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♪ 男 ♪

 

 車から10メートルほど行った時、突然、稲妻が光り、轟音が響いた。

 身がすくみそうになったが、この近くに落ちたのではないかと心配になって、辺りを見回した。

 しかし、木は燃えておらず、倒木もなかった。

 ほっとして歩き出したが、それを打ち消すようにまた稲妻が光り、轟音が鳴り響いた。

 さっきよりも遥かに大きな音だった。

 もしかして、と不安になって急いで車に戻り、助手席の窓から社員の様子を覗き見た。

 しかし、よくわからなかった。

 急いでリアから車の中に戻って、彼の口に耳を近づけると、息をする音が聞こえた。


 大丈夫だ。


 雷が車に落ちていたとしても影響はないようだ。

 ほっとしたが、胸騒ぎがした。

 更なる危険が迫っているのかもしれない。


 こうしてはいられない。

 一刻も早く助けを呼びに行かなくてはならない。


 焦りに押されて慌ててリアから外に出ようとした。

 しかし、それがいけなかった。

 窓枠に置いていた左足が滑って、変な角度で右膝から落ちた。

 痛みが走った。

 強い痛みだった。

 背中を沢の水が通り過ぎるのを感じながら、仰向けになったまま膝の痛みに耐えた。


 それでも、そのままじっとしていると、冷たい水に(さら)されているせいか、感覚がなくなってきた。

 更にじっとしていると、痛みをほとんど感じなくなった。

 男は体を起こして、車に手を添えてゆっくりと立ち上がり、左足に体重をかけて、右足を宙に浮かせたまま膝から下を動かしてみた。

 鈍い痛みが襲ってきた。

 それでも、動かせない程ではなかった。

 慎重に右足を地面に下ろして、少し体重をかけた。

 今度は強い痛みに襲われた。

 右足に体重をかけるのは無理だった。

 絶望に襲われ、車に寄りかかったまま動けなくなった。


 弱気の虫に支配されそうになると、それをあざ笑うように雨脚が強まった。

 崖の上の方からは土砂が流れ落ちる音が聞こえてきた。

 それは、これ以上雨が強くなったら本格的ながけ崩れが起こるぞ、という警告音のような気がした。

 もしそんなことになったら、車が埋まることだってあるかもしれない。


 そうなると……、


 考えたくもない光景が次々に浮かんできた。

 すると、右足がどうであろうと斜面を登って助けを求めなければならないという心の声が聞こえてきた。

 男は車のボディに沿って左足一本でフロントの方へ移動し、杖になりそうな枝か倒木を探すために暗闇の中を片足跳びをしながら進んでいった。


 何かないかと目を皿のようにしたが、ほとんど何も見えない中、必要とするものを見つけることはできなかった。

 それでも諦めるわけにはいかなかった。

 社員の命がかかっているのだ。

 こんなところで立ち止まっているわけにはいかない。

 男は気力を振り絞って、左足一本で前に進んでいった。


 アッ、


 何かに足を取られた。

 その途端、前のめりに倒れて、顔が沢の石に激突した。

 すぐに鼻が疼き始めた。

 同時に、中から何かが流れだしてきた。

 鼻骨が折れて鼻血が出てきたに違いなかった。

 それに、中が腫れてきたのか、鼻で息ができなくなった。

 なんでこんな目に合わなきゃならないんだ、と惨めになったが、それでも立ち上がろうと両手を体に引き寄せた。

 その時、何かが左手に触れた。

 枝だった。

 何本かが絡み合うように水に洗われていた。

 車が落ちた時になぎ倒したものかもしれなかった。

 適当なものを手に取って沢に突き立てると、曲がることなくしっかりとしていた。

 もう1本も同じだった。

 これならなんとかなるかもしれないと思い、杖にした枝と左足で斜面に向かった。


 だが、簡単ではなかった。

 なんでもない平面でも大変なのに、雨に濡れて緩んでいる地盤を斜めに上っていくのだ。

 少し上ったと思ったら足を取られてずり落ちてしまい、なかなか前に進めなかった。

 一歩前進一歩後退と二歩前進一歩後退を何度も繰り返した。


 その間も雨は降り続いた。

 体から体温を奪い、手足は痺れ、エネルギーメーターはエンプティ―に近づいていた。

 しかも、目的地はまったく見えなかった。

 それでも、この先に救いの神がいることを信じて気力を振り絞った。


 少し進むと、目の前に大きな岩が見えた。

 少し休もうと思って、右足を浮かせたまま岩に腰を掛けた。


 あとどれくらい登ればいいのだろうか? 

 それに、あとどれくらいエネルギーが残っているのだろうか? 


 そう考えると、距離と体力のどちらが勝つのかまったくわからなくなり、頭が真っ白になった。

 しかし、諦めるわけにはいかない。

 例えエネルギーが尽きたとしても辿り着かなければならないのだ。

 崖の下に残した社員をなんとしても救わなければならないのだ。

 気を失ったまま体温を奪われ続けている彼を放っておくわけにはいかないのだ。

 男は自らに喝を入れて、杖を持つ両手に力を入れた。



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