その後の元彼女:客じゃなくなった日
昼過ぎに目が覚めて、
一番最初に触るのはスマホ。
通知はない。
彼氏からも、
“あの人”からも。
胸の奥が、きゅっと縮む。
昨日もそうだった。
一昨日も。
その前も。
なのに、
また画面を更新してしまう。
「……なんで」
独り言が、部屋に落ちる。
コンカフェのシフトは夜。
メイクをしながら、
何度もスマホを見る。
鳴らない。
鳴らないことが、
こんなに怖いって、
知らなかった。
あの人と連絡を取ったのは、
彼氏とうまくいってなかったから。
本命は、ちゃんと彼氏。
それは自分でもわかってた。
でも――
あの人は、
怒らない。
否定しない。
黙って、全部聞いてくれる。
「それはつらいね」
「君は悪くないよ」
その言葉が、
頭の中で何度もリピートされた。
店の客なんて、
可愛いね、とか、
癒される、とか、
軽い言葉ばかり。
でも、あの人の言葉は、
“わたし”を見てる気がした。
だから、
期限付きって言われたときも、
正直、舐めてた。
どうせ、
最後はわたしを選ぶ。
今までだって、
そうだったから。
期限の最後の日。
向かいの席で、
あの人は淡々とこう言った。
「もう、終わりにしよう」
その瞬間、
耳が、きーんとした。
「……は?」
「約束だったから」
それだけ。
「ちょっと待って」
「意味わかんない」
「なんで?」
言葉が止まらない。
心臓がうるさい。
「私、何かした?」
「直すから」
「嫌なとこ言って」
必死で縋ってるのに、
あの人は、
ただ、首を振った。
「何も」
その一言で、
頭の中が真っ白になった。
何もしてないのに、
捨てられる。
「……嘘でしょ」
涙が出て、
声が震えて、
手が勝手に伸びた。
「お願い、やめないで」
「私、ちゃんとするから」
「一人にしないで」
でも、
あの人は時計を見ただけだった。
「時間だから」
立ち上がって、
そのまま、行ってしまった。
追いかけられなかった。
足が、動かなかった。
その日の夜、
彼氏に電話した。
「ねえ、今から会えない?」
少し間があって、
返ってきたのは、冷たい声。
「また?
最近お前、重すぎ」
その一言で、
全部、溢れた。
「重いってなに?」
「私、寂しいだけじゃん!」
「なんで一緒にいてくれないの!」
泣きながら責めて、
叫んで、
止まらなくなって。
しばらく沈黙があって、
彼氏は言った。
「……もう無理だわ。
正直、疲れた」
ぶつ、と通話が切れた。
気づいたら、
床に座り込んでいた。
息が苦しくて、
喉がひりひりして、
でも、誰もいない。
スマホを握って、
あの人に何度もメッセージを打つ。
ねえ
お願い
なんで?
まだ好きだよ
返事して
ねえ
送れない。
ブロックされている。
それでも、
画面に向かって、
何度も指が動く。
「……なんで、みんないなくなるの」
声に出した瞬間、
自分でも引くくらい、
弱々しい声だった。
次の日も、
その次の日も、
店に立つ。
「可愛いね」
「癒される」
「また来るよ」
笑って頷く。
でも、
あの人の言葉だけが、
頭から消えない。
もう、必要ないから。
必要ない。
それが、
刃物みたいに、
何度も刺さる。
耐えきれなくなって、
店の前で待った。
もしかしたら、
来るかもしれない。
そんなわけ、ないのに。
閉店まで、
一人も来なかった。
帰り道、
駅のホームで、
ふと考えてしまう。
このまま、
全部終わったら、
楽なんじゃないかって。
でも、
それすら怖くて、
ただ、その場にしゃがみ込んだ。
家に戻って、
暗い部屋で、
天井を見る。
彼氏もいない。
あの人もいない。
いるのは、
スマホと、
自分だけ。
わたしは、
ベッドの上で丸くなって、
何度も、何度も思う。
わたしは、
“必要な間だけ”の人間だった。
それが終わったら、
何も残らない。
それでも、
次の日も、
またメイクをして、
店に立つ。
可愛いって言われて、
必要だよって言われて、
それに、しがみつく。
でも、
心の奥では、
ずっとわかってる。
あの人は、
わたしが“客”でいる間だけ、
優しかった。
それを、
恋だと信じたわたしが、
全部、間違ってた。
そして、
その間違いは、
もう、取り消せない。




