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薬も過ぎれば  作者: 伊織ライ


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デルフィーヌ・ラクレア7

「────っ、ナタリエ……っ!!」


 バタンと大きな音と共に、複数の靴音が石壁に反響する。大勢の人が入り乱れ、室内が急に騒がしくなった。

 引っ張り上げられていた髪の毛が解放されて、頭がかくんと揺れる。毛穴がピリピリと痺れる感覚がした。


「なっ……全員拘束しろっ! 絶対に逃がすなよ!」

「──はっ」


 こんな場所で好きな人の声が聞こえるのは、なんでだろう? 神様が最期に慈悲を与えてくれた……?

 怒号やうめき声がそこかしこで上がり、先ほどまで近くにいた男たちも衝撃音と共に引きずられていく。私はどうにも視界が定まらず、ぼんやり座ったままでただその様子を眺めていた。

 そっと近付いてきた誰かが、震える手で手足の拘束を外していく。冷たい指先に血液が流れて痛痒い。むき出しの床から上がって来る冷気を感じ、ガタガタと身体が震えた。

 

「ナタリエ……! しっかりしろ! おい、ナタリエ!」


 ぐらつく身体が、大きく温かいものに包まれる。あの男たち……では、ない。嗅ぎなれた、いつもの安心する薬草の匂いだ。


「くそ、凄い熱だ……ディディ、先に移動するぞ!」

「分かりました!」


 その顔を見たいのに、何故か目が開けられない。


「……ヴィ、ンツェンツ、様……」

「ああ、俺だ。もう大丈夫だから。もう少し頑張ってくれよ、すぐ暖かい所に連れて行くからな」


 ふわりと、身体が浮き上がった感覚。私は今もしかして、抱き上げられているのだろうか……? いつもなら、倒れたヴィンツェンツ様を抱いて運ぶのは私の役目だったのに……。こんなに、焦った声を聞いたのも初めてで。まだまだ彼の知らない一面があったのだなと感慨深い。

 ゆらゆら揺れる小さな振動と共に、(こも)った空気が段々澄んでいくのを感じた。息苦しかった胸が、少しずつ広がっていく。


「……お前、あの時……諦めようとしてたよな? なんで、戦わなかった……お前なら魔法を使って、何とでも出来たはずだろ……?」


 足早に歩を進めながら呟かれたヴィンツェンツ様の声は苦し気だ。

 でも、仕方がないではないか。ぼうっとする頭で、いくら魔法を使おうと思っても何も発現しなかったのだから。

 私だって、戦いたかった。でも、この便利な魔法(ちから)は、決して万能ではないのだ。締め上げられた喉が痛くて。濡れた服が冷たくて。打たれた顔が痛くて。向けられる憎悪の眼差しが怖くて。迫り来る男たちが(おぞ)ましくて──。


「……ごめ、なさ……」

 

 それにもし、私の身が穢されたなら──もう、ヴィンツェンツ様の側にはいられない。私が去ったその後に、彼が他の誰かと幸せになる姿を見たくないと思ってしまったのだ。王女様が身の程知らずだと罵った、その言葉は確かに間違っていないのだろう。


「くそ……っ、分かってる。お前は悪くないよ。全部俺が、巻き込んだせいだ。俺のせいで、お前に、こんな……っ」


 悪いのは、怖がりの私だ。今世も上手くいかなかったから、来世に逃げようとした。何度機会を与えられても失敗してしまう、そんな自分が嫌になってしまったのだ。


「お願いだから、ナタリエ……俺を置いていかないでくれ。絶対に助けるから、最後まで諦めないでくれよ。俺は……もう、お前がいないと駄目なんだ。頼むよ、俺の為に生きてくれ……!」


 頬にぽつりと水滴が落ちる。私は、泣いているのだろうか? それとも、ヴィンツェンツ様が? 抱き上げられている腕に、ほんの少し力が込められる。守るように──(すが)るように。


 何か答えたいと思うのに、ひりつく喉からは何の音も出なかった。

 

 ◇

 

 扉が開く音と同時に結界の膜を通り抜けた感覚。吹き抜ける風が、濡れた頬を乾かしていった。ここは、間違えようもない……ヴィンツェンツ様の薬草庭園だ。さして揺れることもなく階段を降りていく様子からして、案外鍛えたりもしていたのだろうか。しょっちゅう倒れていたから体力がないのだと思っていたけれど、そもそも体力がない人間は何食も食事を抜いたり、何日も寝ずに研究を続けたりは出来ないものなのかもしれない。頭の中でぼんやりとそんなことを考えているうちに、庭園奥にある研究室までたどり着いたらしい。

 どのくらいの間気絶していたのかわからないけれど、王女様が私を連れ去り閉じ込めていたあの部屋は案外近かったようだ。確実に城の中ではあるし、使用人小屋か使われなくなった蔵だろうか。だからこそあのギリギリの瞬間にヴィンツェンツ様が間に合ったとも言える。

 扉を開けて室内に入り、ゆっくりと下ろされたのは応接用のソファだろう。ヴィンツェンツ様も仮眠に使う場所だから、汚すわけにはいかない。私は頭の痛みを堪えつつ、ゆっくりと瞼を開いた。室内に灯る光が目に痛い。未だ震える腕をなんとか持ち上げて、じっとりと湿った頭の上から足の先までをそっと辿るように乾かしていった。それから、濡れたままの私を抱き上げて運んでくれたヴィンツェンツ様の洋服も。

 今度は、出来た……。小さく安堵の息が漏れる。捲れた袖の内側、手首にくっきりと青黒い痣が浮いているのが見えた。

 ようやく濡れた服の張り付く気持ち悪さから解放されたというのに、温かな腕の中から離れたことで感じる寒さは癒えそうになかった。


「なあ……ナタリエ。本当は、お前の気持ちが落ち着くまで待ってやりたかったんだが──こうなったらもう、言わせて欲しい」


 力なく横たわる私と視線を合わせるように、床に膝を突いたヴィンツェンツ様が真剣な表情で口を開く。この方は、王族なのに。本当はそんなこと、させてはいけないのに……。恐怖で強張っていた先ほどまでとは違った意味で、心臓が早鐘をうつ。


「ずっと一緒にいたいんだ。だから俺と、けっ────」


 ぐうううう。

 その言葉をかき消すほどの大きな音で、目の前の彼のお腹が鳴った。


「……」

「…………」

「…………ハァ、全く俺ときたらどこまでも格好つかないな! 悪い、今日は何も食べてなかったんだ。あの王女に誘われて、出てきた食事に手を付ける気にはなれなくてな。 これが終わればようやくあの女も国に帰るってところで、まさかこんなことをしでかすなんて思わなかった。本当に……巻き込んで悪かったよ」

「いえ、師匠が無事で、良かったです……」


 心の底から、そう思う。王女様の話していた内容からしてまず間違いなく、何らかの薬物を食事に混ぜていただろう。それがヴィンツェンツ様に、どんな悪影響を及ぼしたかと考えるだけで怖気が走る。そのままあの王女様の傀儡になっていたかと思えば、私がされたことなど些細な事ではないか。

 少しの暴力を振るわれて。汚水をかけられはしたけれど、男たちに穢される前に助け出してもらえたのだから幸運だ。そう、私は幸運だったのだ。本当にそう思っているのに、震えが止まらないのはなんでだろう……? 寒くて、心細くて、頭が割れそうに痛くて、ぐるぐる視界が揺れて……。


「ナタリエ? ……おい、ナタリエっ」


 ヴィンツェンツ様の焦ったような声が聞こえる。もう大丈夫だと、伝えたいのに。視界が白く染まり、私の意識は再び途切れた。



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