初めての友人3
会場へ戻った私たちは、何事もなかったかのように社交をこなしていた。私に個人的な友人などいないから、そのほとんどがヴィンツェンツ様への挨拶だったけれど。私というパートナーの存在があるせいか、さらりとした表面上の会話だけで終わるのでとても楽だとヴィンツェンツ様も笑ってくれた。親に連れられてきている適齢期の令嬢たちも、流石に先程のことがあるので露骨なアプローチは出来ないのだろう。一応は虫除けの役目を果たせていると思っていいだろうか。
「──殿下、ご歓談中恐れ入りますが……我が主がご挨拶をと申しておりまして」
「……今でなければいけないのか?」
「可能であれば。少々込み入ったお話もございますし──」
ヴィンツェンツ様を呼びに来た公爵家の侍従らしき男性は、もの言いたげにちらりと私の方へ視線を寄越した。男性同士の会談の場に私が混ざるわけにもいかないし、ましてや夜会の主催者である公爵閣下がお相手だ。流石のご令嬢たちであってもそんな場所まで入り込んでアプローチをかけることは出来ないし、私が付いて行かずとも問題はないだろう。
「ヴィンツェンツ様、私はこちらで休憩しておりますわ」
会場の隅には軽食が用意された簡易な休憩コーナーも用意されている。普段は早々に抜け出してしまうからそんな機会もなかったけれど、せっかくだから何か軽く頂いてゆっくりしていよう。
「はぁ……わかった。すぐに戻るから良い子で待っていてくれよ」
「──っ、ええ、わかりましたわ」
私の頬をひと撫でしたヴィンツェンツ様は侍従の案内で会場を後にした。きっと周囲に関係性をアピールするためのパフォーマンスなのだろう。しばしの間頬に手を当て、火照りが冷めるのを待たねばならなかった。
気を取り直して周囲を見渡してみる。あまり食事に手をつける人は多くなく、これならゆっくり休めそうだ。
「わ……これローストビーフかしら。美味しそう……流石、盛り付けも綺麗ね」
実家では碌な食事を与えらなかったため、ある程度の年齢になってからは自分で料理を作りひとりで食事をするようになっていた。幼い頃は厨房からパンを貰ってきたりもしていたけれど、手先が自由に動くようになればあとの知識は前世で蓄えたものがある。贅沢は出来ずともスープくらいなら作れたし、流石に飢えるほどの空腹を感じたことはない。とはいえ裏庭に作った畑で採れる野菜にも限度はあり、こんなに贅沢なお肉を食べる機会はそうそうないのだった。
これからはヴィンツェンツ様が食材を用意して下さるというし、大人の男性には肉料理も必要だろう。前世のレシピ以外にも、この世界で好まれる料理の味付けを覚えられるのは素直に嬉しい。
「ん……すごく美味しい! これ、ヴィンツェンツ様もお好きな味付けかも。後で召し上がる時間はあるかしら……難しそうなら今度なんとか真似して作って差し上げましょう」
自分が生きていくために料理をするのと、美味しいと言ってくれる誰かのために料理をするのとでは全然心持ちが違うのだと最近知った。簡単なスープひとつに対してだって美味しい、ありがとうと喜んでくれるヴィンツェンツ様が相手だと、新たなレシピの研究だって捗るというものだ。
流石に公爵家お抱えの料理人が作る味に並び立てるとは思わないけれど、それでも未知の味を体験することは己の世界をまたひとつ広げてくれる気がする。これまでは周囲からの視線に耐えかねて早々に逃げ出していた夜会や茶会も、ヴィンツェンツ様が喜ぶ料理の下調べだと思えば有意義な時間を過ごせるかもしれない。
目新しい料理を中心に少しずつ味見をして、使われている材料に当たりをつける。
そんな私の元に、近付いてくるひとりの令嬢がいた。先ほどワインをかけようとしてきた彼女とは違い、興奮した様子ではない。繊細なレースがあしらわれた優美なドレスに、一分の乱れもなく巻き上げられた赤毛。少々吊り上がり気味のアーモンドアイは深みのある真紅だ。
「──ごきげんよう。少しお話させていただいてもよろしいかしら」
「ええ、もちろんですわ」
頷いて手に持っていた皿を置き、膝を折って挨拶をする。彼女も美しい所作で返してくれた。
「ライアン・ミラー侯爵が長女、カトリン・ミラーですわ。どうぞ、カトリンと」
「トーマス・ブラウン伯爵が長女、ナタリエ・ブラウンと申します。ナタリエとお呼びくださいませ」
ミラー侯爵家といえば高位貴族の中でも上位に位置する家格だったはずだ。夜会ですれ違ったことくらいはあったのかもしれないが、私がこれまで参加した茶会で顔を見かけたことはない。おそらく父の伝手では繋がらないような、別の派閥に属しているのだろう。
「──ナタリエ様、今日はいつもと随分装いが違いますのね」
「……ええ、普段はお見苦しいものをお見せして大変申し訳ございませんわ」
私はいつも早々に会場を抜け出すことしか考えていなかったけれど、どうやらカトリン様は私のことを認知していたようである。まあ色も派手ならデザインも派手だったのだから、目を引くのは仕方がないのかもしれないけれど。
「そうおっしゃるということは、いつものドレスは貴女の趣味ではないと?」
「ええ……家の方針で」
「そう……私、あのような格好で社交界に出られると貴族の品格を下げますし、風紀も乱れると常々危惧しておりましたのよ。今日はたまたま、違うようですけれど……貴女、ヴィンツェンツ殿下と一緒に入られましたわよね。あの方は大変優秀な研究者でいらして、この国にとって重要なお方なのよ。携行食や病の特効薬なんかも次々に開発されていて、今後もきっと素晴らしい成果を残してくださるわ。そんな方に──貴女のような方がお近付きになるなんて本来許されないのだと、どうかご理解いただけないかしら」
どうやら彼女はヴィンツェンツ様が行なっている研究や発表した成果についても詳しいようだ。彼の名を呼ぶときにだけその真紅の瞳に輝きが増すのは、尊敬か憧れか、それ以上の想い故か……。
「私はたまたまヴィンツェンツ様の研究をお手伝いする機会がございまして、そのご縁で今日はお声がけ頂いたのです。──立場の違いについてはもちろん、重々承知しておりますわ」
「貴女、殿下の研究にまで手出しをしているというの? ああ、なんということかしら。代々王宮衛生管理局を纏めるお役目をいただいている我がミラー侯爵家さえ、殿下の研究室はおろか薬草庭園への出入りだってまだ許可されていないのよ。身分も不足なく殿下の功績について正しく学んできた私こそが、最も殿下のお力になれるはずなのに……!」
ぎゅっと握られた手のひらに、形の良い爪の先が食い込んでいる。料理をするために短く切り揃えた私の爪とは大違いの、令嬢らしく柔らかそうな手だ。
「……カトリン様は日々努力を積んでいらっしゃるのですね」
「当然のことよ。私のお父様も、ヴィンツェンツ殿下のことは素晴らしい研究者だと褒めていらしたわ。そんな方を一番近くでお支えできたならば、きっと認めてもらえるし……ええ、我が侯爵家の誉れとなりましょう」
元々釣り気味の目が更に鋭く細められ、凡庸な私の茶色い瞳をギリと睨み付ける。尊敬するお父様も認める憧れの存在であったヴィンツェンツ様が、突然現れた性悪女に横取りされたようで許しがたいのだろう。
ヴィンツェンツ様自身は己の立場と見た目に擦り寄って来る令嬢たちに対して辟易していたらしいけれど、カトリン様に関しては少し毛色が違うのではないだろうか。だって彼女は終始、ヴィンツェンツ様が築き上げてきた功績についてしか触れていないのだもの。王族という立場をステータスでしか見ていなかったのならば、きっとそうはならないだろうと思った。
──そんな彼女であれば。
「でしたらカトリン様も薬草庭園のお世話を一緒に手伝っていただけませんか? 出入りの許可については私からヴィンツェンツ様に頼んでみますわ。今はとにかく人手が少なくて、私も全然お休みがいただけないのです。お手すきの時、週に二日くらいでももし良かったら」
「……どうして貴女が、そんなこと……」
「正直に申しますと、本当に大変なのですよ。確かにヴィンツェンツ様は研究に忙しいですから、その間に薬草の世話をするのはほとんど私ひとりだけで。雑草取りや肥料の管理、水やりだって毎日何往復もしなければなりません。腰は痛むし堆肥の臭いが髪の毛にまで移るし、力仕事と水仕事でどうしたって手先は荒れますしね。育った薬草は刈り取って乾かしたり刻んだりと下処理をしなければなりませんし、その間にヴィンツェンツ様が汚した研究室の掃除もしておかないとあっという間にゴミ屋敷ですよ。ある程度の知識がないと薬草と雑草の見分けも付きませんから誰でも頼める仕事ではありませんし、カトリン様ならそのあたりも問題ないのではないかと思いましたの」
私がまくしたてる言葉の数々を、あっけに取られて聞くカトリン様。居場所を与えてくれたヴィンツェンツ様には心から感謝をしているけれど、正直言ってこんなに忙しいとは想像していなかったのだ。
それに、今世ではいやらしい目をした男性から声を掛けられることはあれど、同年代の女性からこうして声を掛けられたのは初めてだったから。皆嫌悪感を滲ませた表情でひそひそこそこそと囁き合うだけで、ずっと遠巻きにされてきた。評判の悪いブラウン家の令嬢であり、娼婦のようなドレスしか与えられていなかったのだからそれも仕方がないと諦めていたけれど……叶うならば、同年代の話し相手だって欲しいと思う。
アマーリエの時にもひとりだけ、優しく声を掛けてくれたクラスメイトがいた。その後は学園全体の空気感もあって、親しくすることは叶わなかったけれど。でも本当は、あの子とだってもっと仲良くなりたいと思っていたのだ。
カトリン様は確かに私へ物申したかったのだろう。けれど他の人たちが聞こえよがしに陰口を叩く中、真正面から向き合い正々堂々と意見を告げてきた彼女はとても強くて真っ直ぐだ。言葉や視線は多少厳しかったけれど、それでもきちんと礼をして名を名乗り、会話をしてくれたのだから。
「そんな、そんな下働きのような作業を私が出来るわけないでしょう……! 貴女、分かっていてそんな意地の悪い……っ。もう結構よ、失礼させていただくわ!」
けれど私の想いとは裏腹に、カトリン様は肩を怒らせて足早に去って行ってしまった。本当に手伝ってくれるのならば嬉しかったのに。
畑仕事が難しいのならば、薬草の下処理だけでも大分負担は軽くなる。流石に食事の用意は無理であっても、お茶を淹れるくらいならば令嬢にだって出来たのではないだろうか?
「カトリン様なら大丈夫だと思ったのに……」
勘違いさせてしまったのなら少し残念だ。まともな社交をしてこなかったから、やっぱり私には何かが足りていないのかもしれない。
「──俺はナタリエじゃないと嫌だけど?」
ふいに背後から腕を回され、耳元で囁かれた言葉にびくりと肩が震える。低く、そして甘いその声は間違いようもない、私の師匠のものだ。
「……公爵閣下とのお話は終わったのですか? 案外お早いお戻りでしたね」
「ああ、あまり時間をかけて余計な虫が集っても困るからな」
閣下との会談の場に浮ついた女性など紛れ込まないだろうと読んでいたのに、もしかして違ったのだろうか?
首をかしげる私に対し、ヴィンツェンツ様は苦笑しつつそれ以上何も教えては下さらなかった。
結局薬草庭園の管理も研究室の雑用も、増員はしないということか。これが現代日本なら、とんだブラック企業である。まあ今世では碌な結婚相手もいないだろうし、自分の食い扶持を稼ぐという意味では仕事に邁進するのも良いのかもしれないけれど。煩わしい人間関係などはないので、せいぜいのんびりやらせてもらおうと思う。




