第一章《4》
魔王の子として生まれたエシルカとオートロスは、両親によく似ていた。
穏和でよき王であろうと尽力する強き父と、苛烈であるが優しさに溢れた美しき母の元に生まれた兄妹は、自身も立派になろうと手を取り合い、優秀な臣下に支えられながら成長をしていた。
事が起きたのは、オートロスとエシルカが両親に代わり地方の視察に赴いた時だった。
領主が人族を奴隷にしていると報告を受け、領主の館に踏み込んだ。
ただの奴隷ならば問題はなかった。奴隷とは主に犯罪を犯した者に課せられる罰である。奴隷の違いは首に付けられた枷の形と色により判別できる。軽度の罪ならば首にぴったりと付けられる革のような枷だ。重くなるにつれ鎖が増え、重度になると金属の枷となる。色は罪状により色分けされていて、償いと反省、改心するにつれ色が薄くなっていく。白になれば枷は勝手に消え、解放される。これは誰にも阻止することはできない。枷は人の采配を超えた何かによってされる。罪を裁くのはヒトではないのだ。人族も魔族も他の種族であれ、神殿で罪を問われれば等しく裁かれる。魔王であろうと例外はない。
神殿で罪を裁かれ、枷を付けられた奴隷達は、最低限の心身の保証の元に神殿から斡旋された地で罪を償い続ける。
問題なのは、神殿から領主の元へ、領主から神殿への紹介斡旋要求は行われてなかった。であるのに奴隷を運ぶ黒馬車が領主の館へ入るのを見た者が複数いた。その中で黒馬車から降ろされる奴隷を見た館の使用人がオートロスに泣きついたのが事の発覚だった。
奴隷に付けられた枷は軽度の物。しかし色は斑であったという。
斑は保証されるべき最低限の心身の保証すら守られていない事を表す。
不法に奴隷を入手していたのは領主の息子だった。捕らえられた領主の息子は王都へと護送された。
もう大丈夫だとエシルカが微笑みかけ、地下にいた奴隷の少女に手を伸ばした時、オートロスは領主の息子の部屋で見つかった封書の束を部下に渡し、父に届けるように指示を出していた。その足でエシルカのいる地下に向かっていた。
地下に足を踏み入れると悲鳴が聞こえ、エシルカに掴みかかる奴隷の少女を見つけた。その場にいた兵士達の誰よりも早くエシルカと少女を引き離して、オートロスは息を飲んだ。唇を噛み、自分とエシルカ、そして少女を囲むように不可侵の魔法陣を展開させた。
「『不治癒の腐体』という呪いがあるんだ。解呪も治癒もできず、体が腐ってしまう呪いで」
人族と魔族の仲が悪かった頃、魔族に太刀打ちできなかった人族が作り出した対魔族専用の呪い。魔力が少なければ瞬殺、多ければ多少時間がかかるが、確実に魔族を殺したものだ。
厄介なのは呪いを法印に留めていつでも使用ができること。そして法印の保持者に触れただけで呪われるということ。更には、呪われた対象に触れた者までもが、呪われてしまう。
「俺と妻が駆けつけた時には腐敗が始まっていてな、生きたまま腐る苦しみに必死に堪えていたよ」
どうすることもできない周りに、オートロスは笑った。顔には脂汗がにじみ、痛みと苦しみに堪えながら笑った。エシルカも気丈にも微笑んで見せた。
『――父さん、ぼくらは生き残る事を諦めません』
それだけで何をしたいのかカベルネにはわかり、キツく目を瞑ると頷いた。
「魔王の子ともなれば生命力も普通の魔族よりも強い。それこそ、臓器に魔力と魂を押し込めて暫くの間命を繋ぐ事ができるくらいには、しぶとかった」
臓器、と聞いて藤色の頭の中ではビチビチと魚のように跳ねる内臓が歩いたり食事をとったりしていた。ああ、胃に直接食べ物を入れる前に小さくしないと。まんまは入らないよ、消化不良になるよ。
藤色の頭の中をなんとなく察知した笹木は顔を青くした。
「…内臓って乾燥したら破れますよね。腸内物とかってそのまま?」
「藤色さんやめて!グロいのイヤ!」
イヤ!ともう一度叫んだ笹木の前にそっと紅茶が差し出された。ふわりと香るいい匂いに息をつくと、おそるおそる横を向いた。
「ミルクはいかがなさいますか?」
きっちりと着こんだ執事服に片眼鏡。僅かに混じる白髪混じりの焦げ茶の髪を後ろへと撫で付け、柔らかな物腰と目尻による皺が優しげな印象に拍車をかける。無条件で安心して信じてしまいそうな、危うい甘さの空気を纏っている。
執事長をしているルガシオだ。紹介はされていたが、ここまで接近したのは初めてだった。
「ゆっくりお飲みください。お気持ちが落ち着かれますよ」
正直好みだ。ふたり揃って叫びたいくらい好みだ。そんなふたりだからこそ確信している。腹の底から真っ白な善人などいない。いや、それも素敵だと思うが、腹の中に何かを抱えているのも魅力なのだ。
彼は腹黒。何を考えてるかわからないタイプの、強者だ。だからただにっこりと、満面の笑顔で答えた。少し目を見張ったルガシオは、何かを察して笑みを深めた。カベルネが意外そうに見ている。
「おじ様グッジョブ!」
「きたこれ、ステキ!」
我慢できなかった叫びが爆発して、笹木と藤色は手を取り合い歓喜の悲鳴をあげた。
きゃあきゃあ騒ぐふたりに苦笑していると、にこにこと笑ったルガシオがカベルネの斜め後ろに立った。
「ずいぶん可愛らしいお嬢様方ですね」
「これから楽しみだろう?」
「はい」
ルガシオが面倒を見てくれるなら一先ず問題はないだろう。好き嫌いの激しいこの男は厄介だが頼もしい親友でもある。
「すまないが話の続きをいいかな」
すぐに謝り話を聞く体勢になった笹木と藤色。
ルガシオは藤色とカベルネの分も紅茶を淹れるとカベルネの斜め後ろに戻った。