ナタリエ・アーベントロート4
「では最短で結婚のお手続きを進めさせていただきますね! 招待状の都合がありますから……お式は三カ月後といったところでしょうか」
眼鏡の奥で三日月形に目を細め、うんうんと頷きながらディディさんが言う。
「ああ、そのように頼む」
「──えっ、いや……あの、え?」
確かに好きだと告白したし、ずっと一緒にいたいとも思っているけれど。とはいえヴィンツェンツ様は王族で、この国の貴族王族の結婚とはそんなに簡単なものではないはずだ。最低でも一年は婚約期間を置き、それから結婚式の会場を押さえたりドレスを仕立てたりと様々な準備が必要なのだから。
それなのに、三カ月後とは一体……?
「安心しろ、ドレスのデザインはナタリエの意見を聞いてから決めるよう手配してあるから。お前は身ひとつで嫁いでくればいい」
「ちょ、ちょっと待ってください。まず婚約ですよね……? 結婚となると、最低でもまだ一年以上はかかるのではないですか……?」
「ははっ、そういえばお前は全然気付いてなかったんだったな! とっくに俺たちは婚約者になってるから問題ないさ。ああ、お前の両親だけは少々心配だから、この際息子に代替わりさせておここうか。成人するまでは後見人として、城から教育係兼代官を派遣すればなんとかなるだろう」
衝撃的な話に思考が固まる。とっくに、婚約者……? そんな話を聞いた覚えは一度もないのだけれど。
詳しく事情を聞いてみれば、なんということでしょう。私が初めてここに迷い込んだ翌日、我が家にディディさんが訪れた日にはもう契約が為されていたというのだから!
「そりゃ、婚約者でもない男女二人が研究室にこもったり、俺が倒れた時にも付きっ切りで看病したりさせられないだろ? 最初は便宜上、仮の婚約でもいいかと思ってたからお前には伝えてなかったけどな。そもそも結婚は考えてないって言ってたし……ナタリエは俺のことを男として意識してないのが丸わかりだったし」
「それは──! 確かに、そうですけれど……!」
言われてみればそうなのだ。王族であるヴィンツェンツ様と、ただの伯爵令嬢である私が二人きりで密室にいることに疑問を持つべきだった。ディディさんは細々とした仕事があるからと、私にヴィンツェンツ様の世話を任せて退室することも確かにあったから。日本では男女が同室で過ごすことも普通だったせいで、全く頭が回っていなかった……。
「黙って勝手に進めたのは、悪かったよ。でも俺は最初からナタリエを逃すつもりがなかったからな。時間をかけても、いつか絶対気持ちまで手に入れるつもりだったんだ。どれだけかかっても待つつもりだった。──あの王女のせいで、すっかり計画が狂っちまったけどな」
ヴィンツェンツ様はチッと行儀悪く舌打ちをしながら、苦々しげに表情を歪めている。盛装した王族モードのヴィンツェンツ様も禁欲的でとても素敵だったけれど、土で汚れた作業着を着て髪の毛を掻き毟り、ぼさぼさになった今の姿も私は好きだ。
研究室にいる時の彼は、ちょっとだけ口が悪くて粗雑な振る舞いをする。それも気を許してくれているからこそだと、私は知っているから。
「いえ……確かに驚きましたけれど、私も考えが足りていませんでした。それに、婚約していたこと自体は……う、嬉しいので」
おかげですぐに結婚できる。またあの王女様のような横やりが入ったらと思うと、悠長に時間が経つのを待ってはいられない。
私の方こそ、一度味わったあの温もりを今更手放すことなんて出来そうにないのだから。
◇
教会の鐘が鳴り、驚いた鳥たちが一斉に青空へ羽ばたいていく。今日は、私たちの結婚式だ。あれから最速で手続きを進め、目の回るような忙しさの中準備を整えてきた。
「本当にお綺麗ですわ。お嬢様の艶やかな黒髪と、この白いドレスの美しいシルエットがとてもよく合っていて……」
すっかり顔馴染みになった城仕えの侍女はてきぱきと身支度を整えながらも、しみじみと呟く。
初めて私がここへ来た時は、令嬢として当たり前の手入れさえしないままの酷い状態だったと思う。前世の記憶があったから、自作の基礎化粧品でなるべく綺麗に保っていたつもりだけれど。それでも常に複数の侍女に磨かれ高級な香油でマッサージを受けたり、日差しの下では側仕えの者が日傘を差し掛けて歩くようなご令嬢とは基礎が違っただろう。
けれどそんな私を馬鹿にすることも蔑むことも、また憐れむこともなく丁寧に接してくれた彼女たちこそ本物のプロフェッショナルだと思う。私の調合した基礎化粧品を一緒に試してくれたり、それに対して意見をもらったりするうちにすっかり打ち解けることもできた。それは、結婚だけを目標として生きていたかつての私には出来なかったことだ。
私は黒髪に茶色の目が地味だし、顔つきも少しキツくて意地悪そうでしょうと何かの話題で言ったことがある。物心ついてからずっと、両親から言われ続けてきたことだ。私自身は黒髪だって気に入っているし、キツめのこの顔だからこそ母のお下がりのドレスだってそれなりに着こなせていたのだろうけれど。あくまでも他人から見て好感を持たれる見た目ではないと思っていたのだ。
その言葉を彼女たちは、キッパリと否定した。確かにこの国において黒髪は珍しい。けれどそれが地味だとは全く思わないし、むしろエキゾチックでとても素敵だと称賛してくれた。メイクも色使いやアイラインの引き方で柔らかく見えるよう工夫してくれたり、逆にもっとキリッとした印象を強めて男装の麗人のように仕上げてもらったこともある。鏡に映る姿を見て、自分の知らなかった自分自身の魅力を初めて実感できたのだ。
幸せだと思う。沢山の人と関わって、沢山の価値観に触れて。私が結婚式の日を迎えたことを、我が事のように言祝ぎ喜んでくれる人がこんなに大勢いることが、とても幸せだ。
首元の繊細なレース、腰からゆったりと広がるドレープのライン。前後で少し形の違う──フィッシュテールドレス。
私が今身に纏っているのは、かつての私がデザイナーのイザベル様と相談し、作り上げたものとそっくりのドレスだ。あの時は、ついぞ着ることができなかったけれど……。ヴィンツェンツ様が最高の仕立て屋さんを手配してくれたおかげで、どうにか間に合わせることができたのだ。
──今度こそ、着ることができたよ……。
幸せになることを夢見て生きた、理恵もアマーリエも。あの全ての経験があったからこそ、今の私がいる。
扉が叩かれ、自分の身支度を済ませたヴィンツェンツ様が入って来た。彼もまた白の上着で盛装しており、いつもは伸びた髪の毛に隠されている美貌も顕になっている。
「ナタリエ──とても綺麗だ」
「ありがとうございます。ヴィンツェンツ様も素敵ですわ」
「美しい花嫁の横で見劣りしないようにと、ディディが張り切っていたな」
なんだかその様子が想像できてしまい、ふふっと小さく笑いが漏れた。
緊張に少し強張っていた肩の力が抜ける。
「──私、貴方のことが大好きです。これまでに出会った誰よりも……愛しています」
さらりと漏れた私の言葉に一瞬目を丸くした後、ヴィンツェンツ様はそっと私の肩を抱き寄せた。
「ありがとう。俺を選んでくれたこと、絶対に後悔させないから」
私たちは今日結婚式を挙げ、夫婦になる。だけどこれは、決してゴールではないのだ。
他人同士が家族になっても、それぞれ育った環境も違えば価値観だって違う。意見がすれ違った時、それを話し合ってどう解決するのか。どちらかが一方的に我慢するのではない。犠牲になるのではいけない。妥協したり、説得したり、譲ったり譲られたり。そうやって試行錯誤しながら、互いに幸せであり続けられるよう努力して毎日を生きていく。
たとえ辛いことや苦労があったとしても、この人とならば協力して乗り越えていける──そう思える相手と出会えた私は今、とても幸せだ。
お読みいただきありがとうございました。




