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♪ 男 ♪

 

 なんで? 


 そのニュースに耳を疑った。

 家族と共に外国に旅行した人が成田空港で検査を受けた時、結果が出るまで待機するように言われていたにも拘らず、飛行機で沖縄へ帰ってしまったのだ。

 その後、陽性という検査結果が出て大騒ぎになっていた。


 こんな時にどうして外国に行ったのだろう? 

 各国で感染が急増し始めていたのに。

 それに何故成田で待たなかったのだろう? 

 検査結果が出るまで待機していればこんな大騒ぎにはならなかったのに。


 詳しいことはわからなかったし、個人攻撃するつもりもないが、心に中には季節外れの木枯らしが吹き始めていた。

 このことがきっかけとなって沖縄への旅行に懸念を抱く人が増えるのではないか、

 そうなると、『琉球諸島巡り』への影響は避けられない。

 北海道企画を中止した状態で琉球企画まで中止に追い込まれたら大変なことになる。

 頭の中に『倒産』の2文字が浮かんだ。

 自社のような弱小企業には大した蓄えはないので、お金が回らなくなったら一気に沈没してしまうのだ。

 幸いにもメインバンクである信用金庫から融資の確約を得ることができたので当面は大丈夫だが、それでもいつまで耐えられるかわからない。

 万が一、売上がゼロになったりしたら大変なことになる。

 琉球企画の次に準備を進めている企画を早急に立ち上げることにした。


        *


 男は毎日県別の感染者数を確認していた。

 その中でも、鳥取県と島根県、岩手県に注目していた。

 実は、『人口減少県活性化企画』と銘打って、大手旅行会社と競合しない企画を練っていたのだ。

 その中でこの3県は感染ゼロが続いていた。


 人口が密集していない所で、かつ、旅行者の少ない場所なら感染の危険性が少ないのではないだろうか? 

 そういう場所で滞在型田舎生活をしてもらったらどうだろうか? 


 もちろん、旅行者には公共交通機関に乗る前に体温チェックをしてもらい、マスク着用、アルコール消毒と手洗い励行を徹底してもらうことを条件とする。

 申込ページにその情報を乗せて、同意してくれる客だけが予約できるようにするのだ。

 それが約束できない人には申し込みができないように設定しておけばいい。

 それなら問題ないだろう。

 社内での準備を加速することにした。


 この企画は、本来ゴールデンウイーク明けからを考えていたが、そんな悠長なことは言っていられない。

 沖縄で4例目の感染者が確認されたからだ。

 今後、静かに、しかし不気味な広がりを見せるかもしれない。


 これ以上増えていけば……、


 気持ち悪い汗がじわりと耳の後ろから染み出してきた。


        *


 3月23日の夜、東京都知事の緊急記者会見のニュースをテレビで見ていると衝撃の発言が次々と飛び出した。


『オーバーシュート(感染爆発)』

『ロックダウン(都市封鎖)』


 聞き慣れない言葉に耳を疑った。

 特に、後の言葉には恐怖さえ覚えた。


 都市封鎖、それは旅行業界にとって地獄への片道切符を意味している。

 人の移動が完全にストップしてしまうのだ。

 観光というアクションが完全にストップしてしまうのだ。


 どうなってしまうんだろう……、


 倒産の2文字が頭を過った。

 心臓が破裂しそうになった。

 路頭に迷う社員の姿が目に浮かぶと、居たたまれなくなって立ち上がった。


 落ち着け。

 落ち着くんだ。

 最悪の状態になる前に何か打つ手があるはずだ。

 落ち着いて考えるんだ。

 諦めるな。

 必ず打開策があるはずだ。

 よく考えろ。

 火事場のクソ力を出すんだ。

 脳に喝を入れて絞り出すんだ!


 テレビを消して30分近く部屋の中をグルグルと歩き回って自らを叱咤激励したが、妙案は何も出てこなかった。

 髪をかきむしってもフケさえも出てこなかった。

 疲れ果てて倒れるように椅子に座った。


 テレビを再び付けた。

 東京都知事の姿はなく、田園風景に変わっていた。

 農作業をしている人たちが映る中、アナウンサーが声を張り上げて農家の窮状を訴えた。


「新型コロナウイルスの感染拡大による入国制限などで外国人の技能実習生が来日できない状態が続いています。人手不足が常態化している農家では『死活問題』という声が上がっています。代わりのアルバイトを急に雇うこともできないため、収穫量を減らしたり作付面積を縮小したりしなければならない状態に陥っています。先行き不透明な中で農家は不安を募らせています」


 かなり厳しい状況のようだ。

 インタビューを受けている農家の男性の表情には苦悩が浮き出ていた。

 打つ手は何も無いのだろう。

 廃業の2文字が頭に浮かんでいるのかもしれない。


 そんなことを思っていたら画面が変わった。

 すると、ある考えが頭に浮かんだ。

 アナウンサーは次のニュースを伝え始めたが、すぐにテレビを消して、スマホを手に取った。

 そして、岩手県に出張させている社員に電話を入れた。


        *


 3日後、男はネットニュースでWHO事務局長の衝撃の発言を目にした。

 3月26日のG20テレビ会議において「数百万人が死亡する可能性がある」と述べたのだ。


 数百万人? 

 なんだ、それは? 


 心が凍りつくような発言だった。

 SARSでも千人死んでいないのに、と思った瞬間、ペストのことが頭に浮かんだ。

 あの時は数千万人規模だったような気がしたのでネットで検索すると、4千万人以上が死亡したと記載されていた。


 でも、当時は医療が発達していなかったし、原因がわからず、治療薬もなかったから、

 いや、今回もそうだ。

 未知のウイルスだから治療薬はないし、ワクチンもない。

 当時に比べて医療技術は格段に進歩しているが、原因療法がない点では同じだ。


 そうか、数百万人が亡くなる可能性があるのか……、


 重苦しい息を吐きながらニュース画面を下に追うと、各国に対する感染防止強化を求める発言が目に留まった。


「感染の疑いがあるすべての人を検査・隔離し、感染経路を特定することは、選択肢ではなく義務だ」


 う~ん、感染経路を特定して隔離する……、


 その先に待っているのは感染国からの人の移動の制限しかない。

 これ以上感染国が広がったら間違いなく国境を越えた移動に制限がかかる。

 確かに世界ではロックダウンを行っている国もある。


 もしかして日本でも……、


 背筋を悪寒が走った。

 人の移動なくして旅行はあり得ない。

 もし移動が制限されたら旅行に関係する仕事は無くなる。

 旅行代理店、ホテル、旅館、民宿、飛行機、電車、バス、船、レンタカー、リゾート施設、アトラクション施設、オプショナルツアー関連企業、ガイドなどの個人請負、どれだけの会社が、どれだけの人が影響を受けるのだろうか。


 それでも大手はまだいい。

 蓄積した資産があるから。

 しかし、中小の企業や個人請負にそんなものはない。

 収入が止まれば息の根が止まるのだ。

 そんなことを考えていると、空気が薄くなってきたように感じて、息をするのが辛くなってきた。

 スマホの画面に映る事務局長の顔がぼやけてきた。



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