第23話
会議自体はつつがなく進んだ。
各国との連携協定の確認作業も特に何の問題なく、現地での資材運搬や手配に関しても問題なし。
長かった会議もようやくお開きになったころには既に夜になっていて、これから各社担当が親睦会とは名ばかりの飲み会に参加するようになっている。本社主催なだけあって会場もそこそこ豪華だし、そこには秘書課の面々も参加するらしく、軽く合コンのような流れになっているのが煩わしい。だが、まあこう言った場も必要かと思って何も言わないが。
俺は当初から不参加と言っていたのでそのまま仕事を続けるつもりだったし、そわそわと会場へ行きたがっている部下を苦笑しながら行かせてやる。随分とがらんとなった会議室に残っている何名かは資料を読んだり他社の関係者と打ち合わせをしたりしているようだが、俺は資料を読むフリをしてその実、全く違う事を考えていた。
各社の担当者や各国との協力関係は申し分ない。問題は本社で指揮を取るはずにも関わらず、その本社の、しかも現地での仕事が大部分を占めるはずの開発部。その開発部の課長が全く使えないなんぞ話にならない。
開発部から何名か部員が参加しているのだが、その何名かのほうがよっぽど仕事が出来る。その彼等の上に立つ課長のくせに、彼は格段に仕事の質は悪いと見た。
はっきり言って何故ド素人がこの場に紛れ込んだんだ?と思いたくなるほどの素人考えは正直目に余る。確かあいつは設計部の主任かなんかだったと記憶しているが、結婚を機に開発部へと移動になったはずだ。嫁がいい所の出らしく、力関係も何もかも完全に婿に入ってしまっているらしいが、そんな事は俺には関係ないし、知りたくもない。
課長の癖に現地になんか行きたくないと言い出し兼ねなかったあの男。思わず「てめえみてーな素人を現地に派遣する無駄金はねえんだ」と怒鳴りたくなったが、ぐっと堪えておいた。
今も不倫相手の萌花との逢引関係で忙しいのか、会議が終わり早々に引き上げて行きやがった。
ああ、マジで使えない事この上ない。
俺は帰りしに、一服がてら一階エントランス脇の喫煙スペースへ向かった。本社は一部を除き完全禁煙になっており、その一部の禁煙スペースも分煙ブース化されているので誰が喫煙者かわかるようになっている。
狭くはないが広くもないブースの中には自動販売機やソファーなども完備されているが、ほとんどの者は立って吸うためそのソファーを利用する事はほとんどない。
社員がチラホラと帰っているので時計を見ると、当たり前だが就業時間は過ぎていて、一本吸ったら車を呼んで帰るかと思いつつタバコに火を着けると、こちらに歩いて来た女が一人。
何時間も会議をしていたと言うのに、相も変わらず涼しい表情を美しい顔に張りつけた衣里は、やはり帰宅の途についている社員の目を引いていた。
「まだ帰ってなかったのか。交流会、行かなかったのか?」
「行かないわよ。秘書課の子が虎視眈々とエース級の獲物を狙ってるのを見るのは楽しいけど、大勢で飲むのって嫌いなの」
衣里がタバコに火を着けているのを見ながら、俺はふー…とニコチンを肺に吸い込んで吐き出し、買ってあったコーヒーを胃に流し込んだ。
「まだ吸ってたのか。肌に悪いぞ」
「海斗に言われたくないわ。吸ってると身長、伸びないわよ?」
「うるせぇ」
「こっちだって余計なお世話よ」
気にしている事を…少しだけむっとしながら、それでも半分ほどに減ったタバコをすっていると、衣里が脈絡もなく話しだした。
「開発部の課長、よくあれで課長やってるわね。私の部下だったら、さっさとプロジェクトから外しているところだわ」
「お前もやっぱり思ったか…」
「ってことは海斗も思ってたわけね。全く…よくあんな使えないのを今回の仕事に入れたわね。きっとあの男、自分のキャリアの一つになる。ぐらいにしか考えてないわよ、きっと」
「元々設計部だったからな、あれは。そもそも今回のプロジェクトみてえな大型事業に関わった経験がないらしいし」
「なるほど、使えないわけね。でもまあ畑違いなのはいいとして、課長になったのって昨日今日じゃないんでしょ?だったら今回みたいなインフラ開発の勉強していてもおかしくないわ。なのにあのザマ…困ったもんね」
衣里が首を竦めながらすーっとタバコの煙を吸い込んで、そのまま吸殻を灰皿に押し付けた。
俺としても何とかしてほしいもんだが、支社に移った身、本社の課長クラスを人事で動かせるほどの力はない。だが、このままド素人をプロジェクトに放り込んでも他の人間が被害を受けるだけだ。いい事などひとつもないことはわかりきっている。
「ああ、でも一人別格な人がいたわね。」
「別格?」
「ええ。敷島さん、だったかしら?あの人は仕事が出来そうで安心できるわ」
「樹ねえ。さすが目の付け所が違うな」
「あら、知りあいだった?」
落ちそうになっていた灰を灰皿に落としながら頷く。
樹もこのプロジェクトメンバーに参加していたのはおかしくないが、それでも帰国したばかりの人間を起用するのはどうなのか。とは言え、開発部の他のメンバーも何人か入っているので、負担は軽減されるだろうが。
「一応一族の人間。まあ、コネ入社って言われればそうだろうけど、ほとんど現場からの叩き上げのヤツなんだ。あいつなら現地に行ってもやっていけるだろうさ。最近赴任してた中東から帰って来たばっかりなんだよ」
「…………もしかして、その人○○○地帯の灌漑設備建設に参加してた?」
「知ってるのか?」
「…○○○地帯近辺に知りあい…と言うか私の仕事相手がいるんだけど、やたらこの会社で働いてる日本人を褒めていたのよね。なんでも、仕事が真面目で正確。現地の人達とも分け隔てなく接して、働いている皆から当てにされてたって。確か、休日に剣道の稽古を現地の子供達に教えてやってるって言うのを聞いたんだけど」
「…樹が?」
「どうしたの?」
一度竹刀を置いた樹が剣道?
大学の剣道部のコーチや部員が必死になって辞めないでくれと懇願したにも関わらず、あっさりと剣道を辞めたあいつが?
あの当時、同じく剣道をやっていた俺も当然のように樹が剣道の道から去るのを止めた。そりゃそうだろう。高校時代インターハイ3連覇、大学選抜でも日本一。全日本では並み居る社会人を押しのけて、若干21歳で準優勝。世界大会での活躍を有望視されていて、その筋からは引く手数多だったはずだ。
そんなぶっちぎりの強さを誇った樹が剣道を辞めるとなった時、俺は樹が辞めざるを得ない事情を知っていたのに辞めて欲しく無かった。
あれだけ強い人間がこんなに近くにいるという事実は、自分にとって刺激になるし、目標にもなる。実際樹を相手に打ち合いをすれば、完膚なきまでにやられることがあったとしてもそれが充足感になるから不思議な話だと思う。
結局説得は効を結ばず樹は剣道を辞めたのだが、そればかりかたまに来ていたうちの道場にも一切足を運ばなくなった。
それなのに。
遠く離れた異国の地で、自ら手放した剣道を教えていると言うのか。
あの、樹が。
地獄耳の柏木家先代が死に、代替わりしてから残念な当代。
御大から目をかけられている敷島兄妹にちょっかいを出すような気骨はないし、婚約者であった萌花も中東の、しかも紛争地域になんて行きたくないに決まっている。
そんな拘束の目がない環境の中、樹は仮面を被らなくて済んだのだろう。
仕事は大変だったと聞いているし、あの地域は危険との隣り合わせなことで神経も相当まいっているヤツもいるらしい。なのに樹がああして平然と戻って来たのは、ひとえに剣道で培った精神道だと思えば納得ができる。
まあ樹に関して言えば、柏木家に関わってしまった事自体が厄災以外の何者でもなく、更に言えば椿が鳥谷部家と婚約なんか結ばれてしまった時から忍耐強くならなければいけなかったのかもしれない。
「いいわあ、彼。うちの会社に来てくれないかしら」
「おいおい…あいつは一筋縄じゃいかねえぞ」
「あら。そんなの見てればわかるわよ。にしても、彼、敷島って言うのね。最近橘の一族から緑川社長と結婚した人がいたわよね。その彼女の縁者なの?」
「ああ。樹の妹なんだ」
「………………あらまあ…」
「びっくりだよな」
流石に予想してなかったらしく、珍しく呆けた衣里の顔をおかしく眺めていると、エレベーターから降りてきた一同が見えた。これから帰宅の途につくのだろう。その中に噂の樹もいて、少し笑った。
「ああ、でも彼の妹だって言われれば確かにそうなのかもしれないね」
「…?」
「なんか、似てるもの。緑川社長と、敷島さん」
「似てるか?椿、ってあいつの妹な。椿も先日のパーティの時に言ってたんだよな。『兄さんと光さんは似てる』って。樹は否定してたけどな」
「………」
「流石のお前も緑川社長には手出してないだろ?」
「まさか。冗談やめてよね」
俺はタバコの火を消すと、荷物を持って帰り支度をはじめ、衣里も衣里で2本目のタバコを消すところだ。
衣里の守備範囲は結構広いと聞いているため、もしやと思って緑川社長の名を出したのだけれど、彼女の顔が冗談ではなく嫌そうだったのでそれはないのだろう。どこか安心めいたものを感じていると、ブースを先に出た衣里がドア越しに俺に言った。
「同属嫌悪じゃないけど、ああいう裏で何考えてるかわからない人っているけど、私緑川社長って苦手なのよね。敷島さんの妹さんがその社長と似てるって言うんだったら、相当似てるんだわ。絶対食えないタイプ」
「お前に似てるじゃないか」
「似てないわよ!」
憤慨したようにふんっといい捨てると、颯爽と歩き去った衣里の後ろを追うようにして俺も本社を後にした。