第一章《5》
呪いが心臓に達する前に、オートロスとエシルカは自ら魂を心臓に移し、ありったけの魔力を注ぎ込んだ。魔力を注ぎ終わるとカベルネがふたりの心臓に不可侵の魔法陣で結界を張った。呪いの侵食を抑えていた魔力がなくなれば肉体が腐り落ちるのは早く、愛しい我が子が変わり行く様をカベルネと妻は目を反らすことなく見届けた。
残った心臓は上手く呪いから逃れ、魔王夫妻の側に常に置かれた。
生きているが生きていない。
オートロスとエシルカがそんな不安定な存在になって50年程した頃、彼女らは墜ちてきた。
「どんな姿でも本人達に生きる意志があるなら生きていて欲しかった。意思の疎通は念話でできたからな」
「テレパシーですね!」
「魔族の生命力パネェ」
「不死族なら心臓が無事だったら蘇ることもできただろうが、種族には得意不得意があるから」
「魔王様はなんて種族ですか?」
「魔王は魔王でしかない。妻は鬼族で、娘が血を色濃く継いでいたよ。息子は次代の魔王だった」
「魔王子ですね!」
「笹木さんの夢があふれてるよ」
「藤色さんの夢はあふれてないんですか?」
「夢は見たいけど、今は墜ちてきた、という点について聞きたいかな」
あ、と笹木は口にするとカベルネを見た。にこにこと、カベルネだけではなくルガシオまで笑っている。これは楽しんでいたな。そう藤色はため息をついた。
いつも必ず話が脱線するため、どこまで脱線するか。なにより脱線する会話を楽しんでいるようだ。
笹木も気付いたのか口を閉ざした。残念そうな顔をするおじ様もステキだ。
「笹木さんは心臓が魔王様の子供のだって聞いてたんでしょ?」
「うん」
「なんでそうなったか聞いてないの?」
「聞く前にパニクった」
えへ。と笑って誤魔化そうとする笹木をじとっと見て、藤色はため息をついた。
「墜ちてきたのは君たちだよ。中庭の石像にぶつかったのか大惨事だった」
「グロ!」
「連れてきた奴が必死に延命魔法をかけていたが、心臓が潰れていてな」
「うわ!」
「そこでオートロスとエシルカが思いついたんだ。何もできないままでいるくらないなら、君たちの心臓になって一緒に生きてみよう、ってね」
「…じゃあ」
「ああ。君たちの心臓は我が子の心臓であり我が子そのものでもある。時間がかかったけど、うまく馴染んでいるみたいだね」
自分の胸に手を当てて黙り込んでしまった藤色に、カベルネは不安そうに眉を下げた。先に心臓の事を話していた笹木もパニックを起こした。
いくら命を助けるためであっても魔族を簡単に受け入れることは難しいだろう。それも心臓だ。馴染むということは変質すること。人族の肉体が、魔族の心臓に耐えらられるように作り替えられ、人族ではなくなる。
半魔。そう呼ばれる中途半端な存在と似ている。
しかし心臓は次代の魔王と鬼族の物なのだから比べるまでもない。
そう考えてカベルネは頭を振った。
彼女たちにこちらの都合など意味はない。勝手にやって勝手に期待するのは彼女たちも迷惑だろう。見守り助けると、約束したのだ。
「いくつか質問していいですか」
俯いたまま、藤色が言う。カベルネはもちろんだと頷いた。
「私の心臓って、息子さんですよね」
「そうだよ」
「ってことは、私の性別ってどうなってるんですか!?」
「確かに!」
「女?男?それとも性別の壁越えちゃった!?」
「大丈夫だから!女の子のままだよ」
「じゃあ、笹木さんはなんで若返ったの」
「心臓の影響だよ。ササはエシルカの心臓をもらったから、エシルカと同じくらいの外見年齢になったんだ。人族だと、15歳くらいかな」
「6歳若返ってる!」
「藤色さんはふけたからね」
「!?」
「あ、藤色さん?そこまでショック受けないで?似合ってるよ!少し大人っぽくなっただけだから!」
「オートロスは人族だと25くらいだったぞ。似合ってるし、しばらくそのままだ」
「しばらく!?これ以上老けたり」
「は、ないな。俺は1000年以上今のままだ」
「それもやだ」
「常時中学生!悲しむべき?喜ぶべき?」
「やーい。ただでさえ成人しても学生って言われてたくせに更に童顔になってやんの」
「ひでぇ!藤色さんひでぇ!」
「…ずいぶん、落ち着いているな」
取り乱すことを覚悟していたカベルネは拍子抜けしたような顔をする。笹木と藤色は顔を見合わせると微妙な顔をした。
「心臓をいただいたって聞いた時に、こりゃダメだって思いました。私が私だけだったら、帰れるかもって期待したかもしれません。でも、無理でしょう?馴染むまで時間がかかった。でも馴染んでしまった。私は私だけじゃなくなった。よくある話です。神話の話。あの世の食べ物を食べたら帰れなくなった。食べ物どころか特大の鎖が着きましたよね、私たちに。大丈夫です。怨んでません。楽しませてもらいます。楽しまなきゃやってけません。帰せって喚くかもしれません。帰りたいって泣くかもしれません。ただ泣いてるかもしれません。でもいつか、吹っ切れます。時間があるなら、ちゃんと思い出まで持ってきます。未練にはしません。たぶん」
「…藤色さんほどはっきり言えないけど、おんなじ感じです。まあ、藤色さんいればとりあえず大丈夫だと思います」
「私はその期待が怖い」
「憑いてきますよどこまでも」
「逃げるから!」
「逃がすかぁ!」
イスを倒して逃げ出した藤色を追いかけて笹木が走り出した。
その光景が昔よく見た息子を追う娘の追いかけっこと言う名の狩りと重なり、カベルネは吹き出した。肩を震わせるルガシオの肩を叩き、涙が出るくらい笑った。
ああなんて、なんという、幸福。