第24話
今回は第三者視点。
暴行(未遂)描写があります。ご注意!
「あの…敷島さん、来てないんですか?」
「敷島さん?いないってことは来てないんじゃないかな。あれ、莉那ちゃん、もしかして敷島さん狙い?」
「え、あの、違…!」
「うんうん、そっかそっか。いいよ、いいよー。大丈夫、言わないよー。俺こう見えて口固いから」
そっか、秘書課のマドンナは敷島さんかーと、大学の先輩がほろ酔いで笑っているのを少し熱くなった顔で恨めしげに睨んでみたところで、酔っ払いには通用しない。せっかく苦手な飲み会だけど、敷島さんも参加するだろうと踏んで出たのに来てないんじゃ、頑張った甲斐が無かった…。
しょんぼりしながら仕方なく手元のウーロン茶を一口飲んで一緒に来た友達を探してみたけど、とっくに他社のイケメンさんと仲良く話しているし、良く見れば座席はほとんど上司ゾーンと部下ゾーンに分れている。もちろん、私みたいに合コンタイムからちらほらあぶれている子達もいるし、既婚者の男性同士はそんな様子を談笑しながら固まって飲んでいる。
自社だけではなく他社の人もいるから結構な人数なのだけど、さすが本社主催の飲み会なだけあって会場も規模も大きい。その分、準備した私達は大変だったんだけどさ。
目当ての人がいないことでテンションが下がってしまった私のところにいても面白くも何ともないだろうに、先輩は私の側にいて大げさに慰めてくれた。
「おーい、そんな悲しそうな顔すんなって。しょうがないんだよ、敷島さんいくつも案件抱えてんだからさ」
「そんなの、わかってますよ。でも、先輩はいいんですか?仕事」
「んー、今日ぐらいは大丈夫。差し迫ったものは終わってるからな」
「でも、開発部の人達って皆忙しいですよね。残業時間って一番多いんじゃないんですか?」
「ま、仕事だしな。つっても、敷島さんは別格。仕事の絶対量が半端ねえもん、あの人。いつか過労死すんじゃねえかって心配になる時あるんだよなあ…」
「そんなに、ですか?」
「俺が開発に入った時にはもうあっちに着任してたから直接の接点っつーのはないんだけど、すぐ上の先輩とかに聞いてみれば、こっちにいた時からすごかったって言ってたぜ。それにほら、他部署の部長クラスでも敷島さんの評判ってすっげーいいだろ?それって仕事の飲み込みの速さと的確さが信頼されてのことだからな」
確かに先輩の言う通り、敷島さんを語る上で外せないのはこの上司達の評価の高さだろう。
だけど、この高評価の割りに出世しているかと言えば、そうでもない。敷島さんの同期の人達は既に課長クラスに昇進しているし、海外支社の要職に就いている人もいるのに、だ。
私がそう言うと、先輩は「ここだけの話な」と小声で言う。
「噂だけど、海外事業部の部長が敷島さんのことを引き抜こうとしてるらしくてな」
「ええ!?それ、本当ですか!?」
「ちょ、声でかいって!」
はっとして口を抑えて周りを見たけれど、私程度の声じゃタカが知れているらしく、騒がしい会場ではほとんど気付かれていないみたいなのでほっとする。
私は渋い顔をしている先輩に、すいませんと謝ってから向き直った。
「先輩、誰から聞いたんですか、その話」
「だから噂な、噂。でもさ、海外事業部の部長って敷島さんの亡くなったお父さんの部下だったんだって。信頼してた上司の息子さんだからってのもあるんだろうけど、営業一課の課長をしていた当時、入社したての敷島さんを引っ張ろうと思ったらしいんだ。だけど、新人教育期間が終わって蓋を開けてみたら開発部に取られた。開発部って何年かするとどっかしらの開発途上国とかに飛ばされるだろ?それで経験積んで…って思ってたんだと。で、ようやく敷島さんが帰ってきたから、今度こそ自分の手元に置きたいと思ってるらしいんだよ」
「そ、そうなんですか…」
「それにさ、敷島さん中東から真っ直ぐ帰って来ないでドイツとかイギリスの支社に日本に帰って来るまで少しの間あっちでいろんな引継ぎ関係の仕事してただけど、そっちからも来てくれないかって声掛かってるらしいんだよ」
「ええ!?」
「まー、あれだけ仕事出来るしな。だけど今敷島さんが抜けられて困るのは、うちなんだよなあ」
ガリガリと頭をかいた先輩は、すっかり冷めてしまっているであろう枝豆を摘む。
私は先輩が今教えてくれた言葉を反芻する。
敷島さんが帰って来たばかりで、これからは日本いるものだと思っていたのにまさかの状況。これって、告白うんぬんではなく、完全に手の届かない人なのでは…。
思考の沼に沈みそうな私を引き上げてくれたのは、やっぱり先輩で。
「莉那ちゃんさ、なんで敷島さん狙いなわけ?悪いけど接点なくね?」
「そ、そうですけど…」
「まー、わからんでもないけどな。敷島さん、男の俺から見てもいい男だし。つか、かっこいいよな」
「う…」
「そうそう、知ってるか?敷島さん、昔剣道やってたらしくてさ。俺の先輩の先輩が剣道やってたんだけど、敷島さんの事知ってたんだよ!なんでも高校時代無敗のインハイ3連覇、国体でも優勝してたらしいぞ」
「え、すっごーい!でも剣道着とか…敷島さん似合いそうですね」
「おい、想像でうっとりしてるんじゃないよ」
「いいじゃないですか!…何かもう高嶺の花すぎて、心が折れそうなんです。妄想くらいさせてくださいよ」
ふんだ、悪いか!
なんかもう悲しいんだか、恨み節を吐きたいのかわからなくなってきた。帰ってもいい頃じゃないのかなーと思って周りを見てみると、ちらほらと席を立っている者もいる。準備はしたけど、後片付けはしなくていいという事なので、このまま皆帰ってもいいんだそうだ。
ちらっと友達がいるかどうかを確かめると、すでにいなかった。…早いな!
とりあえず会費は先に払っているので、バッグを持って立ち上がる。
「先輩、私帰りますけど…」
「ああ、俺も帰るよ。駅まで送ってく」
「すいません、ありがとうございます」
駅まで歩いている間、先輩は何で敷島さんの事が好きなのかとか根掘り葉掘り聞いてきた。なんか、やけに絡んでくるような気がするんだけど、酔ってるからだと思い直す。
とは言え、私もやけくそ気味に答えているんだから性質が悪い。
「前、助けてもらったんです。敷島さんに」
「ふーん」
「柏木チーフ…いるじゃないですか。営業二課の……………私、資料室で…あの人に襲われそうになったんです…」
「…はあ!?」
あの時の恐怖はたいぶ時間が経っているけれど忘れられない。
何せ、柏木チーフに縛られた手首は赤く痣になって、暫く痕が消えなかったくらいだ。見るたびにあの時の恐怖を思い出すから見たくなくても、消えたかと思って見てしまって恐怖がぶり返すという悪循環をしばらく繰り返した。
駅まで行く通りにはちらほらと人が歩いているけど、ほとんどが気持ちよく酔っているらしく、先輩の大声にも迷惑そうな顔はしなかった。
「萌花先輩に資料室に行って、会議で使う資料を探して欲しいって言われて行ったんです。それが古い資料だったから電子化されてなくて、それで地下の資料室まで降りて。そこでファイリングされてる資料を探していたら、後ろから声をかけられたんです」
「あれ、秘書課の莉那ちゃんじゃん。何してんの、こんな所で。探しもの?」
いきなり後ろからかけられた声に驚いて振り返って見ると、そこには営業二課の柏木チーフが棚にもたれかかって私の方を見ていた。
「あ、萌花先輩に言われた資料を探してて…」
「萌花に?あいつも自分で探せばいいのになー。困った妹でごめんねー」
「いえ、仕事ですから…」
「偉いねぇ。さすがは秘書課のマドンナ。可愛いのに一生懸命で庇護欲そそられるなぁ」
「…柏木チーフはどうしてここへ?何かお探しの資料があるんですか?」
「うん?ちょっとねー」
そう言うと柏木チーフは、私がいるのとは反対側の資料棚の方へと歩いて行ってしまった。それに少しホッとして、私は資料をめくる手を再開する。
正直彼は苦手だ。
元々数ある秘書課の先輩の中でも苦手な萌花先輩のお兄さんと言う事で余計にフィルターがかかっているのかもしれないけれど、何かにつけてこうして接点を持ってくるような気がする。自意識過剰かと思うけど、多分狙われているのだろう。
確かに長身だし、二重の大きな目と甘い感じのマスクが相まってカッコイイ部類に入るのかもしれないけど、あの人の目が怖いと感じてしまうのだ。どうも獣じみていて、実家で飼っているネコがエモノを狙う時にする時の目によく似ている。
ああいう自分をエモノのように見ている目をした人に好意を持つなんて、絶対にない。
「…ないなあ…」
「何がないのー?」
「!?…ちょっ、驚かせないで下さいよ!」
「ああ、ごめん、ごめん」
「それより、近いんですけど…離れてもらえませんか?」
「う~ん、どうしよっかなー」
ふざけないで下さい、と声に出す前に、後ろから抱きつかれていた。
全身が総毛立つのを自覚し、それから自分の状況を判断しないといけないと思うものの、何が起こっているのかわからないから背中に感じる男の感触にパニックになるしかなく。
せめて声を出そうと思ったものの、羽交い絞めにされている状態だった私は気付くと口を手の平で塞がれていた。
「!んぅーーー!!んんーー!!!!」
「おっと、声出すなよ。大人しくしてりゃ、すぐに気持ちよくさせてやるからさ」
「んんーー!!」
「ははっ、萌花に感謝しなきゃな。こんなとこに呼び出してくれんだから」
聞き捨てならない言葉を呟いた男は、私を羽交い絞めの状態から仰向けにし、抵抗する手を己のネクタイで縛り上げた。相変わらず口は手の平で塞がれていて、声が全く出せない。
ニヤッと笑う顔がどうしようもなく怖かった。だが、抵抗しようにも手首は縛られているし、体重がかけられて馬乗りになられた状態からいくら身体をよじったところで抜け出せるはずもない。
恐怖でボロボロ涙が流れていても、それすらも楽しそうに笑う男が心底怖かった。
「ああ、超そそる、その怖がった顔。入社以来目ぇつけてた甲斐があったな」
「んーーーー!!!」
「んー、抵抗する莉那ちゃんも可愛いけど、あんま暴れたら痛い目見るよ。殴られたくないでしょ?」
ふ、っざけんな!と頭にきた私は、抵抗していた身体を一気に弛緩させた。ひとえに油断させるために。案の定観念したと勘違いした男はそのままニヤリと笑うと、首筋に舌を這わせてきた。
気持ち悪い、気持ち悪いと必死に耐えて、とうとう一瞬の隙が出来た瞬間、ネクタイで一くくりにされていた腕を思いっきり振り下ろした。
その渾身の一撃は男の後頭部に入ったらしく、一瞬息を止め、それから血走った目で私を睨みつけた。
「いってえな、このアマ!!」
殴られる!
そう覚悟して目を閉じた。
だけどその衝撃は一向に訪れる気配がなく。そろそろと目を開けてみると、そこには私を殴ろうとしていた拳を止めている手があった。
「何しているんですか」
冷ややかな声だった。
「それが敷島さんだったわけ…」
「はい。私、それまで全然敷島さんと接点なかったんです。開発部の秘書に付いているわけじゃないし。ただ、敷島椿さんは今緑川社長と結婚したから有名じゃないですか。それで秘書課の違う先輩から椿さんのお兄さんが帰って来たって聞いて…。最初見た時は、それこそ柏木チーフみたく目を引くような人ではなかったですけど、何て言うか姿勢が綺麗な人だなとずっと思ってて。
……敷島さんは助けに入ってくれた後、柏木チーフは突然現われた敷島さんに対して『木偶のくせに』とか、『愚図のくせに』とか、散々罵倒して私の手首に巻いたネクタイを乱暴に外して出て行ったんです……」
「…それ、今まで誰か…上司に相談とか…した?」
「いいえ…柏木チーフは捨て台詞のように『この事誰かに言ったら、てめえを解雇にしてやる』って、敷島さんを逆に…私を助けたばっかりに………」
二人きりになった地下資料室で、呆然として震えている私に暖かな何かがかけられたのに気付くまで少し時間がかかった。
ようやく気が付くと、スーツの上着だと言う事がわかった。ふわりと香るのは、多分ほんの少しだけつけているかもしれないフレグランスなのかもしれない。だけど嫌味ではない香りが波だった心を落ち着かせてくれた。
「こんなこと聞くのもなんだけど…大丈夫?何も……されてない?」
「は、はい、だいじょ……ぶ……」
ようやく恐怖から解放されたからなのか、一気に緊張がほぐれた私は泣き崩れてしまった。敷島さんは私をそっと立ち上がらせて、近くの椅子に座らせると「ちょっと待ってて」と言って暫く席を外してくれた。
時間にすると多分に2、3分だったと思う。戻ってくるとその手には、湯気の立つ飲み物のカップが握られていた。
「ココアなんだけど、大丈夫?飲める?」
「は、はい…ありがとうございます……」
「シナモン入ってるから身体暖かくなると思う。まだ少し震えてるから」
どこからシナモン入りのココアが?という疑問は、すぐわかった。
「おい、大丈夫………でもなさそうだな……」
「秋」
「…え………し、敷島さん…誰ですか……」
「お前は。いきなり入ってきたら彼女がびっくりするだろう。せめてノックくらいしろ」
「いやだって、ここノックする扉なんてないからさ」
「全く…ごめんな。こいつ、資料室の人間だから気を張らなくていいよ」
「えっと、どっか怪我してないか?あいにくここにはドリンクバーはあっても、救急箱はなくてさ。あ、ココア飲めば?とりあえず落ち着くと思うからな」
「は、はい…ありがとうございます…」
シナモン入りのココアはとても美味しく、震えていた手もようやく止まってくれた。
敷島さんと秋さんは私が怪我をしていないか念入りに聞いてくれて、私も特に痛むところは手首以外なかったので救急箱は必要ないと断った。
幸い会社は女子は私服で大丈夫だし、今日来ているのも手首が隠れる長袖だ。袖を捲くったりしなければ見え無いし、包帯を巻くほどではないので大丈夫だろう。
私はそう伝えると、無理はしないように。と逆に心配されてしまった。
「……言いにくいことかもしれないけど…何があったか…聞いても?」
「…………」
「そっか。ごめんな…」
ポンポンと頭を撫でてくれたのは敷島さんで。
どこかお兄さんじみた感触に、酷く安堵する私がいた。
「………今は大丈夫なのか?」
「柏木チーフもあれから何もしてきませんし、萌花先輩とも今はもう仕事上の付き合いしかありませんから…」
「何て事だ…」
ぼそりと呟いた先輩は酷く険しい顔をしていて。
私も思わず顔をしかめてしまった。
「なるほど、莉那ちゃんが敷島さんのこと好きになるのもわかる」
「………刷り込みみたいなものかもしれませんけどね…ほら、ヒーローみたいに助けて貰ったから」
「それでも恩人には違いないだろう。足向けて寝られねえな!」
「本当ですよね!毎日拝んで寝ようかな」
「いや、それ縁起悪いし」
あはははと、さきほどとはうって変わった空気にほっとしつつ、私は何も見なかったフリをした。
先輩の目が全然笑っていなかったことに。