第14話
樹が帰って来たと言う報はどうやら柏木家にも届いていたらしい。
まあ、そうだろう。長兄も次兄も部署は違えど同じ会社に勤めているし、父もその点の情報は何気に早い。
樹が会社に報告がてら来ていた際、ちょうど長兄と樹が対峙している場面に偶然鉢合わせしてしまう事があった。
生憎遠目にしか見えなかったのだが状況を察するに、どうやら長兄は祖父が死んでも葬儀にも出席せずに泣いている萌花を一人放って置いた事に立腹しているらしい。確かにあの葬儀の時、泣いている萌花を慰めていたのはこの長兄だったし、それは別にいいのではないかと思っていたのだ。あれからもう二年が経ち、既に一年も前に一周忌すらとうに終わっているのにも関わらず、今更何を言い出すのかと実の兄の神経を本気で疑ってしまう。
事実、長兄の萌花贔屓は度を越している。その異常な干渉振りは立派にシスコンの部類に入っているのだが、それを認めようとしないところが本気でイタイ。一方萌花も萌花で、そんな兄の操縦の仕方を幼い頃から熟知しているので、自分に都合のいいように兄を操っているのだ。
だが、長兄が憤るのは筋違いだと思う。現に樹が帰って来てから実家に線香を上げさせてくれと訪ねて行った際、樹は門前払いされた。しかも家の者などではなく、使用人にだ。
一緒に行った俺ですら同じく門前払いされ一瞬呆気に取られたが、それも致し方ない事だと諦めは付いていた。だが、樹の心中はわからない。ただ樹の表情が貼り付けた能面の如く、無表情だったのは見て取れた。
門前払いされたからと言っても将来縁続きになる間柄であるし、ましてや格上相手。樹としては黙って帰るわけにも行かず、それから二時間ばかり粘った末にうっとおしそうな顔を隠そうともしない母が出てきたのだが、樹の顔を一瞥するなり顔を顰めた。
「なあに、その風体?みっともないったらありゃしない。そんな格好で家に来るなんて、流石は下の者ね」
嫌悪も露わにそう言い放ち、使用人に塩を持って来させた母は、あろう事か樹にその塩を投げつけそのまま中に入って行ってしまったのである。
当然、頭にきた俺は母に食ってかかろうとしたのだが、またしても樹に止められたのだ。
頭から塩を被った樹はそのまま玄関で一礼し、踵を返して帰った。
その光景を思い出してまたしても腹が立った俺は、長兄の謂れの無い言いがかりに出ていこうとしたのだが、ちょうど後ろからぬっと顔を出した海斗さんに怒勢を削がれてしまった。
「おんやぁ~?樹が難癖付けられてんじゃーん」
「海斗さん…!驚かせないでくださいよ」
「はは、こんなもん気付かない秋が悪ぃんだぜ?」
「俺は海斗さんと違って、気配に敏くないですからね」
海斗さんは御三家の一つである御崎家の次期当主であるのだが、御崎家は少し特殊な環境にある。
御崎家は元々直系だけで権力移譲が行なわれていたのだが、前当主が女性、つまり海斗さんの実の母親であったのだ。その前当主だった海斗さんの母上はと言うと、一人の男の子と二人の女の子を生んだのだが、最後の子を産んだ際に亡くなっている。
そして現当主である海斗さんの父親は、あくまでも海斗が当主を担うまでの暫定的なものに据え置かれているため、御崎家と言う家においては海斗さんの方が上である。それにそろそろ海斗さんに家督が移るだろうと言う話も出始めているらしく、何かにつけて御崎家の意向は海斗さんが決定しているのが現状であるのだ。
そんな複雑な状況に置かれている海斗だが、彼自身剣道の有段者であると共に、樹の親友と言ってもいい間柄である。
勿論、樹との手合いも何度か見た事があるが、ほとんど海斗が負けていた。
『ほとんど』、と言っても海斗が樹から一本を取って勝ったわけではなく、樹が勝たなかっただけで、いつも海斗がへろへろになって『もういい!』と言って勝負を諦めるのが常だった。
「シスコン兄、樹にいちゃもんをつけるの巻~」
「…何か愉しそうですね、海斗さん…」
「愉しいぜー?柏木家の長男は来月にはニューヨーク支社に栄転、次男は部のチーフ、長女は秘書課の華だもんな。柏木家の栄華、ここに極まれり!ってか~?」
「何か、ムカつきます。真面目にやってる樹がバカみたいだ…」
俺がぼそりと呟くと、ごとんと音がして海斗さんが自販機からコーヒーを買っているのが見えた。おいっと声をかけられて投げられた缶を慌ててキャッチすると、海斗さんはおごりだと言って笑った。
虚を付かれたものの、ありがとうございますと返すと海斗さんはプルタブを引き上げてコーヒーを一口飲んで、そして俺を見てにやりと笑った。
「秋」
「はい」
「お前、資料部だったよな。うちの会社の雑用部」
「…はい?」
「うちの会社の暗部を一手に引き受ける影の部分、それが資料部。お前、昔結構派手にハッキングやってたしな。それで資料部に配属されたんだろ?」
「…っ!」
「公に出来ない部署だっつーのは知ってる。まあ、口外出来ないのもわかってる。つっても、俺はべらべら喋るつもりはさらさらねえし、社内秘っつーかそもそも社に勤めてる以上は保守義務があるからな。それに資料部の裏の仕事を知ってるのは橘の中でも、当主ぐらいだしな」
「じゃあ……なんで海斗さんは…」
「お前、俺を舐めるなよ。伊達に御崎家背負うわけじゃねえんだぞ。その程度の事は調査済みだ。どこぞの色ボケと違ってな」
くつくつと嗤う彼の顔をじっと見ていると、彼は缶に残っていたそれを一気に飲み干すと、空き缶専用のゴミ箱に投げ入れた。放物線を描いたソレは、どこにも当たる事無くゴミ箱の中に納まった。
「俺から忠告しいといてやる」
「何をですか…」
つかつかと歩いて来た海斗さんが俺の耳元でボソリと言う。
「樹には気を付けろ。さっさと身の振りを考えておかねえと、巻き込まれるぞ」
何を、と聞けなかった。
そして何に、とも。