♬ 女(6) ♬
1月3日になっていました。
隣町の商店街は開いているかどうかわかりませんでしたが、 雨が小降りになってきたので出かけることにしました。
傘をさして、バックパックを背負って駅に向かいました。
駅前の公衆電話ボックスに入って、昨日書き写したメモを見ながら電話をかけました。
呼び出し音が7回鳴って、電話がつながりました。
ラッキーなことに、隣町のリサイクルショップは営業していました。
店の人に行き方を確認すると、鉄道は通っていないし、歩くには遠すぎるので、駅前のロータリーからバスに乗ってくださいと言われました。
20分ほど待って、バスに乗り込みました。
8つ目のバス停で降りると、すぐに商店街が見えました。
目指すリサイクルショップは商店街の一番端にありました。
でも、すぐには入りませんでした。
様子を見る必要があるからです。
電話の声は若い女性のようでしたが、スケベ店主がいないことを確認しなければならないので、通りから店の中を窺いました。
すると、若い男性と女性が品物の陳列や掃除をしている姿が見えました。
それ以外には誰もいないようでした。
それでも目を凝らして観察を続けていると、暫くして、客が一人入っていきました。
10分ほど経った頃、大きな包みを持って客が出てきました。
「毎度ありがとうございます」
若い男女が店の外に出て、客に深々と頭を下げていました。
その間にわたしは店に近づいて、中を覗きました。
やはり誰もいませんでした。
スケベ店主はいないようでした。
わたしに気づいた若い女性が近づいてきました。
「どうぞごゆっくりご覧になってください」
店の中に誘導するでもなく、さり気なく笑みを浮かべて、店の中に入っていきました。
若い男性はちょこんと頭を下げて、女性に続きました。
わたしもそのあとから中に入りました。
想像していたよりも広くて、商品も多そうでした。
すぐに目当ての商品を探すと、それは奥の方にありました。
家電製品が置いてあるコーナーには安いものから高いものまで並んでいましたが、その中の一つから目を離せなくなりました。
外国の有名音響メーカーの一体型CDコンポでした。
税込み10,500円という値札が付いていました。
その左横を見ました。
国産のラジカセが2,100円という価格でわたしを誘っていました。
右横を見ました。
3,150円でした。
これも国産でしたが、左横より新しそうでした。
外国製に視線を戻しました。
左横の5倍で、右横の3倍か……、
3つの商品を見比べながら何度も喉の奥で唸っていると、
「聴き比べてみませんか?」と若い女性の声が聞こえました。
見ると、CDを持って微笑んでいました。
わたしが頷くと、2,100円のラジカセにセットして、再生ボタンを押しました。
予想通りの音でした。
次に3,150円のラジカセにセットし直して、再生ボタンを押しました。
さっきよりはクリアな音でしたが、値段なりの音だと思いました。
それから10,500円の外国製にCDをセットしました。
固唾を飲んで彼女が再生ボタンを押すのを待っていると、イントロが流れてきた瞬間、ノックアウトされてしまいました。
全然違うのです。
まったくの別物でした。
今まで聴いた音はなんだったんだろう、というくらい違いがはっきりしていました。
「やっぱりいいですよね、これは」
いつの間にか横に若い男性が立っていました。
わたしが頷くと、値札のところの500を右手の人差し指で隠しました。
「丁度でいいですよ」
税金分をオマケしてくれるということだとわかりました。
それでも、心の中の声が〈もうひと声〉と叫んでいましたが、それを口に出すことはできませんでした。
今まで値段交渉なんて一度もしたことがなかったので、なんとなく憚られたのです。
それに、わたしの気持ちを察して自ら値下げを申し出てくれたのに、それ以上下げてくれとは言えるはずがありませんでした。
返事をする代わりにその商品の両端に触り、大きく頷きました。
若い男性と女性は店員ではなく、オーナー夫妻のようでした。
2人の左薬指にリングがあったので間違いないだろうと思いました。
「オープンしてやっと1年なんです」
男性が商品を丁寧に拭きながら笑みを浮かべました。
それは喜びというよりも安堵のような笑いだと何故か思いました。
なんとか1年続けることができた、という意味合いを感じたのです。
「これ、もしよかったらお持ち帰りください」
さっき視聴させてくれたCDをオマケに付けてくれると言われて、びっくりしました。
「いいんですか?」
思わずそう言ってしまいましたが、本当は遠慮したほうがいいのだろうなと思いました。
でも、手持ちのCDを何も持っていないので、厚意に甘えるしかありませんでした。
「どうぞ、どうぞ」と差し出されたCDを素直に受け取りました。
タイトルは『ピアノで聴くラヴソング』でした。
それを見た瞬間、殺風景な部屋にロマンティックなメロディが流れるのを想像してしまいました。
すると、ほんの少し気持ちが上向いてきました。
お金を払って、オーディオ機器をバックパックに入れて店を出ようとしたら、呼び止めるような声が聞こえてきました。
振り返ると2人が後ろにいましたが、彼らの声ではありませんでした。
とっさに辺りを見回しました。
でも、2人以外は誰もいませんでした。
空耳だと思って歩き出すと、また声が聞こえました。
左の方からのようでした。
視線を向けると、オレンジ色の円筒状になった袋がわたしを見ていました。
寝袋でした。
税込み1,995円でした。
プライスカードの下の説明文には、『ピローが付いて、丸洗いOK、マイナス10度までの防寒仕様』と記されていました。
その途端、目が離せなくなりました。
今日も椅子に座ってテーブルに俯して寝ることを想像すると、〈冗談じゃない〉という気持ちが沸き起こってきました。
反射的に寝袋を手に取り、それを2人に差し出しました。
2人は一瞬驚いたような顔をしましたが、「中を確認しますね」と言って、レジカウンターで検品を始めました。
何箇所か傷があるようでしたが、「機能的には問題ないと思います」と太鼓判を押してくれました。
頷くと、床にシートを敷いて、その上に寝袋を広げました。
どうしたのかと思っていると、「半分にして、更に二つ折りにして、膝で押さえながらギュッと巻いていけば簡単に畳めますよ」と言って、袋の中にすぽっと入れ込みました。
畳み方を教えてくれたのです。
「簡単でしょ。やってみますか?」と勧められましたが、「家でやってみます」と言って、筒状になった袋を受け取りました。
二千円を渡すと、百円玉が返ってきました。
いくつか傷があったので、その分を差し引いてくれたようでした。
バックパックに入れようかと思いましたが、オーディオ機器が大きくて重いので、手に持って帰ることにしました。
「また遊びに来てください」
2人に笑顔で見送られて店をあとにしましたが、〈買いに来てください〉ではなく〈遊びに来てください〉という言葉に親近感を覚えました。
次はブラッと立ち寄ってみようと思いました。
はるかに予算をオーバーしていたのと、雨が上がっていたので、帰りは歩いて帰りました。
結構遠かったです。
バスだとすぐだったのに、歩くと1時間ほどかかりました。
でも、辛くはありませんでした。
今日から音楽と寝袋のある生活が始まるのです。
肩に食い込むバックパックの重さも苦にはなりませんでした。
家の近くのコンビニに寄って、幕の内弁当とインスタントコーヒーを買って、部屋に戻りました。
バックパックからCDコンポを取り出して机の上に置き、コンセントを差してCDをセットしました。
でも、音楽はかけませんでした。
その前に準備が必要だからです。
コップにミネラルウォーターを注いで、弁当の蓋を開け、割りばしを割って、手元に置きました。
それからリモコンの再生ボタンを押しました。
音楽が流れてきた瞬間、右手でコップを掲げて、乾杯! と発声しました。
これがやりたかったのです。
バックグラウンドミュージック付きの昼食兼夕食が始まりました。
素敵なピアノの調べに包まれました。
『YOUR SONG』です。
CDの裏表紙には『僕の歌は君の歌』と記されていましたが、
ユア・ソングのままでいいのに、
と勝手にダメ出しをしながら、唐揚げを頬張りました。
やっぱりお肉は美味しいなと思いました。
だからか、次もお肉にしました。
ウインナーです。
一口サイズでしたが、唐揚げとは違う肉の旨味にじわ~っと感動しました。
そして、コロッケ。
メンチコロッケなら最高だったのですが、残念ながら男爵芋コロッケでした。
でも、脂がしつこくなくて美味でした。
ご飯と合わせてゆっくり噛みしめていると、曲が変わりました。
『愛はきらめきの中に』
原題は『HOW DEEP IS YOUR LOVE』
これは邦題の勝ち!
判定を告げながら四角い形の玉子焼きを半分かじって、甘味に酔いしれました。
次は焼き鯖にいくか、キンピラにいくか、暫し悩みましたが、キンピラにしました。
主役の前には露払いが必要だからです。
ちょっとピリ辛のキンピラでコロッケの脂を落としたあと、焼き鯖をかじりました。
普段はそんなことはしないのですが、今日は特別、と言い訳をしてしまいました。
歯形が付いた焼き鯖を見つめながらご飯と共に噛みしめると、鯖の旨味がじわ~っと口の中に広がりました。
肉もいいけど魚もいいのよね、
と呟いてしまいました。
口福に包まれていると、次の曲が始まりました。
『GEORGIA ON MY MIND』
邦題は『わが心のジョージア』
これは引き分け、
判定を下してから弁当を見ると、ご飯が三分の一残っていました。
正確に言うと、残しておいたという方が正しいのですが、最後は梅干しで〆ると決めていたのです。
ご飯の真ん中に大粒の梅干し1個を乗せてから、シソを箸でつまんで、ご飯の上をなぞりました。
ご飯が薄紫に染まると、口の中に唾液が湧き出しました。
それを見ていると、〈パブロフの犬〉が脳裏に浮かびました。
条件反射に促されてシソとご飯、梅干しとご飯を口に入れました。
大大大満足でディナーが終わり、
ごちそうさまでした、
と手を合わせた時、曲が変わりました。
『WHAT A WONDERFUL WORLD』
邦題は『この素晴らしき世界』
満腹至福のわたしにピッタリの曲だと思いました。
目を瞑ってピアノの音に身を委ねました。
片づけを終えて、歯磨きをしてから、寝袋の中に入りました。
体はもちろんですが、幸せいっぱいになったせいか、心までもが温かくなりました。
その上、『ピアノで聴くラヴソング』が幸せを運んできました。
なんの不安もなくなって心が穏やかになったせいか、大きなあくびが出ました。
夢の中に入るのに時間はかかりませんでした。
目が覚めると朝になっていました。
10時間以上も爆睡していたようです。
寝袋の中が温かいのでもっと眠っていたかったのですが、膀胱がそれを許しませんでした。
内股になってトイレに急ぐと、オシッコだけするつもりがお通じまであったので、余りの気持ち良さに便座から暫く動けなくなりました。
でも、その余韻をお腹の虫が打ち消しました。
幸せホルモンの大量放出を中断されて後ろ髪を引かれる思いでしたが、空腹には勝てず、急いでご飯を炊いて、残しておいた白菜の浅漬けと梅干で大盛り2杯を平らげました。
満腹至福になったわたしはインスタントコーヒーを入れて、CDをかけました。
甘いメロディが流れてきました。
『SHE』でした。
ロンドンのノッティングヒルで男女が出会いました。
小さな本屋を営む男と世界で一番有名な女優でした。
恋に落ちるのに時間はかかりませんでしたが、住む世界が余りにも違い過ぎると弱気になった男は、身を引く決断をしてしまいました。
でも……、
ヒュー・グラントとジュリア・ロバーツ主演の映画『ノッティングヒルの恋人』の主題歌が『SHE』でした。
高校に通っていた頃、レンタルショップで借りて見たDVDの感動と、エルビス・コステロの切ない歌声が蘇ってきました。
ピアノのメロディに合わせてハミングしたわたしは、目の前に浮かんだヒュー・グラントを思わずギュッと抱きしめてしまいました。




