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薬も過ぎれば  作者: 伊織ライ


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デルフィーヌ・ラクレア4


「あら、またお会いしたわね? 本当に()()ですこと」

「──王女殿下にご挨拶申し上げます」

「全くヴィンツェンツ殿下も人遣いが荒いわよね、たとえ下女とはいえ休みもなく働かせるだなんて。私から言っておきましょうか? このままではただでさえ地味な部下の方が行き遅れてしまいますわと」


 豪奢な扇子を口元に宛て、うふふとわざとらしく笑うのはラクレアの王女様だ。あの日廊下で出会ってから数日。なぜか彼女は研究室から程近いこの廊下にしばしば現れる。私が使わせて貰っている私室からだと必ず通らなければならない場所だから回り道もできず、無難に挨拶をして足早に通り過ぎようとしてもわざわざ声を掛けてこられるのだ。

 流石に何の瑕疵もない私を叩くようなことはされないけれど、側に控えている若い侍女は先日のことがあるからか、常に心配そうな顔をしてこちらの様子を伺っている。随分と不慣れな雰囲気があるし、人員の入れ替わりでもあったのかもしれない。性根の悪い子ではないのだろうが、王族付きの使用人としてはいささか役不足感は否めない。主を諫めることも、この場を当たり障りなくやり過ごさせる技量も持ち合わせてはいないのだから。


「お気遣いいただきありがとうございます」


 頭を下げてただひたすらに待つ。母がそうだから分かるのだけれど、こういう相手とは出来るだけ関わらないようにしてやり過ごすのが一番良いのだ。効いていない、やり甲斐がないと思わせたら勝ち。そうでなくても私はこのくらいのことで傷付いたりしないし、別に結婚したいと願っているわけでもないのだから構わない。

 地味な服装とはいえ城の使用人とは異なるし、立ち居振る舞いからしてどう見ても下女ではない私のことを毎回わざとらしくそう呼ぶのはせめてもの嫌がらせなのだろう。一国の王女様である彼女にとっては、身分を蔑まれるのが最も不快感を覚える事柄なのかもしれない。けれど実際には、下女だとしても城勤めが許されている人間はそれだけで優秀さが保証されているともいえるのだ。他の国ではどうか知らないけれど、この国では城に入る時点できっちりとした身分の調査が行われるし、不正などしようものなら厳正な処分が下される。そもそも仕事のできない人間は契約の更新がなされず城を出ていくし、そこに貴族とか平民とかの違いだってない。私自身もブラウン伯爵家の籍を抜けて平民になり、ヴィンツェンツ様個人に雇われる形で弟子や助手になれるのならばそれでも構わないと思っている。ヴィンツェンツ様がもう少し待って欲しいと言うから、まだ一応籍を残したまま過ごしているだけなのだ。

 まだ周囲からの視線には訝しげだったり冷たいものが混ざっているけれど、あの家に帰らなくて良くなっただけで私の気持ちは随分と軽い。貴族としての能力が足りないあの両親がヴィンツェンツ様に迷惑をかけなければ良いとは思うけれど、そうでないならもはや己の身分など大した問題ではないのだった。


 眉を(ひそ)めて面白くなさそうにこちらを見下ろす王女様は、まだ何かを言いたげに目を細めている。ただでさえ薬草の世話や下処理をひとりでしなければならず手も時間も足りていないから、用事が終わったのであれば早めに解放して欲しいのだけれど……。


「──あら、あなた。その首にかけているのは何かしら?」


 はっと見下ろすと自分の手が無意識のうちに、胸元の硬い金属を握りしめていた。それ自体はいつも通り服の中にしまったままで、そこに付けている()が見えたりはしていないけれど……首元から僅かに覗く鎖を見て、何かアクセサリーを着けていることが分かってしまったのだろう。

 結界魔法も使われているとは聞いているが、もしこの鍵を取られてしまったらあの庭園内に王女様も入れてしまう可能性がある。それはなんとしてでも阻止しなければいけないと思った。


「いえ、大したものではございません」

「ふぅん……どれ、見せてみなさい」


 王女様の赤い唇がニヤリと歪む。人が嫌がることを的確に突いて来る、こういう能力は一体どこで身に付けられるのだろうか。

 

「──どうかご容赦を」

「相変わらず生意気ね。いいから、さっさとそれをこちらへ寄越しなさい!」


 廊下に響き渡るほど声を荒らげた王女様は手元の扇子をぱちりと閉じて、カツカツと靴音を立てながら私に歩み寄ってくる。握った手のひらにじわりと汗が滲むのを感じた。


 ──いや、やめて。私がようやく手にした居場所を奪わないで。


「どうか……ご容赦下さいませ」


 深く頭を下げた私の顔面を、豪奢な靴のつま先が蹴り上げた。金属の飾りか何かが当たったらしい額のあたりに、ビリっと鋭い痛みが走る。ぐっと奥歯を噛み、声を出さぬよう耐えた。何をされようとも、この手だけは絶対に離さないと決めたから。


「──お前っ! 早くこっちへ来て、この女を取り押さえなさい!」

「い、いえ、でも……それは、さすがに……」

「どいつもこいつも使えないわね……っ!」


 王女様とお付きの侍女が言い合いをしている。私を庇ったせいであの子まで酷い目に合わなければいい。

 汗とは違うぬるいものが目の横を流れていく感触を静かに感じながら、手のひらにまた力を込め直した時だった。


「──そこで一体何をしている」


 聞き覚えのある低い声が、廊下に響いた。


「あっ、あらまあっ、ヴィンツェンツ殿下ではありませんかっ! ()()ですわね、ちょうどこれから殿下の元へ伺おうと思ってましたの! 今日は天気もいいですから、よかったらお外へ散歩でも行きませんか? なんだか体調もいいですし、殿下に案内していただきたいですわ」

「……デルフィーヌ殿下。何故貴女がこのような場所にいらっしゃるのですか? ここは貴女が使っている客室とは随分離れているが。それに……私の大事な愛弟子が怪我をしているように見えるのは、一体どうしてでしょうね……?」


 久々に聞く、ヴィンツェンツ様の淡々とした声の裏には静かな怒りが滲んでいた。


「あらっ、こちらの方はヴィンツェンツ殿下のお弟子さんでしたの? たまたま……そう、お散歩をしておりましたらこの方が怪我をされていたので、私とても心配しておりましたのよ」

「ほお……心配を……それはそれは。ナタリエ、顔を上げなさい。ああ……痛かったろう。傷は……それほど深くはないか」


 私の顎を優しく持ち上げ、正面から顔を見つめられるとヴィンツェンツ様の琥珀の瞳が目に入る。久々に見たような気がするその色は、なぜだか胸がぎゅっと苦しくなるほどに美しかった。

 胸元から取り出したハンカチでそっと額を拭われる。真っ白だったそれは、見る間に赤い血で染まっていった。


「ヴィンツェンツ殿下っ、貴方がそのようなことをなさるなんていけません、穢れてしまいますわ……!」


 王女様が金切り声をあげるが、それに対してヴィンツェンツ様は小さく鼻を鳴らして笑った。


「私に医療の知識があるからこそ、貴女様もここに来たのでは無かったのですか? ()()()デルフィーヌ殿下?」

「──っ、そう、ですわね。殿下は優れた医療者ですもの。……()()()()等しく治療を授けるだなんて、王族として素晴らしい資質ですわ」


 目じりをぴくぴくとさせつつも、微笑みを崩さない王女様はなかなか豪胆だと思う。


「ちょうどいいですから今直接お伝えしておきましょう。そこの……お弟子さんでしたかしら? 彼女も見たところ適齢期を過ぎている様子。殿下の(もと)でのお仕事はとても大変で、毎日お休みもなく働いているのだと聞きましたわ。私、とても可哀そうだと思って胸が潰れそうですの。だってそうでしょう? 女の幸せとは、即ち婚姻ですもの。その機会を奪うだなんて、殿下も悪いお方だわ。王族としての重責や忙しさについては私も同じ立場ですから、もちろん理解はできますけれど。それでもね、あまりに忙しくてふらつき()()()怪我をしてしまうような状態にまでさせるだなんて……。きっと彼女ももうゆっくり休みたいと思っているはずですよ。どこか己に相応しい立場の家門に嫁ぎ、身分を弁えた穏やかな生活を送りたいと。……ね? あなた、そうでしょう?」


 慈悲深い聖女のような微笑みを浮かべて演説をぶった王女様が私に向けた視線には、ひとかけらの熱も宿っていなかった。手のひらに握られた扇子がみしりと音を立てる。

 

 鮮やかな色彩のドレスを身に纏い、整った顔立ちと抜群のスタイルを持った美しい王女様。その横に立つのは、きっちりと正装をし髪も髭も整えたヴィンツェンツ様だ。普段の汚れた白衣にぼさぼさの髪の毛の姿とは違い──今日のこの姿を見れば、彼が正真正銘の立派な王弟殿下だと嫌でも実感させられてしまう。

 このお二方が並び立てばきっと、誰もが振り向いてしまうほど絵になるカップルになるだろう。身分も釣り合い、王族同士繋がりが出来ればラクレアとの関係にだって何かしらの良い影響が出たりするのかもしれない。ただの伯爵令嬢であり、その家との縁さえ不要なものだと思っている私には到底理解できることではないけれど。

 それでも──彼は私の大事な師匠(ひと)だから。私を救ってくれたヴィンツェンツ様には、誰より幸せになって欲しいと心から願っている。

 その相手がこの王女様だとは、どうしても思えなかった。

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