チェシャ猫とイカレ帽子屋
車通りの多い道。
十字路の道の角。
真実のかつての帰り道。
だが、そこに今あるのは花束や人形。
俺は何でこんなものがここにあるのか不思議に思った。
そして、何でこの場所に真実が居ないのか、疑問に思った。
もう約束の時間はとうに過ぎている。
遊園地に行きたいと、折角言ってくれたのに。
俺はただ呆然と、誰かに手向けられた花束を見つめていた。
涙さえ出てこない。
何にも思わない。
【彼女】がここで大型車に引かれ死んだと聞いた時も、それは真実じゃないとしか思えなかった。
真実は生きている。
きっと今すぐにでも、遅刻したというのに、ゆっくりとマイペースに歩いて来るはずだ。
しかし、真実は現れない。
どんなに待っても。
ふと。目の端に黒い何かが映った。
黒猫だった。
その猫はしばらく、俺をじっと見つめていた。
それから急に方向転換して視界から消える。
『探し物。探し者。どーこに消えた?路地裏?ゴミ箱?ポッケの中?』
歌が聞こえる。
気がつくと、俺は猫を追うようにして走り出していた。
『どれもどこも違う違う。猫さん笑う。探し物。探し者。見つけたいならーー』
「僕らと遊ぼう?」
現れたのは古い洋館の様な建物だった。
どこかの映画で見た様な。そんな佇まいだった。
からんからんと、猫の黒い尻尾がその建物の中へ入って行く。
俺も急いで、その尻尾を追うようにして建物の中へ入る。
からんからん
中は沢山の音で溢れていた。
じーじー
かちゃんかちゃん
かちかち
中にある骨董品の様なオモチャが、バラバラだけどどこか一つの演奏というか、歯車がかみ合った音を奏でる。
時計。人形。オルゴール。
沢山の物があった。
しかし、先の黒猫が見当たらない。
奥にでも隠れてしまったのか。
だが当の店主らしき人どころか、この空間に俺以外の人気がまったくないのだ。
バックヤードであろう。その方向にいくらか声を掛けても、誰も出て来る気配がない。
「まったく…」
俺は一体何をしているんだか。
ただの猫を追いかけてこんな見知らぬ所まで来て。
冷静になると、先の自分の行動が恥ずかしい。
誰も居ないし、猫も居ない。自分独り置いてけぼり。
まったく滑稽だった。
そろそろ店を出ようと入り口に再び手をかけた瞬間。
「お探し【もの】ですかな?」
後ろから声が聞こえて、驚いて振り向く。
「え…?」
しかし、店のどこにも声の主は見当たらない。
代わりに一枚の板、いや、一枚の扉が置かれていた。
「なんだ?これ。さっきまでこんな物無かったはず…。」
そう思う警戒心より、突然現れた扉に対する好奇心が優った。
俺はその扉のドアノブに手をかけ、ゆっくりと引いて行く。
その先にあったのは壁でも、店の奥でもない。予想外の光景だった。
「なんだ…これ?」
そこに広がっていたのは草原だった。
木が一本だけ中央にあり、花々は爽やかな風になびき、空は快晴。
まるでどこかの画家が描いた様な絵画を見ているようだった。
しかしカンバスに触れようと手を延ばしても何もない。むしろ、風が俺の手を撫でて行った。
試しに中に足を入れてみるがまだ空間に余裕がある。
また一歩。また一歩。
どれだけ中に進んでもカンバスはない。
足元にはカンバスに描かれたはずの芝生がふさふさと緑の絨毯を敷いている。
ばたんっ
嫌な音がした。
まさかと思い、振り返ると、まさか以上だった。
「な…んで…?」
扉が消えている。
見つからないわけではない。どこにも無いのだ。
「わ…わぁ!一体どんな仕掛けなんだろう!」
大仰に手を広げ言ってみるが、やはり反応は無い。
「え?嘘⁉これ本当に帰れない⁉」
涙が出てきた。
こんな意味不明なことに自分はぬけぬけと首を突っ込んだ挙句、ほいほい意味の不明な所に連れていかれ、最後はポツンと独り置いてけぼり。
「どこの幼児だ、俺は⁉」
まるで誘拐されてしまった子供さながらの間抜けさだ。
今すぐにでも穴をほって入りたいとでも言いたいが、生憎、ここには俺独りなわけで、この醜態を見ている人さえいないわけだが。
「あぁ⁉もう‼いっみわかんねぇ‼」
それこそ子供の様に地団駄を踏んでいると、
「探し物?探し者?探しにきたの?おにぃさん?」
後ろから声が聴こえた。
その瞬間。俺の視界が何者かの手によって塞がれた。
「それならここに。見つからないならここに。女王様が眠っているうちに宝探し。」
そしてまた視界が開ける。 と、そこには驚くことに、猫耳の女の子がシニカルな笑顔でこちらを見ていた。
めちゃめちゃいたずらっ子という感じで、少しだけあの時のあいつと似てるなと思った。
「さて、君は一体何を探しているのかな?」
そう言って袖が長くて完全に隠れた腕をなぜかバタバタ振る。
「なにって…帰り道?」
とりあえず今はこんな意味のわからない場所から離れなければ。
コスプレ少女は「ふぅん…」と手を顎に当て、考え込む。
「それなら探しモノを見つければいいよ。」
「…は?」
俺はその扉が探し物なのだが…。
「だぁかぁらー。探しモノ!君は何かを探してるからここに来たんだろう?例えば君のもう二度と会う事の無い待ち人…」
「真実は死んで無い。」
気づけば、俺はコスプレ少女の胸ぐらを掴んでいた。
「真実ちゃんは死んだんだよ?それを受け入れられないのは君だけ。時間に置き去りにされてるのは君。時間が止まったのも君だけ。」
コスプレ少女は先と同一人物とは思えない雰囲気を纏い剣呑な目つきで、俺を睨みつけるでも見下すでもなく、俺の目を、瞳の奥を見つめていた。
「真実がいるなら時間なんか捨ててやる。あいつがいる世界のためなら俺は何だって捨てられる。」
「生きがんじゃねぇぞ…イカレ帽子屋〈マッドハッター〉。」
きりきりとコスプレ少女の瞳がきつい物となっていく。
金色の綺麗な瞳は、それこそ猫みたいだなと、俺は呑気にも思っていた。
しかし次の瞬間には、俺の視界は反転し、何故か地面に背中がピッタリ引っ付いてしまっていた。
「探し物。探し者。」
「イカレ帽子屋。お前は一体何を探している?お前の探しモノはなんだ?それを見つければ扉は見つかる。お前の止まったその時計を進ませろ。」
コスプレ少女はしゃがみ込み、俺の目を見つめる。
鼻が着きそうなくらい至近距離。
少女の瞳にはまたシニカルな笑みが張り付く。
「それにな、イカレ帽子屋。お前は心のどっかで真実ちゃんを失った事を知ってる。だから真実ちゃんを探してる。だから、僕が君の前に現れ、扉が現れ消えた。言ってる意味分かる?」
「はっ…全然。」
しかし、俺が真実が死んだのを認めていたのは、確かに否定できなかった。
だからこの娘の言葉を聞いても「あぁ、そうなのか。」と、意外にもすんなり受け入れた。
本当は慰めや励ましの言葉より、その事を誰かに言ってほしかったのかもしれないとさえ思えた。
真実を一生思い、背負い、叶わぬ約束を待ち続けることに背中を押してもらいたかったのだ。
彼女を探し続けるという好意という行為に。
「探せ。探しモノを。お前の時間の軸を。この世界に紛れ込んだ探しモノを見つければ帰れる。お前の探しモノもお土産にな。お前。真実ちゃんは死んで無いよ?」
「…!」
「ま、この世界で見つけられたらだけど。」
「つまりはあれか?俺の探し者を見つけたら、帰れるし、探し者も取り戻せる。」
「ただし。見つけられないといつまでもここで迷子。もしかして、お前が探し者になるかもなぁ。」
くくくっ…。と、意地悪気に含み笑いをし、ふいっと体を俺から離す。
「まぁ、精々頑張りなさいな。イカレ帽子屋。」
「俺はイカレてねぇ。それに俺の名前はーー」
「イカレてるさ。あと、この世界ではお前は【そういう設定】だから、お前の真名はここで通用しない。ここではお前はイカレ帽子屋。マッドハッター。それに、」
ついっと、少女が爪の長い、細長い袖から覗いた指で、俺を指差す。
「その服も。似合ってるぜ?イカレ帽子屋。」
「…⁉な!」
「かははっ。じゃあな!イカレ帽子屋。」
「おい!ちょっと待て!コスプレ女!」
すると歩き出した少女の耳がピクンと動いた。
振り返った少女は頬を膨らませ、こちらを睨む。
それだけ見れば年相応の可愛らしい女の子である。
「コスプレじゃない!これは正真正銘の耳だ‼僕をあんな変態に好かれるような輩と一緒にするなんて心底君には失望した!」
言ってる間にも耳は彼女の感情を表す様に上下する。
遂には尻尾まで出て来てぶんぶんと振り回し始めた。
まぁ、現れたり消えたりする扉に、あんな小さな店の先に広がる広大な草原。
そんな魔法紛いの出来事がこうも立て続けに起これば、猫女が実際いたところで対したことでは無いように思た。
「僕の名前はチェシャ猫だ。もう二度と僕をコスプレ呼ばわりするな!」
どうやら随分怒らせてしまったらしい。チェシャ猫は大股で、ずがずがと歩いて行ってしまう。
「ほら!迷子になりたくないならついて来なよ。置いてくよ⁉」
「それは勘弁してほしいなぁ。扉どころか猫にまで置いて行かれたら冗談じゃない。」
俺は苦笑気味にそう言って、チェシャ猫の後を追った。
黒いスーツは意外にも走りやすかった。
こんにちは!
最近スペースが反映されなくて挫折し掛けてます七詩です。
色々御意見ありがとうございます!
元々文書を書かない私からしたらすごく助かります!
本当にありがとうございます!
次回は挿絵も描く予定です!
あったかい目でお願いしますw
では、閲覧ありがとうございました!