デルフィーヌ・ラクレア1
「ナタリエ、悪いが来月から少し忙しくなりそうなんだ。負担をかけるが──」
「ええ、薬草の世話はお任せ下さい」
「ああ、ありがとう。頼むよ、もし何かあったらディディに伝えてくれるか? あいつには定期的に様子を見に来るよう言っておくから」
僅かに疲れた表情でヴィンツェンツ様が言う。
「ということは、師匠は一切こちらへ顔を出すこともなくなるということですか……? もしかして、どこか外国などへ行かれるとか」
「いいや、逆だ。ラクレア王国の王女……といっても妾妃の子で継承権はないらしいが、その彼女が遊学という名目でうちに来るらしい。聞くところによると病弱だそうだから、その世話も含めて対応するなら俺がちょうどいいと名指しされたんだ。流石に他国の人間にここでの研究は見せられないから……一応王女がいる間は様子を見るつもりだ。もちろん問題なさそうであれば、タイミングを見て顔を出そうと思うが」
「ラクレアの王女様が……。それは大変なお役目ですね。どうぞご無理なさいませんように」
ラクレア王国は我が国と僅かに国境を接する中規模の国家だ。うちより国土は随分小さいけれど、良質な鉱石が採掘される鉱山を有しており金銭的にはかなり裕福な国である。今回の遊学もその辺り、外交的なやりとりもあったのかもしれない。王女様がくるのだから、こちらも王族が案内するのが基本的な対応だ。同じ女性の王族がいればきっとそちらが選ばれたのかもしれないけれど、今の王家で自由に動ける女性王族はいない。王太子殿下のところにお生まれになった姫殿下など、まだ歩けもしないだろうし。
遊学に来られるということは、きっと十代後半くらいのお年頃だろうか。それこそ私と同年代の王女様……きっと美しいのだろう。総じて王族というのは美形に生まれやすい。代々見目美しい貴族の血を継いで子孫を残す場合が多いからだ。美形の王女様とその横に並ぶ彼の姿が容易に思い浮かび、なんだか胸の奥がチクリと痛んだ。
◇
それから、あっという間に時間は過ぎて。
「ナタリエ様、調子はどうですか? 何かお困りのことはございませんでしょうか」
「ディディさん、こんにちは。庭園に関しては特に問題ありませんね。貴重な薬草類も元気に育っています。そろそろ収穫時期のものがいくつかあるので、処理について師匠に聞いておいていただけますか?」
質問事項をまとめたメモをディディさんに渡す。彼はヴィンツェンツ様の専属侍従なので、基本的にはずっと側に控えているのだ。だからこそこれまでしばしば顔を合わせていたディディさんとも、なんだか久しぶりに会ったような気がした。もちろん、あれから一度もここへ来ていないヴィンツェンツ様と比べたら小まめに顔を出して様子を聞いてくれているのだけれど。
彼がこうしてこの研究室へ来る時には、他の侍従と護衛の騎士がヴィンツェンツ様を守っているのだとか。決して王女様と二人きりにならないよう細心の注意をもって動いているのでご安心ください、と懇切丁寧に説明されたのはなぜだろうか。
「……そろそろヴィンツェンツ様も限界が近いですからね、どうにかしてここへ来られたらいいのですが」
「師匠はどこかお悪いのですか? まさか──王女様のご病気がうつったとか」
病弱だとは聞いたけれど、実際どんな状態なのかなど部外者の私には知りようがないのだ。流石に専属のお医者様だって国から連れてきていると思うけれど……。
「いえいえ、そちらは全く問題ありません。あの王女様ときたら、むしろ異常なくらいに元気でいらっしゃる。だからこそヴィンツェンツ様の心理的負荷が限界って話です。毎日毎日べったり近くに寄って来られて、ただでさえあの方は女性が苦手だっていうのに……全く迷惑極まりないですよ」
「ディディさん、そんなこと、誰かに聞かれたら──!」
他国の王族の悪口など、場合によっては厳正な処分を受ける可能性だってある。声も潜めず言うものだから、こちらの方がひやひやしてしまった。
「ああ、ここは完全にヴィンツェンツ様の管理下になっていて部外者は入って来られませんから。だからこそあの方も油断して過ごせる安全地帯なのですよ」
なるほど確かに研究中の薬の情報なども保管されているし、貴重な素材も多い。時折地面に転がっているヴィンツェンツ様こそ尊く守るべき存在でもあるので、そのあたりはきっちり考慮されているということだろう。
「──あら、でもそれだとどうして私は……」
あの日たしか、パーティーを抜け出した私は人気のない場所を求めてふらりとここへ迷い込んだのではなかったか。
特にセキュリティを解除した記憶もないし、誰かに止められるようなこともなかったけれど。
「ええ、ええ、不思議ですよねぇ。普段はきちんと結界魔法もかかっているのですが。まあ入って来られたのがナタリエ様だけですので、結果オーライということにしておきましょう! その後またしっかり設定を見直して対策はしてありますから、もう閉め忘れ……いえ、不思議な運命のいたずらはおきないでしょうし心配は無用ですよ!」
確かに私がヴィンツェンツ様を害することはないし、この場所から何かを盗む気も更々ない。確かに貴重な素材や薬も多くあるけれど、今は住む場所も食べるものも十分にあって生活には困っていないから。一時得られる金銭よりも、ヴィンツェンツ様から教えを受けて身に付けられる知識の方がよほど得難く貴重なものだと理解しているのだ。
「……また無理をして、体調を崩して倒れたりしなければいいけど……」
「一応携帯食は食べてますけど、それでもやっぱりねぇ……。そうだ、もし良かったら今度、何か簡単に摘まめるお菓子でも作っていただけませんか? ナタリエ様の手作りならきっとヴィンツェンツ様も喜んで食べて下さるでしょうから」
「ええ、そんなことで良かったら喜んで」
情報の共有が終わるとディディさんはにっこり笑って手を振り、庭園を後にした。これからまたヴィンツェンツ様の元へ戻るのだろう。乳兄弟として育ち、彼のことを誰よりもよく知るディディさんがあれほど心配するくらいなのだ。きっと相当に大変な公務なのだと思う。私に手伝えることなど、留守番をしながらこの庭園の植物の世話をするくらいしかないのが少し歯がゆいけれど。それでも、何もできないよりはずっとマシなはずだ。私は弟子で、弟子は師匠の為に働くものだろうから。
「──よし、と。このくらいあれば少しはもつかしら」
今日は研究室内のキッチンでスコーンを焼いた。チョコレートを混ぜたものや、チーズとベーコンを入れた食事系のものなどたっぷりと。ある程度は日持ちもするし、片手で簡単に摘まめるので空いた時間にでも食べやすいだろう。
綺麗にバスケットに詰め、布巾をかける。ここで取れた果物を煮て作ったジャムの小瓶も隙間に入れておく。ああ見えてヴィンツェンツ様は、案外甘いものも好きなのだ。
出来れば焼き立ての内にひとつでも食べて貰いたい。ディディさんに託せば、きっと渡してくれるはずだ。直接元気な顔を見られたらそれが一番良いけれど……もしタイミングが合わないようなら諦めよう。
エプロンを外し、私は研究室を出て歩き出した。




