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薬も過ぎれば  作者: 伊織ライ


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デルフィーヌ・ラクレア5

「──いえ……私は……」

 

 口を開きかけた私の背をそっとヴィンツェンツ様が撫でる。


「王族としての重責、ですか。そのような責任感をもって務められている殿下におかれましては、本当に頭が下がる思いですね。なんといっても私は兄王が呆れるほどに欲深い人間なものですから……前々から頼み込んでようやく王族籍を抜けられる目途が立ったところなのですよ。おかげさまで今はとても解放感に溢れております。そんな責任感のかけらも持ち合わせていない私ですから、弟子を手放すことも出来ないでいるのです。何せ彼女は誰よりもよく働き勤勉で、気が利く上に様々な才能を持つ優れた人物なものですから。彼女の未来を縛ってでも側に置きたいと願っているのはただただ私の我儘だ。そのことで私を責めるのならば甘んじて受け入れますが……彼女を責めるのは見当違いであると、どうかご承知おきくださいね」


 ヴィンツェンツ様は私の腰に腕を回し、意味ありげに微笑んでつむじの辺りにキスを落とす。思わずどきりと胸が高鳴ったけれど、これは多分……守ってもらっているのだろう。立場が違うから、私は王女様にあまり強く出ることができない。この額の怪我だって、然るべき人が現場を押さえでもしない限りは王女様の責任を問うことは出来ないだろう。だからこそ私はヴィンツェンツ様の庇護下にあるのだと──()()()()()()なのだと、そう主張してくれているのだ。

 

「なっ──、では、ヴィンツェンツ殿下は近く臣籍降下されるというの……? あ、ああ、もしかして大公家を興されるので? それでしたらまあ、私もそのような心構えを致しますから早めに教えていただきたいわ──」

「この際ですからはっきり言っておきましょう。私は貴女を娶るつもりは一切ありません。先ほども言った通り私は強欲ですから己の伴侶は自分で決めますし、そしてそれは絶対に、貴女ではない。遊学に来た病弱な王女様の世話を、それこそ王族の責務として引き受けはしましたが……これ以上我が国で勝手な振る舞いをされるようなら貴女の処遇も近いうち再考されることでしょう。一応忠告しておきますよ。私たちのような身分の者は、思っているよりもずっと周囲から見られているものだ。貴女はその立場に相応しい振る舞いをしているのか、今一度深慮いただきたい」

「──っ、ええ、もちろんですわ。今日は少し体調が悪いので……この辺で、失礼させていただきます」

「どうぞ()()()()


 額に青筋を浮かべ、射殺すような勢いで私を睨み付けてから王女様は踵を返した。高い靴音を立て去っていく後ろ姿に小さく息を吐く。

 それを見送った後、さっと私を見下ろしたヴィンツェンツ様は先ほどまでの鋭い表情から一変してしゅんと眉を下げ悲しそうな表情で私の頬に触れた。


「……痛かったろう」

「……いえ、幸い慣れておりますので」


 なぜか更に表情を曇らせた彼は、それ以上何も言わず私の腕を引いて研究室へと入った。

 先日使ったままで鏡の前に置いてあった軟膏を目にすると、彼こそが痛みを堪えるように唇を噛んでしばしの間目を閉じている。


「……師匠?」

「……何度目だ」


 問われたことの意味が分からず、首をかしげる。


「傷付けられたのは、今日が初めてではないんだろう? 何度……どこを、どのようにやられた」

「あ、ええ……と、以前ディディさんに頼まれた差し入れを持っていこうと思いましたら、偶然廊下でお会いして……。その時に頬のあたりを少し……ああ、結局差し入れも出来ないままで、申し訳ありません」

「くそ……あの女……っ!」


 ドンと机を叩く、ヴィンツェンツ様の拳の方が余程痛そうだ。

 私は、大丈夫なのに。こうして心配してくれて、私の代わりに怒ってくれる人がいて、それだけで今は幸せだから。だからそんなに、悲しい顔をしなくたっていいのに。


「悪かったな……」

「いえ、師匠が謝ることなど何も。ただ私がうまく立ち回れず、王女様のご不興を買ったのでしょう」

「それは違う。あの女は確実にお前を狙っていたんだ。俺が、不用意にお前のことを口にしたせいで……」


 王女様に付き添っている間、彼女はしきりと外出や茶会を強請ったらしい。あくまでも遊学という目的でこの国へ来ているにも拘らず、何の学びを得ようともしない。ヴィンツェンツ様が誘いに一切乗らないと分かると、今度は病弱を盾に診察を強請り。礼儀や常識などそっちのけで客間の寝室で二人きりになろうとするから、しまいには女性相手でも構わず騎士をぞろぞろと連れて周囲を囲み、物々しい隊形で往診していたのだそうだ。


「まあ、あれの悪いところは結局知能の足りない頭の中くらいしか見つからなかったが」


 それは、なんとも。やはり彼女はヴィンツェンツ様と接点を作るために、そのような嘘をついてまでやって来たのだろう。そこまでしてでも、得たいものがあったから。

 その姿はまるで前世の私を見ているかのようでもあり、彼女もまた『幸せな結婚』という未来にとり憑かれてしまったのかもしれないなと思った。


「二人きりになれないと分かると、今度は周囲の者から情報を得ようとうろついたり影から会話を盗み聞きしたりしだしてな。気を付けてはいたんだが……おそらく俺とディディの会話でも聞かれたのだろう。次の日からしきりとお前のことを聞いて来るようになったから」

「そうだったのですね……」


 だからこそあの日も、ヴィンツェンツ様の部下たちが詰めている部屋の近くに王女様がいたのだろうか。当の本人である私がそこを通りかかるとは、流石に思っていなかっただろうけれど。

 長い指が軟膏を掬い、前髪を避けた私の額にそっと触れる。少し冷たく感じるそれが優しく塗りこまれ、じんじんと響いていた痛みがすっと消えていくのを感じた。


「良かった、傷は残らなさそうだ」

「ありがとうございます」

「残っても俺が責任を取るけどな」

「そ……っ、心配はいらないでしょう、師匠の薬はよく効きますから」


 軽い調子で告げられた台詞に再び心臓が跳ねる。この落ち着かない心にも効く薬があったらいいのに。


 ◇


 それからしばらくは何事もなく、平和な日々が続いた。といっても相変わらずヴィンツェンツ様は王女様のお世話で忙しそうだし、なかなか顔を合わせる機会も少ない。もう私という存在もバレてしまったからと、以前よりは時間の空いた時に畑の様子を見に来られたりもしているけれど。

 王女様はすっかり落ち込んだ様子で部屋に閉じこもることが多くなり、強気なアピールが少なくなって多少は気が楽になったようだ。今はラクレア王国に対して正式な抗議を入れ、遊学を早期に終わらせる算段をしているらしい。彼女が国へ帰れば、また以前のようにヴィンツェンツ様と過ごす日々が戻って来るだろう。

 額の傷に薬を塗りながら、真っすぐにこちらを見つめるあの視線の熱を思い出す。私は──もう、同じ思いはしたくないのに……。

 形にならないモヤモヤが胸の中を掻きまわし、集中が乱れる。薬草に水をやる手元が狂い、うっかり自分の服までびっしゃりと濡らしてしまった。まるであの日、カトリン様たちが手伝ってくれた時の再現だ。泥にまみれ、虫に驚き、尻もちをついた私のお友達。小さく笑いが漏れて、肩の力が少しだけ抜けた。


「一度着替えに戻ろうかな……」


 魔法で乾かしてもいいが、少し身体も冷えている。ついでにお風呂に入って少しゆっくり温まろうか。どうせ今はヴィンツェンツ様も不在だし、庭園の手入れの仕事さえ終わればあとはやることもないのだ。彼と一緒ならば、薬草の知識を聞いたり新しい薬の研究をしたりも出来るのだけれど。

 借りている部屋はここから近い。さっさと済ませてしまおうと庭園の鍵を閉め、私はひとり廊下を進んだ。


「──失礼、あなたがナタリエ・ブラウン伯爵令嬢ですね?」

「……え?」


 自室の扉が見えてきた頃。背後から聞き覚えのない男性の声が掛けられた。今の私は畑仕事をするために、簡素なワンピースを身に着けている。それも濡れてしまっているから、どう見ても令嬢の姿ではない。これまで社交界で私を見かけたことがある人間であれば、あの派手なドレスに注目がいっていたはずだ。まあ私のこの黒髪もなかなか珍しい色だから、確かに間違えようはないのかもしれないけれど。

 一体誰だろうかと振り向いた、その瞬間。

 顔面を大きな手でグッと掴まれ、痛みと驚きに声のひとつも上げられない。口元を押さえられているから、息も苦しい。必死で見上げたところ、背後から私を拘束しているのは見知らぬ巨躯の男性だった。太い腕が首元に回され、ギリギリと締め上げられる。つま先がほんの少し宙に浮き、ただでさえ苦しかった呼吸が更に困難になった。


 一体何故、この人は誰……。


 頭がぼうっとして、力が入らない。視界が白く染まっていき、私の意識はそこで途切れた。


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