♪ 男(2) ♪
オーナーの反応はすこぶる良好だったようだ。
試してみる価値あり! と喜んでくれたらしい。
そして、既存の流通ルートが使える東京都に絞ってテストマーケティングをしたいという要望を頂いた。
取引のある高級スーパーも高級ホテルもすべて東京都にあるからだ。
そのルートと契約運送会社を使えば、許容範囲内の追加投資で出来そうだという。
それから、定期便の頻度は、週1回、2週に1回、月に1回の中から顧客に選んでもらったらどうかと提案を受けた。
更に、詰め合わせは1種類にして、税込み3,996円、送料無料でどうかという。
ちょっと高いかなと思ったが、ネットで他社の詰め合わせを調べると、そうでもないことがわかった。
それに、4,000円を微妙に切っている値付けが流石だと思った。
この価格で大丈夫そうな気がしたが、とにかくテストマーケティングをやってみて確かめることが肝心なので、すぐさまリーダー格社員にGOサインを出した。
すると、「準備は進めています」と即座に返信があった。
ホームページのデザイン案作成と農作業や古民家での写真撮影を始めているという。
「若手が張り切っていますよ」という文のあとには、20代の社員5人が話し合っている写真が添えられていた。
腕の見せどころ、とアクセル全開で取り組んでいるようで、とても頼もしく感じた。
そのせいか、一人一人の顔をじっくりと見ていると、業容拡大のための採用強化をした時のことが蘇ってきた。
ネット時代に必要なのは常識や経験ではなく〈新たな発想〉と〈豊かな感性〉だと考えていた男は、情報工学の知識と技術に加えて、常識に縛られない柔軟な発想を持ち、かつ、音楽や美術などの芸術に関心が高い学生や社会人に的を絞ってアプローチを行った。
その結果、採用したのが5人なのだ。
彼らは個性の塊だった。
変人的要素も多分にあった。
でも、それが良かった。
〈右へ倣え〉の人物は必要ないのだ。
記憶力だけを武器にした有名大学出身者や、セミナーで必死になってメモを取る他人依存型の秀才など必要ないのだ。
伸び伸びと自由に発想し、好奇心や感性の赴くままに突き詰めていく創造型人材こそが必要なのだ。
そんなことを思い出していると、彼らが次々に入社してきて、初めて集合教育をした時に発破をかけたことが蘇ってきた。
「普通の人間になるなよ。指示を待つ人間になるなよ。安易な方向を選択する人間になるなよ」
そして、こう激励した。
「感性を研ぎ澄ませろ! 奇異な発想をぶつけろ! 会社や上司におもねるな! 反対意見に挫けるな! 信念を持って行動しろ! 先頭に立って突き進め!」
更に、この言葉で止めを刺した。
「変人に磨きをかけろ!」
彼らは全員ポカンとしていたが、誰かが笑い出すと、それが次々と連鎖していった。
その姿を見て、男も一緒に笑った。
その笑いがシンクロした瞬間、雇用関係を超えた太い糸で結ばれたように感じた。
今まで、現地での取材はトップが率先してやらねばならないと自らに言い聞かせて飛び回っていたが、これを機会に彼ら若手に任せてみようと思い立った。
心の底から〈社員への権限移譲〉が湧き出てきたのだ。
自分は裏方に徹して、社員を支援していけばいい。
大きな方向性を示したあとは、彼らの発想と感性に任せるのだ。
間違った道へ逸れそうになった時にだけアラームを出してやればいい。
会社設立以来、三段跳びの〈ホップ〉は自分が主導した。
しかし、新型コロナによってパラダイム転換した新しい時代に始まる〈ステップ〉は若手社員に主導させる。
そして、〈ジャンプ〉。
それはどんな大跳躍になるのだろうか?
想像を遥かに超えた凄い着地になることは間違いないだろう。
世界新記録!
驚嘆と歓喜のアナウンスに祝杯を挙げている自分たちの姿が見えたような気がした。
*
そんな夢が際限なく広がってきたが、今はそれを封印して目の前の課題に集中した。
顧客リストから、東京都在住で年間100万円以上の旅行代金を支払っていただいている最上位クラスの得意客をピックアップするのだ。
やってみると、全体の3パーセント、150人がそれに該当した。
先ずはこの方たちへのアプローチが重要になる。
これがうまくいかないと次のステップには進めなくなるからだ。
次はホームページ。
これはほぼ完成に近づいている。
農作業や古民家暮らしの写真も増えてきた。
そろそろ社外に向けての行動を始めても良さそうだ。
すぐさまメルマガ原稿のチェックに取り掛かった。
同時にホームページの〈ベータ版〉のチェックにも着手した。
ユーザーの立場になって使い勝手を確認するためだ。
開発者が気づかなかったバグが見つかることもあるので、細心の注意を払ってやらなければならない。
原稿とベータ版の最終チェックが終わったのは3日後だった。
それをハウスのオーナーに確認してもらった。
何か所か修正依頼があったので、それに対応したあと、ホームページをオープンさせた。
そして、最上位得意客150人に、ホームページのアドレスを添付したメールを配信した。
『緊急事態宣言が発令され、不要不急の外出自粛を要請されておりますが、いかがお過ごしでしょうか。旅行はもちろんのこと、外食やコンサート、趣味の集まりなどに参加できなくなり、不自由な暮らしを強いられていることと拝察いたします。
さて、弊社も新型コロナウイルスの影響を受け、すべての予約がキャンセルになり、新たな企画を立ち上げることもできず、売上ゼロの状態が続いております。それでも、なんとか知恵を絞ってこの困難を乗り越え、新型コロナウイルス収束後の新しい時代に生き残るための施策に着手しているところであります。
先ず、社員の雇用を守ることを最優先といたしました。一人も解雇することなくこの困難を乗り越えるためには何をすべきか、必死になって考えました。その結果、ご縁を頂いた岩手県のハウス野菜栽培会社に社員を派遣する契約を結ぶことができました。仕事が無くなった弊社と外国人材の入国禁止で人手が足りなくなったハウス野菜栽培会社の双方のニーズが合致したのです。そのことによって、社員は弊社に籍を置いたまま新たな職場に仕事を得ることができました。
このハウス野菜栽培会社について簡単にご紹介いたします。高級スーパーと高級ホテルに限定販売している会社で、トマトと青物野菜をメインとしております。有機肥料と無農薬と清潔な環境管理による栽培によって、〈おいしさ〉と〈安心・安全〉をお届けするのをモットーとしており、各方面から高い評価を頂いております。
緊急避難的とはいえ、このような素晴らしい会社で働かせていただく機会を持てたのは、弊社の社員にとっても幸せなことだと思っております。そこで、滅多にないこのような機会を皆様とも共有させていただければと思い、メールを差し上げました。社員が働く様子や野菜が育つ様子、共同生活をしている古民家での暮らしなどを日記風に発信させていただければと考えております。そしてそれが皆様の自粛生活に潤いをお届けすることに繋がるのであれば、この上ない喜びであります。弊社と皆様の懸け橋となるメルマガにご理解を賜れば幸いです。
末筆ではございますが、皆様の益々のご健勝を祈念しております。最後までお読みいただき、誠にありがとうございました』
メール文の下には、〈YESボタン〉と〈NOボタン〉のアイコンを添付した。
継続して受信しても良いという顧客はYESボタンを、受信拒否の顧客はNOボタンをクリックしてもらうためだ。
メルマガが押し付けにならないように、と同時に、後々トラブルにならないようにと考えてのことだった
*
1週間も経たないうちに148人の最上位得意客からYESを頂いた。
150人中148人というのは予想を遥かに超えた反応だった。
それだけでなく、その多くから嬉しいメールを頂いた。
激励や共感や応援など、心温まる内容だった。
『この厳しい時に社員最優先を貫かれる貴社に敬意を表すと共に、心から応援しています』
『私の実家は農家です。外国人実習生が確保できなくなり困っています。困っている会社同士のニーズを合致させた貴社の取り組みが広く知られるようになり、企業と農家のコラボレーションが進むことを期待しています』
『社員の皆様が農作業している姿や古民家で共同生活している姿が目に浮かぶようです。日記風のメルマガを楽しみにしています』
『自粛生活が続き、変化のない毎日に退屈しております。でも、貴社のメルマガを拝見する楽しみができました。まだ一度も行ったことがない岩手県に思いを馳せて、楽しみに待っています』
『定年退職後、妻と2人で行く旅行が最大の楽しみでしたが、当分の間諦めざるを得なくなりました。家でじっとしていることは苦痛でしかありませんでしたが、これから貴社から届くメルマガで旅行の疑似体験ができそうです。楽しみにしております』
男はホッと胸を撫でおろした。
多くの方が好意的に受け止めてくれたので、俄然やる気が出てきた。
期待を裏切ってはいけないと心に強く言い聞かせた。
*
出来上がったばかりのホームページを開くと、トマトと青物野菜を両手に持つオーナーと社員の笑顔が画面いっぱいに映し出された。
その2秒後、筆で描いたような太い文字が笑顔の後ろからズーム機能で拡大されてきた。
男はその文字を見て、思わず顔を綻ばせた。
『元気だ! 岩手だ! 野菜がうまい!』
何度見ても幸せな気分になるこのコピーは最年少の女性社員が考えたものだ。
タイトルをどうするか、社員同士で色々な案を考えたらしいが、真面目すぎるものや突飛すぎるものが多く、なかなか決まらなかったそうだ。
そんな時、その女性社員が「野菜でみんなを元気にできたらいいですよね。岩手の美味しい野菜で元気にできたらいいですよね」と顔を紅潮させて、「『元気だ! 岩手だ! 野菜が美味しい!』ではどうでしょうか」と提案したらしい。
それに対してほとんどの社員が即座に右手の親指を立てたらしいが、キャッチコピーに一家言ある男性社員が、「『美味しい』より『うまい』の方が言葉が立つんじゃないかな」と言った瞬間、このタイトルに決まったそうだ。
その話をリーダー格の社員から聞いた時、飛び上がるほど嬉しい気分になった。
それは、我が子の成長を喜ぶ親の心境だったかもしれなかった。
残念ながら子供はいなかったが……、
*
第1回のメルマガのタイトルは『マーヤ』だった。
ハウス内のミニトマトの花にミツバチが止まっている写真を目立つようにして載せた。
受粉させるためにハウス内で飼っている何百匹ものミツバチが忙しそうに花から花へ飛び回っていて、彼らの働きによって受粉すると、約1か月で収穫できるようになる。
その流れを写真で詳しく紹介した。
第2回以降は、農作業と古民家暮らしの両方を発信していった。
そして、採れたて野菜とそれを使った料理の写真も送信した。
メルマガの回を重ねるうち、現地の若手社員からは、宅配定期サービスの案内をいつするのかという催促の発言が出始めた。
その気持ちは痛いほどわかったが、それでも、男はあることをじっと待っていた。
こちらから仕掛けてはいけない。
急いては事を仕損じる!
男はその時が来るのをじっと待った。
*
メルマガが10回を超えた頃、ついに念願の時がやって来た。
それは5月2日のことだった。
東京では4月1日に初めて感染者が100人を超え、4月9日に187人を記録したあとも高水準の感染者数が続いた。
4月下旬に数日間減少傾向が見られたが、5月に入って再度増加し、危機感を強めた首相や担当大臣が「他人との接触を最低7割、できれば8割減らして欲しい」と声を枯らして訴えていた。
それでも、緊急事態宣言解除の道筋はまったく見えてこなかった。
多くの人は不安を抱えながら暮らすしかなかった。
外出することもままならず、買いたいものも買えない日常が続いていた。
そんな時、待ちに待ったメールが届いたのだ。
『メルマガを毎回楽しみにしております。拝見する度においしそうな野菜だなと涎を垂らしながら見つめております。そして、一度食べてみたいなと思っております。でも、取り扱いのある高級スーパーが近所にない私は手に入れる手段がありません。直接個人に売っていただくわけにはいかないでしょうか。ご検討ください』
このメールをきっかけにしたように、直接売ってもらいたいという内容のメールが次々に入るようになった。
男はこれを待っていたのだ。
こちらから売り込むのではなく、ご要望に応えて販売を開始する形に持っていきたかったのだ。
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ご要望のメールが75通を超えた時、〈宅配定期サービス開始案内〉を発信するタイミングが来たと確信した。
メルマガ受信者の半数以上が要望しているのだ。
もうこれ以上待つ必要はない。
男は準備していたお知らせメールの送信ボタンを押した。
『弊社発信のメルマガ、並びにホームページ「元気だ! 岩手だ! 野菜がうまい!」をご愛読・ご高覧いただき、誠にありがとうございます。回を重ねる度に多くのご返信を賜り、心より御礼申し上げます。皆様からの激励やご支援の言葉を拝見する度に社員一同感激しております。そして、明日への希望に繋がるエネルギーを頂いております。
さて、この度、皆様からの数多くのご要望にお応えして、『朝採れ野菜の宅配定期サービス』を開始させていただくことになりました。こちらで厳選した野菜の詰め合わせを定期的に発送させていただくサービスです。詳細はホームページにてご案内しておりますので、リンクを張ったページをクリックいただき、ご確認いただければ幸いです。我々の新しいサービスが皆様の毎日に潤いをお届けできることを願っております。
末筆ではございますが、皆様の益々のご健勝を祈念しております。最後までお読みいただき、誠にありがとうございました』




