第9話
社のセキュリティー強化関係の件で、たまたま目に付いた辞令書。
それが樹の赴任する時期と場所を詳細に俺に教えてくれた。
樹が赴任するのは、椿が大学へ入学してからすぐ。
一応大学の入学式までは国内にいられるだろうが、赴任先への緊密な連絡や引継ぎ等、やらなければいけない仕事があって式どころではないだろう。晴れの席を祝ってくれる両親がいない分、樹が代わりになってあげたかっただろうが、しょうがなかった。
実際、少し椿も残念そうにしたものの、兄の邪魔はしたくないとばかりに遠慮した。だが、樹はせめて入学式が終わったら食事に行こうと言い、椿もそれを嬉しそうに承諾していた。
ご相伴に預かった俺も兄妹水入らずの席に呼ばれる事になり、俺はこれでしばらく樹と飯が食えなくなる事へ少しばかりの寂しさを感じていた。
成績優秀な椿は見事国立大への道を掴んだ。それも奨学金も得てだ。樹が本家に言い放った言は、椿の見事な頑張りによって成された。
だが、その実。
「…またか…」
ネット上に流失している椿を貶める虚偽。
椿が中学の時から始まったイジメまがいのカキコミは、彼女が高校生に上がった頃には悪意に満ちたカキコミは勿論のこと、捏造写真やありもしない噂が大勢を占め、次第にそれは椿を追いつめて行った。
俺達に気を使って必死に隠そうとしているものの、当たり前だが樹が養っている。病院で使った保険証から、椿が精神科へ来院したことが発覚した。
だが、その事を椿は誤魔化し続けた。その苦しさを解ったからこそ、樹も俺も何も言えなかった。黙って指を咥えて見ていることしか出来ない、己の無力さに心底腹が立った。
だが、俺が黙って見ているだけでは気が済まなかった。
俺は家族に構われなかった鬱憤をネット世界に関わる事で晴らしていた。まあ、詰まる所ガキの頃から遊びがてら、ハッキングして遊んでいたのだ。それを知った樹には当然叱られたし、もう二度とやるなよと言質を取られた。とは言え、樹にバレない程度に遊んでいたけれど。
今回の事を調べるために、俺のハッキング能力が役に立った。
相手はネットに詳しくないド素人。その軌跡を辿って行くなんて、振込み詐欺をするより簡単だった。
それで出てきたIPアドレスを調べて見ると、契約者があっさり判明。
画面に出てきた名前に目を見張った。
「秋、わかったか?」
「樹……」
「?どうした?」
勇み勇んでパソコンの前に座った俺を何も言わずに見ていた樹も、数分でIPアドレスを突き止めた事に多少は驚いていたものの、ハッキングそのものを止める事はしなかった。それが樹の怒りを何よりも物語っている。
俺はモニターが樹に見えるように椅子を離れる。その空いた席に樹が座って、モニターに写し出された判明した名義名を黙って見ていた。
「『Mikami』…か…」
「ミカミ…なあ、椿の友達の名前って確か…」
「三神小百合」
「…くっそ、あの女…っ!」
俺が怒りに任せて出ていこうとすると、樹がそれを止めた。
「止めとけ。お前が出て行って本人に問いただすのか?話も聞いて貰えずにつまみ出されるのがオチだぞ」
「だからって!このままこんな事書かれてたら、椿の具合がもっと悪くなるぞ!」
「…さて。三神小百合か…」
「樹!」
「『コレ』も『アレ』狙いか。くっ…全く…モテる男は罪作りだなぁ?」
この時、俺は初めて樹が嗤うのを目の当たりにした。
その壮絶な笑みは俺が今まで見てきた『樹』という人物を根底から覆すもので、この時俺は目の前の人物が怖いと思った。