ナタリエ・アーベントロート3
「今日は体力を戻すのに役立ちそうな薬湯を作って来たんだ。まだ少し苦いが、飲んでみてくれ」
「はい、ありがとうございます」
ヴィンツェンツ様に差し出されたグラスを受け取って、一気に呷る。こういう薬湯は大抵、ゆっくり舌の上で味わった方がより苦みが増すと相場が決まっているのだ。
「あら……以前のものよりずっと飲みやすいですね?」
「ああ、ナタリエの好きな果物を追加して甘みを出してみたんだ。これなら子供でも飲みやすそうだろう?」
「ええ、本当に。後味も爽やかですし」
「ナタリエに辛い思いはして欲しくないからな」
優しく微笑んでから空いたグラスを受け取り、手早く片付けるヴィンツェンツ様の後ろ姿をぼうっと見つめる。これまでは食事も睡眠も蔑ろにして、自分の世話もままならない人だったはずなのに……。この手際の良さは一体どういうことだろう。公務や研究、それに今は私が抜けた分薬草の世話だってあるはずだ。普段にも増して仕事量の多いこの時期に、ヴィンツェンツ様はお見舞いと称してしばしば顔を出してくれる。私のことは構わなくていいと伝えても、俺が会いたいんだよと笑って取り合ってくれないのだ。それが申し訳なくて、でも──それ以上に嬉しくて。
「──あの、師匠……」
「……ん?」
ありがとうと。とても嬉しい、と素直に伝えたいのに、喉が詰まって言葉が出てこない。あれほど皆が応援してくれたのに、私はこんなにも臆病者だ。
「……有能な弟子のいる便利さが、今身に染みているのではないですか? ディディさんには敵いませんけれど、私も案外役に立っておりましたでしょう」
「ああ、お前は優秀だからな。戻って来てくれる日が待ち遠しいよ」
少し驚いたように目を大きくしたヴィンツェンツ様は、作業の手を止めて私の傍らにある椅子へ腰を下ろした。こんなにも可愛げのない私を全て受け止めてくれるような、優しい表情を浮かべて。
「私……、これからも、もっとちゃんと師匠のお役に立ちますから。だから、どうかずっと……お側に置いては貰えませんか?」
弟子としてでもいい。師匠がいつか他の誰かを選んだとしても、祝福できるよう努力するから。
「ナタリエ……泣くな」
「……し、しょ……」
零れ落ちていく雫を、長い指が優しく掬った。そのまま頬を包み込むように撫でられて、俯いた顔が上を向く。ヴィンツェンツ様の琥珀の瞳が、私を真っすぐに見つめていた。
「確かに、最初はお前を優秀で使える弟子だと思って見ていたこともあったよ。一緒に作業をしても手際が良いし、丁寧な作業や真摯に学ぶ姿はいつも眩しかった。魔法の才もあるのに驕ることはなく、いつも周囲をよく観察して自分の立ち位置を決めている。生家では良い待遇を受けてこなかったのに、誰にも当たることなく自分の人生を切り開いていく……そういう強さと誇り高さに、どんどん惹かれていったんだ」
それは、私に前世の記憶があったからだ。何も特別な努力をしたわけではない。
首を横に振る私を見て苦笑を浮かべつつ、ヴィンツェンツ様は言葉を続ける。
「ほら、そういうところだよ。ナタリエは他人の世話を散々焼く癖に、自分のことを大事にしない。自らが積み重ねてきた努力や経験を、軽く扱おうとするんだ。分かってるよ、お前はそうしないと生きてこられなかったからだと。でも……それじゃ嫌なんだ。だから俺が、お前の代わりにお前を大切にしてやりたい。ナタリエは他の誰とも代わりの利かない、特別な存在なんだ。例え今のお前が全ての知識と全ての能力を失ったとしても──俺はお前に側にいて欲しいと思っているよ」
ヴィンツェンツ様の言葉に胸の奥が熱くなる。
私の中にあるのはあくまでも理恵やアマーリエが経験した知識であって、ナタリエが純粋に手にしたものではないから。だからずっと、何かずるいことをしているような気がしていたのだと思う。
でもそんな過去の私を全て含めて、私の積み重ねてきた経験なのだ。前世の記憶も含めて、全てが今の私を形作る要素だから……。
「好きだよ、ナタリエ。俺は、ナタリエ・ブラウンをひとりの女性として愛している」
「──私も……っ、私も、貴方の側にいたいです……。す、好きです。愛しています……!」
ようやく口から出せた素直な気持ちは、随分不格好なものだった。でもヴィンツェンツ様の満面の笑顔を見てしまったら、やっぱり伝えられて良かったと思う。
「ああ……ようやくだ」
なんだか感慨深げにそう呟いたヴィンツェンツ様は、私の肩をそっと引き寄せて優しく抱きしめた。広い胸の奥からは力強い心臓の鼓動が聞こえてきて、その規則正しいリズムが耳に心地いい。
あの日ナタリエとしての人生を諦めかけた私は、確かに今ここで生きているのだ。あるかどうか分からない来世に賭けるより、精一杯この生涯を全うしたい。
背中に回した手にぎゅっと力を込めると、ヴィンツェンツ様もそれに応えるようしっかりと抱き返してくれた。人間は、こんなにも温かかったのか……。親からも抱きしめられたことのない私に温もりを教えてくれたのが、この方で本当に良かった。ずっと背中に乗っていた荷物の重みが、空気に溶けて消えていくような気がした。




