第13話
樹のご両親の指輪が萌花に持ち去られてから数日後、再び萌花は敷島家へと来たらしい。生憎その日は俺が仕事だった為に椿一人で萌花に対峙せねばならず、またしても椿の母親の着物を何点かを持ち出された。そしてその日を境として、萌花が敷島家から何かを持ち出すという事象が日常茶飯事に行われる事になってしまった。
俺は萌花のやっている事は窃盗なんだから当然のように警察へ通報すればいいと言ったし、警察に届け出ないにしろ、あの子を可愛がっている本家の御大やらに相談するとかすればいいのではないかと何度も言った。だが結局、本家のみならず、直接関係している者しかそんな事が起きているとわからないような工作がなされたのだが、それをしたのが驚くべき事に盗難の被害に遭っているはずの樹本人の意向だったからだ。
指輪を持って行かれた直後、俺はすぐさま樹に連絡を取った。時差の関係と仕事の都合上、大した時間も取れ無かったようだった樹は、詳しい事を俺から聞くとすぐに椿に代わるように言われたので、俺は彼の言う通りにした。だが、樹と話している椿の顔を見ていると、大よその内容は聞かずとも解ってしまう。
樹は萌花の勝手を許したばかりではなく、椿に対しても釘を刺したのだ。
つまりは好き勝手にさせておけと。
当時樹が何故そう言ったのか意図が解らず、ただあまりの萌花のワガママさと身勝手さに憤慨していた俺は、どこか頭の片隅で萌花の勝手を放っておく樹の情け無さに失望したのだと思う。だからこそ、俺はそれ以後樹の事を、少なからず今までのように慕えなくなったのかもしれない。
この時、俺は何もわかっていなかった。
樹が何を考えて萌花を放っておいたのか。そして、俺が見当違いにも樹を失望すると言う事も想定されていたと言う事も。
樹があちらに赴任してからようやく一時帰国が許されたと言う日、ちょうど樹がこちらの休みに合わせたと言う事もあり、椿が樹を迎えに行くのに便乗して俺も一緒に行く事になった。海斗さんも一緒に行きたかったんだが…と言われていたのだが、生憎手が離せ無いプロジェクトの真っ最中だと言う事で託だけを預かっていた。
樹が帰って来るのは実に二年振り。本当は両親の命日の日にあわせて帰国したいと考えていただろうが、そう頻繁に帰って来れるような状況でもないらしく、実際二年振りに日本に帰って来たと言っても滞在日数自体は三日しか無かった。しかもその三日間でいろいろと会社に報告もしなければいけないので、丸々休みの日と言えば一日しかないも同然だった。
勿論その貴重な休みの日の予定はもう決まっている。
樹が乗っている機の到着を待っている最中、椿の横顔を見てふと溜め息を付きたくなったが何とか堪えた。実際椿本人が悪いと言う事は微塵もなく、彼女を取り巻く環境が悪化の一途を辿っているのである。
婚約者の鳥谷部楓の女性関係は派手さを更に増し、いよいよ椿との婚約解消を狙ってくるのではないかと思われているが、それはまだ実現に至っていない。
以前、鳥谷部楓がアメリカの大学に留学する際に、婚約破棄を考えていると噂されて、それが事実だとわかると回りは俄かに活気付いた。勿論浮き足立った連中の中には例に漏れず萌花もいたし、三神小百合も表向きは椿を慰める役を演じているらしいが、楓本人に接近しているとの情報もある。
だが、婚約白紙が現実味を帯びたある時を境にしてその話は立ち消えになってしまった。どうやら御大が楓を直々に呼び出し諌めたらしい。詳しい話は知らないが、結局の所、御大の介入によって婚約解消は成されなかったものの、それがよかったのかどうかは言わずもがなのところだ。
今度は耐え切れずにふうっと溜め息を付くと、それに気付いた椿が怪訝そうな顔をしているのに気付いたが、なんでもないと平静を取り繕った。
「よう、元気にしてたか?」
「お帰り、兄さん!」
「樹!」
「ああ、ただいま。椿も秋も、二人とも元気そうで安心したよ」
久しぶりに会った樹は、その風貌こそ様変わりして驚いたが、中身はそのままで何も変わっていない樹のままで安心する。
現場に頻繁に出ているらしい樹は、真っ黒に日焼けをし、中東での勤務と言う事でヒゲも生えていた。髪も頻繁に散髪出来ないらしく、日本にいた頃よりも伸びてはいたがそれでも見苦しくない程度には整えられていた。
こちらにいる頃は精悍なタイプだった樹が、あちらに行ってワイルドさを獲得したようだ。心無しか、大きかった身体もさらに一回りでかくなった気がする。
俺がそう言うと敷島兄妹はお互いの顔を見合った後、破顔し声を出して笑った。
以前と変わらぬ樹の笑顔と久しぶりに見た椿の笑顔にほっとしつつ、家路に着いた。
樹が取れた貴重な休日の日、俺達はある場所へと向かった。
「久しぶり、父さん。母さん。」
「お父さん、お母さん。兄さんの顔を見るのは久しぶりだよね。」
墓石に手を合わせながら、返事の無い両親に彼等兄妹は話しかける。墓石は綺麗に磨かれ、水も供え、花も上げた。何年かぶりの兄妹そろっての墓参り、俺は少し離れた場所からその光景を見ていた。
墓石に供えた花を買ったのは墓所に来る前に寄った小さな花屋だった。初老の夫妻と若い娘と三人で営んでいるらしいその店は、お世辞にも儲かっているとは言いがたい。だが、彼等は樹達と顔見知りだったらしく、久しぶりぶりに会った知人と仲良く話をしていた。
椿が店を出てくる際に抱えていた花を俺が持ってやったりと言ったやりとりをしている時、樹が花屋の娘に、「いい花をありがとう」と礼を言っていたのが聞こえたが、それは言葉通りの感謝の言葉をかけたんだろうと気にも留めなかった。
その後、俺は知る事になる。
その時に樹が謝意を述べた花屋の娘こそ、樹が萌花に婚約破棄された後に脇目も振らず結婚した、樹の最愛の女なのだと。