第6話
敷島夫妻が土砂崩れに巻き込まれて亡くなった。
あまりに突然すぎた二人の死は、橘一族に大きな波紋をもたらしたと言っても過言ではなかった。
何故なら、敷島家の娘である椿は、御三家の一家の鳥谷部家長男の婚約者である。
両親と言う庇護を無くした下位の家柄の娘では、御三家はおろか、中位以上の名家に嫁げるようなものではなかった。
実際、鳥谷部家との結びつきが欲しかった一族の者や、楓に懸想した娘達がいる家などは頻繁に椿との婚約を白紙に戻すように御大に願い出ていた。最初の内こそ亡くなったばかりの敷島夫妻の手前、白紙にすべしとの声も小さかったのだが、四十九日も過ぎた頃にはそれは大きな問題となって一族内で紛糾しすぎていた。
意外だったのは、一族全員が白紙にすべしと言っているのかと思えばそうでもなかったこと。
特に御三家の一家である鎧塚家は婚約維持派の筆頭だったし、もう一家の御崎家は是非の意見も述べず、ただ静観を決め込んだ。
そして、当の鳥谷部家も婚約維持を主張し続けた。それが楓本人の意思で無かった事は彼の憮然とした表情を見ていれば一目瞭然だったのだが、そこは彼の両親でもある当主夫妻に押さえ込まれたのだろう。
そんな色々な声が上がる中、結局は御大の鶴の一言で婚約は維持された。
「敷島兄妹はこれから本家預かりとし、椿の後見はワシが務める。文句がある者はいるか?」
御大の言葉に逆らえる者はいない。
御大が後見になったのと同時に、婚家にあたる鳥谷部家からも援助の申し出が成された。最後には本家と鳥谷部家が一丸となって一族の声を押さえ込み、椿と鳥谷部楓との婚約は維持され続けた。
それが椿にとって良いも悪いも関係無く。
沢山の批判の声が上がる中、樹は悪意ある一族の目から椿を護り続けた。
自分が何と言われようと、椿には害のないように。
しかしいくら樹が護ると言っても、限界はあった。椿は身体的に害は与えられなかったが、かなり酷い精神的な害を与えられた。椿は学生にも関わらず精神科へと通い、効精神薬を服用する羽目にまで陥った。
本来ならば婚約者である楓が護るべきだったのだろうが、そもそも楓自身が婚約を白紙にして欲しいと願っていたのだ。
彼が椿を護る事は、結局最後の最後まで無かった。
隙あれば椿を婚約者の座から蹴落とそうとする狐狸が跋扈する中、樹は彼等に蹴落とされないように、弱みを見せないように、静かに静かに変わって行った。
その変化はいつも一緒にいた俺すらも気付くのが後になったものだったが、他の者はその変化すらわからないものだっただろう。
ただ流石に椿はいち早く樹の変化に気付いていたらしい。
「兄さんが私を護ってくれてるのはわかってる。だけど、そのせいで兄さんはどんどん自分を殺していってる。そんな気がしてならないの」
椿が中学を卒業する際に言った言葉。
この言葉の裏には、樹の婚約があった。
敷島夫妻が死去し、まだ大学生だった樹が椿を養うには当然無理があった。
樹たち兄妹は本家預かりという形になったものの、学費や生活費やらの援助は樹が全て断った。
橘本家に赴いて宣言したらしい。
「俺が椿を立派に育ててみせます。両親の名に恥じない立派な人間に育て、そして鳥谷部家の嫁に相応しいだけの人間に俺がしてみせます」
宣言後、樹は椿を養うために大学に入っても続けていた剣道を辞め、バイトを始めた。
剣道を辞めると言った時、大学の顧問や仲間達が物凄い勢いで止めたらしい。
それもそのはず。樹は高校時代インターハイで一年から三年までを三連覇で飾り、そして団体戦でも副将を勤め、そこから大将戦まで持ち込ませなかったと言う経験を持ち、進学した大学の中でも全日本で優勝するなどしていたトップ剣士だったからだ。
その華々しい経歴を自ら捨てて、椿の為にバイトに勤しむ樹を惜しんだ大学の剣道部顧問が紹介したバイトはガテン系だった事もあって、自分が養うと言った言葉どおりに椿と自分の食い扶持をバイトで稼ぎ出した。
大学を辞めて就職すると言う選択肢もあったが、それを選ばなかったのは良かった思う。三年だったと言う事も大きいだろうし、大学を出ていた方が就職に有利だと判断したのはあいつ自身だ。
単位が必要な授業だけを重点的に選んで出席し、その他の時間は全てバイトに当てていた樹の負担は相当なものだっただろう。しかも、椿への周囲の声は未だ収まりを見せず、樹は気を抜くことなど出来なかったと思う。
俺としても、樹を助けようと深夜のバイトなどで家を空けるときに椿の面倒をみてやったり、なるべく樹への負担が少なくなるように一族の椿への中傷を阻止したりはしていた。
そんな樹に近寄ったのが俺の祖父だった。
就職をエサに、樹に萌花との婚約を飲ませたのだ。