アマーリエ・ブライトマイヤーの場合1
「おはようアマーリエ、朝から君に会えるなんて嬉しいよ。今日も素敵な一日になりそうだな」
背後から掛けられた声にくるりと振り返ると、私より少し色の濃いサラサラの金髪に新緑のような瞳の美青年が微笑みを浮かべ歩み寄ってくる。白地に繊細な刺繍の入った豪奢な上着を、彼ほど爽やかに着こなせる者はそういないだろう。
「わぁ、バスティアン様だっ、おはよう! 今日もその服、似合っていてすごく素敵ね!」
私はにっこりと笑いながら、胸元で小さく手を振った。彼はこの国の宰相の子息であり、公爵家の嫡男だ。社交界の薔薇とも呼ばれた公爵夫人に似たらしく、その容姿は芸術品の如く繊細でたいそう麗しい。
「おはよう、アマーリエ。昨日は差し入れありがとな。みんな美味い美味いって、涙流して喜んでたぜ」
「あっ、ファルク様もおはよう! 相変わらず騎士団の訓練ってすっごく激しいんだもん、応援してるだけでドキドキしちゃった……! クッキーは趣味で作ったやつだからあんまり上手じゃなくて恥ずかしいけど……疲れた時って甘いものが欲しくなるでしょ? 頑張ってるファルク様たちの力になれたなら嬉しいな!」
かなりの長身で鍛えられた身体、貴族らしくないざっくばらんな話し方。燃えるような赤髪に凛々しい眉の彼は騎士団長の子息で、伯爵家の次男ファルク様だ。学生でありながら既に王国騎士団の訓練にも参加しており、その剣の腕も極めて優秀なのだとか。
きらきらしい美貌の青年と、逞しく雄々しい美丈夫とに挟まれて学園の前庭を進む。バスティアン様が優雅に腕を差し出してエスコートを申し出る一方、ファルク様は自然に鞄を持ってくれた。
長身の彼らと比べて私はいささか小柄だから、二人と話すにはどうしても上目遣いになってしまう。アマーリエとして生まれて鏡を最初に覗いた際、金髪に生まれるとまつ毛まで金色なのだなと当たり前の事実に驚いたものだ。
その長いまつ毛は自然にくるりとカールして、ぱっちりと大きな瞳を縁取っている。白い肌にうっすらとピンクの頬紅をのせて、唇にははちみつを混ぜて作ったリップグロスを塗った。たったそれだけしか手を加えなくとも、今回の私はとても可愛い。
その証拠に、バスティアン様もファルク様もちらちらと私の顔を見てはほんのり頬を染めて見惚れているように思う。男性はナチュラルメイクが好きだという情報は、どうやら真実だったようだ。
私が藤原理恵としての生を終え、気付いた時にはもうこの世界に生まれ変わっていた。あの日死ぬ直前に聞いた夫の言葉と、受けた衝撃を忘れることはまだ出来ていない。
でもだからこそ、決意したことがある。私は今度の人生で、絶対に好きな人と結婚して幸せな家庭を築くのだと。
理恵が知ることの出来なかった、愛し愛されるということ。夫が夢見たらしいそれを、私がこの身において体験することこそが──理恵なりの復讐になると思うから。
前世の理恵は狭い世界に生き、こと異性関係においては本当に免疫がなかったと思う。夫のあの微笑みひとつに籠絡されて、死ぬまで一生の時間を彼に捧げてしまった。
娘を得られたのだから結婚したこと自体は後悔していないけれど、勿体無いことをしてしまったとは正直思う。もっといろいろな物を見れば良かった、いろいろな経験をしたかった。いろいろな人と知り合って、いろいろな話をしてみたかった。
何がどうなって二回目の人生を得られたのかは分からないけれど……せっかく前世の記憶を持ったまま生まれ変わったのだから、前回の教訓はしっかりと生かして次の成果に繋げるべきだろう。
固く決意した私がまず思い浮かべたのは、女子ばかりの学校内でいつもきゃあきゃあと騒いでいた華やかな集団のことだ。他校にいる彼氏との会話や共通の知人を通して集まる男女混合の食事会。友人の兄や弟についての情報。少し年嵩だが優しく穏やかな男性教師へ、上目遣いで擦り寄る女子生徒の仕草。
理恵がそれらのグループに混ざる機会はついぞなかったけれど、彼女たちの高く響く声はいつも耳に流れ込んできていた。聞く気がなくとも聞こえてくるし、理恵は一度聞いたことは忘れない。
男は単純だから、褒め言葉や素直な気持ちを言葉にすれば喜ぶし、舞い上がる。さすが、凄いね、知らなかった! そうやって気分よく転がしておけば、結果的にこちらの望むよう動いてくれる──らしい。
理恵は理性や恥ずかしさがどうしても勝ってしまって、夫に対して好きだとか愛してるだとか、またはその容姿が素敵だとか好みだとか、そんな気持ちを言葉にして伝えたことは一度もなかったと思う。でも今世においては、還暦過ぎまで生きた記憶のある私にとって同年代の学友など孫のようなものである。貴族という身分制度のある世界だからか前世より随分大人びた青少年達だけれど、彼らに対して褒め言葉をストレートに伝えることに恥じらいなど少しも感じない。嘘を吐いたり過剰に持ち上げるようなことはしないけれど、彼らはそんなことをせずとも見目は良いし態度は紳士的だし相応の努力を重ねており、褒めるべき美点に困ることはなかった。
この国では、全ての貴族の子息子女が一定期間学園に通う。それまで領地に篭りきりだった私も、同年代の中に混ざって社交をすることになるのだ。ここで出会う人の中に未来の結婚相手がいるのかもしれないと思うと、俄然やる気が湧いてくる。前世の記憶を含めた持ちうる限りの知識を使って、交友関係を広げていった。好まれる仕草や化粧に相槌の打ち方、魅力的な視線の運び方や指先まで気遣った立ち居振る舞い。もちろん知性も重要だろうと勉強だって頑張った。
女性を避けるつもりはなかったけれど、この国における結婚制度に同性婚は含まれていなかったため自然と付き合う相手は異性が中心となっていく。幸せな結婚をするためには、今のうちに相手を見つける必要があったのだ。
幸運なことに、私が生まれ持った容姿はこの世界の人間から見ても特別魅力的なものであったらしい。入学早々たくさんの子息たちが話しかけてくれて、今世こそ幸せになれるかもしれないといっそう期待が高まった。ただほとんどの男性が真っ先に私の胸元を見るものだから、少々辟易としてしまった部分もあるけれど。どんなに世界が違っても、男性が最初に惹かれる場所は変わらないのだ。まあ事実目立ってしまっているのだから、仕方がないのかもしれないけれど……。
「アマーリエさんっ、今日は僕と昼食を……」
「おい、俺が先に話しかけていたんだぞ! 割り込んでくるなよ!」
「アマーリエさん、これうちの領地の名産で──」
同級生たちが私の隣の席をめぐって諍いを起こす。昼食を共にする相手や、差し出される贈り物の数々。皆に等しく話しかけ、花や菓子など消え物以外の贈り物は受け取らないようにしていたけれど──そんな様子を傍から見ていた女性陣は、面白くなかったのだろう。私のことを悪女だのはしたないだのと蔑み、疎むようになっていた。まずは互いのことを知って仲良くなりたいと会話を交わすことの何がはしたないのか、私には分からなかったけれど。
男子生徒の間で起きた揉め事を止めようと傍でおろおろしていた私を助けてくれたのが、高位貴族の令息たちだったのも嫉妬された原因なのだと思う。彼らは誰に対しても公平だったし、自分たちが持つ権力を使うべき時に正しく行使しただけだ。
それなのに、私はあっという間に令嬢たちの輪からはじき出されることになってしまった。
しかしそうは言ってもこの学園自体が、ほとんどお見合い場のようなものなのだ。高位貴族ほど優秀な家庭教師を雇っているから、ここに来て改めて学ぶようなことはとっくに皆身に付けてきている。そんな中で同年代の若者たちを一か所に集めることで縁を繋ぎ、あわよくば相性の良い結婚相手を探すための場所とされているのは周知の事実。私が特別はしたない振る舞いをしているとは思えないし、下位貴族出身である私が必死で努力するのも咎められるような行いではないはずだ。
私は婚約者のいる令息に必要外で触れたことはないし、擦り寄ったりアピールした覚えもない。他国では幼い頃から婚約者を決めて両家の結びつきを強くすることもあるようだけれど、この国では大体が学園卒業の頃に婚約を結び、半年から一年ほど期間を置いた後に結婚をするのが一般的だ。
高位貴族ほど幼い頃から茶会などの交流の場が多いから、幼馴染や顔見知りは多いだろう。私の友人たちは皆揃って特に見目が良いから、子供の頃から憧れてきた令嬢も多いのだと思う。だけれど、であればこそ。憧れていますとか、大きくなったら結婚したいとか、ちゃんと自分ではっきり言葉にして伝えれば良かったのにとしか思えない。もちろん両家の派閥や利益が関わるからそう簡単な話ではないと分かってはいるが、それこそ下位貴族の私には関係のない話なのだ。
自分で行動もなにもしていないのに、私を妬むのは筋違いだと思う。私の生家は貧乏な男爵家だし、家同士繋がることで生まれる利点だってない。そうなれば、この見た目や性格や知識などの中身で戦うしかないではないか。それぞれ手持ちの武器を使い全力を出せばいいだけであって、舞台に立とうともしていない令嬢たちから受ける嫌がらせに屈したり、意思を曲げる理由はないと思っている。人生の中で無駄にして良い時間などないのだと、私は既に一度経験して知っているからだ。
「やぁおはよう、アマーリエ。今日も君は特別可愛いらしいね。──おや、先週贈ったネックレスは着けてくれていないのかい?」
「殿下! おはようございます! あのネックレスは毎晩月に翳して眺めてるんですよ、殿下の瞳みたいに綺麗な青色だから。でも学園に着けてくるにはちょっと華やか過ぎるかなって思って……だからいつかパーティーに出る時まで、大事にとっておいてもいいですか?」
登校途中に颯爽と現れたのは、この国の王子であるフリードヘルム・アイグナー殿下である。彼もまた私を気に掛けてくれる友人のうちのひとりだ。
我が家に経済的な余裕がないことを知ってから、普段着やアクセサリーなどを贈ってくれるようになった。最初は恐れ多いと遠慮していたけれど、妹姫のお下がりだというから最近はありがたくいただくことにしている。王族が使った衣装や装飾品を臣下に下賜する事は、一般にもよくあることだと聞いたからだ。その立場上、一度公の場で身に着けた衣装を着まわすことが出来ないらしい。多分、経済を回す意味なんかもあるのだろうと思う。この麗しい王子様から、どうか貰ってくれないだろうかと眉を下げて頼まれて断れる人などいないだろう。
この学園には決まった制服というものがないから、実際問題着るものがないと困るのだ。ただでさえ最近は嫌がらせでインクを溢されたり、通りすがりに飾りを毟られたり汚されたりすることも多い。その場で気付けば文句も言えるけれど、現場を抑えられなければ証拠もないし我が家より高位の家の令嬢ばかりだから訴えることも出来ない。裂かれた所を繕い、端切れで新しい飾りを作って隠したりしているけれど……それにもやはり限度があった。年齢的にも成長期でどんどん胸がキツくなってしまうので、新しいドレスをいただけるのは正直言ってありがたかったのだ。
豪奢なアクセサリーは夜会などでもないと着けていく場がないから、扱いには少しだけ困ってしまうけれど。王族から下賜された物を簡単に売り払ってお金にするわけにもいかないし──困ったら売ってもいいとは言われている──貧乏男爵家の娘である私には、それほど出席できる夜会などないから。
ただ眺めるだけでもうっとりしてしまうほど美しく素晴らしいものだから、貰って嬉しい気持ちは本当なのだけれども。
「ああ、それじゃあ今度一緒に夜会へ行かないかい? 君の着飾った姿を見てみたいなと前から思っていたんだ」
「えっ、夜会ですか? でも私は男爵家の娘ですし……」
「僕がパートナーとしてエスコートするから問題ないよ。そうだ、それなら新しいドレスも贈ろうか。あのネックレスに合うものを作ろうね」
「わぁっ、嬉しい。いいのですか?! あっ、でも、私何もお返し出来ないから……」
殿下の背後では、耳をそばだてて話を聞いていた令嬢たちが鬼のような顔でこちらを睨みつけている。私を恨む前に自分からパーティーへ誘えば良かったのに、己の臆病さを私のせいにするのは筋違いというものだ。男爵家の私から殿下を誘うことなど出来ないけれど、上位貴族の令嬢ならばそれとなくお声掛けするくらい出来たはずなのだし。
「アマーリエはただそこにいてくれるだけで十分だよ。君はいつも明るく元気で、一緒にいるだけでとても癒されるんだ。出来ることならこの腕の中に閉じ込めてしまいたいくらいさ」
「やだっ、殿下ったら相変わらずお上手ね! 私のこんな顔で良ければ、いくらでも見て存分に癒されて下さいね!」
ペロッと舌を出してから頬に手を当て、にっこりと笑う。僅かに目を丸くした殿下は、ふふっと嬉しそうに笑った。




