♬ 女 ♬
「短くした方が絶対似合うわよ」
間違いないというふうに奥さんが大きく頷いた。
女の顔はどちらかといえば細面だったが、ふっくらと丸くなっていた。
岩手に来てからの食欲は半端ではなかったからだ。
よく動くからよく眠れるし、毎日するりとお通じはあるし、お米も野菜も肉も美味しいし、東京に居た時の2倍近い量を食べていた。
「明日はYOUR DREAMの社長さんが見えられるからね」
初対面の印象は大事だから、今の顔に似合うショートヘアしてあげると言う。
「でも、お見合いをするわけではないから……」
「わからないわよ。いい男で独身だったらどうする?」
期待するような表情で目を覗き込まれた。
女は社長の顔を想像した。
ホームページに載っていないから想像するしかなかったが、なんのイメージも沸いてこなかった。
無駄な努力を止めて、話を戻した。
「髪を切るといっても、美容師の経験はないですよね?」
感じた不安がそのまま口から漏れたが、心配することはない、というふうに奥さんは右手の人差し指を立てて横に振った。
「娘が小さい頃よく切っていたし、美容院に行く度にハサミの動きを見ていたから大丈夫よ」
東京から持ってきた女性誌の髪型特集号を女の前に置き、ショートヘアのページを開いて、真ん中の写真を指差した。
「前髪を長く残してこういうふうに流せばきれいでしょう」
確かに、引き締まった襟足と縦に流れる前髪のラインが女らしさを醸し出していた。
「とにかく、任せなさい」
有無を言わさず椅子に座らされた。
そして、上半身を白い布で覆ってから椅子の下に新聞紙を敷き詰めると、準備万端の状態になった。
ここまでされると、身を任せるしかなかった。
成るように成れ、と観念して目を瞑った。
*
暫くしてハサミの音が消えた。
「ほら、言った通りでしょう」
奥さんが右手に持った手鏡には見知らぬ自分が写っていた。
「女らしさの中に可愛さが残っているでしょう」
その通りだった。
自分の内面に隠れていた可愛らしさが表に出ているような気がした。
「生まれ変わりなさい」
左手で強く肩を掴まれた。
生まれ変われそうな気がした。
*
その夜は早めに床に着いた。
でも、少し寒かったので布団の中が温まるまで寝つけなかった。
だから、目を瞑って考えた。
生まれ変わる、
その意味を考えた。
色々な事があった。
あり過ぎた。
父の死、
母の再婚、
家出、
母の死、
花屋敷との出会い、
ご主人の死、
奥さんとの出会い、
突然の解雇、
ベーカリーの廃業、
花屋敷での同居、
岩手への引っ越し、
本当に色々な事があった。
父が亡くなってからの人生は激動と言ってもおかしくなかった。
緊張が途切れることなく襲いかかってきたから、気を張り詰めて生きてきた。
油断は命取りになると警戒を怠らなかった。
それでも凸凹道しか歩けなかったし、色々な事に振り回された。
若い女が一人で生きていく大変さを痛感した。
それでも、奥さんと同居するようになって平穏を取り戻した。
家事が楽しくなった。
庭仕事が大好きになった。
ボランティアの経験もした。
そして、奥さんと2人で古民家宿を立ち上げようとしている。
産み育ててくれた親はいなくなったが、両親と同じくらい、いやそれ以上に大事にしてくれる奥さんとの生活に心が踊っている。
こんなに前向きになっている自分は初めてだった。
生まれ変わります。
奥さんの部屋の方へ向かって心の声を投げた。
すると、ふっと肩が軽くなり、布団の中が温かくなった。
眠りが訪れるのに時間はかからなかった。
*
不思議な夢を見た。
羽を付けた妖精のような女性が目の前に静止していた。
ハチドリのように高速で羽ばたいているようだった。
「この曲は知っているでしょう」
声と共に馴染みのあるメロディが流れてきた。
「明日この曲を弾いて」
「明日?」
訊き返したが、返事はなかった。
「どうして?」
またも返事はなかった。
「どうして?」
重ねて尋ねても返事はなかった。
その代わり、微笑みを浮かべて何かを引っ張るような仕草をした。
すると、左手の小指が動いた。
意思とは関係なく動いた。
それでも、小指に何かが結ばれているわけではなかった。
訳がわからなくなって彼女を見つめると、もう一度引っ張るような仕草をした。
するとまた小指が動いた。
すぐに右手で小指に触ったが、やはり何もなかった。
信じられない思いで小指を見つめていると、ふっと空気が動いて、羽音が遠ざかった。
ハッとして視線を戻した。
しかし、そこに彼女の姿はなかった。
ただ、よく知っているメロディだけが耳元に残されていた。




