死んだ聖女は良い聖女
冷たかった。
幾何学的な模様が張り巡らされた、ざらざらした石造りの床は、裸足の素肌を伝ってわたしのなかまでしんと冷やした。
「──御降臨の儀は成されました」
祭司のような、ひらひらした衣装を着た老人が厳かに声を張り上げ、人々の歓声が大気を揺らした。
大音声にぎゅっと身体が縮こまる。
叫ぶ声、手を打ち鳴らす音、踏み鳴らす足音、どこかの扉が開いては閉まる音、石造りの壁に跳ね返って、それらがみんな混ざり合った音。
喧騒の中、絵の中から抜け出したような美青年がひとり、表情を置き忘れたような顔でこちらを見ている。
その足元に、わたしの履いていたスリッパが転がっているのを、ただ、ぼんやりと眺めていた。
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「わたしが、聖女?」
ひととおり場が混乱し尽くすと、ミハエル殿下はわたしの手を取って、石畳にへたり込んでいたわたしを拾い上げてくれた。
あ、ミハエル様っていうのはさっき呆然と立っていた、ひときわイケメンの青年のこと。
どうやら彼は王子様だったみたい。
彼はとても親切だった。
手を引かれてついていくと、日当たりのいいサンルームみたいなところにわたしを座らせて、温かい紅茶を勧めてくれた。
ふかふかのクッションとあったかいお茶が、冷え切ったおしりをじんわりと温めてくれる。
それに、広いお城でスリッパを引きずって歩いていたら、どこからか靴も持ってきてくれた。
だからわたしは今、パジャマにハイヒール。へんなの。
ハイヒールの爪先をぶらぶらさせながら、あったかい紅茶をごくりと飲みこんで、わたしはもう一度言った。
「わたしが聖女って、ほんとですか? なんかの、間違えとかじゃ」
ミハエル殿下は小首をかしげながら微笑んだ。
「もちろんです。召喚の儀で陣の中に顕現された。それこそが聖女様の証」
「で、でも、実はもうひとりが聖女でしたとか、役に立たなくて追放されたりとか」
乙女ゲームとか、ラノベとか、スマホの上の方の広告でさんざん見たやつだ。
なんなら今はモブ扱いされた方が王道まである。
「もうひとりとは……? あの場にはミヤコしか居なかったではありませんか。……それに、召喚に応じてお出ましくださったお方に感謝こそすれ、役立たずなどと」
ミハエル殿下の、蜂蜜みたいにとろりとした金髪が肩口で揺れる。
「ミヤコは乙女げえむが好きなのですか?」
乙女ゲームみたいなイケメンの口から乙女ゲームって出てくるの、なんか変な感じ。
わたしはてへへと頭に手をやった。
「いやあ、文字読むのめんどいから、ノベルゲーはあんまり。どっちかっていうとTPSやFPSのほうが……」
ミハエル殿下は興味深そうに身を寄せてきた。
「そちらの言葉は初めて聞きましたね」
続きを促されたけど、笑ってごまかした。下手なことを言って、聖女じゃなくて軍にでも入れられたらたまらない。
「あれ、そちらの言葉は……ってことは、乙女ゲームは聞いたことあるってこと?」
にこ。
「ミヤコ、そろそろ疲れたでしょう。あなたの部屋に案内します」
殿下が突然立ち上がってわたしの手を取った。
たぶんエスコートってやつ。
ここに来る時は動転してて気づかなかったけど、わたし、先生とかお父さん以外の男の人と手をつなぐの、初めてだ。
きゅっと軽く握られて、首から上に血液が集まるのが分かった。
さすが王子様。ささくれなんてひとつもなくて、すべすべで、しっとりしてて、あったかい。
わたしは慣れないヒールで無様に転ばないように、ミハエル殿下の手を握り返した。
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「ミヤコ!」
小柄な少年が飛び出してきて、わたしの腕に絡みついた。
ショタ系ワンコ枠のジョッシュ様だ。
「どこ行くの? 僕とお茶しようよ」
わたしの袖を引っ張る姿があざと可愛い。
ここは本当に乙女ゲームの世界らしい。
だって、あれからというもの、いろんなイケメンが入れかわり立ちかわり現れては、わたしに親切にしてくれる。
「ごめんね、これからアーサーと馬を見に行くのよ」
アーサーはわたしにつけられた護衛騎士。
もちろんイケメンだ。
体育会系マッチョ枠、もしくは主従枠?
寡黙だけど控えめな笑顔が癒し系なお兄さん。
「えー」
ジョッシュ様はほっぺをぷくりと膨らませた。あざとい。
むこうの世界……日本ではあんまり男子に免疫がなかったから、いかにもなイケメンには正直気後れしてしまう。
でも見た感じ中学生くらいのジョッシュ様とは弟みたいな感覚で気負わず話せるから、なんとなく親しみやすい気がする。
弟いないけど。
「馬なんか見てもしょうがないじゃん。クサいし」
乙女ゲームの世界ってたいてい中世ヨーロッパとかなのはなんでだろう。
こっちでは馬車とか馬とかが一般的な交通手段らしい。
ジョッシュ様はつまらなそうに都会っ子みたいなことを言う。
テレビでしか見たことないけど、クサいのかな、馬って。
「ジョッシュ様はもふもふ苦手?」
「もふもふ?」
ジョッシュ様がこてんと首をかしげた。
こちらでは耳慣れない言葉らしい。
美少年もふもふ無双、似合いそうなのに、残念。
「わたしは楽しみにしてるのよ。本物の馬、見たことないから。それに、巡礼の旅には馬車で行くから、ちょっとは慣れておいた方がいいと思って」
「それは……。まあ、しょうがないけど」
いつもはジョッシュ様に甘い わたしがきっぱり断ったせいか、ジョッシュ様は少し鼻白んだように視線を逸らした。
「馬も見たことないなんて、どんなお嬢様だよ」
いつの間に来ていたのか、急に棘のある声をかけられた。
イーサンだ。
燃えるような赤毛の、もちろんイケメン。
「えー。普通だよ。どっちかっていったら貧乏だったんじゃないかな」
「どうだか。あんな変な靴履いてるってことは、歩かなくてもいいご身分だったってことだろ」
シルクのシャツを少し着崩して、上品なのにちょっと不良っぽい雰囲気のイーサンは吐き捨てた。
召喚されたときに履いてたスリッパのことだろうか。
こっちじゃあそういう捉え方するんだ。
「ったく、こんなガリガリのチビスケに何ができるってんだ」
きた。
日本人若く見られがちあるある。
当初わたしはイーサンの妹と同年代に見えていたらしく、そのせいかイーサンはわたしが聖女になることに否定的だ。
イーサンは……なんか、ツンデレ枠?
でも、たぶんわたしは聖女で間違いない。
だって。
「大丈夫よ。ここに来てからわたし、力が湧いてくるのを感じるの。いくら走っても疲れないし、もしかしたら乗馬で旅もできるかも」
コップに水を注ぎ込むように、人知を超えた何かが湛えられていくのが分かる。
だからきっと、わたしは聖女だ。
「おやめください、ミヤコ様。聖女様に乗馬などさせたら、私が怒られてしまいます」
力こぶを作ってみせると、アーサーが控えめに微笑んだ。
「全く、余計な口出さないでよ。たかが伯爵家のくせにさ」
ジョッシュ様は意外なほど険しい目でイーサンを睨めつけた。
ショタ系ワンコは腹黒でもあるのだろうか。イーサンはぐっと言葉を詰まらせた。
乙女ゲームはわたしに優しいけど、イケメン同士にはいろいろあるらしい。
そんなところばかりは、現実と変わりがない。
巡礼の準備が慌ただしく進められ、わたしの身の内には聖なる力が溜まっていく。
そんなふうにして、月日は転がるように過ぎた。
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「そんなん覚えてどうするんだ。聖女様ってのはただ祈るだけでいいんだろ」
わたしが祝詞を暗唱しながら歩いていると、またイーサンがひょっこり顔を出した。
ここでは行く先々でイケメンに出会う仕様だ。
「そうなんだけど、リュッカ様にお願いして教えてもらったの。海外から来た人に日本語で話しかけられたら、やっぱり嬉しいじゃない」
リュッカ様は、正教会から派遣されてきた聖職者の人で、女の人みたいに儚げなインテリ枠イケメンだ。
聖職者だけあってか、ちょっととっつきにくいというか、浮世離れしてる感じ。
普段は女性と接する機会がないみたいで、わたしとも関わり合いになりたくなさそうだったけど、お願いしたら意外なほど丁寧に、この国の女神様や祈りの言葉について教えてくれている。
「この国じゃあ祝詞なんて唱えるのは正教会の連中だけで、平民なんかは好き勝手に願い事するくらいだぜ」
「あはは。それは同じかも。お経とかちゃんと覚えてる人はあんまりいなくて、初詣でお願いするだけとか」
聖女とかいる世界なのに、宗教観はちょっと似てる。日本人が作ったゲームだからかな。
「その割には、お前は随分殊勝じゃねえか」
「うん。日本……前の世界でね、慰問に来てくれたシスターが言ってたの。神様はどんな国の言葉だって分かるけど、神様のための言葉を覚える誠意を喜んでくださるって。それからちょっとだけ、聖書読んだりしたの。勉強苦手だったから、全然わかんなかったけど」
「……へえ」
イーサンは酸っぱいものでも食べたような顔をした。
イーサンとは結構よく会っているような気もするけど、好感度はなかなか上がらない。
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「……貴方が、聖女ね」
いかにも高貴そうな女性が、お供の一団を連れて話しかけてきた。
美人だがキツそうな切れ長の目が、さらに吊り上がってわたしを射抜いている。
「あなた……」
「ミヤコ様、こちらに」
美女が何かを言い出す前に、アーサーがさっと割って入った。
あっという間に引き離されてしまう。
「貴方、自分の立場が分かっているの?!」
アーサーの大きな身体に視界がふさがれて、叫ぶような声だけが聞こえる。
……悪役令嬢枠なのだろうか。
わたしが声の去った方をじっと見ていると、アーサーが優しく声をかけてきた。
「怖い思いをさせましたね。警備を強化しますので、どうかご放念ください」
「あの人、エヴァンジェリン様ですよね。ミハエル殿下の婚約者の」
「お気になさることはありませんよ」
アーサーがそっと肩に触れてくる。
「ううん……。あのね、殿下はもう卒業だけど、巡礼が終わったら、一緒に学園に通うことになるかもって。だから」
ちょっと仲良くなっておきたかったな。
「一緒に、学園に……?」
アーサーが変な顔をした。
「え、うん……。だめかな?」
「殿下がそう仰ったのですか?」
アーサーがそれきり押し黙ってしまったので、わたしもそれ以上聞けなかった。
それっきりエヴァンジェリン様のことはなし崩しになったまま、わたしたちは巡礼の旅に出立した。
わたしたち。
正教会から派遣されたリュッカ様。
アーサーを筆頭とした、護衛の皆さん。
それから、なんでかイーサンも。
王子様のミハエル殿下と、高位貴族のジョッシュ様は長く王都を離れることができないらしくて、でもたくさんの人々に見送られ、華々しく送り出された。
リュッカ様が教えてくれた。
巡礼は点在する5つの聖地を訪れ、各地の祭壇に祈っていく。半年かけて、この国をぐるりと回るような長旅だ。
そして最後に聖都アウリアに赴き、聖櫃に祈りを捧げるのだ。
御者も護衛も、みんなイケメンだ。
女の子はわたしだけ。
乙女ゲームとはいえ、身の回りのお世話をしてくれるメイドさんがいないのはどうかと思う。
モブの皆さんもイケメンなので、色々と落ち着かない。
最初に訪れた聖地で、わたしの確信はますます強いものになった。
聖堂に入るのはわたしひとり。祭壇の前に跪いて、リュッカ様に習った祝詞をたどたどしく唱える。
すると、王都で感じていたのとは比べ物にならないくらい、わたしの中に力が満ちてくるのが分かった。
ぽちゃん。
からっぽのコップに水を注ぎ込むように、命のエネルギーが注ぎ込まれていく。
ぽちゃん、ぽちゃん、ぽちゃん。
旅を続けていくうちに、わたしはすっかりこの世界の女神様に愛と感謝を捧げるようになっていった。
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半年で5か所の聖地。
つまり、ほとんどが移動時間ってこと。
ひたすら馬車で揺られて、揺られて、揺られて。
聖女様の馬車に男は同乗できないし、スマホもないし、本はもともとあまり読まない。
ようするに、わたしは暇を持て余していた。
なので、宿場町についた時が絶好の暇つぶしチャンスだ。
とはいえ、聖女様がいきなり盛り場なんかに行くわけにもいかないから、地元の教会を訪れたり、孤児院を慰問したり、せいぜい屋台を冷やかしたりとか。
聖なる力を感じることができるとはいえ、わたしにはしてあげられることがない。魔法も奇跡も起こせないし、病気を治してあげることもできない。
それでも、町の人々はわたしの訪れを笑顔で喜んでくれた。
「ね、ロイさん。さっき屋台のおじさんがくれたの、なんだろう」
「蒸し饅頭っすね。香辛料で味付けした肉を小麦の皮にくるんで蒸した、このへんの名物っすよ」
旅を進めるうちに、モブの護衛の中でも気心の知れてきた人もいる。
「へえ。わ、まだあったかい。今のうちにいただいちゃおうか。一緒に食べよ」
「やった! ありがとうございます!」
ロイさんとザックさんがそうだ。ロイさんはワンコ系の護衛の人。ジョッシュ様みたいな高貴なワンコじゃなくて、牧羊犬みたいな、おっきくて陽気なワンコ系。
護衛の中ではちょっと若くて、いつもお腹を空かせているから、おすそ分けなんかをしているうちに親しくなった。
「ロイ、聖女様に捧げられたものを当たり前のように食うんじゃない」
「いいじゃない。わたし、これ全部食べたらお夕飯ひとくちも入らないもの」
ザックさんにも蒸し饅頭を押し付ける。
ザックさんは逆に護衛の中でも年配のイケオジ枠。この世界ではちょっと珍しい黒髪で、昔よく頭を撫でてくれた小児科の安藤先生に似てる気がするから、ついつい懐いてしまった。
ちょっとくだけた庶民ぽい感じが話しやすいんだけど、もちろんふたりもイケメンだ。
ていうか聖女のわたしがいちばんモブ顔なんだよ。
イケメンを従えて、饅頭食べながら歩くモブ顔聖女。絵面が微妙すぎる。
「やべ、アーサー様だ」
言うが早いか、ロイさんがわたしの手から饅頭の残りをむしり取った。結構残っていたのに、大きなひとくちでそのままロイさんの中に消えてしまう。
アーサーは宿の外でわたしの帰りを待っていたみたいだ。いつも控えめなアーサーには珍しく、眦をつり上げてロイさんを睨んだ。
「ロイ、ミヤコ様の護衛中に買い食いとは、いいご身分だな」
あ、ロイさんが仕事サボって買い食いしてたみたいになっちゃったのか。
「民から聖女様への供物として捧げられましたので」
ザックさんが卒なく答える。
「そうそう、いただいた物を粗末にはできないし、わたしじゃ食べ切れないから、食べてもらってたの」
慌ててわたしもフォローする。
「……ミヤコ様も召し上がったのですか。下賤の食べ物を?」
「ほんのちょっとだけ、味見したけど。あとはロイさんに」
嘘は言ってない。取られちゃったから、まだふた口しか食べてなかったもの。おいしかったのに。
アーサーはそれで納得したようだ。
「それでは、口直しに果物でもご用意しましょう。ミヤコ様は部屋でお寛ぎください」
アーサーが背を向けたすきに、わたしたちは唇に人差し指を立てて共犯者の合図をした。
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──わたしの、にんぎょは、よい人形……♪
その日、わたしはぼんやりと懐かしい歌を口ずさんでいた。
下町で訪れた教会で出会った子供に、小さな人形をもらったからだ。
急な大雨に加えて雷まで鳴り始め、わたしは濡れないようにとこの教会に留め置かれている。
降り止まない雨で馬が消耗するよりはと、今日はこの町に泊まるらしい。
予定外の宿泊に、アーサーや護衛たちは宿の手配や警備の調整に慌ただしく、リュッカ様は教会の偉い人に面会に行っている。
イーサンだけが手持ち無沙汰で、わたしと一緒に窓を叩く雨粒を眺めていた。
「なんだ、その歌」
イーサンが、そんなに興味もないけどとりあえず、みたいな感じで聞いてきた。
「日本……元の世界の童謡だよ。小さい頃、お母さんがよく歌ってくれたんだ」
「ふうん」
案の定、あんまり興味なさそうに相槌を返してきた。
3つめの聖地への巡礼も終え、長い巡礼の旅ももう半分だ。
この世界に来てからというもの、入れ代わり立ちかわりイケメンにはべられて、ひとりになれる時間があまりない。
嬉しい反面、少し息苦しくも感じていて。
今日はこれくらいの距離感が心地よかった。
──うたをうたえば、ねんねして
独りで置いても、泣きません
わたしの人形は、よい人形……♪
「……変な歌だな」
イーサンがどうでもよさそうな顔のまま、また呟いた。
「人形が泣かないのは、泣けないだけだろ」
「あはは。まあ、古い歌だからねえ」
流行りのポップスとかなら、イーサンの気に入る曲もあるかもしれない。でも、膝に乗せた粗末な人形と、窓の外側を滑り落ちていく水の流れが、どうにもこのわらべ歌としっくり来てしまった。
「……そういえばお前、元の世界の話、あんまりしねえのな」
「そうかなあ」
わたしは曖昧に微笑んだ。
とくに隠していたわけでもない。
ここではわたしは聖女様で、新しいことや珍しいものがいっぱいで、それだけで話が尽きることはなかった。
それにわざわざ、聖女様ではなかった頃のわたしについて聞きたがる人もいなかった。
「見た目ほどガキじゃねえって言っても、お前、まだ子供なんだろ。……ねぇのかよ。帰りたいとか、会いたいとか」
「会いたい、とか……」
ない。
わけがない。
わたしはニッと笑みをこしらえた。
「わたしん家、貧乏だったからさあ」
人形の腕をとって踊らせながら、わたしは続けた。藁でも詰まっているのか、少しチクチクする手触りを布越しに感じながら。
「お父さんもお母さんも、わたしには隠してるんだけど、そういうのってわかるじゃん」
わたしさえいなければ。
なんども思って、なんども飲み込んだ。
「ここにいればご飯も豪華で、みんなも親切で……。だから、わたしがどっかで元気にしてたほうが、きっと喜んでくれるかなあって」
イーサンはもう何も言わなかったので、わたしはまた歌い続けた。
──わたしの、にんぎょは、よい人形……♪
窓の外を叩く雨音にかき消されながら、わたしの鼻歌もしっとり濡れた。
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「ミヤコ」
優しい声に意識が浮き上がると、真っ赤な髪が目に入った。
額に当てられた手が冷たくて気持ちいい。
「気分はどうだ。飯、食えるか」
「ん-ん。いらない」
いやいやをするように首を振ると、鈍い痛みに顔を顰めた。
「じゃ、汁だけでも飲め。ちょっとでいいから」
身体を起こされて、唇に匙を差し込まれる。
人肌の液体が、ちょっとずつ、流し込まれる。
言葉はいつも荒っぽいのに、その手つきは、ひどく優しい。
4つ目の聖地を巡ったころから、異変が起き始めた。
身体が火照って、重しでもついたようにうまく動けない。
辛いのに駆け出したい。眠いのに眠れない。
ぱつんぱつんに膨らんだ風船みたいだ。
聖力が、飽和しかけている。
教わった祝詞を唱えたせいで、聖力が集まりすぎたのか、
単に歴代の聖女様たちもこうだったのか、
それとも、わたしが聖女の「器」に足りないのか。
リュッカ様も首をひねるばかりだ。
ただ、旅程は遅れに遅れた。
聖女様の馬車に男は同乗できない。
とはいえ、この状態のわたしをひとりで馬車に乗せておくことはできないし、乗せなければ旅は進まない。
苦肉の策で、看護人が交代で同乗することになった。
歳の離れた妹がいるというイーサンは、あんまり親切にはしてくれないけど、距離の取り方がうまかった。
気にしてくれてるのにほっといてくれるから、狭い車内でも負担に感じない。
なにより、背筋を伸ばして聖女様でいなくていいのが楽だった。
5つ目の聖地では、祝詞は割愛して、ただ頭を垂れた。
そのせいか体調は劇的に改善した。
隅々まで力が漲って、はちきれんばかりの万能感。
あとは聖都アウリアでこの荷物をおろせば、わたしの役目は終わりだ。
そしたら学園編が始まって、制服を着て、友達を作って。
イケメンもいいけど、女の子の友達が欲しい。
エヴァンジェリン様とも、仲良くなれるだろうか。
逸る気持ちとは裏腹に、馬車はのろのろと進んだ。
「なんか、変なにおい。生臭いような」
わたしが言うと、ザックさんがすんと鼻を鳴らした。
「潮の匂いですね。このへんは海が近いですから」
「海! 行ってみたい!」
思わず大きな声を上げると、ザックさんは安藤先生みたいな顔で困ったように笑った。
「駄目ですよ。昨日も熱を出されたばかりじゃないですか」
「ええ。大丈夫だよ。もう元気だもん。海見たい、海」
わたしは駄々っ子のようにほっぺを膨らませる。今はまわりにザックさんとイーサンしかいないし、嘘みたいに体調がいいから、わたしはちょっと浮かれていた。
『ちょっと熱あるね。ミヤコちゃん、またお腹出して寝たんだろ』
安藤先生は、イケメンだけど面白くて、子供たちからも人気だった。
『ミヤコちゃん、注射泣かないで出来たね。偉いね』
えらいでしょ。わたし泣かないよ。
わたしだいじょうぶだよ。
ねえ、あんどうせんせい。
せんせえ。
「……聖女様?」
「…………ザックさん」
いつの間にかぼんやりしてしまっていたらしい。ザックさんが戸惑ったような目でわたしを見ていた。
そうだった。わたしは聖女。呟いて背筋を伸ばした。
「大丈夫よ」
ばさりと頭から毛布がかぶせられた。
「ミヤコ、ちょっと寝ろ」
「えええ。大丈夫だってば。眠くないよ」
「いいから、寝ろ」
イーサンに毛布ごと抱き留められて、とんとんと背中をたたかれると、嘘みたいに眠気が襲ってきた。
頭の上で、なにやら囁き交わす堅い声を聴きながら、わたしはとろりと意識を手放した。
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結局、その日も早々に宿を取ることになった。
海からもそう離れていないのか、まだ幽かに潮の香りがするような気がした。
王都を出て、もう半年が過ぎる。
旅は遅々として進まない。
「明日は一日この町に滞在する」
水差しを持ってきたイーサンに告げられて、わたしは猫みたいに毛を逆立てた。
「なんで? わたしなら大丈夫だよ」
「嘘つけ。今だって熱出してるじゃねえか」
わたしは両腕を大きく広げてバタバタと振り回した。
「これぐらい平気だよ。もっと高い時もあったもん」
イーサンはそんなわたしを静かな目で見返した。
「お前はなんだって、そんなに急ぐんだ」
「え、だって、もともと半年の予定だったのに。今だって遅れてるのに」
「そんなの、こっちの世界の勝手な都合だろ。ミヤコが無理して付き合ってやる義理はない」
こっちの世界。
考えたこともなかった。
突然、お前は余所者だって、締め出された気がした。
「……でも、わたしは聖女なの。女神さまに祈ると、聖なる力が注ぎ込まれてくるのがわかるの」
「勝手に呼びつけて、勝手に押し付けてきたもんだろ。放っとけよ」
イーサンは何かに怒っているようだった。
でも、でも、でも、わたしは。
この力がなかったら、わたしは。
ふぅっと細長い息を吐くと、わたしはへらりと笑った。
「前にさ、イーサンが言ってたじゃん。歩かなくてもいい身分なんだろうって」
わたしが異世界に来たときの、スリッパとパジャマ。
「あれ、半分は本当なんだ」
「ああ……。あの変な靴のことか」
イーサンが訝るように眉をひそめた。
「生まれつきの病気で、病院……療養所みたいなところで育ったの。学校も行けなくて、ずっと寝てるだけだから、靴じゃなくてスリッパで」
イーサンの眉が跳ねあがった。
「でも、この世界に来たから、わたし元気になれたの。からっぽのコップに満ちていくのがわかるの。旅行したり、走ったり、買い食いしたり。……巡礼が終われば、学校にも行けるの」
欲しかったものを、未来をくれた。ぜんぶ女神様が叶えてくれた。だから恩返しがしたい。わたしにできることなら、してあげたい。
「お父さんもお母さんも、入院費のために働きづめで、ボロボロで、貧乏で、わたしさえいなければって、思っても言えなくて」
イーサンの唇が薄く開いた。
けれど、言葉は出てこなかった。
わたしはもう止まれなかった。
「こっちに喚ばれたのは、ちょうど緩和ケアが始まるってときで。あ、緩和ケア、わかんないか。もって1年って……。たった1年のために、あの人たちはまた全財産を投げ出しそうとしてて」
「……いち、ねん」
イーサンの唇からやっと、それだけが絞り出された。
「そう、1年」
わたしはおおきく頷いた。
「日本のわたしは1年後にはいないけど、ここでなら聖女で、元気で、学校に通えるの。帰れなくても、会えなくても、わたしがどっかで元気にしてたら、きっと……。あれ、イーサン、どうしたの?真っ青な顔して……」
---
ずる。
夜が明けて宿の窓を開けると、アーサーが大きな麻袋をずるずると引き摺っているのが見えた。
「アーサー! おはよう、なにしてるの?」
声をかけると、アーサーはわたしを見上げてふんわりと微笑んだ。
「おはようございます、ミヤコ様。出立の前に、ゴミ出しを少々。お加減はいかがですか?」
「大丈夫だよ。重そうだね、手伝おうか?」
「いいえ、ミヤコ様のお手を穢れさせる訳には参りませんので。朝食をお持ちしますので、もう少々、お部屋でお待ちくださいね」
わたしはアーサーに手を振って見送ると、イーサンに会いに行くことにした。
昨日の別れ際、イーサンはちょっと様子がおかしかった。
真っ青な顔で飛び出して行ったっきりで……。
変なことを聞かせてしまった手前もあって、ちょっと気恥ずかしい。
しかし、部屋を出る前に戸を守る護衛の声が耳に入って、わたしはドアを開ける手を止めた。
「あのお貴族様も酔狂っすよね。あと、ほんのちょっとで聖都アウリアだったってのに」
ロイさんとザックさんだ。
お貴族様って、誰のことだろう。
巡礼のメンバーで平民でないのは、攻略対象の3人だけだ。
「でもまあ、分かるけど。あの子めっちゃいい子じゃないすか。何も知らずに真面目にお祈りして、オレらなんかにも優しくてさ」
「じゃあ親切に教えてやるのか?聖櫃に捧げられるのは、祈りじゃなくて聖女だって」
なんのことだろう。
わたしが聞いてはいけないことだということだけはわかって、とっさに息を詰めた。
「でもそれホントなんすかね。代替わりの時に聖女を捧げなかったらって、なんか起こったこと、ないじゃないすか」
「捧げなかったことがないからな。王様にとっちゃあ、たかが寄る辺のない子供ひとり。危険を冒してまで控える価値もない」
歯の根がガチガチと鳴りそうになって、とっさに人差し指を押し込んだ。
ミハエル殿下。
乙女げえむを知っていた殿下。学園に通ってもいいって言った殿下。とろりと揺れる蜂蜜色の髪。
「聖典なんて読むのは正教会の連中だけで、大多数は偶に願い事でもするくらいだ。俺達みたいな見目のいい訳アリを集めて、楽しげにしてるところを見せれば充分。聖女様ありがとう。今頃どうしてるかな。きっと幸せに暮らしてるよ。めでたしめでたしの続きは聞こえない」
「は。死んだ聖女は良い聖女ってか。……反吐が出やがる」
「……なら、反吐も出せないようにしてやろうか」
喉の奥がひゅっと鳴った。
アーサーの声だ。
聞いたこともない、冷たくて、固くて、重い声。
「余計なことをペラペラと囀って、聖女様のお耳を煩わせたらどうするんだ。幸い、麻袋にはまだ余裕がある。……貴様も入りたいか」
それから、いつもと同じ、はにかむような優しい声で、ドア越しのわたしに呼びかけた。
「ミヤコ様、お待たせして申し訳ございません。朝食をお持ちいたしました。本日はよい果物が……。ミヤコ様?」
──わたしの、にんぎょは、よい人形……
足元に底なしの穴が空いたみたいに、甘い声が遠くなって、何も聞こえなくなった。
ただ、ずるずると遠ざかっていく麻袋の跡だけが、目の奥に焼きついていた。
この短編は明治時代に発表された古い文部省唱歌「人形」を下敷きに作られています。
活動報告に乙女ゲーム風イメージイラストを置いておきますので、よかったら覗いてやってください。




