二枚目・炭鉱都市・ゴリムクラムディ
頭や足から蒸気を吹かしながら、キリキリとした悲鳴を上げて機関車は止まる。
年に一度の祭りが開かれる季節とだけあって、キラキラ輝く旗を両手に持ったニッコリ笑顔のお姉さん達が横一列に並んで観光客を歓迎する。
そんなお姉さん達の後ろには最新のカメラを持った記者達がスタンバイしているのだが、急な事情により二者達は白帽と白服に身を包んだ集団に押し退けられていく。
何食わぬ顔で押し退けたその集団は乱れ一つ無く横一列で並ぶ。
「気をつけ!」
両端の若者が同時に叫ぶと、集団の中から一人の中年オヤジが飛び出した。顔は縦長、丸眼鏡装備、鼻と唇の間には黒いチョビ髭を生やし、ヒョロヒョロの体型の中年オヤジは、蹴っただけであり得ない方向に折れそうな体である。
「ベリウム三等帝に続け!」
中年オヤジはベリウムという名前らしく、叫びに続いてベリウムは右拳を心臓部へ押し当てる。その動作を追う様に、後ろで横一列に並ぶ者達も同じ動作をする。
「構え」
ベリウムの命令により横一列に並んだ部下達が一斉に車両全体を包囲していく。その直後にガラガラという音を立てながら、スライド式の車両の扉が開いた。
「いやぁ、お手柄だったぜ」
扉から真っ先に降りてきたのはジャック犯を捕まえた張本人のアルベルド、手に持っているのは一本の鋭利な剣である。
そんな光景を目の当たりにしたベリウム率いる小隊はアルベルドに向かって突撃を開始した。そしてあっと言う間の誤認逮捕となった。
何が何だかわからない周囲の一般人からは「おぉ」などと、歓声が上がったが取り押さえられた本人からすればいい迷惑だ。おまけにスクープを撮ろうと記者のカメラの的となる。
「おい!何のつもりだ!」
当然の如く暴れようと必死になるが、数人の大人の力に勝てるわけもなく、理由も聞き入れないとしたベリウム小隊に連行されてしまった。
炭鉱都市・ゴリムクラムディの街並みはお世辞にも綺麗とは言い難いもので、道端にはゴミの代わりに石や炭といった採掘品の欠片が散らばっている。それに何よりも工場が多い。数本の長い煙突とそこから噴き出る大量の黒煙が空の本来の色を汚く演出している。
道行く人々の大半の服装はというと、上半身は半袖の白シャツに下半身は土木作業員が履くようなダボダボとしたニッカーボッカーズのようなズボンのセット、装備品は黄色のヘルメットと採掘専用の特殊なつるはしのみである。それが炭鉱都市・ゴリムクラムディの日常風景となっていた。
だが今回は違う点がある。年に一度のお祭りシーズンということ。
「会場はこちらだよ!」
「ゆっくり観て行きなよ!」
シーズン中は様々な都市から人が集まり活気が生まれ、これ以上無い程に賑やかになる。
人口も爆発的に伸びて車道に観光客が飛び出す事が当たり前だ。
その結果、交通機関がマヒする状態となっている。
そんな観光客で溢れた車道を落ち着いて走行する車が一台、その中には腹を抱えて笑うロイと誤認逮捕されたアルベルド、それに平謝りのベリウムが乗っていた。
「いやぁ、申し訳ない。何と謝罪すればよいか………」
ベリウムが頭を下げつつも時々チラッとアルベルドの顔を窺うが、見られている本人は窓の外を眺めながらの完全無視状態である。
そんな二人の間に割って入ったロイがアルベルドに注意する。
「許してやれよ。剣を抱えていたお前も悪いだろ?そりゃ誤認逮捕されるわな」
そして再び笑い出す。完全にツボに入ってしまっていた。
「償いとしてホテルを手配しましたので、どうかご機嫌を………」
「ほら、ベリウムさんもそう言ってるから、ホテル代が得しただろ?」
それでも完全無視状態が続き、ロイが逆に平謝りをする羽目に陥った。
しかし炭鉱都市とはよく言ったもので、駅を出発してからというものタイヤが異物を轢き砕く度に車内には振動が響く。
硬度の高い異物も落ちていることがあるので爆走禁止は勿論のこと、ハンドルからは絶対に手を放してはいけないのがゴリムクラムディでの運転マナーとなっている。
「そういえば、あなた達お二人は爆破依頼の申請者ですか?それとも観光客ですか?」
「いや、俺達はギルドの人間で、今回は依頼を受けて来た」
ロイが内ポケットから赤ランクの依頼書を取り出してベリウムの目前に突き出す。ベリウムは難しい表情になりながら赤色の紙を手に取っては一通り目を走らせた。
そして一回だけ頷くとロイに返却した。
「人の捜索とは、また面倒な依頼ですね。しかし何故に赤ランクなのでしょうね?人捜しレベルの依頼で赤ランクとは―――」
と、言いきろうとしたベリウムの口はアルベルドの横目で止まった。
アルベルドは『人捜しレベル』と、言う発言が気にかかったのだ。
仮にも国や人々の安全の為に在る組織の人間が、切り捨てるような発言をするのに遺憾を抱くのは当たり前のこと、ベリウムは迂闊だった。
「おっと、失礼しました。こういう職に座っていると異常のランクを量ってしまう性格になってしまうものでして………、いや、これも言い訳がましくて申し訳ない」
悪気が無いことをロイは知っている。だから何も言わなかった。
それよりも今は………、
「何か知っていることは無いですか?少しでも情報を提供してくれたら助かるのだが」
何かの手がかりが欲しかった。この町の重要人物から施設、それに景気までを、細かなこと全ての情報が欲しい。それは依頼を達成する為の下準備として当たり前のことである。
今までもそうしてきた。殺人、ミステリー、捻ったナゾナゾ、それらを解読し、真実を解き明かしていくのと同じことだ。
「そうですね」
と、顎の下に手を持っていきながらベリウムは『少しでも手助けになれれば』と脳をフル活用。
そしてその数秒後に、ベリウムは遠くに見える二つの塔を指差した。
「あれは?」
「この都市のシンボルになる予定の建造物です。東に建つのが完成したばかりの東塔。それに対峙するかの様に、西に建つのは建築途中の未完の西塔です。あの二つは名所みたいなものでして『ツインタワー』と名づけられています。この都市の経済が密集する場所であり、即ち中心核と言っても過言ではありません。今はまだ片方しか完成してはいませんが、あれが完成すればこの国の経済は他国の経済に大きく差を付けると言われています」
現時刻は正午、良いタイミングに二つの塔の間には太陽が昇っている。
「あぁ、かなり前に雑誌か何かで読んだな。あれがそうだったのか、なるほど凄いな。でも予定では既に完成している筈じゃなかったか?」
「えぇ、そこがポイントです。確かにあれが完成すればこの国の経済は豊かになります。しかしそれは『国の』です。実際には帝都に住む者しか豊かになりません。一般市民は税に潰されながらの生活が続きます。国は国の事しか見ておらず、人々の『今』を見てはいない。あの塔の建造費用はこの都市の税金、つまりこの都市に住む者の税金だけで回っている状態です。あの塔の計画始動から今日まで、どれほどの犠牲を払ったことか………」
「住民の反発か、だから完成予定が伸び続けているのか」
「だから市長と市民団体の争いが絶えなくて、その度に我々も出動する事態に………」
一見活気に見えていても裏は全く逆の状態だった。
目に見えるもの全てが真実とは限らない事をロイは知った。
その話を聞かされて『ここに住む者がこれまでどんな想いを抱えてきたのか』と思うと、二人の目に映る住民の姿は『悲痛』の一言で終わってしまう。
「おや、あなた達のホテルが見えてきましたよ」
そう言われた直後、一台の車は大きなホテル前に停車した。
建物の入り口に掛けられた看板には『ゴールド・ガーディアン』と、高級感溢れる大きな達筆字で書かれていた。
入口付近にはお出迎えの者が立っている。
「私はここでお別れです。次々と仕事に追われていましてね。また何かあれば頼ってくださって構いませんから」
「あぁ、ありがとう。助かったよ」
一礼するロイと最後まで完全無視状態のアルベルド。
「おい、いい加減にしろよ!」
遂にロイの堪忍袋の緒が切れた。説教モードに入り、アルベルドの肩を強引に掴もうとしたその時のこと。
「やばい………、もう限界だ」
アルベルドが駆け足でホテルの中へ突入する。案内係のお姉さんと何やら密談をして廊下の奥へと姿を消していく、そんな異様な事態にベリウムは心配を隠せないでいる。
「どうしたのでしょうか?」
「あぁ忘れてた。あいつ車に弱い子なんですよ」
消えたアルベルドをロイが指差して答えた。
炭鉱都市・ゴリムクラムディは騒がしい。それは朝から晩まで、静かな時間が無いくらいのもの。炭鉱を掘る主な道具は爆弾で、細かな作業になるに連れて手作業になっていく。
特に今のシーズンは年に一度のお祭り騒ぎも混じっていることで、騒々しさは世界一となっている。よって、就寝時に専用の耳栓が無ければ地獄となるわけだ。
初めて訪れるアルベルドとロイの二人は、今まさに地獄の真っただ中に居た。
ドン、ボーン、という打ち上げ花火に似た音と振動に悩まされながらも、二人は一生懸命に眠ろうと試みている。
ゴリムクラムディの観光ガイドでも読んでいればと後悔しても既に遅いわけで、専用の耳栓は完売状態となっている。
「寝れるか!」
揺れる鼓膜と脳内に耐えかねたアルベルドが掛け布団を払い退けると、隣のベッドで寝ていたロイも連られて起き上がる。
「耳栓が欲しい」
現在の二人が願うのはそれだけだ。眠気も吹き飛ぶ程の轟音に、イライラの限界はかなり前から超えていた。
「アルベルド先生様、どうするよ?」
「誰かに譲ってもらう、とかならねぇ?」
「俺も考えていたよ」
ホテルに入って食事をして、温泉に浸かった後はマッサージをして、凄く優雅な贅沢をしていた。ベリウムの謝礼加減がどれ程のものなのか、それがよく実感できる一時だった。
だが、地獄の始まりは突然とやってきた。
いざ寝ようとベッドに入ったと同時に、轟音が二人を襲ったのだった。
専用耳栓なる代物を買いに行こうと街へ出かけるも時は既に遅く、お目当ての代物は完売御礼の札に代わっていた。
「振動は我慢できるが、音だけでもどうにかならねぇのか」
どれだけ嘆こうが轟音は必死に鳴り響く、轟音だけでもと策を練る。
ゴリムクラムディは屈強な山々に囲まれた場所に位置する町で、特殊な物質が発掘できる事で有名だ。そして轟音の何よりの理由はこの屈強な山々である。地図で見るとよくわかるが、ゴリムクラムディの町の周りには山脈があり、それらによって囲まれている。轟音は山脈から山脈へと町を挟んでの跳ね返りを繰り返し、最悪の連鎖が続くばかりとなっている。
轟音はそれ程の脅威だ。祭り行事を間近で見物する客は専用耳栓が重宝アイテム、それ無しではゴリムクラムディでの生活は無謀と言える。
「耳穴に紙でも詰めるか」
「そうだな。そうしよう」
二人は紙を丸めて耳栓代わりにしようとする作戦に出る。
と、その時だった。
「―――」
「―――」
アルベルドが轟音と轟音の僅かな間に何か悲鳴の様な声を聞いた。
「今、何か聞こえなかったか?」
「は?気のせいだろ」
「………そうか?」
アルベルドの疑問を軽く流し、ロイは軟らかな紙を耳穴へと詰めていく。
「やめ―――」
今度は確かに聞こえた。幼い少女の声で聞こえた。
外からの声だ。二人が急いで窓を開けて下の路地を見ると、そこには三人の大人に囲まれた少女の姿があった。
二人の居る五階の部屋から見ても少女が嫌がっているのがよくわかる。
人通りは少ない、というよりも祭り会場に人は取られ誰も居ない、上下左右の部屋を見渡しても誰も気づいている様子は無い最悪の状況だ。結果、行くのは自分達しか居ない。
「行くぞ」
「わかってら」
急がなくては少女の身が危ない。二人が向う間にも少女は三人の大人達に追い詰められていく。三人の大人達の顔は醜く、演劇をするならば悪役が絶対に似合う程だ。
煉瓦造りの家の外壁に追い込まれ、少女はビクビクと怯える。
冷たい煉瓦の感触を背中に感じた少女は、もう逃げられないことを覚悟した。
「大人しくしていてくれれば悪いことはしない」
「そうそう。大人しくしてくれれば楽しい遠足が始まるぜ」
「まぁ、世間一般では誘拐って言われているけどな」
今まさに、ここが人攫いの現場になろうとしていた。
「イヤ!」
非力に叫んだ少女はポケットに入っていた小石を強く握りしめ、それを力の限りに投げつける。小石は三人の内の一人の額にクリーンヒットする。
子供の力ではあるが小石が鋭く尖った形をしていた為に微量の血が滲み出る。
「チクショウ、このガキ!」
鈍い音と共に少女の体は横へ吹き飛ぶ、乱暴なビンタが少女の頬を襲ったのだ。地面に倒れた少女は必死に逃げようと起き上がるが、小さな体は軽く抱えられ、そのまま連れ去られる結末となった。
「イヤよ、おろして!」
わがままに暴れる二本の足が、担いだ大人の背中を交互に蹴りまくる。
「わかったから、わかったから静かにしてくれ」
「わかってねぇだろうが!」
乱暴な声と強い衝撃が誘拐犯の後頭部を襲った。
アルベルドが剣の柄部分で殴ったのだ。
「キャッチ成功!」
後頭部への衝撃によって倒れかけた誘拐犯から滑り落ちそうになる少女の体を、後方から全速力で走ってきたロイが奪取する。
そしてそのまま前方に見える大きな家の庭に駆け込んでは少女と共に避難した。残されたアルベルドは残り二人の誘拐犯と睨み合いになる。
「邪魔してんじゃねぇぞテメェ!」
チンピラ口調で殴りかかってくる誘拐犯を、軽快なリズムでスラッと避ける。次に体勢を低くして懐に入り込み、豪快な一撃を顎の下から入れた。
喧嘩慣れしたアルベルドの動きにもう一人の誘拐犯は戦意喪失となっている。そいつを二発殴ったところで力の差がわかったらしく『覚えていろよ!』の捨てゼリフを残して颯爽と去って行く。
「俺は覚えたくないから、逆に覚えておけ!」
驚異が去ったのを見計らったロイが少女の手を引きながら庭から出てくる。アルベルド達の立つ路上には光というものが一つも無く、漫画などではよく見かける路地裏と呼ばれる場所に位置する。
頼りになるのは月と民家から漏れる灯りだけなのだが、それだけでも真っ暗な場所である。そんな場所に迷い込んだとも思えない少女なのだが、今は体の心配をするのが懸命な判断といえよう。
「大丈夫か?怪我とかは?」
「だいじょうぶ。顔を叩かれたけど、だいじょうぶ」
暗くてよく見えない少女を、月が照らす場所まで連れて行く。
「我慢するなよ。後から泣かれても困るからな」
「我慢してないもん!」
アルベルドの方が絶対に年上なのだが、上から目線が気に入らない少女はアルベルドの爪先を強く踏んだ。悲鳴を上げず悶えるアルベルドに「フンッ」と、鼻息を吹き出し腕組をする少女、助けてもらった相手に対してこの態度とは、ある意味での大物になりそうだ。
少しでも視野が広がる場所に出てみたが、やはり少女だ。
年齢は九か十くらいで、金色の短い髪に蒼い瞳、高い鼻にふっくらとした唇、黒いドレスを着ている少女である。
その容姿からは西洋の人形らしいものが漂っていた。
そして首からはネームプレートが下げられている。
「ウェルテスタ?」
ロイがどこかで見たことのある名前だなと首を傾げて考えてみる。
アルベルドの方は全くといっていいほど何も勘づいてはいない。
「レイアだよ」
レイア・ウェルテスタ、依頼主と同じ名前だ。この時始めて二人は顔を見合わせ、赤く染まった依頼書を確認してみた。
レイアはその赤紙を見て目を丸く見開いた驚愕の顔をする。
「依頼主さん?」
「はい」
「ギルドの人ですか?」
「はい」
通じ合う心、レイアは嬉しさのあまり二人の周りをピョンピョン飛び跳ねた。アルベルドはレイアの子供らしいところを初めて見た気がした。
依頼はまだ達成できていないというのにも関わらずこの有り様だ。
達成した時はどれほどのものなのか想像がつかなかった。
「ねぇ、早くお爺ちゃんを助けてくれないの?」
可愛らしい小さな両手でロイの大きな手を温かく握る。
「あぁ、助けるさ」
「いつ?ねぇ、いつ?」
少女の瞳は希望に満ちた輝きを放つ、子供と言え大きな信頼感が伝わってくる。
「そうだな。先ずはいろいろ調べなきゃいけないし………」
「いろいろって?」
「家族構成やら、いろいろだ」
「お爺ちゃんと、お婆ちゃんと、それから―――」
「えっと、その、そうだな………」
困惑したロイを見かねたアルベルドがレイアの真後ろに迫り、小柄な小さい体を軽く持ち上げる。そして強い力で尻を平手で一発叩いた。
「ちょ、何するのよ!このヘンタイ!」
「あまり相棒を困らせてくれるなよ、迷惑馬鹿女!」
子供らしい大人と、子供の中の子供が喧嘩を始める。
夜の路地裏に響く二つの叫び声は止むことを知らず、次第に真っ暗になっていたホテルの窓から次々と灯りが生まれる。
一番大人のロイが非常識な二人の間に割って入るが、静まる気配は無かった。
「馬鹿女」
「ヘンタイ男」
どうしようかと悩んでいた矢先、一つの人影がアルベルドの背後に迫る。
そのことに何も気付かないアルベルドの説教音量は更に過激さを増していく。
「お前って絶対にわがままだろ。この自己中女!」
「あんたなんか絶対にモテないでしょ。このヘンタイ男!」
バコン―――。
収拾がつかない現場を止めたのは金属の鈍い音だった。
何者かがアルベルドの後頭部を炭鉱採掘用のシャベルで殴ったのだった。 危うく舌を噛みそうになったアルベルドが直ぐに反撃に出ようと振り返る。するとそこには顔を真っ赤に染めた鬼の形相の女が、シャベルを振り上げて二撃目を繰り出そうとしているところだった。今度は間違いなく顔面直撃コースである。
「私の妹に何してんのよ、この変態男!」
ガコン―――。
今度は地面を叩く音がした。叩かれた地面にはシャベルの跡がくっきりと残されている。
あんな一撃を頂いたらと思うと背筋は凍った。
それによりその場の全員が口を閉ざす。
二撃目を貰う筈だったアルベルドは驚きの速さで回避していた。
尻餅をついて、額には油汗がジワジワと浮き出ている状態である。
「お姉ちゃんダメだよ。この人達はギルドの人達だから!」
「えっ?」
どうやら人攫いだと思ったらしく殺すつもりの一撃だったらしい。
そのことを後で知ったアルベルドとロイは更に背筋が凍る結末となった。
アルベルドとロイがゴリムクラムディに到着する一時間前のこと、とある建物の薄暗い廊下を口笛混じりに歩く一人の男が居た。
短い黒髪、日焼け肌、上下は黒いスーツ姿の男。
右手には大砲が直撃しても傷が一つも付かなさそうな程の頑丈なアタッシュケース、左手には銀色に輝く一枚のカードキーが握られている。
周囲に人の気配は無く、男は気軽にとある場所へと向かう。
「ここだな」
軽快に歩いていた足が、数ある扉の中の一つに止まる。
男がカードキーを、扉に装着されたカードリーダーに当てて咳払いをしてみせる。するとリーダーは青く光り扉のロックを外した。
ロックを外すにはカードキーと設定許可された者の『声』が必要らしい。
そして男は部屋への入場を許可された者ということ。
「ニャー」
扉を開けると始めに出迎えたのは一匹の猫。首周りにはライオンの様なフサフサの毛があるにも関わらず、胴体にはフサフサどころか毛という毛は一本も無い。しかもその胴体の模様はチーターを連想させる黄土色の斑である。初めて見る者であれば『猫なのか?』と、考えたりもするだろう。
しかしこの男は見慣れているのだろうか、そういう素振りは全く無い。
「やぁ、よく来たね。キラーが教えてくれたよ」
年をとった男の声がした。部屋の奥には初老を迎えていそうな男がワイングラスを片手に椅子に座っている。猫の名前はキラーというらしく、キラーは初老男の足下へと走って行く。
窓から多大な太陽の光が入り、逆光のせいで初老男の容姿は全く窺えない。
「かなりの苦労でしたよ。ここまで来るのに沢山の障害があった」
「そうか、それは御苦労だったな。それで?約束の品はどこだ?」
「焦らずとも、ここに」
男が右手に持っていたアタッシュケースを中年男の前に差し出す。
太くも長い人差し指がダイヤル式の鍵を慣れた手つきで開錠し、初老男が待ちわびた目で約束の品という代物の登場を見つめる。
「おぉ、これだ。待ちわびたぞ」
アタッシュケースの中にあったのは小さなハンドガンと赤い錠剤が入った小瓶。
「報酬は?」
「焦るな。わかっておる」
初老男は豪華な机の引き出しから二枚の紙を取り出して男に渡す。
男は紙に書かれた内容を確認し、二ヤリと笑う。
「これでお互いに会うことは無いですね」
「言っておくがこのことは―――」
「わかっていますとも。誰にも知られてはいけない」
「ならよい」
最後に二人は一呼吸だけ置いて、静かに見つめ合う。
「それでは、さようなら」
「互いの人生が幸福であることを願おう」
ここで秘密の会話は終了。男は部屋を出て、初老男はキラーを抱きあげて不敵に笑う。
そして咳払いを一つ吐き、
「住処もろとも消せ」
初老男のセリフと共に、褐色の肌に上下黒服の執事がどこからともなく現れる。
まるで室内の風景と一体化して、最初からそこに居たかのような感覚。
表現するならば透明人間というのが一番に当てはまるだろう。
「了解しました」
褐色の執事は殺気を殺して部屋を出る。
「フフフ………」
残された初老男は不敵に笑った。
時間帯は深夜二時の丑の刻。町の広場に向けて歩く四人の人影。
大きな態度で歩くアルベルドという青年、紳士的な風格を持ったロイという青年、幼いながらにして大人顔負けの少女のレイア、そしてその姉のエメリアという強気な女性。
金色のサラサラロングヘアーに蒼い瞳、高い鼻にふっくらとした唇、妹のレイアと同じ西洋の人形らしいものが漂う少女である。
違うところといえば、大人らしい気品があるという事とその服装だ。
上は白いパーカーのような物で、下は膝まである赤いスカート、靴はモコモコ付きの暖かそうなブーツ、様々な服を着こなすプロのモデルでも『一級品』と頷ける。
「こんな暗い道を一人で歩くなんて、何を考えてるのよ!」
エメリアはレイアに対して怒っている。真夜中に少女が一人で夜道を歩くなどと、異常なことと言えよう。今は祭りの期間で様々な人間が町に集まっている。
集まっている人間は旅行客だけではなく、人攫いやスリといった犯罪に手を染めようとしている者も当然ながら居る。
現に先程までレイアには危機が迫っていたわけで、アルベルド達が居なかったらどうなっていたか、考えたくもない事だ。
「まぁ、二度としないよな?」
怒られているレイアを庇いつつ、ロイが横から割り込む。
アルベルド達がホテルを出発してから今までの間に、エメリアのお説教がずっと降り注いでいるのだ。状況が状況だった為に見ているだけだったロイだが、怒りが静まる気配は無くレイアの表情も次第に泣き顔になってきたので、咄嗟に割り込んだのだった。
「また泣きそうな顔するのね?あのね、何でも泣けばいいってもんじゃないのよ?」
「ほ、ほら、泣かないよな?目にゴミが入っただけだろ?」
「本当にわかっているの?あれほど一人は駄目って言いつけておいたのに、ロイさん達が居なかったらどうなっていたことか」
ロイが庇えば庇うほどに悪化していくエメリアの怒り、このままでは大声で泣き出すのも時間の問題だ。紳士的な性格のロイは『女の泣き顔は見たくない』と、日頃から言い放つくらいの人間で、レイアの泣き顔は何としても食い止めたい一心だ。
「それと、ギルドを雇うお金がどこにあるの?それも駄目だって言ったよね?」
ガミガミとしたお説教は目的地までずっと続きそうな勢いだ。
レイアに釣られてロイも心が折れそうになっていた。
「お前がちゃんと面倒見てないから駄目なんだろ」
ここで余計な一言がエメリアを背後から襲った。
それと同時に実際には絶対に聞こえることのない『グサッ』という大きな音も聞こえた様な気がした。それは火に油を注ぐ行為といえるもの、アルベルドは小指で鼻を弄りながら明後日の方向を見る。
「何よ、あんた。余計な口出しは要らないけど?」
「余計だとか、余計じゃないとか、関係無くね?俺は言う、『お前が悪い』ってな」
次に『ブチッ』という音も聞こえた様な気がした。もう、誰にも止められない。
「偉そうに………、他人は黙っていてくれません?これは教育ですから!」
「嫌だ、黙らない。お前が悪いから謝れ。そして黙れ」
ああ言えばこう言う、ノンストップのキャッチボールが始まった。
一気に部外者となったロイとレイアは家へと向かう為に足早に現場を離れる。二人の男女の光景はカップルの痴話喧嘩と全く変わらぬものがある。
「あんたが黙れ!偉そうに、何様のつもりよ!言っとくけどあんたらギルドに払うお金なんて無いからね!」
「うるせぇ馬鹿女!お前みたいな頑固に払ってもらいたくないんだよ!依頼主はレイアなんだからレイアに払ってもらうのが決まりだ!」
「生憎ですが、レイアにそんなお金はありませんよ。残念でしたね」
「なら親に払ってもらうのが礼儀だな。言っとくがキャンセル料も貰うからな」
「はぁ?馬鹿言わないで、そんなお金は無いって言ってるの!」
「この詐欺師!訴えるぞ!」
「やれるものならやってみなさいよ」
「あぁ?やってやろうじゃねぇか!」
ドン―――。
ヒートアップしていく二人の口喧嘩は柔らかな壁に衝突するのと同時に止まった。お互いに前方を確認しておらず、顔を一旦見合わせた後に一緒に前の壁を確認した。それは壁ではなく人間。
それも大きなお腹をした大男の人間だった。
柔らかい感触の正体は間違いなくお腹。身長は二メートルぐらい、坊主頭に黒いサングラス、短い髭がジョリジョリに生えた汗臭い筋肉ムキムキ大男である。白シャツに付着した黒い汚れは、どんな強力な洗剤にも勝てる勲章。そんな大男を見た途端、エメリアの顔は鬼の形相から一変、大人しい娘の顔へと変わる。
その理由が知りたいアルベルドだったが、今は目の前の壁ならぬ大男に注目する。
「何だ?何か用事かオッサン」
「俺の娘を………」
大男の太い腕が振り上げられる。腕の表面に太い血管が浮き出ていることから、かなりの本気だと予測できる。
「盗るとは何事だあぁぁぁぁぁぁ!」
まさかの父親乱入で謎の三角関係バトルが勃発した。
この親からどうやってエメリアとレイアができたのか、アルベルドの内に抱く世界の七不思議が八不思議に変わるかも知れない緊迫した状況、でも今はそれどころではない、この汗臭い親父は何か大きな間違いをしていらっしゃる。と言うよりも絶対にしている。
「若僧、俺の許可無くしてエメリアと付き合うことは許さんぞ」
「おいおい、誰がこんな馬鹿女なんかと付き合うかよ。願い下げだね」
「貴様!それでもエメリアの男かぁ!」
「どっちだよ、このクソ親父!」
ヒートアップの中のヒートアップ。過激化する三角関係から一番に飛び出したのは、台風の目であるエメリア。男同士による喧嘩の現場から、徒歩で約十秒の所に建てられた家の中へと入っていく。残されたアルベルドはというと、依頼主の父親であるので危害を加えるわけにもいかず、一方的に太い腕を避けるしかなかった。誰にも止められない熱い決闘は静まることを知らず、広場のイベントショーに匹敵する程の場外イベントと化している。
「親方、大変です!爆薬が詰まりました!」
するとそこへ、一人の汗臭い男が青冷めた表情で勘違い親父に助けを求めてきた。
広場の方も何やら騒がしく雰囲気が漂う。
「何だと、そいつは大変だ。俺も今すぐ行く!悪いがお前はこの女垂らし野郎を家まで案内しろ。後でキッチリ話がしてぇからな」
「へい、わかりました。ほら、来い。この女垂らし野郎が!」
騒ぎ立てながら暴れるアルベルドの体をガッチリと捕まえ、先程エメリアが入っていった同じ家へと引きずり込んでいく。
ガリガリという靴の踵とアスファルトの摩擦音が必死の想いでの抵抗を語る。モヤシの如き細身の体が土木系兄貴の筋肉に勝てるわけもなく、されるがまま家の中へと消えていく。
「放せっての、この筋肉馬鹿が!」
家の中は外見からは想像もつかない程の広さだ。
下も上も木の造り、白い壁は石を加工して造られたもの。
天井から吊り下げられた小さいシャンデリアは、室内を照らすのには十分な物だ。和の造りというよりは洋の造りの一軒家で、とても住み心地の良さそうな場所だ。そんな室内にアルベルドが連れ込まれて真っ先に視界に入ったのは、筋肉質の汗臭い肉体ばかりだった。
今日は祭りの初日とあって、オープニングから飛ばしまくる職人達を休ませる為の休憩所として使われていたみたいだ。首に薄地のタオルを巻き、黄色や白色のヘルメットを着用した男達が一斉にアルベルドを睨んでいた。
「何だ?新入りか?」
「坊主、そんな細身でこの仕事が務まるとでも?」
「俺達の仕事も舐められたもんだな」
酒臭い息が窓から入る風に乗ってアルベルドの鼻穴に入る。
酒などのアルコール物が一切として苦手なアルベルドは「うっ!」と言う悲鳴と共に、腹の底から込み上げる何かを感じた。
それにしても理由も知らないくせに罵声が飛ばされるなど屈辱的なものである。
「おい、聞いてくれ兄貴達!このガキが親方の娘に手ぇ出したんだって」
この一言の直後に冷たい空気が流れる。そしてガタッ、という音と共に先程まで酒を飲んでいた男達が椅子から立ち上がり、ゆっくりと詰め寄ってきた。どうやら禁断の一言が勝手に発動したらしいのだが、今すぐにでも吐きそうなアルベルドにとっては、そんな事はどうでもいい事態だった。
「お前ら、俺達のアイドルに手ぇ出したこのガキを許すなよ!」
「当たり前だ!」
「変態野郎には罰を与えてやれ!」
室内は男気と汗臭さと酒臭さで溢れている。
一気に爆発した男達はアルベルドを中心まで引きずると、逃げ場の無いように取り囲む。
酒に酔っていることもあり調子に乗った者が大半となっているので、下手をすれば何をされるかわからない状況。しかし現在のアルベルドは抵抗する力も、逃げる力さえも無い状態となっている。
「先ずは体に躾だな」
男達の中でも群を抜いての筋肉の持ち主がトップバッターとして名乗り出る。肩をグルグル回しながらの登場の背景には、怪物の二文字が幻覚として見えてしまう程の圧倒的な威圧感がある。
傷だらけの体は男の勲章とでも言いたいのか、他の男達は何故か次々とシャツを脱いでいく。第三者の目から見れば何とも馬鹿な光景に映るだろう。
二人の男の筋肉が細身のアルベルドを固定、強く握りしめている。
「さぁ行くぜ、坊主!」
太い腕が今まさに襲いかかろうとした。その時、
「うるさい馬鹿共が!」
男達の騒ぎを一掃する甲高い声が、アルベルドの前に立つ怪物の背後から聞こえてきた。
そして怪物を始め、周囲の男達の顔がみるみる青冷めていくのがわかる。
「この声は………」
男達は一斉に注目する一点には、大きな体に大きな鳩胸を持つ中年の奥様がフライパンを片手に仁王立ちしていた。お団子頭に鋭い目つき、古き良き母親と胸を張って言える程の迫力の持ち主、それに凄く怖いものを感じる。絶対に叱られたくはない人物と言える。
「女将さん!」
「飲み会程度なら許してやってるんだよ!それなのに喧嘩騒ぎまでされたとあっちゃ、こっちは『超』が付く迷惑だよ!」
「す、すまねぇ、もう喧嘩しないから………」
「『もう』じゃなくて、『これからは絶対に』だよ!」
「は、はい。これからは絶対に喧嘩をしません」
「わかったなら早く出て行きな!いつまで休憩しているつもりだい!」
「わかったよ。わかったから怒らないでくれ」
フライパンを振り回す女将に逃げ惑う男の大群。
玄関から勢いよく飛び出す姿は蟻の大群を連想させた。
一目散に会場へと戻っていく兵士を見送った女将は、腰に手の甲を当てながら大きな鼻息を漏らし、「まったく」と言いつつリラックスした。
休憩所となっている家の中は強盗にでも入られたかの如く荒れており、男達の騒ぎ具合がどれほどの規模かを物語る。
男達を解き放ったばかりの女将に休みは無い。こうしている間にも祭り会場からは次の休憩陣が迫っているのだ。二つのチームが交互に休みをする度に室内を掃除し、つまみの支度をしなくてはならないのだ。
それを思うと女将のパワフル精神の理由が納得できてしまう。
「エメリア!帰っているなら手伝いなさい」
女将の体は玄関の外を向いている。視線は向かいのご近所方向に向けられている。
「御機嫌麗しゅう母上様、何でわかったの?」
まるで最初から気づいていたかのようなタイミングでの一言に、静かに気配を消していたエメリアは驚く。
「それがわかったら見逃してやろう」
「鏡か、何かに映っていたとか」
「不正解だね。だったら手伝いな」
「嫌よ。朝早くから手伝ったじゃない!レイアも帰っているし、レイアに手伝わせたら?」
「レイアはまだ幼いから手伝いは無理だよ」
「そんなの差別よ!酷いわ!」
「教育って言ってほしいね。さぁ、早く手伝いな」
言い合う二人は親子の関係と見た。この母親にこの娘在り、口喧嘩の調子が上手く噛み合っているのが何よりの証拠となる。
それにあの父親となれば、素晴らしい程に胆の据わったお嬢さんなのが頷ける。
「嫌だったら!絶対に嫌だからね」
「もう、いい加減にしなさい!」
玄関に立て掛けてあった一本の箒を手に取り、般若の形相でエメリアに襲いかかる。逃げるエメリア、追いかける母親、まるで喜劇の一部を観ているようだ。箒が飛び、フライパンが飛び、その上エプロンまでが飛ぶという超大作喜劇。
「あれがお前の母ちゃんかよ」
「うん」
レイアに誘導され二階のベランダから侵入した意味がわかった。
二人はキッチンの陰から喜劇という脅威を堪能するが、それには絶大な恐怖が纏わり付く。
幸いにも二人の存在には気が付いていない母親はエメリアを執拗に狙う。
「おい、場所を変えよう。これじゃ無理だ」
依頼内容の確認をしようと思い下に降りてきた二人だが不運にも場所が悪い。こっそりと場を離れることにするが、
「レイア!もう寝る時間だよ!」
存在には『たった今』気付いたらしい。
「レイア、あんたも道連れよ」
卑劣な行為に出た姉がレイアへと迫る。レイアを捕まえ、何とか標的を逸らそうと母親の前へ差し出す。
「何しても一緒だよ。まとめてお仕置きだからね!」
「ひえぇぇ」
母親の太く、大きな両手が姉妹に迫る。姉妹揃って『これまでか』と覚悟する。瞼を強く閉じて脅威に耐えようとしていた。まさにその時、
「ぐえっ」
蛙に似た悲鳴が聞こえた。
ドスーン―――。
大きな音と共に床へと前倒れになる母親、唖然とする姉妹とロイ、三人の目線の先には気絶中のアルベルドに躓いた母親の姿があった。
そして姉妹が声を揃えての一言、
「助けてくれてありがとう」
そんな優しい感謝の一言は、気絶中のアルベルドには届かなかった。