乙女ゲー世界の男爵令息に転生していた
俺は転生者である。
そして俺が今生きているこの世界は、多分いわゆる「悪役令嬢モノ」なんじゃないかと思う。多分だが。
それなりに生きてそれなりの歳で死んだ俺は気が付けばこの世界に転生していた……というかそういう前世があったと思い出したのが五歳。
前世は前世。そんなこともあったなぁくらいの軽い気持ち。前世のやり残しなんてものは特にないし、前世で生きた年齢の分だけ自分は大人だとも思わない。今の俺は、しがない男爵家の長男坊。この春から王都の学園に通い出した若者。
ただ、前世の――今と同じくらいの年齢だった時の記憶を、最近よく思い返す。
この世界、どうも妹がやっていた乙女ゲームの世界に似ている。
タイトルは失念したが、剣と魔法のファンタジー世界で、人々を脅かす魔物なんかがいて、おまけにそのゲームの登場人物とそっくりな人間が複数いるのだ。
クラスメイトのサレ王子殿下。魔法クラス担任のガトー先生。殿下のお付きで騎士クラスのブレサ。
それから、王子の婚約者のフレジェシカ・ティラ公爵令嬢に、特待生のシャルロット・ブラン子爵令嬢。
このあたりは、妹の話題によく上がっていたから記憶にある。
それで、この世界が「乙女ゲー世界」ではなくそれと基本設定を同じくした「悪役令嬢モノ」だと思った理由はやはり、ゲームで「悪役令嬢」のポジションにあった人物……フレジェシカにある。
一言で言うと、いい子なのだ。
相手に対し厳しい態度を取ることもあるが、言っている内容は真っ当で、節度を持って接していれば高圧的にも感じない。人に厳しい、ではなく自他ともに厳しい、というか。公爵令嬢として誇り高くあろうとしている人物、といった印象だ。
ゲーム内で語られるような意地悪三昧の悪役令嬢にはとても見えない。
「悪役令嬢モノ」は悪役令嬢にあたる人物がゲーム本編とは違ういい子で、攻略対象たちにも愛され、本編を知っているヒロインにあたる人物がそれを邪魔するというイメージがある。そうじゃない作品も色々あったかもしれないが、俺の中のイメージはそうだ。
登場人物が同じでありつつも、悪役令嬢がゲームのような悪人ではない。なので、この世界はきっと「悪役令嬢モノ」なのだろうと思ったわけだ。
となると気になるのが、ゲームで主人公、ヒロインのポジションにいたシャルロットだ。
魔力が高く、さらには全属性の魔法適正もある特待生。入学してすぐに古代魔法の一つを読み解いたなんて噂もある。
彼女に対しては、好意的な声も否定的な声も聞く。優秀な者。選ばれし人間。たかが子爵令嬢ごときが。調子に乗っている。
本人はそんな言葉が耳に届いているのかいないのか――いや、届かないわけないか。それでも変わらずに前を向いているようだった。
今のところ、「自分を世界の中心だと勘違いした転生ヒロイン」のようには見えない。
むしろ……才能に驕らず、心無い言葉にもめげずに頑張っている……愛らしい、ヒロインそのものといった感じだ。
まあ、それが完璧な演技である可能性もないわけではない。
俺もこの国の貴族の一員として、国が混乱するような事態……ヒロインに唆された王子が急に婚約破棄とか言い出したり、将来有望な若者がこぞって乱心するとか、そういうことは避けたい。ので、引き続き彼らの動向は遠くからこっそり観察していたい。
と、思っていたが。
「よろしくおねがいします。カトナンシェ様」
「……よろしく。俺のことはラングでいい。呼びづらいだろ。様もいらないよ」
「じゃあ、ラングさん。お話しするのは初めてですね」
授業の実習訓練で一緒に組むことになってしまった。俺の記憶では、こういうイベントは全て攻略対象と組むことになっていたと思うのだが……。まあ、すでに俺が知っているゲームとは違う部分があるから、気にしても仕方がないか。
学園の管理する広大な森がそのまま演習場になる。このあたりの魔物はあまり強くない。それが魔法の訓練には丁度いいのだ。
「ラングさんの魔法適正は水属性でしたよね? 私、その、先生に今日は火属性だけで戦うように言われていて……もし何かあったら、フォローお願いします……」
この生い茂る森の中で火属性だけ、か。期待されているんだな。魔力が多いからその分コントロールが難しいだろうに、この森の中で扱いやすい水や土の属性魔法を封じられるとは。
もちろん、と頷くと、シャルロットは安心したように笑った。
少し歩くと、魔物の気配がする。シャルロットを見ると、彼女も気配を察知し、戦闘態勢を取っていた。
イノシシのような中型の魔物が一体、草陰から飛び出してくる。
「行きます!」
初撃。魔物がこちらに近付く前にシャルロットの放った炎の矢が魔物の眉間を貫く。無詠唱――ではない。気配を察知したその時から、脳内で詠唱を構築し魔力を巡らせていたのだろう。誰にでもできることではない。
ただ、森への被害を考え一本の細い矢として放たれた炎の魔力は、彼女の魔力をそれだけ圧縮させたことに他ならず、魔物を貫いたあとも地面に突き刺さりメラメラと燃え続けている。延焼を防ぐために水のヴェールを被せると、ジュッと音を立てて炎の矢は消滅した。
「今の……無詠唱でこんなに細かい魔法を?」
「単純に空気中の水分に魔力を通して形にしただけだ。詠唱が必要になるほどじゃないよ」
すごい、とシャルロットがきらきらした目を向けてくる。居心地が悪くなって目を逸らすが、やはりシャルロットの反応が気になってちらりとそちらを盗み見る。シャルロットは胸の前で軽く握りこぶしを作って、がんばるぞ、なんて言いたげな表情でうんうん頷いていた。
「私もまだまだやれることがあるんだ……勉強になります!」
「……ブランは努力が好きなんだな」
恵まれた才能に甘えることなく、その才能を磨く努力を怠らない。
桁外れに高い魔力。全属性を扱える適正。魔力の多い子供は自分自身の魔力を扱いきれず身体が弱かったり、魔力暴走による事故が起きやすい。通常、一人の人間に発現する魔法属性の適正は一つか二つなので、少しのきっかけで全属性の魔法が暴発する可能性を考えるとその危険性はただ魔力が高いだけの子と比べても非常に高い。
それが、こうして健康で、魔法を愛するようになれたのは周りの環境がよかったのだろう。ブラン子爵家は大きな家でもなければ魔法に優れた家というわけでもない。家族が根気よく献身的に支え守ってきて、魔法の才を伸ばす努力ができる今のシャルロットがあるのだろう、と思った。
「……なんだ?」
シャルロットが黙り込んだので、何かおかしなことでも言っただろうかと様子を伺うと、シャルロットは驚いたような、隙だらけで少しあどけない表情で俺を見上げていた。
「ブラン?」
「あ……いえ、初めて言われたので、びっくりして。……そうですね、私、好きなんだと思います。努力して、昨日より少しだけ違う自分になるのが」
宝物を大事に抱えるように両手を胸の上に重ね、シャルロットは花が咲いたようにふわりと笑った。
……思わず、息をのんだ。
サイドに結った彼女のピンクブロンドの髪が風に吹かれてまるで踊るように揺れる。薄暗い森の中なのに、木漏れ日が彼女を綺麗に照らして……目が、離せなかった。
「ラングさんは」
「え? あ、ああ……何?」
「髪、切らないんですか? 前髪が長いと視界も悪いですし……それに、せっかく綺麗な目をして……、っと、なんでもないです。余計なお節介でしたね……」
困ったように眉を垂れさせてシャルロットは言う。
俺が顔を隠すように髪を伸ばしているのは一言で言うと目立ちたくないからだ。地味な印象の人物でいるために目にかかるほどの前髪で冴えない雰囲気を演出している。おかげで、学園で俺に声をかけてくる人間はそういない。
ただ。
純粋にまっすぐ褒められるのは、悪い気はしなかった。
あれからまたしばらく経ち、俺が出した結論はというと。
結局ここは「悪役令嬢モノ」ではなくゲーム本編の世界に近いんじゃないかと思う。
悪役令嬢であるはずのフレジェシカが落ち着いているのは、多分シャルロットがフレジェシカの婚約者であるサレ王子殿下ルートではないから……なんじゃないだろうか。
婚約者に手を出さないならフレジェシカがシャルロットに意地悪する理由もないだろうし。
俺もゲーム本編のことは妹から聞いたことしかわからないから、王子ルート以外でもフレジェシカが悪役令嬢してたのかは知らない。妹は王子が一番好きだったから、他の攻略対象の話はほとんど聞いたことが無いし。
じゃあ、このシャルロットは一体誰のルートを攻略しているのだろう。
フレジェシカの態度を考えると、サレ殿下は違うはずだ。
しかしサレ殿下は見た目もそうだが性格も良く、成績優秀、高い魔力に美麗な剣技、民を想い民を導く気高く優秀な王子である。嫉妬する気も起きないような相手。婚約者がいる身ではあるが、もしもを狙った女生徒にも多く慕われている。ただのファン生徒も多いようだ。
あのサレ殿下が好きじゃないならシャルロットの好みはどんな男なんだ?
確か……あのゲームの攻略対象は五人だったはずだ。
サレ殿下。ガトー先生。ブレサ。あとの二人は……確信はないが、座学優秀者と学園の問題児という設定だった気がするから、前期筆記試験首位のミズアと中庭でよくサボっているカロンだろう。
成績優秀者という点で殿下やミズアとは話が合うようだし、ガトー先生もシャルロットが解読した古代魔術に興味津々のようだ。あまり身分を気にせず話せるという点ではブレサやカロンとは気安く話している……ように見えるが……。
「どうしたの?」
シャルロットが俺の顔を覗き込んでくる。
「ああ……悪い。考え事をしていた」
「よかった。お弁当、嫌いな物でも入れちゃってたかなって思いました」
「いや。全部うまいよ」
サンドイッチを頬張る。
実習で組んだあの日から、シャルロットとは話す機会が増え、こうして良好な友人関係を築くことが出来ている。
実家では料理もしていたという彼女は、時折こうして俺に弁当を振舞ってくれるようになった。
二人並んでベンチに座り、シャルロットが作ってくれた弁当を食う、穏やかな時間。授業のこと、魔法のこと。街のこと、友達のこと。実家の話、将来の話。中庭に来る猫のこと、学園七不思議、食堂のメニューの話、雲のかたち。真面目な話も、くだらない話も、そのどれもが思い出になっていく。
「そういえばもうすぐ、青月祭ですね。ラングさんは、その、どなたかと行ったりは……」
「ああ、そんな時期か。一緒に行くようなやつはいないから、行ったことないな」
青月祭。毎年夏の終わりに行われる祭りだ。
月が輝く時間になると魔法紙で出来た風船を空に飛ばし、一人で飛ばせば願いが叶い、二人で飛ばせば末永く幸せになれる、なんて言い伝えがある。
一人で行くには面倒さが勝って、俺の数少ない友人たちは祭りに好んで行くようなやつらではないので、行ったことはない。
……そうか。青月祭か。
ゲームのタイトルも、そんな感じだった。思い出してきた。
「ブランは行ったことあるのか?」
「はい! 去年は友達と出店を回ったんです。ふわふわの飴みたいなのとか、果物を飴で固めたものとか普段見ないものもあって、楽しかったですよ!」
「飴ばっかりだな」
両手に飴を持ったシャルロットの姿を想像すると何だが気が抜けて、笑ってしまう。
シャルロットはそんな俺をじっと見つめた後少しだけ俯くと、かたく握った拳を膝の上に乗せて、それから俺に向き直った。
「それで、その、よかったら、私と……青月祭、行きませんか……?」
「え……」
いいのだろうか。
青月祭。その日は、月が青く輝く日だ。
「青い月のそのあとで」――俺が思い出した、ゲームのタイトル。
青月祭を終えれば、ゲームのエンディングが待っている。つまり、この世界の「物語」のクライマックスがすぐそこに近付いているのだ。
そこに、俺がいていいのか?
ゲームでは、祭りの中盤に魔物が飛び込んできて、それを攻略対象と一緒に倒すことでハッピーエンドが迎えられるが、魔物の討伐に失敗したり、攻略対象と祭りに行けなかった場合は祭りが最後までできないビターエンドになる。
攻略対象ではない俺と祭りに行くことで、シャルロットの不利益になったりしないだろうか。他の誰かと行ったほうがシャルロットは幸せな結末を迎えられるのではないか。
そう、少しだけ考えて、俺が口を開く前にシャルロットは立ち上がった。
「ご、ごめんなさい! やっぱり忘れて! 急に、へ、変に誘っちゃってごめんなさい」
「あ、おい」
シャルロットは手早く弁当が入っていたバスケットを片付けると、逃げるように立ち去ってしまった。
俺は、引き留めることもできなかった。
――青月祭、当日。
寮の自室で本を読んでみても、まったく頭に入ってこない。
今頃、シャルロットは誰かと祭りを回っているのだろうか。サレ殿下。ガトー先生。ブレサ。ミズア。カロン。彼女の隣に立つ誰かを想像しようとして、できなかった。
したく、なかった。
本を閉じ、部屋を出る。行き先は決まっていた。
ワンピースを翻して、土煙に汚れながら、少女が戦っている。
周りの被害を考えながら、魔物の意識が他の人間にいかないよう注意を引きながら、一人で戦っている。
一体の魔物の爪がシャルロットに届きそうになるのを、魔法で横から吹き飛ばした。
「シャルロット」
「……ラング、さん……?」
「周りへの被害は俺が抑えるよ」
「……はい!」
シャルロットが詠唱する。俺は、それに合わせるだけだ。難しいことじゃない。シャルロットの魔力の質も、魔法の癖も、もう全部覚えている。
シャルロットの放つ広範囲高火力の火属性魔法が一帯の魔物を全て焼き尽くす。俺が張った水の結界によって街が焼けることはない。
魔物が塵となって消え、役目を果たした炎も消える。
「あの、助けてくれてありがとうございます、ラングさん」
「悪かった」
「ふぇっ、えっ?」
シャルロットの小さな手を握る。手の甲には擦り傷がある。頬にも、膝にも、血が滲んだ跡があった。
「俺がもっと早く来ていれば、こんなことにはさせなかった」
「いや、ラングさんのせいじゃ……?」
魔力を放出する。シャルロットの傷が消えていく。それでも、俺の心は晴れない。
水と風の魔力で、シャルロットのワンピースの汚れを落とす。青月祭に合わせた青と白のストライプのワンピースは、可憐で、彼女にとてもよく似合っていた。
「ラングさん、これって……」
「俺も、全属性持ちなんだ。表向きは水属性となっているが。……だから、君の苦労は、よくわかる」
五歳のとき、魔力暴走が起きた。
暴走した俺の魔力は庭園の薔薇を焼き、嵐を呼び、屋敷の一部を崩壊させ、両親や使用人に怪我を負わせた。
それまで親譲りの美しい少年だ、珍しい属性持ちだ、と俺を褒めそやしていた人間はみな俺を恐れ、離れて行った。
勝手に溢れ出る魔力を抑えられず高熱で死にかけて、親に苦労をかけた。その後前世を思い出したおかげか魔力をコントロールするための勉強は苦ではなかったし、魔法の才能も有ったんだと思うが、周りは気が気じゃなかっただろう。いつ爆発するかわからない爆弾を抱えていなければならない気分。
目立たないようにした。周りから人を遠ざけた。髪を伸ばせば、顔目当ての令嬢も寄ってはこなかった。完全に魔力をコントロールできるようになった今もそうしているのは、勇気がなかったからだ。
「君を傷つけた」
「それは、私が勝手に……」
「君を幸せにするのは俺ではないと、最初から決めつけていた」
実習の後、話しかけてくるようになったシャルロットを拒めなかった。
幸せにできないと思っているなら、突き放すべきだった。それができなかったのは、彼女との時間を手放したくないと思ったのは、あの日の笑顔に惹かれていたからだ。
「俺は君が好きだ。もし、俺に愛想を尽かしてないならば、一緒に風船を上げてほしい」
「……はい。私も……あなたが好きです」
街の人々と、駆け付けた騎士団の尽力あって、青月祭は無事に再開された。
月が昇ってくる。屋台が、街並みが、ほんのりと青色に染められていく。
ふわ、と誰かの風船が飛んでいく。それを皮切りに次々と風船が空に浮かび、白くぼんやりとした光が青い夜空を飾って、幻想的な光景にした。
人々の楽しそうな声が聞こえる。
「俺たちも」
目を見合わせる。
二人でそっと支えた風船を、ぽん、と空に放つ。光が空の一部となって、やがて見えなくなっていく。
「来年は、一緒に出店、回ろうね」
「ああ。飴とか、飴の屋台だな」
見つめ合って、くすくす笑う。
この夜を、俺は忘れないだろう。