初めての友人1
「私がパートナーですか?」
「ああ、頼めるか? 今回は兄上からどうしても顔を出してくれと頼まれてな」
「この夜会は確か……既に父が出席の返事を出していたはずですから、問題はありませんけれど……。でも、いいのでしょうか? 王族である師匠のお相手が私などでも」
「逆に何か駄目な理由があるか? お前なら余計な気を遣わなくても良いし、横にいてくれるだけで虫よけにもなるからありがたいよ」
「ああ、なるほど……。それであれば、喜んでお引き受けいたします」
近く迫った公爵家主催の夜会は主だった貴族が集まる重要な社交場であるらしく、王族のヴィンツェンツ様は出席の義務があるという。そもそも彼はあまり公の場に顔を出さないが、その立場や見目の良さに群がる人々からの干渉が激しくて毎回あしらうのが大変なのだそうだ。普段は土まみれの作業着にぼさぼさの髪の毛で隠されているけれど、きっちりと整えればその姿が大変麗しいのだと私は既に知っている。あの姿を一度目にした令嬢ならば、きっと心奪われるのも仕方のないことかもしれない。
その点私であれば今更彼の美貌にぽーっとしたり媚を売ったりする必要もないので、ただパートナーとして側に侍るだけでも多少の虫よけにはなれるだろうか。この薬草庭園では既にたくさんの珍しい薬草を見せて貰っているし、ヴィンツェンツ様本人からも医学や薬学について専門的な教えを受け始めている。あの居心地の悪い実家から避難できる場所を与えてくれたこともあり、その恩返しだと思えば安いものなのかもしれなかった。
「衣装は俺が用意する。お前は身ひとつで来てくれればいいから」
「そんな、それではご負担が……!」
「はんっ、ドレスの一着や二着でどうこうなるような仕事はしてねぇよ。付け入る隙のないパートナーだと思わせるためには、衣装も揃えたほうが良いってだけだ。だからお前は、何も気にしなくていい」
「……はい、それであればお言葉に甘えさせていただきます」
考えてみれば私は以前から、母のお下がりである下品かつ趣味の悪いドレスしか与えられていなかったのだ。手持ちの衣装で参加しようと思ったら、あれらを着てヴィンツェンツ様の横に並ぶことになる。これまでの計画では折を見て家を出奔するつもりでいたから、誰にどう思われようがあまり気にしていなかったけれど……。実際、ブラウン伯爵家の娘である私に結婚相手としての価値など微塵もないだろう。おかけでこちらに興味を向ける人もほとんどおらず、あんな衣装でも短時間なら我慢してやり過ごして来られたのだ。
けれど流石に王族のパートナーとなれば、これまでとは比べ物にならないほどの注目を集めることになるだろう。
私の感情はともかくとして、恩人であるヴィンツェンツ様に恥をかかせることだけはしたくなかった。
◇
「わぁ……すごく綺麗……」
用意された客室で、城の侍女たちが身支度を整えてくれる。ヴィンツェンツ様が仕立ててくれたドレスは落ち着いた深い緑の生地で、スカートをあまり膨らませずすとんと落ちるドレープのラインがとても綺麗だ。裾や腰元には銀糸で植物の蔦模様が刺繍されており、精緻な意匠はついため息が漏れてしまうほどに美しい。
胸元にはレースがあしらわれていて上品に仕上げられており、私がこれまでに着てきたような胸の谷間をあからさまに主張するものとは全く趣向が違う。肩から腕は露出しているけれども、これからグローブをはめるのだから気になるほどではないと思う。そもそも母のドレスと比べれば、圧倒的に肌の出る面積は少ないのだ。それなのに、私は今どうしてこんなに恥ずかしいのだろう?
トントンと軽いノックの音が響く。侍女が取り次ぎ、部屋に入ってきたのはヴィンツェンツ様だった。彼もまた身支度を整えてきたようで、いつもはボサボサに散らかっている銀色の髪がきっちりと撫でつけられている。普段長い前髪の下に隠されている切れ長の目も今日はしっかりと晒されており、その琥珀のように神秘的な光を放つ瞳の中にはきらきらと輝く金の光彩が散っていた。
「ああ、すごく素敵だ」
伸ばされた彼の手が、私の黒髪をひと房掬う。侍女が丁寧に梳り、手入れをしてくれたのでいつにもまして艶がある。神経の通っていないそこに触れられて、くすぐったいような気持ちになるのは勘違いのはずだけど……。
「──っ、素晴らしいドレスを、ありがとうございます」
火照る頬はお化粧で隠れていますようにと願いつつ、スカートを摘んで膝を折り礼をした。
ヴィンツェンツ様はその口端を僅かに上げて、目を細めながら悪戯っぽく笑う。
「当然だろう? 今宵のお前は俺のパートナーだ。他の誰よりも輝いて貰わねば」
腹が減ってもう動けないと言って地面に倒れ込み、助けを求めるいつものヴィンツェンツ様と今日の彼が同一人物だとは到底思えない。そのスマートなエスコートを受け、改めて実感してしまう。この方は紛れもなく王族であり、本来私などとは関わり合うこともないような高貴な存在なのだと。
変えようもない事実がちくりと胸を刺す。けれど見方を変えてみれば、そんな凄い人に師事する機会が得られただけでも私は十分に幸運なのだ。今はただ己の働きでもって、この恩を返したいと思う。
「ヴィンツェンツ・アーベントロート王弟殿下! ナタリエ・ブラウン伯爵令嬢、ご入場!」
会場へ一歩足を踏み入れると、既に集まっていた貴族たちの視線が一斉に肌へと突き刺さる。盛装をしたヴィンツェンツ様の麗しい姿に感嘆の声を上げる女性たちと、その横に立つ地味な女は何者だと訝しむ者。私の名前を知る人もそれなりにいるだろうけれど、ブラウン家の令嬢といえばあの娼婦のように下品なドレスだと紐付けられているのではないだろうか。それが良かったのか悪かったのか……どちらにせよ今日のこの上品なドレスであれば、入場早々に場違いだと追い返されることはなさそうだ。
「──師匠は流石に女性たちの視線を集めておられますね……。これは、頑張らないと」
彼にだけ聞こえるよう、耳元で小さく囁く。何故だかはぁっと深くため息を吐いたヴィンツェンツ様は私の腰をぐいっと引き寄せ、身体をぴたりと寄せてきた。まるで、仲の良い婚約者同士のように。
「……ああ、頑張らねばな……美しい花に引き寄せられる虫は多そうだ」
「どうぞ、お任せください!」
自信をもって頷いたのに、苦笑でもって返されたのは何故なのか。結局エスコートと呼ぶにはいささか親密な距離感のまま移動することになってしまったけれど、他の女性の付け入る隙を与えないという意味では確かに効果的な作戦なのかもしれない。
「──殿下の横にいらっしゃる令嬢は一体……」
「さっき、ブラウン伯爵令嬢と呼ばれていたような」
「ブラウンというと……もしやあの妖艶な『宵闇の妖精』か?」
賑わう人々の間を通り抜けると、あちらこちらで噂話がされている。やはり私の装いが普段と違うからか、不思議そうだったり不審げな視線が多い。
「あの方、いつの間に王弟殿下にまで近付いたのかしら」
「いやだわ、普段あれほど下品な装いをしておいてその上身の程知らずだなんて」
「本当に、身分も弁えずにいけしゃあしゃあと……さすがブラウン家の令嬢は恥というものをご存知ないのかしら」
扇で口元を隠した女性たちは、射るような眼差しで私を睨み付けてくる。けれどもヴィンツェンツ様がそちらに目をやった瞬間に姿勢を正し、美しい所作で膝を折る変わり身の早さは流石のものだ。
「チッ……どいつもこいつも勝手なことを……」
「私のことならお気になさらず。いつものことですわ」
穏やかな表情を顔に張り付けつつも小さな声で周囲を罵倒しているヴィンツェンツ様がなんだかおかしくて、その器用な姿にうっかりクスクス笑いが漏れてしまった。
社交界に出てから私はずっとこのような視線に晒されてきた。だから、今更この程度のことで傷ついたりはしない。ただ……私の悪評がヴィンツェンツ様にまでご迷惑をかけなければそれだけでいい。私のことを思い、怒ってくれる相手がいるというだけでこんなにも救われているのだから。
思い返せば前世でも、学園に通っている時にはずっとこんな状態だったように思う。嫉妬や羨望、恨みや妬み……今になって考えれば確かにアマーリエは目立ちすぎたのだろう。見目が良かったという理由だけではなく、素敵な人と結婚したいという思いばかりで突っ走りすぎていた。だからといって殺されるほどの過ちを犯したとはやっぱり思えないけれど……。




