第4話
椿が鳥谷部家の嫡男と婚約まで至った詳しい経緯を俺は知らない。
ただ、椿が鳥谷部家の嫡男と婚約した事によって、彼女が受けた誹謗中傷の凄まじさは嫌と言うほど知っている。
椿が婚約したのは、まだたった六歳かそこらの頃だった。一族の者には小学校はおろか、生まれた時から許婚が決まっているような奴等(後者の最筆頭は橘嵐、現当主だ)がうようよいる中で、正直敷島家はそれから外れるのではないかと思っていた矢先だった。
実際、樹は敷島家の跡取りであるにも関わらず婚約話は出ていない。先だって婚約したばかりの椿よりも十も年が上で、既に高校にも入学しているにも関わらず、樹に対しては婚約云々と言った話はとんと聞かれなかった。
それに安心しきっていた矢先の出来事だったのだ。申し出を受けた敷島夫妻もさぞや驚いたことだろうと、中学生ながらも容易に想像することが出来た。
勿論最初の内は断っていたのだろう。しかし結局は本家の意向に逆らう事が出来るはずもなく。
椿はたった六歳にして、鳥谷部家という名家の嫁のなることを決定付けられた。
それから椿に降りかかったのは、まさに厄災としか言えないものだった。
鳥谷部家との婚姻関係で得られるものは多い。そして、楓は容姿端麗、学業優秀。まさに地で特Aクラスを入っている男だった。
勿論女にももてた。そんな彼がまさか格下の、しかも小学生との婚約になど興味を示すはずもなかった。高校生になる頃には派手な異性関係が取り立たされはしたが、椿との婚約という鎖を付けられていた分、それは目を瞑ろうという周りの配慮もあったのかはわからないが、特に目立った叱責もされなかった。
多分、橘の御大や親友である嵐には言われていただろうが、それで大人しくなるような男でもなかったということかもしれない。
そこで一番不憫だったのは、誰よりも椿。
後で聞いたが、婚約の席で一目惚れをしたらしい彼女は、当の婚約者からほとんど何もされなかった。
一族の女から、一族の大人達から嫌がらせを受けていても、護ってくれるのは婚約者である楓ではなく、兄である樹だったのだ。
樹はよく言っていた。
「本当にこのまま椿を楓さんと結婚させても、絶対に椿は幸せにはならない。そんな気がする」
先を読む事に長けている樹が、その読みを外すことはなかった。
椿と楓の過酷な婚約期間中、ずっと側で護っていたのは樹。ただ一人だった。
鳥谷部家との繋がりで甘い汁を吸いたい者が多い中、一番狙われたのが実は樹だった。
鳥谷部楓の義兄になると言う立場。
それゆえに、うちのくそじじい…祖父は樹に目をつけたのだ。
萌花は楓に恋心を抱いていた。
と言っても、誰もが手に入る萌花にとって完全なる高嶺の花…と言うか、落としたくても落ちない男が楓。猛アタックを繰り返したところで、妻の座はおろか、彼女という位置にも立てなかった萌花は最後の最後に祖父に泣きついた。
「おじい様!もえ、どうしても楓様と結婚したいのよ!!」
「…そんな事を言ってもな。彼は敷島の娘と婚約している身だぞ?わしの一存ではどうにもならんのよ」
「どうして!?おじい様の発言力があるなら、御大にも直接言えるでしょう!?」
「萌花…どうしようもないんだよ…」
「ひどい…!おじい様はもえが可愛くないの!?どうしてあんな子が楓様と結婚出来て、私が楓様と出来ないの!?そんなの絶対おかしいでしょ!?」
自分より年下の、自分より劣っている、自分より可愛くない椿が狙ってもモノにならない楓の側に居る事に何よりも憤っていた萌花は、一族の中でも発言力のある祖父に泣きついたところで、本家の御大の決定を覆せるわけもない。
だからこそ、くそじじいは代わりを準備した。
樹を。