第一章《1》ゴミ箱
ホームセンターの一角にあるテナントが彼女らの城だ。
まだ始めて1年ほどの小さなトリミングサロンを営む2人は、何をするにもてんやわんや、売り上げもまだまだ余裕などあるはずもない。しかし少しずつ常連客もつき、これからだ、と意気込み2年目に足を踏み入れたばかりだった。
さあ今日もがんばろう。と週休1日、忙しければ休日返上で働いている笹木と藤色は今日も今日とて犬を相手に格闘を繰り広げる。
トリミング台から飛び降りるダックス。じってしていられないプードル。爪切りが嫌いなパピヨン。触るなと牙剥くポメラニアン。殺されるかのような悲鳴をあげるチワワ。抱っこが嫌いなヨーキー。シャンプーが死ぬほど嫌いな柴犬。耳毛抜きで豹変しるシーズー。
恨むなら連れてきた飼い主を恨んでほしい。
ようやく一段落がつき、笹木はカットした犬の毛を集め、ゴミ箱を開けた。いっぱいつまっている毛の上に新聞紙を重ね、その上に足を乗せる。潰せばまだ入ると体重をかけていき、ゴミ箱の、ゴミの上に立った。そのまま膝を屈伸させ、圧し固める。
バランスをとりながらゴミの上に立つ笹木を横目に、藤色は犬のカルテを片付けていた。
カットの内容は次回のことも考えて細かく記入しておく。飼い主の要望も、気付いた点も、大切な情報だ。
ついさっき帰っていったシーズーのカルテを記入し、注意点はなかったか笹木に確認しようと顔を上げた。
丁度その時だった。
「のぉ!?」
ゴミ箱が倒れて床に落ちた、ならどんなによかったか。笹木は、ゴミが大量につまっているゴミ箱の中に、はまっていた。
ゴミ箱のサイズは 48リットル、28.1×42.8×57.3h/cm の物で、プラスチック製蓋付きだ。
大量のゴミはどうした、とか。
ついにゴミ箱を壊したか、とか。
なんでそんなに力んでんの、とか。
ツッコミたいことはかなりあるが、当事者である笹木がはまってから一言もしゃべってない上に、顔色が悪い。更には少しずつ、沈んでいってないか。
「笹木さん?」
「…っちょ、藤色さん助けて!」
「は?」
「底ないんですけど、足ぶらぶらしてるんですけど、何かに引っ張られてるんですけど!?」
ついに頭まで可笑しくなったか、とイスから立ち上がり近寄ると、がっと腕を掴まれる。
「…離せ」
「いや」
涙目の笹木に、顔をしかめた藤色は笹木の体がはまっているゴミ箱の中を見た。
「……下見た?」
「怖くて見てない…」
「…よかったね!なんだっけ、真実は小説より奇なり?実体験中だよ」
「なんかちがうくないですか!?というか薄情な!掴んでる手を外そうとしないでぇ!」
「あれでしょ、巻き込まれ。私勘弁ね」
「意地でも放すもんかっ」
離せ!いや!離せ!いや!の応酬を繰り返していると、がくんっと笹木の体が沈んだ。
小さな悲鳴をあげて、顔を強張らせる笹木。反射的に腕と肩の服を掴むが、藤色の力などないように引き込まれていく。
「離して藤色さん」
「いやここで離したら人として終わりじゃない?周りになんて説明すんのさ。笹木さんがゴミ箱の中に消えました?死体遺棄したって言った方が信用されるわ。てか離していいならこの手を離せ!」
「えへ?」
「端から離す気ないよ!道連れにする気しかないよこのヒト!」
「藤色さんがいれば大丈夫!」
「どっからくんのその自信っ!やだ超怖い」
「っわ!」
「へ、ぎゃ」
最後は実にあっさりだった。
完全にゴミ箱の中に消えた笹木に掴まれたまま藤色もゴミ箱の中に頭から引きずり込まれていく。
バタバタと足をばたつかせ、右足の靴がゴミ箱の縁に引っ掛かるが、靴が脱げて外れた。
息を飲む音がふたつ聞こえ、悲鳴が悲鳴にならない内にゴミ箱の中には大量のゴミがつまっていた。
ゴミ箱の横には右足の靴が転がっていた。