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30/62

♯ 岩手 ♭

 

 困った……、


 ハウス野菜栽培会社のオーナーが頭を抱えていた。

 出荷量が日を追うごとに減っていたのだ。

 2つある販路のうち、高級スーパー向けは堅調に推移していたが、高級ホテル向けが激減していた。

 インバウンド客がほぼゼロになり、日本人の宿泊予約もキャンセルが続き、宴会はゼロになり、イベントも中止され、ホテルの食材需要が無くなったのだ。

 しかし、野菜はどんどん大きくなっていく。

 生育を止めることはできない。

 このままいくと大量の廃棄が発生することになる。

 それも1回だけでなく何回も続くことになる。


 どうしたらいいんだ……、


 オーナーの(うめ)きがハウスの中で重く沈んだ。


        *


 彼の周りで困惑した表情を浮かべている7人がいた。

 男の会社から派遣された若手社員だった。

 誰もが戸惑っていた。

 やっと農作業に慣れてきたのに、収穫した作物を出荷できない事態に直面して、どうしていいかわからなくなっていた。

 それだけでなく、雇用の心配があった。

 出荷量が半減する事態が続けば、そして、このまま手をこまねいていれば、解雇されるのは時間の問題だということは誰の目にも明らかだった。


 その夜、7人は緊急会議を開き、この危機をどう乗り切るかについて話し合った。

 新しい販路開拓が必要であることはすぐに一致した。

 しかし、どのような販路を開拓するかで意見が分かれた。

 高級ホテルに変わる新たな法人顧客の開拓を主張するグループと、個人顧客の開拓、それも、高いリピート率が見込める富裕層の開拓を優先させるべきだというグループに分かれたのだ。


 法人顧客推進派は、高級スーパーだけでなく広く食品スーパーを開拓する必要性を説いた。

 巣ごもり消費で業務用食材の需要が激減する代わりに家庭内消費は拡大を続けるからというのが論拠だった。

 それに、個人客を開拓するとなると、その管理が大変なだけでなく、少量個別発送への対応が必要になり、とても今の体制では無理だと結論付けた。


 それに対して富裕層個人客推進派は、高級スーパーと高級ホテルに絞ったブランド戦略を崩すべきではないと主張した。

 一般の食品スーパーとの取引を拡大すれば、今までのイメージは一気に壊れてしまうと危惧した。

 だから、薄利多売の道を進むことは自殺行為だと声を荒げた。

 それよりも、高級なものに触れる機会が多く、かつ、健康志向の高い富裕層を開拓できれば、安定した出荷が見込めるだけでなく、彼らのコミュニティ内のクチコミで富裕層の輪を広げることができると主張した。


 すぐさま法人顧客推進派が反論した。

 どこで富裕層を見つけるのか? と。

 一から集めるのはとんでもない費用がかかると食ってかかった。


 対して富裕層個人客推進派は、富裕層の顧客名簿を持っている企業との連携を進めると反論した。

 具体的には? と問われると、

 これから探す……と言葉を濁した。

 しかし、心当たりが思い浮かぶ者は誰もいなかった。


 それ見ろ、という感じで法人顧客推進派が勢いを増した。

 今は緊急事態なのだからブランドイメージに拘っている場合ではない、と押し込んだ。

 生きるか死ぬかの瀬戸際なのだから、なりふり構っていられない、と畳みかけた。


 しかし、富裕層個人客推進派も黙っていなかった。

 ブランドを築き上げるには気の遠くなるような長い年月が必要だが、崩れるのは一瞬で、それを元に戻すことは至難の業だと反論した。

 だからどんなに苦しくても我慢しなければならない、安易な道へ進んではならない、と強く諫めた。

 そして、ピンチに怯えるのではなく、ブランド価値を更に高めるためのチャンスと捉えるべきだと訴えた。


 法人顧客推進派は反論しなかったが、頷くこともなかった。

 深夜になっても2つのグループが交じり合うことはなかった。


        *


 柱に備え付けられた大きな掛け時計が零時を告げた。

 リーダー格の社員が、今日の議論はここまでにしよう、と提案した。

 誰も反対しなかった。

 農作業の疲れが睡魔を呼んでいた。

 もう限界だった。

 各部屋に戻った彼らはすぐに布団に潜り込み、瞬く間に眠りについた。

 それでも、B to BかB to Cか、夢の中で議論は続いていた。


        *


 翌日も議論が続いたが、新たなアイディアは出てこなかった。

 両論併記でオーナーに相談しようか、という意見も出たが、今のレベルで相談しても却って混乱するだけだという意見が大多数で、オーナーに相談するのはもっと具体化してからということになった。

 すると、一番若い女性社員が手を上げた。


「社長に相談しませんか?」


 経営者としての視点から新たなアイディアを貰えるかもしれないというのだ。


「でもまだ早いんじゃないの」


 30代半ばの男性社員が躊躇いの声を出した。

 もっと煮詰めてからの方がいいというのだ。


「煮詰まらないから言ってるんです」


 語気を強めた女性社員は、袋小路に入った議論を打開するためには第三者の意見を聞くことが大事だと訴えた。


「それに、時間をかけて議論している余裕はないんじゃないですか」


 2番目に若い女性社員が時間切れの心配を口にした。

 危機はそこまで迫っているのだと。


「確かに、このまま議論を続けるのは得策とは言えないね」


 リーダー格の男性社員が議論を引き取った。



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