。

 また、それとは逆に建設途中の西塔がすぐ隣に建っていた。

 西塔は外壁が出来上がっている状態で、残っているのは中身の工事のみ。

 そんな未完であるツインタワーに観光気分で訪れた一人の子供っぽい青年は、強く足踏みをして『高級』という感覚を先ずは足裏で確かめる。

「おいアルベルド、あまり騒ぐなよ。警備員に迷惑だろ」

 血痕は途中で途切れていた。故意的ではなく自然に途切れていた。

 だが最後に確認できた場所が、ツインタワーからはそう遠くない場所だった。確証とまでは言えないが偶然にしては出来過ぎた何かを感じる。

「少しくらいはいいだろ。任務じゃなきゃ二度とこんな場所には来れないぜ?」

「まぁ、確かに一理あるな」

 アルベルドを厳しく叱ってはみたが、実はロイ自身も騒ぎたかった。

 紳士の心を持った大人が『二人揃って騒ぎ立てるのは如何なものか』と、自問自答を繰り返した末の我慢なのだ。よって、ロイは騒がずに写真に収めるだけで止まった。

「だけど観光は終わりだ。ここからは切り替えて任務に取り組むぞ」

「はーい」

 やる気の無い声で了解すると共に少々の力を加えた片手を挙げる。

「『はい』は、一回だけでいい」

「了解しましたぁ」

「無駄に伸ばすな」

 互いに言い争いながらの初入場となった。中は涼しく、冷房が隅々まで働いており、快適な温度となっている。仕事をしている者の顔に一切の曇りは無く、身も心も清々しい気持ち良さに包まれている様子だ。

 出入管理をこなす警備員からカウンターで出迎えてくれる受付嬢まで、嫌々オーラを感じることも無く、入店者からすれば実に気持ちの良い気分である。

「施設の顔がしっかりしていれば、廃れることは無いな」

 余計なお世話を吐き出しながらアルベルドは受付へと向かう。

 カウンターにて待ち受ける綺麗な女性が二人居る。

 満面の営業スマイルとやらを一秒の狂いも無く、二人が揃って見せつける姿はまさに一級品のものと思えた。首を曲げる角度、椅子からの起立、何から何までが揃った『完璧』と評価できるものだ。恋愛経験ゼロの馬鹿男ならば営業スマイルを浴びてノックアウトといったところだろう。

「あのさ、申し訳ないんだけど市長居る?」

 今回初めて炭鉱都市に来て、今日初めてツインタワーを訪れ、いきなりの『市長を出せ』宣言である。二人の受付嬢は一瞬だけ「え?」と、マニュアルには載っていないスマイル崩れの反応を見せてしまったが、自らのプロとしての自覚が勝り再び営業スマイルを解放する。

「お客様、申し訳ありませんがアポイントの方は―――」

「そんなもの無い。って言うか知らない」

 即答のアルベルドに受付嬢の二人は圧倒された。対談の約束も無い上に、初めて拝見する人相。それに百歩譲ったとしても市長の知り合いとは思えぬ簡単な格好。不審に思った受付嬢の一人がアルベルドに気づかれぬように、真横のスイッチへと静かに手を伸ばす。

 そのスイッチを押せばどうなるかは簡単に予想ができる。

 おそらく数人の警備員の荒波に揉まれる面倒な事態になるだろう。

その行動に対して『逆に』不審に思ったロイがアルベルドを押し退けて前に出る。

「俺達はギルド、赤紙の任務を遂行中だ。つまり………、わかるな?」

 丁寧に折り曲げられた赤紙とギルドの手形の二つを隠すようにして見せる。それを間近で確認した受付嬢の一人は、黒い固定受話器を取って誰かと会話を始める。ロイはギルドにおける赤ランク依頼以上の特別権限を実行したのだ。本来ギルドは依頼を遂行する為に、必要最低限の一般人に対する事情聴取や、必要最低限の危険区域への潜入、必要最低限の武力行使が自己責任として許されている。

 その他にも様々な必要最低限の権限が許されるのだが、相手側からの都合という事もあり実行するのは難しくなってくる場合がある。

 軍の人間であれば話は別なのだが、ギルドという小組織の民間人が集まった者が行使するとなれば、その問題が邪魔になってくるのだ。

 しかし特例もある。赤ランク以上の任務において発動するギルドの権限は格段に上がり、その権限は軍における小帝クラスのものとなる。赤ランク以上の任務とはそれほどの危険が伴う任務であり、帝国が許した特例なのだ。

 先程のロイが言った『つまり………』とは、そういうことだ。

「少々お待ちください」

 手の空いた方の受付嬢はそう言い終えて、肩幅半分くらい横に移動して受付を再開する。観光スポットといってもここが仕事場ということを忘れてはいけない。二人の青年の後方にはスーツ姿の男達がイライラしながら並んでいた。長蛇を規制する警備員の怖い顔がロイに突き刺さる。

「すまないな。仕事頑張っているかい?」

 意味不明な励ましの言葉など『火に油』の行為となる。

長蛇の中から「お前達のおかげで頑張れないよ」などと皮肉の言葉が飛んでくる。アルベルドは他人事の知らぬ顔で、ロイは一刻も早くこの場から逃げたい気分となる。

「お客様、どうぞこちらへ」

 ロイがたった一人で長蛇と冷戦状態でいると救いの天使の声が聞こえてきた。黒い受話器を丁寧に置いた受付嬢が案内してくれるらしい。

「おぉ、案内してくれるのか。サンキュー」

 アルベルドはロイの袖を掴むと、ペットの散歩のように強引に連れて行く。廊下は長く、床にはレッドカーペットが敷かれていた。

 左右の壁には有名画家であろう絵画や、どこかの国の有名人の写真が純金仕様の豪華な額縁に囲まれながら飾られていて「あっ、こいつ見たことあるぞ」と楽しめたりもする。

 案内されること五分、一行様は何の仕掛けも無い壁に突き当たる。

「こちらの部屋でございます」

 突き当たりにて右向け右を披露。一か所だけ宝石が散りばめられた豪華な扉が無理矢理にでも視界に入る。その扉には綺麗な字で『応接室』と縦書き札が掛けてある。

「市長はこの中にいらっしゃいますので」

 それだけ言い残した受付嬢は足早に自分の持ち場へと戻って行く。

「この中か………」

 いくら大人だからといっても、一個の都市を治める長と対談するとなれば手に汗握るものがある。額から滲み出る汗にすら気付かない程に緊張したロイと余裕のアルベルドの二人。

「遅くてムカつくぞ」

 横から緊張の二文字を知らぬアルベルドがノックも無しに勢い良く扉を開く。礼儀の微塵も無き入室に驚いたロイから、焦りの感情任せに力強く肩を掴んで説教されているところを、待ち構えていた市長に見られた。

「君達、喧嘩は良くないよ」

 ごもっともな言葉。ロイは急遽変更して、アルベルドを引き寄せて頭を撫でる。

「喧嘩じゃなくて遊びですから」

 これで誤魔化せるとは思っていない。寧ろ冷めた演技に市長からは悲しい視線と、撫でられている本人からは「アホか」の一言が飛ぶ始末だ。

 行き先を見失ったロイは自然にお辞儀をする。

 扉も豪華だったが室内はもっと豪華仕様で、床に敷かれているのは高級そうな特定不明な動物の白い毛皮が敷かれ、壁には炭鉱で発掘された宝石が埋め込まれており、天井からは何十キロもあろうかという大きなシャンデリアがぶら下がっていた。しかもシャンデリアの羽には金箔が貼られている一品となっている。

「まぁまぁ、先ずは座りなさい」

 比較すること事態が間違っているのだが、ウェルテスタ家との温度差が激しかった。二人は市長に案内されフカフカのソファーに腰掛ける。

「いやぁ、受付の娘から聞いたよ。君達は『イビリティ・ラ・ベーヌ』に所属しているらしいね。赤ランクの任務という事だが、そうなのかな?」

「あぁ、これが証拠ね」

 内ポケットから軽く見せる赤い紙に市長は驚きの表情を見せる。

「おぉ、それが赤紙か、初めて見たよ。難しいのだろう?」

「そうだな。超難しいかもしれないな。でも俺達は―――」

 アルベルドが言い終えようとした時、市長が満面のスマイルを寄せて遮る、

「あの『イビリティ・ラ・ベーヌ』だものな。ギルドの名は世界中に轟いているよ。素晴らしいギルドだとも。後でサインをいただいても?」

「別にいいけど、一枚につき金塊一キロだ」

 アルベルドが冗談混じりに慣れた手つきでサインを書き終えて市長に渡す。

「ハハハハハハ、それは高いな」

 上手く噛み合った冗談交じりの会話にロイだけが一人取り残されている。

 このままでは駄目だと思いつつも切り出すタイミングが全く見えない。

 するとここで、アルベルドが本題に入る為に赤紙をテーブルの上に叩きつける。笑いが止まり三人の視線は赤紙に注目する。

「この依頼者の祖父を捜索している」

 アルベルドの細い人差し指がレイア・ウェルテスタの名を指し示す。

 この行為に市長の目は揺らぐこともなく、非常に落ち着いた雰囲気のまま改めて深く腰掛けた。アルベルドが何を狙っているのかは予想できないが、依頼者の名を第三者に公表することは法的違反である。

 相手が軍ならば話は別となるが、今の相手は市長である。

 市長とは言え、簡単に公表できるものではない。市長は「ふぅ」と、溜め息を一つ吐いてアルベルドの目を静かに見据える。

「何故に見せたのだね?確か、第三者に見せるのは違反だった筈だが?」

「えっ?あぁ、しまった!間違えちまった!」

 棒読みで発言しながら両手で顔を覆い隠す。これが演技だとロイは気づいている。

「依頼文だけを見せようとしていたのに!マジで失敗したわ」

「そうだったのか、では忘れようとしようか。心配は要らん、誰にでも失敗はあるからな」

 アルベルドの演技の謎が何を訴えているのかをロイは回転の良い頭で導き出す。

「私は『口が堅い者』と有名な市長でね。君達の負になるような事は何も言わんよ」

「それはありがたい。なんと器の大きな人なのだろうか、素晴らしい」

 二回目の棒読み。

「おっと、もうこんな時間だ。約束に遅れちまう」

 三回目の棒読みをしながら腕時計を確認する。

「この後は予定がビッシリかな?」

「はい、市長さんには挨拶に来ただけですから」

「そうか、残念だな。何も情報をあげられなかった」

「いや、いいですよ。もう十分に情報は揃っていますから」

「なんと、そうでしたか。やはり一流ギルドさんは違いますな」

「いえ、そんなに褒めないでくださいよ」

 二人を見送る為にと市長の重い尻がソファーから離れる。

 それと同時に内ポケットへ手を入れて何かを取り出した。

 取り出したのは長方形の形をした水色のチケット、そこには『爆破解体イベントの案内』と印刷された文字があった。

 炭鉱都市の祭りへの入場チケットといったところか、それを二人に差し出してきたのだった。

「これはサインのお礼だ。今回の祭り期間中に使えるから時間がある時にでも行きなさい」

 手渡された二枚のチケットを大切に受け取った二人は一礼する。

「ありがとうございました」

 回れ右をすれば眩しいくらいに輝く扉と対面、散りばめられた宝石が二人を見送る。するとその時、背後から少々荒立った市長の声が飛んできた。

「何をしている。二人を見送らんか!」

 振り向くとそこには市長ともう一つの存在があった。使用人なのだろうか、タキシード姿が印象に残る人物だ。

「申し訳ありません」

 声は低く、全体的オーラが暗い男だ。表情が見えないくらいに伸びた前髪は、若い女性からすれば色欲の的となるだろう。

 二人からすればそんな前髪は『よく雇ったな』と言いたいくらいのもので、不衛生全開というスローガンを掲げているとしか言いようがない人物である。

「出口までご案内いたします」

 市長と別れた三人は静かに廊下を歩く。と言っても使用人から『会話厳禁』と言いたげな無言の圧力が降りかかっているので物静かになっているだけで、二人だけならば雑談ヒッチハイクをエンジョイしたいところだ。

「なぁ、ここに勤めて長いのか?」

「………」

 試しに語りかけても案の定の無言。短い筈の廊下が長く感じるくらいの過酷な散歩。それに付け加えて使用人の一歩の歩幅は短く、道端を歩く老人のスピードと変わらない。勝手にお見送りを約束されて追い越すわけにもいかず、困惑した空気が流れる。

「アルベルドさん、この人と仲良くなるのは無理そうだな」

「………らしいな。でもさ、この使用人って最初から部屋の中に居たか?」

「ん?そう言われてみればそうだな。存在感が薄過ぎて気が付かなかっただけじゃないか?」

「それっぽいな」

 本人の近くで人格評価をしてみた。何の反応も示さないので聞こえていないのは確かだ。というよりも聞こえているのであれば、それはそれで気まずい雰囲気になってしまう。そうやって少々の暇つぶしをしている間に出口に近づいてきた。当たり前だが数分前の長蛇の状態は無くなっており、通常の風景がそこにはあった。

「ここまででいいよ。市長によろしく」

 外までは五メートルの距離。それくらいならば追い越しても良いだろうと、礼を言ってツインタワーを出る。外に飛び出した瞬間の表情は清々しいもので、難航不落の迷宮を抜け出した様な爽快感に襲われた。

 ある意味でのラスボス的存在の使用人も後を追うようにして外へ出てくる。

「もういいよ。早く仕事場に戻ったら?」

 嫌味たっぷりなアルベルドの発言に無表情の使用人、すると何を思ったのか使用人は二人の顔の間に自身の顔を割り込ませる様にして接近してきた。

 そして耳元でこう呟く、

「雇われて十年になります。それと私は、ずっと応接室に居ましたよ」

 一瞬だけ時が停まった。たった一言の為に停止したのだ。次に脳は整理して考える。全て聞こえていたのだということを、ただ単に使用人は勤務年数を計算していただけなのだということを、怖くなったロイはある意味で青ざめて直ぐに頭を下げた。

「それでは、また出会えることを祈って」

 そう告げると使用人は背中を見せてツインタワーの中へと入って行く。

 すっかりビビってしまったロイは、アルベルドの袖を掴み「早く帰ろう」と連呼する。

 だが、それとは対照的に怪しい笑みを浮かべるアルベルドは使用人に軽く手を振る。

「絶対に出会えるさ」

 見えない何かを掴む手は、固い信念を握っている。

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