第7話
「樹!!萌花と婚約ってマジかよ!!」
敷島の家に殴りこみのような勢いで飛び込んだ俺を見て、樹は少しだけ眉を顰めた。
その頃の樹は大学四年生で、俺から見てもがっちりとした精悍な男になっていた。
両親の死後、剣道を辞めてから筋肉が落ちると言う事も無く、むしろガテン系のバイトのお陰でさらに筋肉質になっていたと思う。身長も、180㎝はないにしてもそこそこデカく、男っぽくわりかし整った顔立ちをしていた樹は、大学内でもそこそこモテていたようだ。
実際高校時代に付き合った彼女なんかもいたらしく、椿にその事を聞いてみると『兄さんは秘密主義だからあまり教えてくれないのよね』とよく拗ねていた。
だがバイト三昧の毎日をしていたせいか、最近ではそう言った浮いた話も全く無くなっていたようだった。
そんな中、降って湧いたのが俺の妹、萌花との婚約だった。
あれだけ夫妻が存命だった頃には拒否していたはずだったにも関わらず、何故ここに来ての婚約劇なのかがさっぱりわからなかった。
そもそも萌花のワガママは収まるどころか増長する一方で、既に御三家はおろか、上位家は勿論中位家からすら萌花との縁談はありえないと暗黙の了解で決められていたのだ。
一族から敬遠されているにも関わらず、そんな内情を全く知らない柏木の祖父母や両親は必死になって萌花との縁組みを探していたようだが、誰も手を上げる者が居なかった。
それもそのはず、当の萌花自身が楓ではないと嫌だと来る縁談全てを片っ端から断っていたからだ。
流石に兄達は萌花の事情を薄々感づいていたらしいが、妹可愛さにその事実を祖父母や両親に言わなかったようだ。まあ、兄達がそこで進言していても何かが変わったとは到底思えないが、それでも何かしらの楔にはなったのではないだろうか。
縁談を拒否していた中でも御三家の御崎家、次期当主である御崎海斗から、相当萌花は見下されていたようで、真っ先に萌花はありえないと烙印を押された。
海斗さんは俺と同い年で、当然本家の嵐様や楓さんとも親交がありながらも、どこか彼等とは一線を画すような人だった。あまり慣れ合いが好きではないというのもあったのかもしれないが、そんな海斗さんは何故か樹と仲が良かった。
海斗さんも剣道をやっていて、実家敷地内に剣道場を持っていたという共通点があるから仲がいいのかと、当時俺は思っていた。
今から思えば、海斗さんのどこか懐疑主義的な性格と樹の秘密主義的な性格と合ったのかもしれない。
まあ、彼等にしかわからないことだが、椿と楓さんとの婚約白紙騒動の時には海斗さんは全く反応しなかった。
しかしながら、萌花が縁談相手を探しているとなった時には誰よりも早く反応していた。
萌花の縁談話が本格的になりそうだったある時、橘家主催のパーティが行なわれた。
華やかな会場内、椿が仲のいい鎧塚家の幼い姫と話しているのを見ながら俺と樹が二人で話していると、海斗さんがふらりと現われた。
「よう、樹」
「お久しぶりです、海斗さん」
「相変わらずバイトばっかりか?たまにはうちの道場に来いよ。お前に一撃も許さないで勝ってやる」
「それは怖いな。でもまあ、今度時間があったら是非」
にやりと笑った彼等を見ながら、俺はちらりと楓さんを見た。
彼は相変わらず椿には一切興味を示さず、あろうとこか萌花と仲良く話をしていて、それを見た俺は瞬間胸糞が悪くなった。思わず悪態を付きたくなったのを我慢して、それでも我慢しきれなかったため息を抑え気味に吐くと、それに気付いた海斗さんが俺の視線の先を追って、それから何もかもがわかったのか口許を歪めた。
「樹、お前あんなのが義弟でいいのか?」
「『あんなの』。どうも海斗さんは口が悪いね。そろそろ直した方がいいんじゃないか?」
「はっ。俺が言葉直そうが、どう取り繕っても『あんなの』は『あんなの』だろ。程度のひっくい女侍らせて、あいつの高が知れるぜ」
「こら、海斗さん。秋もいるから少しは遠慮してくださいよ」
「おい秋、お前も別に気にしねえよな?」
くつくつと笑っている海斗さんの言いたい事がわかった俺は、笑んでそのまま肯定の意を伝えた。
「にしても…あのバカ女も縁談相手探すらしいな。まぁ最も?バカ女が高望みしすぎるせいで、どの男も駄目らしいけどな。自分が高望み出来るだけの女だってわかってない。マジで馬鹿だぜ」
「正に。まあ妹なんで否定してやりたいですけど、まあ、事実なので否定のしようがないんですよね」
「樹、お前あのバカ女にまだ縁談仕込まれてんだろ?どうすんだ?」
「は?俺聞いてないぞ、樹!」
敷島夫妻が亡くなった後、てっきり萌花との縁談の話は無くなったものだとばかり思っていた俺は海斗さんの言葉に驚いた。それと同時に、何故俺に教えてくれなかったのかという不満も持った。
樹は最初こそ俺の剣幕に驚いていたようだが、それでも首を振って否定した。
「断る気ですよ。もちろん。柏木家のご令嬢が、下位の、しかも両親が亡くなって後ろ盾も何も無い敷島に嫁いでもメリットはないですから。全く、海斗さんは耳が早いですね」
「メリットはあるだろ。唯一にして最大のメリットが」
「…………まあ、椿のことを利用するんだったら、俺としても考えはありますけどね」
俺に聞こえないように樹が言った言葉を聞いた海斗さんは、さも面白そうに破顔した。
「さすが樹」
くつくつと笑った海斗さんが、何に対して笑っているのか俺は最後までわからなかった。
結局、萌花と婚約した樹の事情は、漏れ聞こえてくる噂話で詳しく知った。
そもそも樹は三年の時に橘への就職が決まっていた。
そこに目を付けた祖父は人事部に顔が利く事を利用して、樹が希望している部署への配属を条件にしたらしい。
樹の希望していた部署は営業や企画などと言う華々しい部署ではなく、あまり人気の無い『開発部』だったという事もあってすんなり決まったようだ。
『開発』と言っても、新製品の開発などではない。
中南米や東南アジア、中東やアフリカなどの灌漑設備等の土木開発を担当する部署で、そこに配属された新人は否応無く現場へと派遣される。最初の一、二年こそ日本での宅地開発関連の仕事だが、それを過ぎると海外へ派遣されて何年も帰って来れないと言う部署だった。
そんな部署に行きたいと言う樹は、周りから見れば奇特に感じられたのかもしれない。しかしながら、バイトでガテン系の仕事をしていたし、そう言った分野にも興味があるっていうのも知っている。だが、三年目、四年目になると本格的に海外赴任を任されるのに、まだ学生の椿がいる中では諦めざるを得なかったのが現状で。
だからこそ、樹は条件をつけたらしい。
「椿が高校を卒業するまでは、海外赴任は無しだっていう条件を付けたんだ。ま、それで先方も納得したがな」
「でも樹、萌花がお前の事見下してんのは気付いてるだろ!?」
「ああ、そこまで鈍くないからな。でも、別にいいんじゃないか?格下の家に義弟目当てで嫁ぐって言うんだから、それ位は我慢してやるのが大人ってもんだろ」
邪気のない顔で笑い、椿の方へと去った樹の後姿を俺はただ見ていた。
『格下の家に義弟目当てで嫁ぐって言うんだから、それ位は我慢してやるのが大人ってもんだろ』
樹の言っていた言葉が耳を離れなかった。
それは、暗に萌花を貶している言葉だと気づいたから。