表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
薬も過ぎれば  作者: 伊織ライ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/34

ナタリエ・ブラウンの場合4

 機嫌の悪い母から文字通り投げ与えられた真っ赤なドレスを身に(まと)い、サイズの合わないハイヒールに眉を(しか)めつつ王城の廊下を歩く。

 今日は王家主催の夜会だ。同じ馬車で来たはずの両親は、入場を済ませた後すぐに各々どこかへ行ってしまった。会場に愛人でもいるのか、もしくはろくでもない金儲けの話をしに行ったのか。この後行われる王族への挨拶はどうするつもりなのだろう? ここに来るまでなんの会話もなかったし、今も肩についたゴミを払うかのようにひらりと手を振って追い払われた形だ。

 父からは良い嫁ぎ先を探せと命令されたけれど、私は今ひとりで人気(ひとけ)のない廊下を歩いている。だって普通に考えて、令嬢自身が夜会会場で己の結婚相手を探すなどありえないことなのだ。そもそも何と声を掛けると言うのか。下手をすれば酔っ払いや不埒なことを考えた男性に乱暴されることもあると聞くし、逆に一夜の相手を漁るふしだらな女だと醜聞が広がるかもしれない。両親や同伴者の紹介を受けて挨拶を交わし、親交を深めるのが社交の定石なのだから。


「──まあどっちにしてもこんな悪趣味なドレスじゃ到底無理な話ね」


 煽情的なデザインのドレスは母のお下がりだ。確かに私の黒髪にこの真っ赤なドレスを合わせた姿は、目立つという意味でならばそれなりの効果を発揮しているようだ。宝石や飾りはほとんどないのに胸元は大きく開き、上から覗き込まれれば胸の谷間まで見えてしまう。背中側にも大胆なカットが施されており、リボンで結ぶ形だがその隙間からはしっかりと肌が露出している。サイズの調整が自由で直しなしでも身体に合わせやすいのは助かるけれど、デザインの性質上コルセットを付けることも出来ないためあまり人前で姿を晒していたいとは思えなかった。スカートにはざっくりとスリットが入っており、大股で歩くと足が見えてしまいそうだ。なるべく裾が翻らないようゆっくりと小股で移動するしかないだろう。こんな装いでダンスなど絶対に出来ないから、誰かに声を掛けられる前に会場を抜け出せて本当に良かった。

 これでも私自身は転生前に日本人として生きた記憶があるため、他の令嬢たちに比べれば露出に対する抵抗感はまだ少ない方なのだと思う。ミニスカートやショートパンツなんて、下着よりもはしたないと言われそうなくらいだ。その私でもちょっと引くようなデザインのドレスを寄越してくる母は一体どんな意図でこのドレスを作り、どんな場面で袖を通したのだろうか? つい深いため息が溢れた。父も大概だけれど、やっぱり母もどこかおかしいと思う。

 

 夜会が終わるまでの時間を潰すべく明かりの少ない方向へと足を進めていると、中庭に出られそうな場所を見つけた。そっと手をかけてみれば扉はスムーズに開き、一歩踏み出すと一瞬身体が薄い膜を通り抜けたような感覚がある。嫌な感じはしなかったので大丈夫だろうか。入ってはいけない場所ならば鍵がかかっているか騎士が立っていたりするので、多分入っても問題ないということだろう。

 設置された小さな階段を降りる。人の気配はなく、明かりが少ないため分かりにくいけれど思ったよりも広そうだ。澄んだ空気の中に緑の匂いが濃厚に漂っており、どこかに噴水でもあるのか小さな水音と草を揺らすさわさわという風の音が心地よく聞こえる。遠くで流れる優雅なワルツの演奏が薄明の空に響いていた。

 柔らかな土の地面に細いヒールが沈む。

 

「……誰もいないし、いいかな……」


 貴族令嬢は素足を他人に見せたりしない。これは今世も前世でも同じ常識であった。しかしそれ以前に理恵として生きた時代は裕福とはいえ一般家庭の育ちだし、自宅を裸足で過ごすことだってしばしばあった。公共の場の足湯であれば男女混浴も普通だったし、プールや海では水着で泳いだりもしていたのだ。それこそ今の世界なら水着など下着同然の痴女状態だろうけれど、その記憶を持ったまま生まれ変わった身としてはたかが素足を見られたとて左程の忌避感があるわけでもなかった。むしろ夜会用のドレスであれほど胸元を露出しておきながら、足首が見えるくらいなんだと思ってしまう。もちろんわざわざそれを口にして、余計な波風を立てるようなことはしないけれども。

 両親から疎まれている私に、専属の侍女などはいない。今夜のようにどうしても手伝いが必要な時は母付きの者が手を貸してくれるが、やはり何か言い含められているのだろう。余計な言葉を発することはなく、着替えが終わればすぐに出て行ってしまう。今日のドレスはたまたま調整が要らないデザインだったが、どうしてもサイズが合わない時には自分で手直しをすることもあった。アマーリエとして暮らしていた頃は家が貧乏だったため、器用な手先を活かして衣類を縫い直したり傷んだところを解いてリメイクすることもしばしばあったのだ。あの経験があったからこそ、今困らずに済んでいると思うと嬉しい気持ちもあるけれど……流石に靴はどうにもならない。ドレスもそうだが、靴も母からのお下がりなのだ。大きかったのならまだよかった。けれど、母の足は私よりも一回り小さいのである。無理矢理履いた靴はあちこちぶつかって擦れるし、下手をすると豆が出来たり血が滲んだりしていそうだ。何とかここまで我慢してきたけれども、合わない靴でそれなりの距離を歩いてきたせいかそろそろ傷みが限界を迎えようとしていた。

 一応ぐるりと辺りを見回し確認してから、スカートの裾を捌いてサッと靴を脱ぐ。下ろした足の裏に柔らかな土と、湿った草の触感がくすぐったい。それらは想像した以上にひんやりとしていて、熱を持ったつま先にも大変気持ちが良く感じられた。

 忌まわしい靴は階段の下に揃えておき、裸足で歩く解放感にほんのりと口元を緩める。少しワクワクする気持ちを弾む歩みに乗せて、私は次の一歩を踏み出した。

 


 今シーズンに入り、他家のお茶会や夜会へもそれなりに参加してきたと思う。両親は自分たちの行動を棚に上げて私に人脈形成や社交を求めるが、正直やる気は全くでない。幸せな恋愛結婚に憧れ努力を重ねるのは前世で十分やりきったし、その結果が()()なのだから憧れを抱くのももう無理だ。貴族の義務としての政略結婚と言っても、尽くすのがこの家のためかと思うとため息がこぼれてしまう。領民たちには悪いけれども、正直に言って今の私は貴族だと威張れるほどの贅沢をさせてもらっていないと思う。確かに立派な屋根の下に暮らしてはいるけれど両親と同じ食卓に呼ばれることはないし、かといって使用人たちの(まかない)を所望しようものなら「下の者から奪い取る強欲な娘」呼ばわりをされて。いつしか食べ物さえ、薬草と一緒に裏庭で自作している始末である。もちろん全てが庭で育つ野菜ばかりではないので、お金を払って買ってくるものもあるけれど。もし前世の記憶がなかったら、本当に私はどうなっていたのだろう? 下手をしたら、既に生きてさえいないのではないかという気がしてならない。どこの貴族令嬢が、内職したものを売ってお金を作り、帰りしな市場に寄って食材の買い出しをしてくるというのか。それに気付かない周囲の者たちに、私を糾弾する権利があると言えるだろうか。

 

 そんなわけで無理やり参加させられたお茶会や夜会の間、私は暇つぶしによく庭へと足を向けていた。社交に精を出す貴族たちは基本的に群れて動くので、静かな庭へ出れば隠れやすいのである。それに加え、ただ単純に植物が好きだという理由もあった。

 各々の家によって趣は違っても、貴族の邸宅の庭は総じて華やかだ。バラのアーチや垣根の迷路、鮮やかな色合いの花々が咲き誇る花壇。芳しく甘い香りに、キラキラと輝く噴水やガゼボ。熟練の技術を持つ庭師たちによって隙なく整えられた庭は、確かに優雅で素晴らしい。けれど今足を踏み入れたこの場所は、これまで目にしてきたそれらとは明らかに様子が違っていた。

 花はところどころに見えるけれど小さかったり地味な色合いのものが多く、まるでそこら辺の雑草と紛れてしまいそうである。整然と並べて植えられている様子からして人の手が入っているのは確かだし、なんらかの意図をもって植えられているのだろうけれど。

 ざわりと風が吹き抜けて、目を楽しませるためではなさそうなその花壇──これはむしろ畑に近いかもしれない──から、ふわりと見知った香りが流れてきた。


「あら、これ……ローズマリーだわ。こっちは……ハトムギ?」


 アマーリエとして生きていた頃は化粧品を自作して使っていた。貧乏な男爵家の家計では市販の品を買うことが出来なかったため、考えあぐねてひねり出したようなものだったけれど。それでも前世の知識を使って試行錯誤するのは楽しかったし、最終的に出来上がった化粧水やクリームは我ながらいい出来だったと思う。白い肌はファンデーションなど塗らなくても基礎化粧品だけできめ細やかだったし、リップクリームを塗った唇もツヤツヤと潤っていた。洗髪剤を使った金髪はサラサラふわふわでいい香りがしていたし、水仕事をするにも拘らず指先だって荒れていなかったのだから。

 そういったものの中に、ローズマリーやハトムギを使ったレシピもあったなと懐かしく思い出す。これらには美容に良い成分が豊富に含まれているのである。

 どうやって異性に見初めてもらうか、より自分自身を好いてもらうにはどうすれば良いか、そんなことばかりを考えていた人生だった。見目麗しい異性の友人たちは優しかったし、一緒に食事をしたり会話を交わす時間ももちろん楽しかったけれど……。思い返してみれば美容にまつわる物を考えて試作してみたり、自分の体形に似合いより美しく見えるドレスのデザインを考えたり……古着のリメイクやレース編み、小物づくりなどの地道な作業も本当に楽しんでやっていたのだ。

 アマーリエとしての命を終えて、ナタリエとしてまた生まれ変わり。まだ赤子の頃、身体が自由に動かず持て余した時間を使いひたすら考えたことがある。もしあの化粧品を周囲の令嬢たちにも紹介して分けてあげていたら、何か違っていただろうかと。美容に良いマッサージの方法や食事の栄養バランスの話などをしてみたら、どうだっただろうか? イザベラ様のお店で針子の女性たちと話した時間は本当に楽しかった。ドレスのデザインから始まって、私のスタイルや肌の話まで色々と聞かれ、そこに至る努力を誉められたのがとても嬉しかったのだ。きっとあの時初めて、自分自身を認められた気持ちになれたのだと思う。美しい見た目は、いずれ衰えていく。けれど積み重ねた経験や知識は時が経っても変わることなく己を支え続けてくれるだろうから。

 やはり、自分の幸せの全てを結婚(他人)の中に見出そうとしたのが間違いだったのだ。あの時には必死になりすぎて気付けなかったけれど、こうして興味を持って楽しめる事象が自分の中にも確かにあったのだから。


「──懐かしいな……これを使って作ったクリームを塗ると肌が白く綺麗になるのよね。あ、こっちはおばあさまの資料で見たことがあるわ」


 夢中になりつつ草花を眺めて歩く。ここには薬に使われるような植物が多く植えられていて、一層興味をそそられた。大変貴重な種類の薬草や初めて見るものもあり、まだまだ学ぶべき事柄は多いと期待に胸が膨らんだ。たまたま迷い込んだだけの庭園だけれど、ここはなんて素晴らしい場所だろうか。

 高揚した気分でそのまま庭の奥へ足を進めていくと、ひと際雑多な花壇の脇に何か大きなものが転がっていることに気が付いた。場違いにも思える薄汚れた布の塊のような──それはちょうど、()()()()()くらいの大きさで。

 まさかと思いつつそっと近づいてみると、その塊から不意に「ぐぅぅ」っと大きな音が鳴り響いた。


「──ひっ!」


 突然のことに肩が跳ね、上げかけた悲鳴を必死で飲み込む。震える私を他所に、ころりと転がったそれはまさに──仰向けに倒れたひとりの人間だったのだ。

 ばくばくと音を立てる心臓を撫でて宥めながら、もう一歩慎重に近付いてみる。よく見れば薄汚れてはいるものの、わりと仕立ての良い服を着ているようだ。まあここは王城の敷地内の庭園なのだし、仮にこの人間がただの下働きであったとしても身分はしっかり保証された者ということになる。そういう意味では浮浪者だとか、暴漢のような不審者でないことは確かだろう。

 仰向けになった時からその顔もこちら側を向いているが、長くぼさぼさと伸びた灰色の髪の毛が顔にかかってあまり造形は分からない。ただ眉間にしわが寄り口元は引き結ばれ、険しい表情であることはなんとなく分かる。寝返りをうったということは、ひとまず生きてはいるということだ。こんな時間に、薬草ばかりの庭園でピクニックということもないだろうが。

 体調不良か、もしくは私と同様夜会から抜け出してきた酔っ払いだろうか……?


「あの、大丈夫ですか? 体調が悪いのですか? 誰か呼びましょうか」


 勝手にここまで入ってきてしまってなんだけれども、見つけてしまった以上は放っておくわけにもいくまいと恐る恐る声を掛けてみる。

 大人の男性が屋外で倒れているのだから、明らかに異常だ。自力で起き上がれそうには見えないし、これで私の方が襲われるということもないだろう。いざとなれば急所でも蹴飛ばしてやれば逃げる時間くらい稼げると思う。逃げ帰ったとして騒ぎを起こした娘をあの両親が許すかどうかはまた別の話だけれど。


 私の声が聞こえたのかどうか、眉間の皺がさらに深まって苦しげに男の表情が歪む。もし脳や心臓の血管に問題があるのだとしたら、事態はかなり深刻だ。


「大丈夫ですか? どこか痛みますか?」

「──ぃた……」

「え? 痛いですか? どの辺が痛みますか?」

「──なかが……いた……」


 小さく漏れた声は掠れているものの、低く響く大人の男性のものだ。

 更に一歩近付いてその声を拾おうとかがみ込んで耳を寄せた。近くで見ても身体に発汗はないし、呼吸も穏やかである。目元の隈が少々濃いだろうか? 灰色だと思った髪の毛は、近くで見ると硬質な銀髪であることが分かった。

 ふいに伸ばされた男の手が、私の手首に絡みついてぐっと引き寄せられる。咄嗟のことに驚き身体がびくんと跳ねたが、握られた手の力は弱く痛みなどは感じない。男性らしく節がしっかりとしており、長い指だ。土や葉の緑色が爪の間に入り込んで少し汚れている。自分が畑仕事や調薬をしている時にも同じような汚れ方をするので、やはり庭師か薬師だろうか。見た感じ武人というほどの逞しさはないが、投げ出された脚は随分と長くて体格自体はかなり良いように思われる。握られたままの私の手首など少し力を込めたら簡単に折れてしまいそうだけれど、不思議と恐怖心は湧かなかった。多分彼の手がとても冷たくて、僅かに震えていたからだろう。


「──おなかが、すいた……」


 今度こそ耳に届いたその声と、男の腹が再び大きく鳴ったのはほとんど同時のことだった。

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ