第一章《7》
ゴミ箱を覗いた時に、藤色は見ていた。
笹木の足にしっかりとしがみついていた大きな手を。グイグイと引っ張っている手を。
その手首から先がないことも、見ていた。
だからこそ現実逃避したのに、現実というものは逃げることを許してはくれなかった。
「こちらに居ましたか」
藤色にしがみついて悲鳴をあげ続ける笹木の襟首を掴み引き剥がそうとしていると、ルガシオがにこやかに歩いてきて、噴水の縁にいる手を見つけるとああ、と笑った。
「見つかったようですね。ですから最初からお会いになってればよかったのです。恥ずかしいだの気まずいだのおっしゃって逃げてらっしゃるから、余計会いづらくなるのです。陛下と共に紹介に与っていればこのように怯えさせることもなかったのではありませんか?わたくし、何か間違った事を申しましたか?ええ、そうでしょうとも。間違った事を申してなどおりませんよね。間違ったのはラティラト様とレフィガラト様ですからね。わたくしまちがっておりません」
「あの、ルガシオさん?」
「はい、なんでございましょう」
右手と左手が指を絡めるように互いにすがり付きながらカタカタと震えている。
「そちらは…」
「ああ、はい。こちらはラティラト様とレフィガラト様です」
「手、ですよね」
「はい。手でございます」
「私たちを連れてきた」
「そうなの!?」
「その通りでございます」
「と、するとですよ」
「はい」
「死にかけた私たちに延命処置をしてくれてたっていう…」
「死にかけた原因ですので気になさらなくて結構でございますよ?」
「いや、それ言われると微妙なんですけど、一応日本人としてお礼を言わないのはちょっとどうかと」
「ふ、藤色さんが人間らしいことを口にしてるっ!?」
「おいまてこら笹木。どういう意味だ、あ?」
「いつも人を弄っては楽しそうに笑ってる藤色さんがっ」
「楽しいものは楽しいんだから問題なし。弄りがいのある方が悪い」
「責任転嫁された!」
言い切った藤色に、ルガシオが手を差し出した。無言で握り返す藤色。
「いやぁ!同類が頷きあってる!」
「るっせ。笹木さんだからいいの」
「あれ?私の人権は?」
「人間辞めてるからないない」
うわぁん!と泣き出した笹木は、バチリと目があった気がした。目はあるわけないが。
あっちがその気ならこっちだって。
笹木は意を決して手を差し出した。左手に左手を。右手に右手を。力強く握り返してきた手たちに、それまであった恐ろしさなど吹き飛んでいった。
そんな一人と手たちを眺めていた同類二人は、歳も性別も種族も生まれ育った世界の違いもなんのその。そろって笑顔だった。
弄られ安い存在がいくら集まった所で、怖い所か楽しくてしかたないのだとなぜ気づかないのか。
「フジェロ様とはぜひ仲良くしていただきたいものです」
「こちらこそよろしくお願いします」
「そんなフジェロ様にお教えしておきたい事がごさいまして」
「なんでしょう」
一歩下がったルガシオは噴水を手で指した。にこやかだというのに、目がまったく笑っていない。そして、至極憎いという目で噴水の中心にある石像を睨む。
「あの石像がフジェロ様とササ様が落ちていらっしゃった際にぶつかりました石像でございます」
それはひどい有り様だったと言う。
どちらも前と後ろからの差はあれど、見事に心臓の位置を打ち付け、衝撃と負荷により破裂してしまっていた。肋骨は折れ、口や鼻から行き場を失った血が留めなく溢れ、噴水の水を赤く染め、辺り一面が惨劇さながらの光景となった。
右手のラティラトが藤色に、左手のレフィガラトが笹木の心臓部分に張り付いて必死に延命しなければ生きていようがなかった。
「何を隠そうとこの石像、150年ほど昔に実在した人族の勇者その人でございます」
「…本人?」
「はい」
「生きてんの?」
「石化の魔法をかけてあります。解けば、生きているでしょうね」
「…なんでいんの」
「フジェロ様」
「…はい」
「ラティラト様とレフィガラト様は、今でこそ自我を持ち生きてらっしゃいますが、元は魔王陛下の両手でございました」
そんな気はしていた。
「150年前にラティラト様とレフィガラト様がお生まれになりました」
「つまり勇者が切り落としたと」
「そのとうりでございます」
輝かんばかりの笑顔でルガシオは頷いた。
魔族が人族を脅かし、世界を云々と騒いでいたのは1000年以上昔のことで、当代魔王であるカベルネのひとつ前の魔王が、馬鹿馬鹿しいと人族に和平を申し出たのだ。人族の国は大小かなりの数があったため、当時特に大きかった4つの国と、魔族の国と隣接していた3つの国々を代表とした。争わなくていいならばと、初めは半信半疑ながらも和平はなり、時が経つにつれ人族は魔族の存在を受け入れ始めた。魔族は人族は持ち得ない膨大な魔力を持っていたため、その魔力を人族が使いやすいように石に込め、魔石として提供した。人族は代わりに食べ物や衣服などを魔族に提供し、それなりに上手く両族間の亀裂は塞がりつつあった。いつしか亜人族が加わり、争わず高め合える平和な時代がくると、多くの者たちが思っていた。
「先代様からカベルネ魔王陛下が魔王となられて350年ほどした頃でございました」
気違いのような、勇者と言う男が魔王城に乗り込んできたのは。