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藤恋  作者: 涼羽
1/1

誤解されました

 両親から任されたこの小さなアパートに、明日から新しい住人が来るらしい。


「……畳よし、押入れよし、台所よし……あ、洗面確認しないと」


 不動産屋さんから連絡を受けたのはつい三日前の事。

 時折手を入れていたのであまり汚れや埃がない部屋を喜び勇んで一から掃除し、ようやく納得いく仕上がりになったのが昨晩。

 そして今日、朝から念入りに「昨日の仕上がり」の最終チェックしていた佐和子は、ふと洗面の鏡をまじまじと覗きこむとそこに映った自分に溜息を吐いた。


「……うわぁ、いつもよりさらに酷い顔……」


 鏡の向こうで見返してくる、造形としてはいつも通り、それこそもう何年も見慣れた筈の顔。

 しかしそこに浮かぶ見慣れない形相に、思わず出た渇いた笑いは虚しく洗面所に響いた。



 藤代佐和子は元々、というより生まれつき顔色が悪い。常日頃から町を歩けば「ねぇ大丈夫? 顔色悪いけど」と声をかけられ、とても親切な人だと「救急車呼ぼうか? ちょっと家で休んでいきなさいな」とまで発展するそれは、生まれたての頃はそれこそ異常もないのにいつ死ぬかと常に周囲をひやひやさせていたらしい。

 今でこそ藤代家の笑い話になっているが、元気に泣いているのに死にそうな赤ん坊とはどういう状態なのかと佐和子自身は不思議で仕方なかったりする。

 そんな自他共に認める顔色の悪さは今も健在であり、青白い顔と血の気なんて皆無な頬とはもう二十二年の付き合いだ。佐和子としては、いくら心配されるほど顔色が悪かろうと不健康そうに見えようと中身は至って健康なのだが中々世間はそう捉えてくれず、人間は視覚に頼っているとはこの事かと実感する。

 だからこそある事を決断したのだが、今はそれ以上に問題な事があった。


 元々顔色の悪い佐和子が二日かけて、それこそ手を入れなかった所はない程に掃除をし、久しぶりの新しい入居者という興奮に目が冴えて眠れずという状態。

 つまり今までにないほどの疲労と寝不足で酷いクマと、充血してどんよりした目、青白さを通り越して血の気なんて皆無になった肌がそこにあるわけで。

 鏡の自分と別れ、佐和子は綺麗としかいい様のない部屋で重苦しい息を吐いた。


「……こんなの見せたら入居者さんもきっと逃げちゃう……。明日は明るい顔色と笑顔で待ち構えないとなのに、これじゃあ……」


 ああどうしようと上げた声も疲れきって張りがなく、それでも佐和子はぞうきんを手に一人悶々と考える。

 いくら今日が酷くても、きっと今夜一晩ぐっすり眠れば何とかなるに違いない。そしてとりあえずはいつも通りの――――それでも健康には見えない――――顔色に戻る筈だ。

 よし、今夜は早く寝よう。

 真っ白な顔で意気込んだ佐和子は、何度も確認した部屋に今度は満足の息を漏らそうとして、しかしブチッという音とバサリと視界を覆った黒にそれは叶わなかった。

 足元に転がるちぎれた髪ゴムと、一気に解放感溢れる感覚に顔を顰める。


(あー、そろそろ切れそうだと思ってたけど……まさか今、とか)


 括っても癖がつかない髪は唯一の自慢だが、前髪だけは不精をしていたために鼻を通り越していてうっとうしい。普段はヘアピンで誤魔化していたが、そろそろ切りに行かないとダメかもしれない。ついでに新しい髪ゴムも買わなければ。

 近日の予定を立てながら伸ばした手は、しかし、ガチャリと静かに開かれた玄関の音で固まった。

 ゆっくりあげた視線の先、すりガラス越しのぼやけた人影に佐和子はきょとりと瞬く。


(……え? 誰? 入居なら明日の筈……もしかして不審者?)


 佐和子の位置から玄関は見えないが、脱いだ靴を揃える動きに「不審者にしては意外と礼儀正しいのかも……」と呟いてふと我に返る。この部屋にある物なんてバケツとぞうきんしかないのにどうしよう。


「……は?」


 混乱する頭で聞き取った若い男の声に、弾かれたようにバケツから視線を戻した佐和子がバチリと目が合ったのは小綺麗な顔をした青年だった。ブレザー姿でリュックを背負い「ひよこ」や「ばなな」と書かれたお土産の定番紙袋を提げる姿は、どう見ても不審者というよりは上京帰りの修学旅行生。

 不審者ということでその定番である不精ひげか覆面のおじさんを想像していただけに、想定外すぎる姿は佐和子を一瞬呆けさせた。

 ぽかんと開いた口で一言。


「……え、あ……こ、こんにちは……? あの、どちら様で……」

「……どちらも何も、ココに住むんだけど」


 不審者ではないらしい修学旅行生は、まさかの新しい入居者。

 泥棒じゃなくて良かった、とドキドキする心臓を宥めて佐和子はじっくり彼を見る。今時の若者にしては髪を染めたり弄ったり化粧したり、などの浮ついた様子は一切ない。

 確か入居者の名前は高藤秋穂たかとうあきほと書類にあった。高校生だと聞いていたし、もしチャラかったり不良系だったらどうしようと心配していただけにホッと安堵の息を吐き、付き合いやすそうな人で良かった、そう心の底から安堵していた。

 ――――見開かれていた彼の目が、思いっきり歪められるまでは。


「……チッ、道理で安いワケだ。あの不動産屋騙しやがって、やっぱワケアリ物件じゃねぇか……っ!」

「へ……えっ!?」

「おいアンタ、何の未練があるのか知らねぇがココは俺が金を払って済むんだ。アンタの事情なんか微塵たりとも興味ないが、金払わない存在が居ていい場所じゃない」

「え、あ、その……え?」


 一体彼は何を言ってるんだろう。ワケアリと言われても私の両親が何となくで作ったアパートなんで理由はないんですが。

 ワケアリ物件という言葉に目を白黒させる佐和子にふん、と鼻を鳴らした彼は、ドサリと背負っていたリュックを置く。軽そうな見た目の割に重い音がしたそれに、佐和子が気を取られた、瞬間。


「めんどくせぇからとっとと成仏してくれ」

「え」


――――バサァッ!


 声と共にかけられた何かが、ぽかんと呆ける佐和子の全身にまんべんなく打ち当って跳ねる。そしてパラパラと畳の上に降り積もったのは、白く細かい砂のような何か。

 何が起きたんだろう。

 あまりに突然すぎる事態に茫然としていた佐和子だが、リュックに片手を突っ込み怪訝そうな入居者(加害者)の姿に我に返る。

 投げられた。入居者。パラパラ落ちる何か。それらから混乱する頭が弾き出したのは。


(あぁ、あんなに掃いて拭いて綺麗にしたのに……お掃除頑張ったのに……っ)


 投げつけられた怒りよりも、せっかく綺麗にした所を台無しにされた悲しみが先だった。

 目の前の惨状を眺め、埃一つなかった畳に描かれた白の斑模様に口を開こうとして――――途端に広がる塩辛い刺激に目を見開く。


「ちょ、っ何コレしょっぱっ……っ塩!? あなた初対面の人に何塩ぶっかけ、うわしょっぱっ!」

「……まさか塩で追っ払えないぐらい未練ありまくりってか。冗談じゃねぇぞ、めんどくせぇ」


 冗談じゃないのは佐和子も同じだが、あまりのしょっぱさに弁解もままならず。

 水を求めようにも、水場や玄関へ続く唯一の通り道を彼が塞いでいるので行きようがない。 

 人に物を投げられる非日常と初体験としょっぱさにオロオロしていた佐和子は、突然ハッと目を見開いて高藤をまじまじと眺める。

 先程からの奇妙な言葉と口の中の塩辛さ。まさか。


(もしかして幽霊か何かと間違われてる……!? え、何で? 私掃除してだけなのにっ)


 じっと見られて眉をひそめる高藤に佐和子は慌てて目を逸らしたが、その言い分の不可解さと奇妙な行動もこれで納得できる、と思った途端に眉を寄せた。

 何故彼が塩をリュックで持ち歩いているのかは知らないが、初対面で誤解される程の「何が」自分にあったのか。確かに顔色は悪いが、だからといって幽霊に間違われた事はない。

 格好のせいだろうか、と何とはなしに窓を見て――――そこに反射した自分の姿にギョッとした。


 バラリと顔にかかる長い前髪。

 その隙間から覗くどんよりと充血した目。

 髪の黒と対比してさらに白く、生気など微塵も感じさせない色の肌。

 そう、それはまるでこの世に未練を残して彷徨う亡霊のような――――――――……


(何これホラーすぎる……!!そりゃ幽霊と間違われるわ……っ)


 お化け屋敷のスタントも目じゃない程の自分の姿(恐怖)に、思わず鳥肌が立った腕をさする。

 つまり彼は入居する筈の自分の部屋にホラーな佐和子が居たから、それを追い払おうと塩をかけてきたわけで。未だに警戒し様子を窺う高藤の誤解は、至極当然なものだった。

 まさか自分の顔色と不慮の事故(前髪)がこんな事になるなんて。

 青ざめた佐和子が立ち上がった反動でまた塩が軽く降り積もったが、もうその事を気にする余裕はない。どうにか誤解を解かなければ、と頭の中はその事でいっぱいだ。


「待ってください、私死んでません生きてます! あ、足ありますよホラッ、体もっ」

「まさか死んだ事にも気付かないパターンか? さらにめんどくせぇ」

「え、私いつの間にか死んで……いやそんな事ない、ちゃんと生きてますっ!」


 いやに説得力のある声に思わず自分で自分を疑ったが、いくら血の気のない肌でもキチンと心臓は動いている。バクバクと耳の奥で響く鼓動がその証明だ。


(うぅ、どうすればいいの……? どうやってこの場を落ちつければ……っ!?)


 動くたびに塩が服や髪の間に入って気持ち悪いし、お風呂に入りたくて仕方ない。

 でも、これが彼との初対面なのだ。騒動の原因である自分がいうのも微妙だが、どうにかこのマイナス状態を今後の為にも友好的なものにしなければ。

 でもどうやって。


「あー、もうめんどくせぇ……」


 無言で頭を抱えた佐和子を害はないと判断したのか、はたまた相手にする気も失せたのかはわからないが頭を掻いた高藤は荷解きをする事にしたらしい。中からひょいひょい出てくる私物を困惑しながら眺める佐和子は、しかし出て来た「業務用・塩 (5kg)」と書かれた大袋に呆気にとられる。

 既に半分近くがない塩袋にぽかんと口を開けた佐和子を見もせず、高藤は「あのさ」と至極面倒くさそうに口を開いた。


「頼むから自主的に別の部屋に行くなり出て行くなりしてくれると助かるんだが。生身ならともかく体がない女との同居なんてやってられるか。俺は健全な男子学生だっての」

「……え、あ、違います!私、あの、藤代佐和子と申しまして……っ」

「は? いや自己紹介されてもよろしくする気はないって」


 心の底から面倒くさそうな声が突きささり、熱いものがこみあげる喉を何とか押さえて佐和子はぐっと身を乗り出す。

 彼は私を幽霊と勘違いしているだけで、だから、きっとそれ以外に他意はないのだと言い聞かせて。


「そ、そんなの困りますっ。これから長くお付き合いしていくんですよ? 貴方を預かる者としてっ」

「長くって言われても、まずここに居座られるのが困るんだって。なんで貞子に保護されなきゃならないんだよ……」

「貞子じゃないです佐和子ですっ!」

「あーはいはい。随分テンション高い貞子さんだな……どうでもいいから地獄でも天国でもさっさと出て逝ってくれ、頼むから。俺は同情なんかしないし塩しかやんないから」


 噛み合ってるようで噛み合わない。私の話は届かない――――……。

 佐和子が堪えていた何かが壊れた。


「~~~っそんな言い方しなくてもいいじゃないですか!私、ここ、このアパートに久しぶりに人が入ってくるって聞いて夜も寝られないぐらい嬉しくって……!」

「いや、それで昼に出てこられても困るんだけど」

「なのに、なのに……っ。ばかぁ!!」


 涙が止まらない中で、癇癪を起した子供のように足元のバケツで浸っていたぞうきんを投げる。

 きっと後になれば後悔するかもしれないが、それでも、楽しみにしていた入居者にここまで誤解され邪見にされて我慢出来なかった。


(だって、だって、こんなのひどい……! こんなに顔色が悪いのは、この人のせいでもあるのに……!!前髪は、そりゃ私のせいだけどっ)


 ぞうきん攻撃のおかげでようやく佐和子を見た睨む目と寄越された舌打ちにもっと涙が溢れる。

 全てがひっくり返った頭では何が悲しいのかもわからない。

 きっと塩をかけられたからだ、だから水が出るんだ。そう思いながら思いきり高藤を睨みつけた。


「~~~~っ大家に対してさっきからなんなんですかぁっ!! もー高藤さんなんて知りませんっ!!」


――――――――こんな筈じゃなかったのに。どうして、なんで。

 ぐしゃぐしゃな顔と頭の隅でひっそり呟かれた本音はあまりに小さすぎてぐしゃぐしゃに混乱した思考の海に溺れて消える。

 思考以外の何かが体を突き動かしたのだろう、佐和子は衝動的に高藤がいる部屋から飛び出した。

 壁に張り付いたぞうきんと部屋の隅の掃除道具、そして茫然とした入居者を残して。

 「見合い魔王」を書き始めたばかりなのに早速浮気して書きました。何となくで突然脳内に降臨なさったネタを書いてみましたが、お楽しみいただければ幸いです。

 それにしても、グルメ番組眺めてボヘーッとしてる時にこんなネタがふと浮かぶって……私の脳みそって一体どういう壊れ方してんだろう。

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