第一章《6》
笹木から逃げるためがむしゃらに走っていた藤色は中庭に出て、今自分がいる建物の全貌を目にした。
白亜の城。
物語に出てくるような美しい城だ。某テーマパークにも夢の城はあるが、あの比ではない。孤高、という言葉が良く似合う。
ぐるりと中庭を見回して、藤色は腕を組んだ。
きれいに調えられた中庭の木々や草花。敷き詰められた石畳に清涼感に溢れる噴水。若干噴水の中心にある石像が不釣り合いな気もするが、アクセント、なのだろう。たぶん。
魔王の住まう魔王城。ではない。むしろ物語の中心だろう。お姫様とか王子様とか。
「は、現在心臓で私の中、か」
とにかく似合わない。青空だし。空気爽やかだし。花咲き乱れてるし、きらきら飛んでる発光物体までいるよぉ?
「あんれぇ?」
いくら目を擦っても現実は変わらなかった。
思えばすれ違ったお城で働いているメイドさんや騎士や侍従らしき人たちは魔族らしくなかった。少なくとも藤色の思う魔族とはかけ離れていた。肌の色以外は、だが。
そこはやはり魔族なのか。髪の色がカラフルなのはわかる。しかし肌の色までもカラフルなのは目に優しくない。
真っ青な肌に橙色の髪、緑の肌に赤髪。黒い肌にピンクの髪。赤い肌に水色の髪。
いったいどんな進化を遂げた!?
地球の常識は偉大でありながら洗脳のようなものだ。払拭するのは時間がかかるだろう。
「ん?」
パタパタと中庭に面する廊下を駆けてきたメイドが、藤色を見つけると目を見開き、廊下の奥に向かって手を振る。
「こちらです。おりましたよ、ササ様」
「ふ〜じ〜い〜ろ〜さぁんっ」
廊下の奥から現れたのはボロボロと泣きじゃくっている笹木と、笹木を支え慰めてくれているメイドと侍従。
無性に見てみぬ振りをしたかったが、迷惑をかけただろうメイドと侍従に悪いと思い、踏み止まる。
「迷ったっ」
「何歳児だ!」
「藤色さんがいなくなるからっ」
「後ろ走ってたよね!?ガチで怖かったんだからね!」
「気づいたら東の回廊にいたの」
笹木の横に立っている侍従を見やる。
「こちらは西の中庭ですので、反対側になります」
目線を笹木に戻す。
「馬鹿か」
「ひどっ」
「お仕事がある人たちの手を煩わせてなにしてんのさ。憑いてくるなら憑いてくるで根性見せなよ」
「…憑いてっていいんですか?」
「全力で振り払うから」
「真顔で言い切った!」
ひとまず迷惑をかけたメイドと侍従にお礼を言って、謝罪をする。微笑ましそうにこちらを見ながら仕事に戻っていく彼らを見送ってから、笹木はふらふらと噴水に近寄った。
年甲斐もなく泣いてしまった。藤色を見失って、恐怖が襲ってきた。恐怖のあまり周りが見えなくなり、メイドと侍従が見つけてくれなかったら、あの大きな壺の中で今も震えていたのではないだろうか。
あれは全部が全部笹木ではなかった。
あれはきっと…
「…?」
噴水の水で顔を洗った笹木は、水の冷たさに意識がはっきりとしてくると小さく息をついた。拭くものがないので犬のように頭を振り、立ち上がろうと噴水の縁に手をかけた。
ぺとりと、その手に冷たい手が重なった。
爪は黒く長い上に鋭い。指はすらりと長く、少しごつごつと男らしい指だ。大きな手は笹木の頭を簡単に掴めるくらい大きい。
指の配置から左手だ。
手、だけだ。手首から先がなかった。
「ぴおっ」
叫びかけた喉がひきつる。噴水の水の中を、反対の手だろう物が優雅に泳ぎ、左手の横にまるで何をしているんだ?とばかりに指をかけた。
「ホラーー!!」
反射的に振り払った手から左手が弾かれ宙を舞う。その姿を笹木の様子がおかしいと窺っていた藤色がようやく捕らえた。
その左手を、噴水の縁に上りきった右手を、藤色は見たことがあった。
「誘拐犯」
そう、それはゴミ箱の中で。
誘拐犯登場