♬ 女(3) ♬
翌週から母の通院が始まりました。
最初の1か月は毎週でしたが、その後は2週間に一度になりました。
症状が安定してきたら月1回になるとのことでした。
通院を重ねる度に母の表情に変化が出てきました。
笑みが出るようになったのです。
不眠の程度が軽くなっているようでしたし、食べる量も増えてきました。
料理や後片づけはまだ無理でしたが、家の掃除ができるようになりました。
通院前と比べると明らかに改善しているように見えました。
先生が親身になって話を聞いてくれるのが嬉しいようでした。
母の話をひたすら聞いてくれるらしいのです。
上から目線の説教はまったくなくて、母と同じ目線か下の目線で接してくれるらしいのです。
いい先生に診てもらうことができて良かったと何度も聞かされました。
でも、わたしは母の話をきちんと聞くことができませんでした。
アルバイトの掛け持ちで疲れ切っていたのです。
学校では居眠りばかりしていたので、教師に注意されることが増えていました。
放課後のアルバイトはコンビニで17時から22時、土日のアルバイトはスーパーのレジ打ちで15時から20時でした。
それだけでも結構きつかったのですが、平日は母の三食分を朝に作り置きし、土日も母の夜の分は昼食後に作り置きしなければなりませんでした。
食器洗いと後片づけはバイトが終わってからやりました。
体調が良い時には家事をしてくれるようになったので少しましになりましたが、わたしの毎日は常に時間に追われていました。
それでも、母が少しずつ元気になっていくのを見るのが嬉しかったし、貯金からの持ち出しが少なくなったので、頑張ることが嫌ではありませんでした。
でも、休みなく働き続けて3か月目の朝、体が動かなくなりました。
意識ははっきりしているのに体が動かないのです。
誰かが上に乗っているような圧迫感を覚えて呼吸が荒くなっていました。
もしかして金縛りかもしれないと思って、母を呼ぼうとしましたが、声が出ませんでした。
暫くして落ち着いたので起きることができたのですが、体がとても重く感じました。
その日は学校もバイトも休みました。
病院に行こうかとも思いましたが、その気力がわかなかったので家でごろごろしていました。
心配した母が『内科・神経科クリニック』に電話をかけましたが、診察中なのであとでかけ直してくれるということになったようです。
夕方近くなって電話がありました。
暫らく母が話したあと、わたしに替わりました。
症状を伝えると、睡眠の取り方について質問されました。
バイトから帰ると疲れ切っているので仮眠を取っていることを伝えました。
すると、それが原因かもしれないと言われました。
金縛りは正式には『睡眠麻痺』と呼ばれるものらしいのですが、睡眠の分断によって起こる可能性があるのだそうです。
ちょっと寝て、少し起きて、また寝るということを繰り返すと起こりやすくなると言われました。
正にわたしはそういう生活を3か月間続けていました。
金縛りは癖になることがあるのかと訊いたら、同じ生活習慣を続けていたら二度三度と起こる可能性があると言われました。
でも、帰宅後の仮眠を止めるわけにはいきません。
止めたら体が持たないのはわかり切っていたからです。
「生活習慣を見直します」と嘘をついて、電話を切りました。
その後も時々金縛りに遭いました。
かなりひどい時もありました。
パニックになりそうな時もありました。
でも、重い体をなんとか奮い立たせてバイトを続けました。
バイトを止めたら生活が破綻するからです。
母がもう一度働けるようになるまでは頑張らなければいけないと、18歳の若さと体力に頼って踏ん張り続けました。
母が治療を始めてから4か月が経った頃、通院が月1回になりました。
表情はかなり明るくなりました。
掃除に加えて、洗濯、食器洗い、後片づけができるようになりました。
朝食のトーストと目玉焼きも作れるようになりました。
昼ご飯も簡単なものを作って自分で食べてくれるようになりました。
わたしの負担が少しずつ減っていきました。
もう少しだと思いました。
久々に希望の光を感じるようになりました。
その頃から母が週に二度外出するようになりました。
それも決まって木曜日と土曜日でした。
友人と会うためだと言っていましたが、帰りがわたしより遅い時もありました。
その友人と夕食を共にしているらしいのですが、「誰と会っているの」と訊いても、いつもはぐらかされました。
「お金は大丈夫なの」と訊いても、「大丈夫」としか答えてくれませんでした。
母には小遣いとして毎月1万円渡していましたが、月に8回も食事をすれば、それで足りるはずはありません。
でも、小遣いをせびられることは一度もありませんでした。
鼻歌のようなものを口ずさむことが多くなりました。
思い出し笑いをすることもありました。
うつ病が確実に治ってきているとしても、母の変化は普通ではないように思いました。
それが気になってはいましたが、いつも疲れていたので、母と向き合うよりも睡魔の誘いに従うしかありませんでした。
秋が深まり、枯葉が道路を埋め始めた頃、母の表情に変化が現れました。
何か悩んでいるような、戸惑っているような、おどおどしているような、そんな感じが見受けられるようになりました。
わたしは一気に不安になりました。
うつ病が悪化しているのかもしれないと思ったのです。
うつ病は季節によっても影響を受けることがあると読んだことが蘇ってきました。
冬場にだけ発症する場合もあるらしいし、秋から冬にかけて悪化する場合もあるらしいのです。
病気ではない人でも日照時間が短くなる冬場は気分が落ち込みますから、病気の人は敏感に反応するのかもしれないと思いました。
心配になったのですぐに受診するよう勧めたのですが、「大丈夫だから、心配いらないから」と言って相手にしてもらえませんでした。
大丈夫じゃないから言っているのに、と思いましたが、首に縄を付けてクリニックに連れて行くわけにもいかず、気になりながらもそれ以上強く言うことはできませんでした。
それでも母の観察だけは怠らないように気をつけていました。
急変した場合、自殺する危険性があるからです。
うつ病というのは恐ろしい病気なのだということを改めて自らに言い聞かせました。
それ以降、十分気をつけながら母を見ていましたが、冬の気配が強くなった頃、病気とはまったく関係ない酷い仕打ちが襲ってきました。




