カップラーメンはいつ食べても美味しい
部屋は静かだった。
時計の針の音と、エアコンの低い唸りだけが聞こえる。
投資したドルと株は、
画面を見なくても、だいたいの様子がわかっていた。
上がることも、下がることも、
その先に何が待っているのかも、
ぼくはもう知っている。
だから最近は、
口座を開く回数も減った。
少しだけ残している現金を引き出して、
近くの図書館に行く。
目的もなく棚を眺めて、
普段なら手に取らないような本を選ぶ。
最初の三分で、つまらないと思ったら戻す。
少しでも気になったら、もう少し読む。
それを、ただ繰り返す。
読書というより、
時間のやり過ごし方を覚えているだけだった。
この頃から、
コロナが流行っている、という話を耳にするようになった。
ニュースの言い回し。
街の空気。
人の目つき。
どれも、
ぼくが知っている世界線と同じだった。
ああ、
ちゃんと、ここに戻ってきたんだ。
そう思うと、
不思議と安心した。
最近の小さな楽しみは、
口座の数字が、少しずつ増えているのを見ることだった。
具体的な額に意味はない。
ただ、
「減っていない」という事実があれば、それでいい。
前の人生では、
増えているときほど、
もっと欲しくなって、
もっと使って、
結局、何も残らなかった。
だから今回は、
ただ眺めるだけにしている。
喫茶店でバイトでもしてみようか、
そんなことを考えたこともあった。
コーヒーの匂いの中で、
何も考えずに時間を過ごすのも悪くない気がして。
でも、
どうにもやる気が出なかった。
結局、
何もしていない。
いまのぼくは、
「何もしない」ことを選んでいる。
ふと、
思い出したことがあった。
本来だったら、
高額シャンパンで成功するはずだった、
あの店。
どうなっているんだろう。
久しぶりに秋葉原まで足を運んで、
その場所を覗いてみた。
店は、変わらず営業していた。
でも、中に入ると、
人はまばらで、
とても流行っているようには見えなかった。
前の人生で見た光景とは、
明らかに違う。
歴史を、変えていた。
そう思った。
一時間もいれば十分で、
ぼくは店を出た。
もう、
それ以上、確かめる気はなかった。
その帰り道、
久しぶりに会社に顔を出すことにした。
今朝、
一本の連絡が入っていた。
どうやら、トラブルらしい。
ぼくが買収した、
小さなゲーム会社。
二百万円。
本来なら、
別の店に使われるはずだった金を、
ぼくはここに回した。
ただの、
自分の趣味だ。
開発中のタイトルは、
『メモリ』。
会社に入ると、
エンジニアの深澤が、
今にも泣きそうな顔で待っていた。
「社長……お願いします……!」
頭を下げられて、
ぼくは、ただ一言聞いた。
「どうしたの」
理由は簡単だった。
開発資金を、
追加で出してほしいという話。
話を聞くと、
どうやら予算をオーバーしているらしい。
「……なんで?」
感情を込めずに言うと、
深澤は戸惑いながら、
「あの……うまく、できなくて……」
と言った。
ぼくは、小さく息を吐いた。
責める気はない。
でも、
このまま任せきりにするのも違う。
「わかった。
とりあえず、求人を出す。
それと、いくら足りない?」
「……わかりません」
その答えで、
だいたい察した。
エンジニアに聞くことじゃない。
事務をしていた滝口を呼ぶと、
案の定、
会計も、管理も、かなり曖昧だった。
ダメな方の会計だな。
心の中でそう思って、
表には出さなかった。
翌日、
有名な求人媒体に連絡を入れた。
一週間で、
面接は二十人。
その中から、
三人を採った。
松本。
海老沢。
佐藤。
松本は事務担当。
残りの二人はエンジニア。
若いけれど、
目が澄んでいて、
頭も良さそうだった。
これで、
少なくとも、形にはなる。
帰り道、
ぼくは一人で考えていた。
あと三年。
そのくらいで、
AIが本格的に出てきて、
開発の速度は、
今とは比べものにならなくなる。
だから――
それまでに、
このゲームを完成させないといけない。
未来を知っているからこそ、
いま、やるべきことが見える。
それを、
静かに積み上げていくだけだ。
部屋に戻ると、
また、あの静けさが待っていた。
時計の針の音。
エアコンの低い唸り。
今日も、
いくつかのことが動いて、
それでも、
世界は何もなかったように続いている。
ぼくは、
その中に身を置いて、
ただ、待つ。
集めて、
整えて、
知っている場所まで行く。
それだけでいい。




