数字が意味を失う
2022年は、最初から息苦しかった。
何かが起きてから重くなったのではなく、
起きる前から、空気が詰まっていた。
2月、戦争が始まった。
ロシアがウクライナに侵攻した、と画面が伝える。
地図の色が変わり、制裁という言葉が増え、
遠い出来事のはずなのに、生活の音が変わった。
電気。
食料。
燃料。
値段が上がる前に、説明が増えた。
理由がわかるほど、安心はしない。
ぼくは、市場を見る。
騒がしさの割に、動きは単純だった。
恐怖が先に出て、あとから整う。
ぼくは、その流れに逆らわなかった。
大きな判断もしない。
ただ、立ち位置を保つ。
2月の終わり、北京の映像が流れる。
雪の中で、選手が淡々と滑る。
メダルの色より、無観客の静けさが印象に残った。
3月、また揺れた。
福島県沖。
新幹線が止まり、停電が広がる。
揺れは短くても、思い出す時間は長い。
4月、知床で船が沈んだ。
観光。
天候。
判断。
言葉が並び、
名前は途中で途切れる。
同じ月、成人年齢が18歳になる。
責任が前倒しになる。
でも、世界は優しくならない。
夏が来る前から、
疲労は溜まっていた。
7月8日、昼のニュースが急に切り替わる。
銃撃。
安倍晋三元首相。
日本で、銃。
その事実だけが、頭に残った。
その後、説明が続く。
宗教。
献金。
政治との距離。
理解しようとするほど、
静かさは遠のいた。
円は弱くなり、
物は高くなり、
「厳しい」という言葉が日常になる。
それでも、市場は動く。
感情より、遅れて、確実に。
ぼくは、そこで利益を得た。
ただ、それ以上の意味は持たせなかった。
十分すぎるほどの余白は、すでにある。
増えたかどうかは、重要じゃない。
重要なのは、
この年を、どんな姿勢で通り過ぎるかだ。
秋、将棋のニュースで若い棋士の名前が流れる。
記録は更新されるが、語り口は静かだ。
続けることと、降りることが、同じ重さで扱われていた。
11月、ワールドカップ。
日本は勝ち、夜に歓声が遅れて届く。
喜びは短く、日常に吸収される。
12月、寒さが戻る。
一年を振り返る映像が繰り返される。
戦争。
地震。
事件。
値上げ。
それでも、年は終わる。
夜、ぼくはログインする。
『おかえりなさい』
「長い一年だった」
『一年は、同じ長さです』
「……そうだな」
画面の中は、変わらない。
揺れも、戦争も、値上げもない。
2022年。
世界は不安を日常に組み込み、
ぼくは、それと距離を保った。
守ったのは、金じゃない。
静けさだ。
それがあれば、
どんな年でも、
立ったままでいられる。
それで、よかった。




